銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第30話 影

 その日の夜。傷口に滲むような緋色に焼けた夕日も彼方に沈み、まだ少し身震いしてしまう冷たい風が時折吹き荒ぶ深い紫紺の世界。




「ふあーー……。ん……、寝ちゃってた……」




 壁穴から吹き込む夜風に撫でられ夢から呼び起こされ、まだ重たい瞼をこすりその穴から空の様子を計ってみた。どうやら今は随分深けた夜であるらしい。




「……もう夜か。……お腹、空いちゃったな……」




 侘しそうに腹を撫でていると、静かな夜の景色に混じって何やら人の気配を感じ取ることができた。
 何かあったのではないか。テララは重たくなった身体をゆっくり持ち上げ、様子を確かめるべく外へと向かった。






 床下の斜路から外へ出る。この奇抜な外出手段も今となっては慣れたものだ。そうして身震いしながら辺りを見渡すと正面の救護舎にまだ明かりが灯っているのが見えた。




「まだ誰か起きてるのかな?」




 救護舎から漏れる明かりがなければ、自分の手足すら暗闇に溶け込み見えなくなるほどに夜は深くなっている。それだというのに人の気配がすることに疑問を抱く。
 良からぬ事態に備えもう少し慎重に考えておきたいところだ。だが、思いの外今晩は冷え込むらしい。不意にまた夜風にあしらわれテララは逃げるようにして救護舎へと入っていった。






 救護舎の中に急ぎ入るや、まずその変わり映えに思わず目を見開いた。
 そこは穴だらけの傷んだ布で囲われ、雨どころか風さえしのげず、とても人が身を休めるには粗末な場所だったはずだ。
 しかし、イナバシリがこの村を襲ってから三度日が沈んだ今では、多少の見窄みすぼらしさこそ拭いきれないが人が夜を明かすには十分な住み処となっていた。
 きっと倒れた家屋から必死で掻き集めたのだろう。
 柱の間に結ばれ垂れ下がっただけの傷んだ布の壁は、何枚も布を重ねられた上で柱に縛り付けられ、隙間風こそ防ぎきれないだろうが壁としての役目を十分果たしている。
 救護舎の中央には薪がべらているだけでなく、怪我人たちの間には篝火かがりびが灯され、お陰で舎内は夜風に凍えることなく暖を取ることができる温もりが満ちている。さすがに天井までは用意されてはいなかったが、天災後の処置としては申し分ない。
 また、救護舎そのものが拡張され、調理場が繋がり、手前に休む怪我人たちの奥では移住の準備だろう、大人たちが日中集めた資材をまとめているのが見えた。
 以前のように夜通し全員が作業を続ける慌しさはもうない。代わる代わる数人が村の皆のために粛々と懸命に移住の準備に尽くしている。


 テララは皆の邪魔にならぬよう、入口の脇に灯された篝火の傍に腰を下ろし膝を抱えた。




「私が眠ちゃってた間に、もうこんなに準備が進んでたんだ。みんなに悪いことしちゃったな……」




 俯き気味のその言葉は何処かぼやけ、日頃の少女らしからぬ主体性が影を潜めてしまっていた。
 そうして漫然とただ篝火を眺めていると、不意に背中から声がした。




「こんな所で何してるの?」
「お、お姉ちゃんっ!?」
「しーー! あまり大きな声出すんじゃないよ。みんな起きちゃうでしょ?」
「あ……、うん。ごめん……」
「さっき外出てくのが見えたから来てみたんだけど、眠れないの?」
「……うん」




 妹のいつにもない気の抜けた返事に姉は何か察することでもあったのか、距離を詰めその隣に腰を下ろした。




「今さっき向こうで配給の余り貰って来たんだけど、あたし飽きちゃってさ。あんた食べる? って、さっき食べたんだっけ?」
「あ、ありがと。あの後……その、落しちゃって……。実はまだお腹空いちゃってたり……ヘヘヘッ」
「もう、何やってるんだか。寝ぼけたままちゃんと持って食べないからだよ。ほら、今度は落すんじゃないよ?」




 姉はそう言うと袂に仕舞っていたパーニスを取り出し、テララに分け与えた。




「……んで? 何かあったんでしょ? 話してみ?」
「へっ!? べ、別に……何も、うん。何もないよ……?」
「何年一緒に居ると思ってんのさ。声聞けば、あんたが何か溜め込んでることくらい分かるよ。そんなの粥の中からドゥ―ルスの実探すより簡単なんだから」
「えっ!? 私って、そんなに分かり易いの!?」
「だーーから、声、大きいって」
「あっ……、ごめん……」




 配給を受け取る妹の愛想笑いを姉は見逃さなかった。その様に確信を得て、姉は透かさず抱えたわだかまりを吐き出させようと半ば強引に探りにかかる。
 それにそつなく返事をしたつもりだったはずなのだが、予想外の切り返しにまんまと乗せられてしまった。テララは胸にうずめた悩みを観念して渋々語りはじめた。
 こういうときの姉の勘の鋭さには未だ敵わない。何だか少し悔しいが姉とはつくづく偉大だ。でもやっぱり、普段の姉の素行を思えば、ほんのちょっぴり納得がいかない気もする。




「あの、ね……。私……どうしたら良いのか、分からなくなっちゃって……」
「分からないって何のこと?」
「……今日、お姉ちゃんにご飯分けて貰った後にね、ソーマの様子見に行ったんだけど……。その……、あの子に近づいたら、私……身体が震えて……。心配なんだけど……近づけなくて……」
「どうしてまた? ハリスの山でソーマと何かあったの? 喧嘩でもした?」
「…………ハリスの……。お、小山で…………ソーマ、は…………」




 そこまで話した所で膝を抱えたテララの身体が途端に震えはじめた。
 その小さな背中に姉は何も言わずにそっと手を添え、大きくゆっくりとさすり気を紛らわせようと寄り添う。




「ゆっくりでいいんだよ。ゆーーっくりで……。誰も、何も責めたりしないから、ゆっくりね……」




 背中を伝って胸の奥底まで沁み渡る優しく響くその声に、テララは少しずつ落ち着きを取り戻してゆく。まるでお母さんに支えられているような、そんな温かさだ。
 そうして、テララはゆっくりと先日ハリスの山でソーマと二人の身に起きた出来事を順に辿りはじめた。


 思えば、小山に着いたときからどこか上の空で、呼びかけても返事がなかった気がする。
 最初はいつもと変わりなく、ソーマと二人楽しく拾集できていたと思っていた。
 だけどそれは違っていた。ソーマが途端に頭を抱え大声を上げて喚きだしたこと。この身体の青痣あおあざは、それを落ち着かせようと近寄ったときに暴れるソーマにたれできた物だということ。
 思い起こす度に、あのときのソーマの鋭く淀んだ瞳が暗闇の淵からこちらを喰い入るように睨み付けてくるようで、何度も言葉を詰まらせてしまう。
 その都度に寄り添う姉はテララの背中を何度もさすってやり、じっとその言葉が紡がれるのを待ってやった。
 そしてようやっと、少女の口からその胸の奥底に蔓延はびこり苦しめ続けていた言葉が溢れた。




「私……、ソーマのことが、こ……………………、怖くて…………」
「……そう。そうだったんだね」




 優しくささやかれた姉の言葉が、そのたった一言が、今のテララにはとてもつらく、そして救われるほど嬉しいものだった。
 その言葉を皮切りに深緑の瞳には大粒の涙があふれ、少女は姉の懐に顔を埋めて肩を揺らした。




「あんた、今まで1人でそれ抱えてたんだ……。頑張ったね」
「…………」
「あたしもそのとき、一緒にソーマを見た訳じゃないから分かんないけど。あんなに嬉しそうにソーマの世話してたあんたが、こんなになっちゃうんだ。つらかったね……」




 背中に添えられていた温かな手はその温もりを頭へと移し、小さく声を上げて震えるテララの心をそっと撫で解してゆく。




「まあ、確かにいきなり大声で叫びだしたら、あたしも驚くけどさ。詳しい訳は知らないけど、暴れだすのも仕方ないことかもよ?」
「……どう、して?」
「あんたが初めて小山で会ったとき、あの子、酷く怪我してたんでしょ? きっと、ソーマも思い出したくない怖いこととか、痛いことがあっただろうさ。それこそ、言葉をろくに話せなくなるほどつらい出来事だったのかもしれない。そういう人に言いたくても言えない悩みとか記憶とかそういうの。1つや2つ、あるんじゃない?」
「…………」
「でさ、思うんだけど。ソーマ、何もあんたをとうとしたんじゃないんでしょ?」




 ――突然喚き、暴れ、自分を吹き飛ばし、睨みつけた。


 今となってはその事象の過程が端的に、強烈に焼き付けられたテララにとって、その仮説はまるで吹き消えた薪に再び火が灯るように、彼女の心の淀みを一筋の光となって照らし出す。




「……え? ……う、……た、たぶん……。でも……」
「急に暴れだして、落ち着かせようとしたら押し飛ばされたって。ちなみに、今日ソーマの様子を見たって言うけど、そのときあの子、あんたの事避けてる風だったの?」
「…………ううん。笑ってた……」
「なら、話は簡単だね。真面目なあんたが、こんなになっちゃうくらいだ。小山のソーマは本当に怖かったんでしょ。でもね? どれだけそのときのソーマが怖かったとしても、ソーマにはあんたを傷つけようなんて気、さらさらなかったのさ。
 怖いってのは、あんたの勝手な思い過ごしってこと」
「……それはっ! ……そう……かも、しれない、けど……」
「人の知らなかった面を知って、それを受け入れ切れなくて、独り拒んでる。戸惑ってる。相手の気持ちそっちのけで、自分を守ってるだけなんだよ」




 それまで優しく慰めるようだった姉の口調は、次第に諭すように妹のわだかまりを解きにかかる。
 けれど、素直に聞き入れようにも深く刻まれた恐怖がそれを拒み、容易にテララを解放しようとはしてくれない。
 テララは姉の言葉にすがるように一度その顔を見詰めるも、どこか心苦しそうに目線を反らす。




「自分を守るのは大事なことだよ。あたしだって、飯が余ってたらまず先にいただくしね。だけどさ。そうやっていつまでも自分だけ守って、最後には何が残るの? 大事で可愛い自分だけ? あんたのこと気にかけてくれる人が、いつまでも一緒に居てくれるなんて限らないんだよ?」
「……それは……」
「あたしら人は命短いんだから、そんな独りよがりな勘違いなんて早いとこ捨てて、大好きな人たちと楽しく生きた方が利口だと、あたしは思うけどね。あんたは、どう?」




 今日一日、夢見の最中でさえテララを縛り苦しめていた恐怖が、ただの思い過ごし。
 そう断言されたことに戸惑いを隠しきれず、深緑の瞳に映る紅緋べにひの篝火が不規則に何度も彷徨い揺れる。
 テララがどう返答すべきか思いあぐねていると、姉は不意にその頭を荒々しく撫で言葉を添えた。




「ソーマの事好きなら、その気持ち、もっと大事にした方がいいんじゃなーーい? ほれほれっ! ほれほれっ!」
「えっ!? ちょっ! 何言って……! もう、やめ……、やーーめーーて! ……フフ、フフフフッ……」




 堅苦しい姉面に疲れたのか。単にもう眠たくなったのか。落ち込んだ妹を姉はいつもらしく茶化す。
 普段ならその煩わしい愛情表現を軽くあしらうところなのだが、今日のところは甘んじてその歪な愛情を受け入れてみよう。そうしていたい気分だ。口では拒みつつもテララはその手を払おうとはせず、むしろじゃれる内に、何故だか可笑しくなり笑みが溢れてくるから不思議だ。




「どう? すっきりした?」
「うん。……お姉ちゃん?」
「ん? 何?」
「……ありがとう」
「……あいよ」
「あと……、今日……一緒に寝てもいい?」
「フフッ、仕方ない子だねえ。それじゃあ代わりに、今日のパーニス2つ分も合わせて、今度、飯何作ってもらおうかなーー?」
「えっ!? それも!? もう、ソーマの分も一緒なんだから、ほどほどにしてよね? フフフッ」




 その飾らない真直ぐな言葉に、悪戯な姉も穏やかに応えそっと寄り添う。
 夜風にさらわれ凍えた地面に、姉妹は紅緋の中に揺れる一つの影を伸ばした。

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