銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第11話 兆し

 チサキミコは責務を放棄し、初対面の少年に節操無く抱きついている。それは一見すると、いやそうでなくとも、年甲斐もなく非力な少年に迫り盛るただのふしだらな老女でしかなかった。いや彼女もまた内面や外見も少女であることは変わりないのだが、少年の柔肌を堪能する口ぶりは若さに固執した老いたそれだ。
 テララは、あまりにも想定外の出来事に一時的に思考が停止し、対応がまるで追い付かない。




「……ちょ、ちょっとお姉ちゃんっ!? その、お見定めは? 本当にいいの?」
「んほほほほおっーー! このっ! このほっぺなんて、アハッ! あんたの尻なんかよりじゅっと、柔らかくて、ンーーッ! 気持ちいいよーーっ!」
「えっ!? お、お尻っ? 私の…………って!! もうっ! 可笑しなこと言わないでよっ! その子、覚えちゃうでしょっ! そうじゃなくってっ!!」




 流石にテララの苛立ちを察したのか、盛る老女もといチサキミコの姉は欲情する自我を一旦収め平静を取りつくろい、その心中を語りはじめた。しかし、その腕は依然として少年を逃すことなく抱きしめたままだ。なんて強情な娘だ。




「んーー……。だから、いいって言ってるじゃない。それとも何? 出所知れぬ不審者だって追い出しちゃっていいの? 見たところ、言葉もろくに話せないみたいだけど?」
「そっ、それは……」
「あんた、今朝からこの子の面倒看てたんでしょ? それで何ともなかったんなら、問題ないでしょ。あんたに懐いてるみたいだし? ちゃんと面倒看れるなら、特に拒む理由もないよ。ちょうど一部屋空いてるしさ……。それに、こんなにすべすべ柔らかいし……ムフフッ」




 姉はそこまで言うと、せっかくつくろった正気を早々に放り投げ、再度腕の中の少年弄りに没頭しはじめた。
 姉妹の問答の最中、揉みしだかれ続けたしっとりお尻の少年は最早息絶え絶えだ。抗う力もなく弱々しく姉の容赦ない愛情の中でうな垂れうめいている。気の毒なことこの上ない。
 テララはこれほどまでに節操無い姉に頭を抱えつつ、助けを請う少年を救うべく姉の腕を解きにかかる。




「そっか……。お姉ちゃんがそう言うなら。いいんだけど……。……で、も! もうその子を離して、あーーげーーてーー! 疲れちゃってるでしょーー!!」




 テララは欲望のままに銀眼の少年に絡み付く姉の腕をどうにか解こうとするのだが、押そうが引こうが少女の力ではびくともしない。
 どうしたものかと途方に暮れていると停戦を告げるが如く再度あの奇妙な音が居間に鳴り響いた。




「……おんや? 誰? 今、腹鳴ったの?」
「…………テ、ララ……。ゴ……ハ……ン…………」
「あらっ! またかわいいお腹の鳴き声だねーー?」
「お姉ちゃんっ!!」
「……は、い」




 憤慨する妹に威圧され、姉は渋々その腕から少年をようやく解放した。
 姉の過剰な愛情を全身で受けた続けた少年は既に身を起こす力も残っておらず、そのまま床にへばり込んでしまった。恐るべしお尻の魅惑たるや、ではなく姉の溺愛っぷりである。
 少年は生涯この人に心を許すことはないかもしれない。
 弱りきった少年に姉は自身の大人げなさをようやっと反省したらしく、疲れた身体が冷えきらぬように羽織っていた掛け布を少年にそっとかけてやった。




「もうっ! 今みんなのご飯作ってあげるから、大人しく待っててっ! それから、今日はお姉ちゃんの好きなドゥ―ルスの実は抜きだからねっ!」
「えーー、そんなーー……」
「えーーじゃないのっ!」
「……うぐっ、はい……」




 何処か気の抜けた母親やだらしのない姉に代わり、自分がしっかりせねばと利口に育ったテララが怒る事ほど恐ろしいものはない。そんな愚痴をこぼしながら、姉は背を丸くして炉に薪をべる。
 テララは少年の息が落ち着いたのを確認できた後、戸口横に置いておいた籠の下へと向かった。










 昨日は思いがけない出来事があったが、思い返せば稀に見る大収穫だったのだ。先ほど姉に好物抜きだと叱ったが、少しくらい分けても十分に余るほどの食糧を拾集できたのだ。銀眼の少年もお腹を空かせている事だし、さて今日は何を作ろうか。
 テララはそんなことを考えながら、揚々と籠の中の物に腕を伸ばす。
 しかし、それは肉だっただろうか。ちょうどよい大きさの物に指が触れ掴み上げようと力を込めた途端、それは土塊のように脆く砕け散ってしまったのだ。そう錯覚するような奇妙な感触が手に残った。




「ん? 今のって……?」




 その身に覚えのない感覚にテララは小首を傾げ籠の中を覗く。そして次の瞬間、少女は思いも寄らない光景に仰天の声を発した。




「えっ!? うそっ! 昨日、拾ってきたばかりなのに、どうして……」
「何、どうかした? 今、この子寝付きそうなんだから、あまり大きな声出さないでよ」
「え、あ、うん……ごめん……。えっと、それがね……、昨日拾ってきたお肉が……ううん。それだけじゃなくて、その、拾った物全部……、灰になってるの……」
「はいーーーーっ!!!?」




 姉もそろって籠の中身を覗くと、そこには彩り鮮やかな食物がひしめき合い、調理されるのを今か今かと待ち侘びる健気な食糧たちの姿は見当たらなかった。
 拾集した物、そのどれもが白い土塊となり、掴めば容易く砕け灰となって指の間を物悲しく抜け落ちてゆく。テララが家事を担うようになって幾度となく小山で拾集を繰り返してきたが、このような事は初めてだ。




「灰になってるだって? ……うわっ!? ほんとだ!! ……へっ、へっぷしっ! こ、これじゃ……ピウの餌にもならないね……。おかしなこともあるもんだ」
「ご飯、どうしよう……。作り置きしてたの何かあったかな……?」
「えっ!? それじゃ、飯抜きってこと? ああ、だめ……流石に動きすぎて、気分悪くなってきた……」




 姉妹二人で籠の中の灰をすくえどそれが元の形に戻るはずもなく、ただ無情におのおのの腹が虚しく泣く声が居間に木霊する。


 昼食をどうしたものか途方に暮れていると、不意に戸口の隙間から何やら人の声が漏れてきた。どうやら誰かが姉を呼んでいるらしい。
 血の気を失い体力の限界に達して籠にもたれたまま動かなくなった姉の代わりに、テララは手の灰をはたいて急ぎ戸口をくぐった。




「あ、テララちゃん。こんにちは。チサキミコ様、いらっしゃるかい?」
「こ、こんにちは。えっと、姉は……、今はまだ休んでますけど。どうかされたんですか?」




 階段の下には、木組み工の奥さんが申し訳なさそうに立っていた。その腕には何やら抱えられているようだ。




「いえね。昨日チサキミコ様がうちの旦那を救って下さったから、そのお礼がしたくってね。これ、いつも"チサキノギ"の後はお身体の調子が良くないって聞くもんだから、食べやすいように粥を作ってみたんだけど、お口に合いそうかね?」




 何事かと事情を伺えば、どうやら昨晩のチサキノギにて夫のヘキチョウを鎮めその命を繋ぎ止めてもらえた礼がしたいとのことだった。
 そう言いつつ腕に抱えた鍋の蓋を開けるとスクートスの乳の柔らかくほのかな甘い香りとホルデムの実のこうばしい香りが鼻腔をくすぐり悪戯に食欲を誘う。なんとも心安らぐ香りだ。有り難いことに姉の好きなドゥ―ルスの実もわずかだが添えられている。
 ホルデムの実は長い花軸の先に実を穂状に実らせた枯草色の作物だ。乾燥した土地でも少ない水分量で育ち、ハリスの山まで出向かずとも少量なら近辺で見かけることができる。そのため年中通して入手が容易で、栄養価もそれなりに高いこともあり体調がかんばしくないときには打って付けの食材だ。
 テララは気を抜けば響いてしまいそうな腹を悟られぬよう押さえながら、今の彼女たちには褒美とも言えるその品をうやうやしく受け取った。




「この粥、姉も大好きなんですっ! きっとすごく喜ぶと思いますっ!」
「チサキミコ様も? フフッ、そうかい。それならよかったよ。今度来るときはもう少し多めに用意してこようかね。それじゃ、よろしくお伝えしておいてね?」
「あっ……その、はい。ありがとうございます! 母大樹様のご加護があらんことを」
「フフフッ。母大樹様のご加護があらんことを」




 少女の必死の我慢も虚しく口走ってしまった。なんたる失態だ。またご近所様に余計なお気遣いをかけてしまう。日を改めてお詫びをしなくては。失言を悟られてしまったテララは耳を赤くし今後のご近所付き合いの方針を固めつつ、木組み工の奥さんを見送り居間へと戻るのであった。










 お腹を空かせて待つみんなを喜ばせようと、テララは思わぬ収穫を告げるべく気持ち大きく息を吸い込んだ。




「ねえ、みんなこれ見――」




 けれど、居間の中央で姉が目配せでそれを制し、テララは出端でばなを折られ大人しく空を呑んだ。
 どうやら居間では、姉が銀眼の少年を寝かせているところのようだった。また強引に寝かし付けたのではないかと疑ってしまいそうだが、今は咎めずに静かにしておこう。
 昼間目覚めてから真新しいことばかりだったろう。疲れるのも仕方ない。少年はあれほど恐れた姉に優しく肩を撫でられつつ、膝を抱えるように静かに寝息を立てている。




「……ぐっすり眠ってるね」
「……村の人? 何だって?」
「あ、うん。木組み工の奥さんがね、昨日旦那さん助けてくれてありがとうって。お礼にスクートスの乳粥お裾分けしてくれたの。お姉ちゃん、体調よくなりますようにって」
「そりゃあ、ありがたいね。冷めないように炉で温めといて、この子が起きたら頂こうか」
「うん。ドゥ―ルスの実も入ってたから、すごくおいしいと思うよ?」
「なんだって!?」
「しーーっ! 起きちゃうでしょ?」




 姉に子守りをされ炉の傍で丸くなっている銀眼の少年の姿は、自分の小さい頃よく母親にしてもらっていたのとまるで同じだ。
 テララは重なる記憶を懐かしみつつ、鍋を炉にお置き薪を焼べ直した。

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