銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第33話 笑顔潤う小陰

 そうして、意図せず大人たちからの愛情に持てはやされ、赤みを帯びたテララの顔がようやく落ち着きを取り戻す頃、一行は目的地の窪地へと到着した。


 長い緩やかな斜面を下りたその先には、村三つ四つは容易に納まるほどに広大な低地が広がっていた。
 ハリスの山にある小山と同程度の高さがある外壁に囲まれたその広大な窪地は、大小幾つもの窪みが重なってできており、その底は起伏が酷く荒れている。
 しかしながら、窪みによっては巨壁や巨柱が突き刺さる形で屹立し影を下ろしている箇所もあるようだ。
 その瓦礫群の中には面が不自然なほどに平坦で角の立った、まるで寸分の狂いもなく岩から切り出されたような、どことなく自然物でない異質な造形をしてた。
 けれど、その異様さとは異なり、そのお陰で水掘り場の中では比較的陰った土地を探すことに手間いらずな場所だろう。


 傾斜の急な外壁を滑り落ちぬよう互いに手を取り支え合いながら窪みの底まで下りるや、デオ夫妻は慣れた様子で水の採れそうな目ぼしい土地を目利きしはじめた。
 ソーマと言えば、低地に下り立って早々焦がれた水にありつけるとでも思ったのか、やけに上機嫌だ。頭上で萌黄色の結び目を大きく踊らせ、あの忘れ難い刺激的な快感はどこだと辺りを見渡している。




「ようし。やっと着いたな! ふう……」
「ミ、ズ? ミズ、アビ、ル?? アビ、スル????」
「んーー、水はまだかなあ。もう少し我慢しようね?」
「そんじゃ、早いとこ取りかかろうかね。さてと…………、あの辺りなんてよさそうだね」




 その頃、日の光は天頂まで昇りつつあり、雲一つない紺碧の空で疎ましく輝きを放っていた。
 影の差していない地面は煌々と降り注ぐ光の圧を照り返し、そこに立つ者にその熱気を容赦なく浴びせてくる。
 日除けもなくただ立ち尽くせば、履きつぶした靴底から伝わる熱も手伝って今にも干乾びてしまいそうだ。
 その猛暑の中、ムーナが額に汗を垂らしながら指差したその先には、巨壁の一部が倒壊し外壁にもたれ未だ日に晒されていない一角が見て取れた。




「向こうの壁が倒れて影になってるところですね? ほらソーマ、向こうの大きな影で掘るんだって。早く行こう?」
「ンギ? ミズッ!? ミズッ! ミッズッ!! ニシシシッ!!」
「あっ、そんなに走ったら危ないよーー! って、靴、片っぽ脱げちゃってるし……」
「ハハハッ。ソーマったらどこに居ても元気だねえ」
「んーー……、元気なのは私も嬉しいんですけど、もう少し落ち着きがあってくれたらなって……。ああ、もう片方も脱げちゃって……。ごめんなさい。先に行ってますね! もう……フフフッ、こらーー! 待てーー!」




 褒美というのは適時適度に振る舞うことで、それを欲する者に期待以上の成果を上げさせることができる。
 しかし、ことソーマに至っては、水との出会いは少々刺激的過ぎたかもしれない。
 驚かさないよう、もう少し徐々に慣らしていくべきだったか。そんな悔やみきれない後悔に屈してなるものかといった調子で、テララもまた駆けて行った。




「あらあらあら、テララちゃんまで。アハハハハッ! こんなに暑いのに2人ともほんと眩しいねえ!」
「ガッハッハッハッハッ! ありゃ、自棄やけだな。テララちゃんまだ小さいってのに、面倒看なきゃならんのがいて大変そうだあ」
「ほんとだよ。子供ならまだましだってのに、でかいなりしていつまでも手間がかかるのは大変ったらないよっ!」
「……んあっ!? 今、俺のこと言ったのか?」
「ほらっ! ぼさっとしてないで、あの子たちに負けないように仕事するよっ!!」
「な、なあ、今俺の――ぬおおおっ!? お、おい! 荷物押し付けてくな……うおっとっと!!」




 各々思うところがありつつも、一行は煩わしい陽気から逃れるように足早にその場所へと向かった。それぞれの想いがその人に届くことはあるのだろうか。それはおそらく、干乾びた大地から大量の水が噴き上がるほど難しい望みかもしれない。




「ふひーーーーっ!! 日陰だ。日陰だあ。も、もう無理だ。これ以上は運べんぞ! 今日はやけに暑いったらないぜえ……」
「はい、ご苦労さん。ほらほら。うだうだ言ってないで、さっさとはじめちまうよっ!」
「へいへい。ったく、どうして今日はこんなに当たりが強いんだ……。テララちゃん、荷物持ってくれてあんがとよ。重かったろ?」
「いいえ。ソーマと2人で分けて持ってたので平気でしたよ」
「ソーマもあんがとな。今度は俺の番だ。……よーーうしっ!! どれ、そいつを貰おうかね!」
「ンギ? アン、ガ、トナ?」
「おうよ! そんじゃ。今日は水をたんまり持って帰って、村の奴らを驚かせてやろうじゃないか。俺たち2人で土掘るから、テララちゃんたちはすの頼めるかい?」
「はい。任せて下さい。ソーマも手伝ってくれる?」
「……ハイッ! ミズッ! ミッズッ! ニシシッ!」




 そうして団長はソーマから鍬を受け取り、その頭を少々乱暴に撫でてやると、息つく間もなく妻と向き合う形でその湿った地面に鍬を突き立てた。
 氷片が採れるのはその日その場所によってまちまちだ。おおよそ大人の肩丈が埋もれるほど掘れば地中の温度も肌に刺さるほどとなり、目的の物も出土しはじめる。
 一見、気が遠くなりそうな深さかのように思えるが、特に踏みなされたわけでもない痩せた土地は道具さえあれば腰丈までは容易く掘れてしまう。
 と言っても、実際相当量の土を掘り起こすわけだが、それは先程からぞんざいな扱いをされている巨漢の腕の見せ所だ。何故か不当な扱いを受けていることを払拭せねばと当人もやる気だ。問題ないだろう。










 目的の深さまで掘り進んだなら、いよいよテララたちの出番だ。掘り出された凍てついた土片を広げた網の上で木槌で打ち崩し、それを網で包んでは土を揺すり落して氷片だけを濾し出してゆく。
 ソーマと言えば、少々不満そうにもテララの隣で見よう見真似に木槌を振るいはじめた。と言っても木槌の頭部分を握りしめ、その柄で土片を叩いているのだが、これはもう御愛嬌だろう。




「フフッ。それはね、こう持った方がもっと上手く崩せるよ? 逆さにして……そうそう上手、上手! それで土、崩せたらここに載せてね?」
「グギ、ギ……?」




 一見、ソーマは大人しく教えにならって木槌を振るっているように思えるが、その手つきはどこかぎこちない。と言うか、投げやりだ。
 そしてやはり、銀白の少年の手つきはしばらくもしない内に、我慢の限界に達したらしく、木槌を横に投げ捨て再び駄駄を捏ねだした。




「グ、ググ…………。ズ……ミ、ズ、……ミッズ、ミズミズミズミッズッ!!!」
「わっ!? ど、どうしたの? んーー、ソーマもう少しだけ我慢しよ? 困ったなーー……」
「ハハハッ。まあ、ここ数日飲水でさえ抑えられてたんだ。我慢できなくなるのも分かるけどね。さて、テララお姉ちゃんはどうするんだい?」
「えっと……、んーーと……」




 手足をばたつかせる銀の赤子に頭を悩ませる幼気な姉は、その暴れる足下に熱を帯びて潤い輝く小さな粒を見つけた。
 テララはそれをそっと掘り起こし、拗ねるソーマに優しく語りかけた。




「あっ!? ソーマ、……ほらっ! 水じゃないけど、氷あったよ?」
「コ、オーリ?」
「うん。冷たくておいしいよ? 土、よく拭いたから、食べてみる? はい、あーーん?」
「アーー、…………ンッ!? ンンンッ!!!?」
「どう? おいしい?」




 その潤い滴る欠片を大きく開かれた白い口に放ってやった。
 小さな氷片が少年の喉奥へを消えるや、喉元から伝い広がる冷やかな快感が初めて水を浴びたときを思い出させたのだろう。全身に沁み渡る快感の波を、ソーマは銀の瞳を固く閉じ、身をすくませ、全身で感じ取っているようだった。
 さぞ満足だったのだろう。その表情からは不満も失せ、振り上げ暴れていた手足も落ち着きをみせる。




「ンンンンッ!!!! ンッ! ンンッ! ヘアアッ! ヒッ、ヒスッ! ヒ、ススススッ!!?」
「フフッ。水はまだあげられないけど、今はそれで我慢してね?」
「ンンンンーーッ!!!!」




 すると味を占めたのか、ただ興奮してかは定かではなかったが、ソーマは木槌を今度は正しく握りしめると目の前に積まれた土山を半ば闇雲に叩きはじめた。




「コーリッ! コ、オーリッ! ギシシッ!」
「ハハハッ。随分お気に召したようだね」
「ふーー。よかったあ。フフッ。私もがんばらなくっちゃ。……って、ソ、ソーマッ!?」




 ソーマも落ち着き、これで仕事に専念できる。
 そう胸を撫で下ろしたところだったのだが、今日のソーマは普段とは少し、いやずいぶんと予想だにしない行動で世話を焼かせてくれるようだ。
 テララが視線を手元に戻そうとした視界の切れ間で、ソーマは途端に立ち上がり、その脚で土山を踏みならしはじめたのだ。




「あああっ! そ、そんなに踏んじゃ、氷も割れちゃうよ?」
「ンーーッ! フヒヒッ! テララッ! テララッ! シイッ! オイ、シッ!!」




 土で薄汚れた素足で数歩踏みしめる度に何かの感覚が伴うのか、ほころんだ顔で身震いしながら足下を両手で仰ぎ、テララに何かを伝えようとその銀の視線を向けている。




「え? 私もやるの? あっ、ちょ、ちょっとっ……!?」




 謎の行動を理解できず小首を傾げるテララをお構いなしに、ソーマはその腕を無理に引き起こすした。そして、自身と同じようにするのだと言わんばかりにその隣で脚を踏み均しては爽やかともとれる表情で身震いを繰り返している。何とも言表しがたい奇妙で少し滑稽な光景だ。


 その様子に困り果て、テララは隣の大人たちから助けを請おうと顔を向けるも、二人揃って何を言う訳でもなく肩を窄めるばかりだった。それはもう戯れに愉しげだと言わんばかりだ。
 唯一の頼みもついえ、仕方なく足の形に合わせ袋状に縫い留められただけの粗末な革履きを脱ぎ捨て、ソーマに倣って土を何度か踏み均してみる。




「んーー……、こ、こう……? よい、しょ。よい、しょっと……、あっ!?」




 すると、横でソーマが飽くことなく足踏み身震いし続けているその理由わけが何なのか、直ちに理解することができた。
 ある程度崩された土山に素足を踏み入れると、湿った土を掻き分け何やら堅く冷やかな感触が足裏より伝わってくるのだ。
 どうと言うことはない。掘り起こされた土の中の氷片に足が当たっているだけのことだ。
 しかし、日陰と言っても喉を伝う汗が退くことはない外気に晒されたままの彼女たちにとって、その僅かな感触は確かに癖になる心地良いものだった。




「……冷たいっ!? フフッ。そういうことね! ソーマの気持ち……、よいしょっ……、分かる、かも……ヒャッ!? 気持ち良いね。……しょっと。キャッ!? フフフッ」
「キモチ、イイ? テララ、コ、オーリ。ニシシッ!」




 爽やかな快感に任せて土を踏み均す二人。
 少しばかりはしたない光景ではあるが、気を抜けばその暑さに滅入ってしまいそうな重労働だからこそ、二人のはしゃぐ姿はたっとく、胸の内で疲弊した皆の心を和ませる。


 最初は乗り気ではなかったテララも、気付けばソーマと手を繋いで掘り起こされた土山のほとんどを均し終えてしまった。




「おうおう。たんまり掘ってやったのに、もう崩しちまったのか? ガッハッハッハッ! こりゃ、負けてらんないなあ!」
「えっ? あっ、ごめんなさいっ! つい、楽しくなっちゃって……。直ぐ、ちゃんと濾しますね! ほら、ソーマ。今度はこれするの手伝って?」
「テツ、ダ、ウ、スルッ! ニシッ」




 暑さにごねる銀白の少年に、一時は作業の進行も危ぶまれるかと思われた。
 しかし、今やその思いもよらぬ大胆な閃きによって一行はそれはもう活気付き、そこが鼻腔の粘膜が焼けそうなほどに蒸し暑い炎天下とは無縁の世界であるかのように涼しげな笑顔で潤い、驚くほど快調に氷を桶に蓄えていった。

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