銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第31話 明日を迎えるために

 そして次の日。
 まだ日が昇って間も無く、夜の冷えた風が吹き収まりきらぬ頃、ティーチ村に早くも動きがあった。


 救護舎に設けられた移住用の作業場で、デオ団長とテララの姉を中心に今居る村人たち全員が集まり今後のことについて話込んでいる。




「こんな朝早くに集まってもらってすまねえ。今日は、前にも話した影籠りのことで急ぎ話したいことがあってだな。こうして集まってもらった」




 天災後、わずか三日ほどしか経ってはいなかったが、怪我人の内約四割の人間が、といっても数にして四、五人でしかないのだが、それぞれまだ包帯をしながらも何とか自分の脚で立って動けるまでに回復し、デオ団長含め計十人弱の村人が集い、その声に耳を傾けている。
 その中にはソーマを引き連れ、これまでと変わりなくその少年をあやすテララの姿もあった。




「みんな、驚かないで聞いて欲しいんだが、つい昨日、この辺りを巡回中に、ニゲルの奴らと思わしき連中を村の近くで見かけた」




 事実、ニゲルに遭遇したのは三日前。今朝の段階でそれだけもの日が経過し、運が悪ければ既に悪族にこの村の場所が把握されている恐れがあった。
 しかし、下手に村人を刺激し不安を駆り立て準備に支障を来しては本末転倒だ。真実を伏せ、デオ団長は焦りを噛み殺して眉間にしわを分厚く拵えそう発した。その険しい表情が手伝ってか、発せられたその言葉は普段のものとは重圧がまるで違う。
 しかし、その顔が少々険しすぎたのか、黒い嵐の名を朝一番に聞かされた村人たちは、デオ団長の計らいも虚しく忽ちにして動揺しざわめき立ってしまった。


 しくじったことに頭を掻き乱す不器用な大男に見兼ね、その隣で控えていた姉がそっと瞳を閉じる。そして一呼吸整えた後、チサキミコとして平静な面持ちで口を添えた。




「ここ毎日、ろくに休めず空腹も満たせず、朝からみなを不安にさせることを話してしまって済みません。ですが、どうか恐れないで下さい。守部もりべの者が彼の黒衣の族を見かけただけで、私たちの居場所がばれてしまったわけではありません。今日、明日と直ぐ襲われる危険もないでしょう。ですから、どうか心静かに、この者の話しを最後まで聞いてやって下さい」




 衣服こそミコフクではなく破れ傷んだ衣ではあったが、それは怯えた村人たちの心を抱擁し導くような気丈さのある澄んだ声だった。
 いつもこれくらいしっかりしてくれたらいいのにと、内心愚痴を漏らす者が約一名居たが、その佇まいも手伝って見事に皆の不安の種を摘み採ってしまったようだ。




「……チサキミコ様がそう言うなら……」
「あ、ああ、怖がってばかりいられねえよな。しっかりしねえと」
「……それで? 団長さん、急ぎ話したいことって何なんだい?」
「ああ、話というのはだな。影籠りの出発を早め、今晩行うことにした。ニゲルの連中にまだ見つかったわけじゃないが、大事を取るに越したことはねえ。予定よりも2、3日ばかり早い。まだ準備が途中の仕事もあるだろうが、今日の日没まで済ませられるだけ片付けてもらいたい」




 デオ団長の英断に多少動揺を見せるも、村人たちは互いの持ち場の進捗を確認しはじめた。戸惑う者は一人もおらず、それぞれが積極的に今日の予定を立ててゆく。こういうときのティーチ村の面々は頼もしい限りだ。
 ただ、そうして現状の確認を詰めてゆく上で、懸念点がないわけではなかった。その内皆思い当る課題について腕を組んで考えはじめ、ある一人が最大の難題を代わりに投げかけた。




「今晩か……。でもよ、寝床の資材はどうにかなるだろうけど、食糧が全然足りないんじゃないか?」
「……そうだね。今の蓄えじゃ、もって2日ってところかね」




 その問いかけに対し、ムーナが持ち場の調理場の在庫から村人たちの腹を満たせる日数を大間かに見積もってみせる。




「食糧のことは把握してる。すまないんだが、食事は今日から量も減らして1日1食でどうか耐えて貰いたい。配給も止める。どうしても容態にこたえそうならその限りではないが」
「今より切り詰めるってわけか……、女、子供が心配だな……」
「ハハッ! 心配には及ばないよ。籠り終えるまでの何日かくらい、あたいらは耐えてみせるさ。それより、男共が先に音を上げそうだけどね? ハハハハハッ!」




 移住が完了するまでの数日間、限られた食糧でしのぐために告げられた苦渋の策。これまでの数日間、日に一食すらまともに摂れない状態が続いていた上でのこの決定は、皆の生きる希望をよりか細く弱らせるほどに惨酷なものだった。
 目に見えてそこに集った顔がどれもこれも陰りを見せたが、頼れる女親分ことムーナの動じない屈託のない笑い声にわずかだが救われる。




「他に何か話しておきたいことはあるか? ……ないみたいだな。ようしっ! それじゃ、みんな今日はよろしく頼んだぞっ! 仕事にかかろうかっ!!」
「おーーーー!!」
「あいよっ!」




 そうして、煩わしい沈痛な気持ちを払うような威勢の良い号令と共に影籠りに向けた準備がはじまった。










 まず、男たちはデオ団長から支持を仰ぎそのまま作業場に置かれた物資のまとめにかかった。
 倒壊した家屋から集めた木材や、その壁や寝床、衣服に使われる布類を使えそうな麻紐や布など巻けそうな物でとにかくまとめあげてゆく。
 言葉にすると何のことはないように思えるが、人数にして男手は五人。ソーマはテララが面倒を看るため生憎数に入ってはいない。
 家屋の資材ともなれば一つ一つが大掛かりな物が多く、それを二、三人一組で束ねてゆく。通常、家屋一軒分の資材は六、七人で半日かかるかといった程度でまとめられる。今回はその倍以上の労力が必要となるわけだ。
 更に、今居る村民は怪我人含め全十九人。家屋の数にして最低でも四軒分は用意しなければならない。ただでさえ体調が万全でない上にこの重労働は過酷極まりない。無茶で無謀そのものだ。




「今朝の段階で進み具合はどうだ?」
「夜通し交代で拵えてたが、やっと1軒分ってところだよ」




 デオ団長の問いかけに、一人の骨ばった小柄な男が現在の進捗を応えた。




「……うむ。確か、資材は大方集め終えていたんだったな? あと残り最低3軒分か……。すまないんだが、4人で残り頼めないか?」
「無理言わんでくれよ。普段ならこの倍以上の人手がいるってのに。団長さん、他に大事な用事でもあんのか?」
「ああ。今日は水掘りに向かう女共の護衛をな。村から大した距離じゃないが、もしもってこともある」
「いや、まあ。それも分かるけどもよーー」




 全く予期しない信じられない提案だった。
 ただでさえ少人数で許容量をかなり越えた資材を荷造りしなければならない現状だ。その発言が容易く仲間に反感を抱かせてしまうのも無理もない。




「あまり団長さんを困らせてやるなよ。皮細工の旦那。やれるとこまでいっちょやったろうじゃないか」
「ああ? ん、まあーー、分かったよ。やるしかないってんだろ」
「すまねえ。チサキミコ様は村に残ってくみたいだから、そっちも何かあったら頼んだぞ」




 同じく荷造りに当たる村人がその骨ばった男、皮細工を生業としていた者を宥めて、何とかその場は納まった。
 と言っても、やはり村人たちに無理を強いることに、屈強な団長も息ができぬほど苦しそうだ。






 一方その頃調理場では、ムーナとテララ、ソーマと他二人の女性、計五人が今日の仕事について話していた。




「さてと。あたいらもちゃっちゃと仕事に取りかかろうかね!」
「ムーナさん。今日は私たち、何を手伝えばいいのかしら?」
「今日はこの調理場の片付けと、水掘りだね。2組に分かれて済ませようかと思うんだけど。さて、どうしようかね」




 そう言って、集った面々を見渡し少々悩ましげに分担を告げはじめた。




「テララちゃんとソーマ、あとリレーニさんは、ここの後片付けを頼めるかい? 確か3人とも、まだ病み上がりだったでしょ?」
「気遣って下さって、ありがとうございます。ムーナさん。そうしてもらえると助かります」
「分かりました。私とソーマはここの後片付けをするんですね。ソーマ、手伝ってね?」




 その分担に歯切れ良く返事をし、テララは自身の後ろで鍋を物悲しそうに覗くソーマに同意を促した。
 ところが、どうやら今朝の銀白の少年の心持ちは少々複雑なようだ。




「……ンギギ。……ミ、ズ」
「ん? どうかしたの?」
「……ミ、ズッ! ミズッ! ミッズッ!! ア、ビッ!! ミズ、アビッ!!」
「おや? どうしたんだい?」




 珍しく突然何やら駄駄をこねはじめたソーマに、少々困惑気味のテララ。何せこんなに我儘わがままを言うのは初めてのことだ。テララは慌てて落ち着かせようと言い聞かせるも、突然のこと過ぎて手に負えない様子だ。




「す、すみません。今落ち着かせますから! えっと、ソーマ? 今はね水が少なくて水浴びはできないの。だから、ね? 我慢して?」
「……ンギギ。ミズ、アビ……。……アビ、タイ……。ミ、ズーーッ!!」
「もう、急にどうしちゃったの? ちょ、ちょっと落ちつこう? ソーマ? ね?」
「フフッ。相変わらず元気が良いねえ。病み上がりなのは気にしすぎだったかい? それなら、テララちゃんの方は身体の調子はどうだい?」
「えっ? 私、ですか? えっと、ただ眠ってただけなので、少し痛むところはありますけど、激しく動かないなら一応は平気です……」
「なら、あたしと一緒に掘り行くかい? その方がソーマも満足だろうし、誰も困りはしないしさ。その分しっかり手伝ってもらうけど。どうだい?」




 皆が村人のために精を出す中、ただの子供の我儘など直ちに粛清されるべき些事だ。
 そのはずなのだが、ムーナの寛容な言葉に不意を突かれ、悪戦苦闘する少女もつい返事から力が抜ける。
 どうも子供の宥め方というのは一筋縄ではいかないようだ。その人のような心の大きな大人にならなくちゃ。そう、テララは心に決めた瞬間だった。




「へっ!? あ、えっと、いいんですか? それじゃお言葉に甘えて……。あ、ありがとうございます」
「ミズアビ? アビ、ル? ミズッ! ミッズッ!! アリ、アリガッ!!」
「ハハハッ。こんなときだからさ。あんたたち若い者には元気に笑っててもらわないとね?」




 状況を理解しているのか定かではないが、浮かれるソーマに場が和む中、救護舎の方から仕切りの布を潜り、デオ団長が顔を覗かせた。




「よう。そっちは話はついたか?」
「おや、あんたかい。こっちは、ちょうど今決まったとこだよ」
「そんじゃ、日がまだ低い内にさっさと出るぞ。どれを担げばいい?」




 そうして、浮かれるソーマに急かされるように準備を整えると、一行は水掘りへと出発した。

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