銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第19話 凄惨な月

 救護舎では早くも半分ほどの壁が作り終えられていた。と言っても、壁に用いられた布に新品の物など一つもなく、破けた穴からは肌に刺さる夜風が吹き込んでくる。傷負いの身体にはさぞ応えるだろう。
 袖口などから吹き込む夜風に身震いしながら、テララはまず被覆された両腕に当て木された怪我人の傍らに座った。




「あ、あの、お夕飯持ってきました。食べられそうで――」
「う……、うぐぐっ……、うがあああああ!!!! ふざけるなああああ!!!!」
「きゃっ……!?」




 すると有ろうことか、麻布の上に横になったその人に食事を勧めた途端、大きな唸り声を上げて暴れ出したのだ。
 突然振り上げられた腕に薙倒されるように、テララは運んできた食事ごと後方に倒れ込んでしまった。弾みで溢れたスープがかかり、手首が熱く焼ける。




「……腕で、この……どうやって、仕事ができるって言うんだ……。どうやって……、どうして……。守ろうと……したのに……、俺だけが……俺だけ……うぐっ、うぐぐ…………」
「……あ、あの……、また新しいの運んできますね? その……、私がお口まで運べば食べられ――」
「いいからっ!! 放っておいてくれっ!!!!」




 自分の言葉に嘘はつきたくない。テララは手首の熱に耐えながら、努めて穏やかに話を続けようと笑顔を向ける。
 けれど、その男性の荒ぶる後悔と自責の怒号に気圧されるまま、少女はかける言葉を見失い一度調理場へと渋々戻っていった。










「おや、早かったね。もう1人目終わったのかい?」
「……あっ、いえっ!? えっと……、運ぶ途中でつまづいて溢しちゃって……。ぎ足してもらいに……」
「ああ、そういうことかい。火傷しなかったかい? 悪いね、さっきは少し多くよそいすぎちゃったかね。運びづらかったでしょ?」
「そ、そんなことは……ない……です……」
「重かったら遠慮なく言っておくれ。あまり急いでくれなくていいからね。はい、またそれじゃお願いね?」
「すみません……。あ、ありがとうございます……」




 調理場に戻ってきたテララに一早く気付いたムーナがその献身的な仕事ぶりを労うように気さくに声をかけてくれた。
 自身も大勢の村人たちの食事を用意しなければならず忙しいというのに、手元をせっせと動かしながらかけられたその声はとても温かく感じた。
 違う。つまずいてなんかいない。少女は慌てて赤くうずく手首を袖の中に隠し、その優しさに応えようと他愛ない嘘をつく。
 村人たちの深刻な現状。理不尽な仕打ち。分け隔てない優しさ。今にも少女の深緑の瞳は滲みそうだった。今直ぐその頼もしい背中に甘えたい。けれど、ぐっと奥歯を噛み締め誰にも悟られないよう目線を伏せつつ、テララは再び救護舎へと向かった。










 気を取り直し、今度は先程の向かい側で横になる村人の下に食事を運ぶことにした。




「あの、お夕飯……、持ってきました。よかったら食べて、下さい……」




 何がいけなかったのだろう。もう少し静かに話しかけるべきだったのかな。今度は上手くできるかな。また怒られたらどうしよう。
 真面目すぎるがために先程の失敗に捕らわれ、答えのない自問を繰り返す。そんな状態で相手の顔も見ずにかけた声には気弱さが残ったままだった。食事を持った手が心成しか震えている。発せられた言葉から、幾分相手への配慮が薄れてしまう。悔しい。情けない。誰かを気遣う気持ちより、自分の心配ばかりだ。憂うつな影が小さな胸内にその影を伸ばしてゆく。




「……ああ、ありがとう。その、気が沈んでしまってるところすまないが、食べさせてくれはなしいかな?」




 驚いた。その者の傍らに食事を置いて早々にその場から立ち去ってしまおう。無意識の内に身体が自衛しようとしていたところをその者に呼び止められ、テララは涙ぐんだ瞳を見開いて固まってしまった。




「…………え? 今……、何て……?」




 その怪我人の顔も見ず、怯えるように早々に去ろうとしていた自分に嫌悪する。
 テララは一度息を深く吸い呼吸を整えた後、怯える自分を押し殺し努めて普段通りにその方に向き直った。でもだめだ。まだその者の顔は真直ぐ見られそうにない。




「……ああ、いや。余裕があればでいいんだよ。食事を手伝ってもらいたいんだ」
「その……私でもよければ、お手伝い……します……」
「優しいね。その声、チサキミコ様の妹さんかい? ありがとう。……情けないことに眼をやられてしまってね。君の顔を見るどころか、自分の身体が今どうなっているかさえ分からないんだ。間違えていたら謝るよ」




 聞き間違いではないだろうか。その男性の言葉にはたと視線を引き寄せられ、目に飛び込んだ状態に思わず息が詰まった。
 顔面を何重にも赤黒くなった帯で被覆された痛々しい姿がそこにはあった。両眼に巻かれた帯は、それぞれ丸く窪んでいる。恐らくもうないのだろう。惨いことに、右前腕と左膝から下も見当たらなかった。




「さっき、向こうで怒鳴られていたのも、その、君かい?」
「…………えっ!? あ、はい……」
「そうか、それは気の毒だったね……。顔が見えないから当てずっぽうなんだけど、向かい側の人、染工せんこうのコールさんじゃないかな?」
「確か、そうだったと思います……」
「さっきの様子だと腕を痛めたのかな? あの人、とても仕事熱心な人だってよく聞くから、ずいぶんと気が滅入っただろうね。大声で取り乱してしまうのも分かる気がするよ」
「そう……、だったんですね……」
「根はすごく真面目で、繊細な人なんだ。……今回の事は、あまり悪く思わないであげてほしい」
「…………はい……」
「だから、テララちゃん。君も何も悪いことなんてないんだよ? こうして怪我した僕らに食事を運んでくれる。むしろ感謝したいくらいだよ。本当に、ありがとう」
「……い、いいえ…………。ありがとう……ございます……」




 両腕を折った以上に惨い有様の自身の容態を気に留める様子もなく、その男性は諭すように優しく少女の怖気を語り解す。




「僕もここに運ばれて手当てを受けるまでは、彼のように混乱してたから分かるんだ……。とは言っても、僕は彼のように何か手に職を持っていたわけでもない。ただの独り身だったから、諦めがついただけなんだけどね……痛ててて……」
「あ、無理に起きようとしなくてもっ! 私がお口まで運びますね?」




 優しい口調に慰められ、普段の調子をわずかに思い出す。テララは、その男性の身体を気遣いそっと寝かし付け、その口元に冷ましたスープを運んでやった。
 視界の片隅ではクス爺が汗を噴き上げながら、死期迫る村人たちを何とか生き永らえさせようと独り必死で施術を施しているのが見えた。
 こんな時だ。良く見知った人影の無事を知れただけで、締め付けられた胸から根拠のない喪失感や自責と謝罪の念も薄れ、呼吸も幾分楽になる。






 食事を終えると、男性は一言礼を言い穏やかに眠りに就いた。
 その後、テララは萎縮することなく、クス爺の背中を追うように懸命に術後の怪我人の下に食事を運んだ。
 何度理不尽な罵声を浴びようと。惨く居たたまれない有様でわずかかに碧い炎がくすぶり泣き喚かれようと。五体満足な自身の身体に自己嫌悪しようと。少女は時折滲む目元を拭い、たくましく看病を続けた。
 それは、灰白かいはく色の月が後少しで地平の彼方へ過ぎ去るほどに傾き、辺りに鳴り響いていた叫喚や叱責の声がすっかり寝静まる頃まで続いた。

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