銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第35話 チサキミコ 初めての人助け《第一演舞》

「それで、私は何を手伝えば良いですか? その、恥ずかしい話ですが、こういったことはさっぱりで……」
「チサキミコ様にはお勤めがありますから、お恥ずかしいだなんてそんなっ! ……そう、ですね……。それでは、お言葉に甘えて……。まずは、この鍋をまとめるのを手伝って下さいますか?」




 そう言うと、赤子を抱えた母親はつい今し方崩れた道具の山を指差し、説明をはじめた。
 腹をくくったものの、差した先に広がる相当量の鍋をはじめとする調理器具の数に圧倒され、暑さも手伝い意識が焼け落ちそうだ。




「大きな鍋を一番下にして、その中に、小振りの物をいくつか重ねてもらえますか? 私もご一緒しますので。いくつか重ね終えましたら、紐でまとめますね」
「鍋を、重ねれば良いのですね? ……分かりました」




 そこまで説明を聞くと、意外に顔色一つ変えず崩れた鍋の下へ歩み寄るチサキミコ。
 そして、適当な一つの大振りの鍋の前に立つと、両足を肩幅に広げその細腕を取っ手にかけ力を込めた。




(重ねてくくらいなら、まあなんとかなるでしょ。とりあえず、向こうのに重ねますかね!)




 内心、簡単な仕事だと見積もり、揚々と鍋を持ち上げにかかる。背中の傷が少々痛むがまだ問題ないだろう。
 しかし、なにせ生活そのものに疎いと言っても過言でないほど、この上なくなまくらな彼女だ。
 果たして、チサキミコの威厳に傷を付けずに、この場をしのぐことができるのやら。




「……しょっと! とっ、ととっ……」




 するとどうだ。驚くことに、小刻みに震えながらではあるものの、なんとかくるぶし丈まで鍋を持ち上げることができたではないか。
 しかし、うむ、やはり。人生初となる人助けは彼女にとっては少々、いやかなり生易しいものでは済まないようだ。


 鍋を持ち上げることができたのなら、次はそれを目的の鍋に重ねるだけだ。
 しかし、どうしたことか。鍋をぶら下げたチサキミコは、途端に左へ右へと風になびく布きれのように手元の鍋に圧されるまま辺りをふら付きはじめたのだ。
 先程の赤子を抱えた村人は、そんな一見ふざけているとしか思わざるを得ない光景など露知らず、自身の持ち場で荷造りを進めている。




(鍋、持ち上げるのって、意外に簡単じゃん! これなら、早いとこ片付けて……!)




 いやいやいや、少し待つのだ全村民の命の要、チサキミコよ。


 物心ついた頃から間もなくチサキミコとして崇め奉られるようになって以来、家事の手伝いはおろか、身の回りの細事でさえ全て彼女の母親と妹が担いこれまで過ごしてきた。
 そんな物事の道理や程度など、彼女はこれまでにたったの一度もその身を以って知ることがなかったのだ。だからこそ、今まさに鍋を持ち上げるということは、風に舞う布きれの如く辺りを踊り歩くことなのだと、それを疑う余地がないことは至極当然のことなのかもしれない。
 いやしかし、それは理解できるのだが、鍋を持ち上げる他人の様を今まで一度も見たことが無いわけではないだろう。
 すぐさま自身の置かれた状況の危うさを自覚するべきだ。そうでなければ、この後の結末が容易に想像できてしまう。




「チサキミコ様っ!? 危ないっ!!」
「んへっ?」




 当人としては、何ら問題ない順調そのもののつもりだったのだろう。
 だがやはり、その愉快な踊りは呆気なく終演を迎える。
 先程まで穏やかだった村人からは想像し難い突如発せられた張り詰めた声に、間の抜けた返事を返してしまう。
 そして時既に遅く、鍋の気の趣くままに煽られ揺れ踊った末、そのか細い脚は付近に転げた匙に掬われ、物の見事に鍋もろともそれはもう綺麗に宙に舞った。




「えっ? うわああああっ!? ぎゃっ!? っつ!? いたたあーー……」




 抱えた鍋は何処かへ放り投げ、盛大に尻を打つ。
 専ら手元の鍋ばかり気にかけていたため、自身に何が起こったのかまるで分かっていない。突然、目の前の世界がくるりと反り返り、状況を理解するよりも早く尻から鈍痛が身体の芯を悪戯に駆けていった。
 匙と一緒に蹴りあげた砂塵が口の中で唾に溶け、舌に広がる砂の不味さがあいまって彼女のやる気がたちまちにその勢いを失う。




「いつつっ……。いったいなあ、もーーう……!」
「チッ! チサキミコ様っ! お怪我はありませんかっ?!」
「……んあ? あっ!? はいっ。……も、申し訳ありません。その、鍋を持つだけでも、思ったより大変なのですね……。もう、平気ですから」
「お手をどうぞっ!」
「あ、ありがとう、ございます……」




 手を引かれ起こされると、彼女は傷む尻をさすりながら何も言わず何処かへと歩き去ってしまった。


 恐らく、そのまま自室に大人しく戻るのだろう。それも致し方ない。
 人生初の人助けが呆気なく失敗に終わるばかりか、村の存続のため損なわないようにと彼女なりに堅持してきたチサキミコとしての威厳に自ら泥を塗ってしまったのだ。それが役目であろうと村人を想う気持ちに嘘のない彼女にとって、この失態を自責し後悔の念に苛まれるその程は誰にも計れない。


 そうして、失意のチサキミコは力ない足取りで散らかった道具の中を彷徨うように進んでゆく。
 手伝いを頼んだ本人は、自身の監督不届きの所為でチサキミコ様のお加減を損なってしまったと、居た堪れない気持ちでその小さい背中を静かに見詰めている。


 するとどういう訳か、その背中はある程度彷徨うと、はたとその歩みを止め立ち止まった。
 腕の中の赤子をあやしながら村人は不思議そうにその様子を見守っていると、チサキミコの取った行動にまたしても声を張り上げてしまう。




「チサキミコ様っ!? 何をっ!!?」
「ん? 何とは? 鍋を重ね直そうかと。まだ終わっていませんから」




 何ということか。決して好き好んで人の手伝いなどしそうにない彼女らしからぬ言葉がその口から今確かに発せられたのだ。
 これには流石に尻を打った拍子に気でも狂ったのかと疑いたくなる。
 その信じ難い真直ぐな言葉に、亡き彼女の母親も驚くのではなかろうか。
 この場に妹のテララが居たなら、開いた口が塞がらなくなるのは必至だろう。




「いえいえっ! お怪我があっては大変ですっ! 鍋は私がなんとかしますので、チサキミコ様は、どうかお休みになって下さい」
「……しかし、それでは昼過ぎに終わらないのでは?」
「で、ですが……」
「分かりました。では……、他に何か私でも手伝えることはありませんか?」




 彼女の中で一体何が起きたというのだろうか。
 休んでも良い。この炎天下の中、誰しもが欲するその甘美な言葉をかけてもらえたにもかかわらず、そのようなこと聞えてすらいないといった調子で彼女はあろうことか、代わりの仕事を自ら催促したのだ。
 これは最早、尻を打った拍子に中身の人格そのものが別の誰かとそっくりそのまま入れ替わったとしか考え難い。実に忌々しき事態だ。いや、良い機会なのやもしれないが、これはこれで先行き不安でしかない。




「んーー……。どうしてもと仰るのでしたら……、あちらの手伝いをお願いできますか?」
「ん? あちらとは?」




 そう言って次に差し示された方へ首を傾げ見やると、一人の女性が地面に座り込み無数の麻袋に囲まれ何かをしている様子がその青緑の目に留まった。




「こないだの……アレの所為で、脚を悪くされたみたいで……。1人だと何かと不便でしょうから、手伝って下されば喜ぶかと思いますよ?」
「そう、なのですね……。分かりました」




 誰か彼女を止める者は居ないのか。
 心なしか何やら使命感に燃えている風に見えなくもない面持ちでそう頷いて見せ、今度は躊躇ない足取りでその女性の下へとチサキミコは向かったのであった。

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