銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第16話 天災の残痕

 壁を貫いた重く鋭利な土塊が掛け布に包まったテララたちを幾度と撲ち、壁に掛けられた飾り布や小間物入れが吹き飛ばされ激しく床に叩き付けられる。
 家屋を支える支柱がやられたのか、寝床が床ごとかしぎ、いよいよかと一同が覚悟を固め強張る身体から諦念が滲みはじめた頃、頭蓋を軋ませるほどに鳴り響いていた轟音がようやく鳴り止んだ。


 強張り過ぎた手足には最早感覚はない。堅く瞑った瞼の内で今意識のある自分は死んだのか、それともまだ生きているのかさえ冷静に判断が付かない。




「……止んだみたいね。皆、ちゃんと息してる……?」




 気を抜けば震えだし舌を噛みかねない口元を無理に開き、まず姉が抱えた家族等の生存を訊ねた。




「……テ、ララ?」
「ソーマは無事みたいだね。で、この子はっと」




 姉は覆い被せていた布山を下ろし寝床に力無く座り込むと、未だ一人丸くなり震える妹に目立った外傷がないかざっと見てやった。




「ほら、もう厄介事は済んだよ。いつまで丸くなってるのさ。ねえ、聞えてる? おーーい? テララさーーん?」
「…………も、もう……。も、う……、平気なの……?」
「あんたもしつこいねえ。早く顔上げてやりなよ。ソーマも心配そうにしてるよ?」




 姉は寝床に座り込んだまま普段と差異ない口調で妹の怖気を小突き晴らしてやる。
 そうして若干の震えが残るものの、テララは堅く瞑った瞼を徐々に開き泣きじゃくり崩れた顔をゆっくりと持ち上げた。
 瞼の内に溢れた涙で深緑の瞳は歪み、酷くひしゃげた光景がその中に映り込む。


 部屋の様子は見るも無残な有様と化していた。
 射し込む日の光が枯木色に染まるほどに土埃が立ち込め、床には薄汚れ酷く破かれた飾り布や既に使い物にならない家具が散乱し、床や壁には飛散した土塊で破られた傷跡が無数に残っていた。
 ほんの少し息を吸おうにも、舞上がる土埃が鼻から口、喉に張り付き、まともに呼吸するのも難しい。口内に広がる砂塵の味が酷く不味く不愉快になる。




「……どうして、こんな……」
「ほんと、随分と風通し良くなったもんだよ。自然の起こした気まぐれじゃあ、どうしようもないけど。まあ、これからの時期には有難いけどさ……」




 釣られて壁やら天井を見やったソーマは傾いだ寝床に重心を崩され転げ落ちそうになる。
 あっ、危ない。テララはそれを慌てて抱き止めたものの、その丸まったままの目は未だ現状を受け入れられていないのか、抱きとめた格好のまま周囲を彷徨っている。




「村の様子も気になるね。あんたちょっと見てきてくれる?」
「村の、みんな……ピウちゃんっ!?」




 姉の頼みを復唱するや、テララは危惧していたもう一人の家族のことを思い出す。転げ落ちるように慌てて寝床から起き上がり、階段を駆け下りて行った。










 居間に下りると、そこは姉の部屋と比較にならないほどに損壊が激しく酷い有様だった。
 土塊に貫かれ床板がめくれ上がるだけならまだしも、その猛威に耐え兼ね丸ごと抜け落ちてしまった一角もある。
 飛散した土塊が部屋中に散乱し、部屋の衝立は倒れ、暖簾のれんは破り捨てられている。水瓶は砕かれ、貴重な飲み水は虚しく滴り落ち、ここを人の住まう家屋とは今や到底言い難い。炉の火が他に燃え移ることなく消し炭と土埃を被り消えていたことは不幸中の幸いか。
 テララは、脆く歪んだ床に足下を取られないよう、はやる気持ちを抑え慎重に戸口を目指した。










 やっと戸口まで辿り着き、落ちた暖簾をまたいで外に出る。そこには見知った村とはまるで異なる、死期に覆われた死没寸前の無惨な光景が広がっていた。




「……こ、こんな…………。どう、して…………」




 息を吸う事すらはばかられるその悲惨な村の姿に、テララは一瞬身体の自由を奪われる。
 付近の家屋のほとんどが支柱を砕かれ倒壊し、見渡せる限りで無事に建っている物は一つとして見当たらない。
 その内に、恐らく炉の火が燃え移ったのだろう。太陽がわずかに沈みかけた淡い紫苑しおんの空に、緋色に燃盛る家屋が目に鋭く突き刺さる。
 瓦礫の下敷きとなり助けを求めうめく者。逃げ遅れたばかりに炸裂した土塊に穿うがたれ碧く燃え盛る者。事切れた灰塵を名残惜しそうに掬い叫喚する者。
 チサキノギとは別格の、惨酷で悲愴とやり場のない憎悪の入り混じった感情の波が耳に重くまとわり付いてくる。


 込み上げる感情を胸元で拳を固く結び必死に押し留め、少女は意を決して再び歩みを進めた。
 戸口に立てかけられた階段は崩れ落ちていたが躊躇することなく飛び降り、着地で擦り切れた膝に構うことなく床下で待つ家族を目指し駆けた。




「ピウちゃんっ! ……ピウちゃんっ! …………ピウちゃんっ!!!?」




 見慣れているはずの床下は言うまでもなく酷く荒れ果て、えぐれた地面につまづきながら土煙で霞む視界を掻き分け突き進む。
 そうして立ち込める土煙の中、やっと見つけた家族の影に慌てて駆け寄りその状態を識るや、テララは思わず息を呑んだ。
 そこには、重量のあるあの巨体が物の見事にひっくり返り、仰向けの格好で微動だにしないピウの姿があった。




「ピウちゃんっ!? ピウちゃんっ!! ねえ、返事して? お願い……ピウちゃんっ……!!」




 テララは裏返った大きな甲羅の縁を辿りながら、その容態を執念深く、込み上げる不吉な予感を何度も否定し探り歩く。
 しかし、その現実は少女にとって容赦のない、あまりにも惨いものだった。
 甲羅を半周ほど辿っただろうか、それにもかかわらず見当たらないのだ。
 彼女の声を感じようものなら透かさずすり寄ってくる首が。首だけではない、地を踏みしめる太い脚や短く平らで愛くるしい尾すら、その存在を認める事が出来なかった。




「……ピウちゃん、……そんな、そんな……ごめんね、……ごめん、ね…………うああああああんっ!!!!」




 その事実についにテララは拒んだ現実を否定しきれなくなり、大声を上げその場に泣き崩れた。
 その少女の声は悲嘆渦巻く紺青の空に混じり合い、遠く彼方まで木魂した。










 やがて立ち込めていた土煙も風に流され、月明かりが射し込み辺りの様子が鮮明になる頃、少女の耳にわずかだが吉兆の音が届いた。




「…………えっ? 今のって……」




 へたり込み泣きじゃくっていた顔を慌てて拭うと、はたと立ち上がり動かぬ甲羅の方を見やった。




「……ピウちゃんっ!?」




 すると、何と言うことか。それまで微動だにせず静寂を守っていた甲羅が左右に重く大きく揺れ動くと、空を仰いだ腹の方から千切れ無くなってしまったとばかり思っていた四肢や首、そしてあの愛らしい顔が伸び下りてきた。
 テララは辛抱ならず垂れ下った頭に抱きついた。




「ピウちゃんっ!? ピウちゃんっ!! 無事だったんだねっ! よかったっ! 私、わたし…………」




 恐らくだが、イナバシリの衝撃でその巨体が横転した後、その進行方向とは逆向きに厚い甲羅を傾け、四肢や首を折りたたむことで自然の脅威からその身を守ったのだろう。見かけによらず何とも賢い生き物だ。いやまさにこれは奇跡と言ってもよいだろう。
 しかし残念ながら、愛くるしいその尾は根元から引き千切られ痛々しく傷跡が残っていた。


 無傷とは流石にいかなかったものの、無事生還し頬を擦り合わせることができた家族を前に、テララには先程とは別の温かい感情が込み上げその頬を濡らした。






 しかし、どうしたものだろうか。
 無事に再会できたのはいいものの、そのひっくり返った巨体を元に戻す手立てを、少女はおろかその当事者自身も持ち得てはいなかった。




「待っててっ! 今、起こしてあげるからね! んーーしょっ! んーーーーしょっ……」




 テララは自分に任せてと袖をくり、裏返った家族を元に戻そうと意気込むのだが、当然の如くびくともしない。
 けれど少女は諦めず、その手がたちまちに擦り切れ痛みを伴いだしても尚、その巨体を何とか元に戻そうと健気に奮闘する。
 だが、その巨体は大の大人十人がかりでやっと動かすことが敵うかどうかというほどの超重量だ。子供一人の細腕でどうにかできる代物では到底ない。
 平常なら容易く理解できるはずなのだが、テララは尚も諦めず息を切らしながらも途方に暮れている。そんな中、今ではずいぶんと聴き慣れた少女を探す声がその耳に届いた。




「テ……。テラ……。テラ、ラーー!」




 少し手を休めその方を見やると、思わず肝が冷える様子がテララの目に映り込んだ。




「わわわわっ!? 何してるのっ!? そんなところ覗き込んだら落っこちちゃうよっ!」




 その視線の先では、床が抜け落ちた大穴からソーマがこちらを覗き込んでいたのだ。




「直ぐそっち行くから、大人しく待っててっ! 危ないからっ!! 動いちゃだめだよっ!? だめだからねっ!!」




 一瞬、テララに制されその首を引っ込めたかと思われた。だが、あろうことか身を反転させただけのようで、更に下りる気なのか脚を下ろし不安定な体勢で宙釣りになっている。




「あっ!? 危ないっ!!!!」




 そう思った次の瞬間、ソーマの身体は脆くなった床ごと抜け落ちた。
 しかし、間一髪のところでテララがそれを抱き込む形で尻を付き、難を逃れた。




「痛っててて……。危なかったあ。ソーマ、怪我してない? もう、大人しくしてないとだめだよ?」
「グググ……。テララ、……ナ、キ……オネ、チアン……」
「ああ……、泣いてたの聞こえちゃってたか……。お姉ちゃんが言ってたのね?」




 無謀にも床穴から降ってきたその理由を問いつつ、テララは倒れた上体を起こし、悪戯な少年を見据えた。
 けれど、どうやら肩をすくめ座り込んだ悪戯っ子に悪気はないようで、そうと分かると不思議とそれまでの無駄な力みも解けてしまった。これでようやくいつもの気丈で健気な少女に元通りだ。




「心配して来てくれたんだね。ありがとう」
「ア、リガ、ト……?」
「うん。私の事優しく思ってくれて、アリガトウ、ね。……でも、今はねピウちゃんの方が……」




 テララは座り込んだソーマを引き起こし、手を繋いで未だ空を仰いだままのピウの元へと歩み寄った。
 ソーマが床板から落ちる間も独り仰向けのまま必死で四肢をばたつかせてもがき続けていたのだから、気の毒なことこの上ない。
 しかし、再びピウの甲羅に手をかけ力を込めるのだが、やはりテララの力では状況を好転させることは難しいようだ。
 少女がどうしたものかと独り思いあぐねているその隣で、不意にソーマもピウの甲羅に手をかけテララの真似をするかのように力みだした。




「ソーマも手伝ってくれるの? ありがとう! せーーので一緒に持ち上げようか。せーーの……んーーーーしょっ!!」




 そうして、今度は子供二人がかりで巨大な甲羅をうつ伏せにするべく持ち上げはじめた。
 しかし、それでもその巨体はびくともせず、二人の食いしばる吐息だけが無為に溢れる。やはり大人の人手を借りなければどうしようもないように思えた。
 だが、テララが力む瞼の裏でそう諦めかけたとき、信じ難いことが起きた。
 それまで傾きすらしなかったピウの甲羅が徐々に上方へ持ち上がりだしたのだ。




「……えっ!? うそっ……!? どうしてっ!? ええええっ!!!?」




 その傾きは少しずつ、そして徐々に大きくなり、やがてテララの手から甲羅が離れてしまった。
 その驚愕の出来事にテララは文字通り目を円く見開き開いた口が塞がらないようだ。それも当然、無理もない。なにせ少女が愕然と立ち尽くす隣で、ソーマが自分一人の力だけでその巨体を持ち上げている姿を目の当りにしたのだから。
 予想だにしない展開にただただ立ち尽くすテララに構うことなく、ピウの甲羅はどんどんと起き上がっていく。
 そしてついに、大きな地響きを立ててピウの身体は無事うつ伏せとなりその四肢で地面を踏みしめることができたのだ。




「……すごい! すごいっ!! ソーマ、ありがとうっ!! あなたってとても力持ちさんだったのねっ!!」
「アリ、……リガ、……トウ?」
「うん! うん! ありがとう! ありがとうっ!」




 例の如く一人事態を理解できていないソーマに抱きつくテララの下に、感激し小さな耳をはためかせたピウも擦り寄り、三人で温もりを固く分かち合った。

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