銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第5話 チニイキルモノ

 ハリスの山で拾集中に思わず遭遇した"モノ"、もとい"ヒト"を村まで運ぶ間、被覆した傷口からは血が溢れ続け、急造された担架は漏血にどんどん塗れていく。
 揺れ落ちないよう一番近くでそのヒトを看ていたテララの手や衣服もまた紅黒く染まっていった。




「こりゃあやばいぞ……。早くどうにかしてやんねえと、血がどんどんなくなっちまう……!?」
「どうにかって、こんなひどい怪我……。と言うかありさま……。いったいどうやって直すってのさ?」
「つべこべ言ってねえで、舌噛むくらい急いで運ばねえかっ!!」
「運ぶったってよ? いったいどこに運べばいいんだ……?」
「……それなら、私の……。私の家に空き部屋があるのでそこへっ!!」
「お? テララちゃん、そいつは本当かい!? そりゃあ、ちょうどいい! チサキミコ様に見てもらわねえといけねえだろうからな。よし、そうと決まれば無駄口なしで急ぐぞっ!!」




 テララたちの村には新たに人間を招き入れる際は、如何に得体の知れないモノであったとしてもテララの姉、"チサキミコ"の許しを請わなければならないというおきてがあった。
 そのためテララの家に運び入れることは名案だったのだが、生憎肝心のその人は今は出払っているのか姿が見当たらない。
 しかし掟のこともあるが一刻を争う。一旦テララの家の空き部屋。ちょうど姉の部屋の真下に位置する以前少女らの母親が使っていた場所にそのヒトを寝かせることにした。
 担架から寝床へ移そうと一度試みたが、下手に刺激してそれ以上出血を促さぬよう担架ごと寝床に寝かせた。


 ちょうどそこへ騒ぎを聞きつけたのだろう。頃合い良く息切れ切れに一人の老人が部屋に駆け込んできた。




「ぜえ……ぜえ……!! 怪我人が、おると……ぜえ……どこじゃっ……!?」




 その老人は腰は折れ、小振りの老眼は縁が歪み、左頬骨辺りに大きなシミをこしらえ、頭髪は白く乱れていた。衣服も裾は解れている上に所々が破け、その腕には何かが包まれたボロ布を抱えている。お世辞にも衛生的とは言表し難い風采をしていた。


 一瞬部屋に居合わせた誰もがその人物の特定に戸惑ったが、テララがその老人を見やるや慌て駆け寄り、泣きつく様を見て事態を理解した。




「クス爺っ!? お願いっ! このヒト助けてあげてっ!! 小山で独りぼっちでね身体中傷だらけで泣いてだからっ……!!」
「おっとと……。テララちゃんよ、心配いらん。なあに、わしに任せておきなさい」




 息継ぎなしに寝床に横たわるヒトの容態を泣きわめくテララの表情はまるであの時と、少女の母親が去る時と同じだった。
 失いたくない気持ちとは裏腹に、確実に、そして着実に近づく死期を幼げながらに感じ取り、それに抗う術をもたない自分に自暴自棄になってすがる表情だ。
 クス爺と呼ばれるその老人はその二つの光景を重ね、そっとテララの頭を繰り返し撫でなだめてやる。


 そうして、寝床の片隅まで歩み寄るやその老医は抱えたボロ布をおもむろに広げた。
 その中には、石から削り出したのだろう鋭利な手の平ほどの小振りの刃物や、柄がひとまとめになった箸のような器具。鋭く尖った針に石斧、麻布の束など、この場で何に使うのか想像し難い大小様々な見慣れない道具が幾つも収められていた。
 一旦目を閉じ一呼吸置いた後、クス爺はその内から一際鋭利な刃物を手に取るや目つきが別人のように険しくなり一言言い放った。




「ほいじゃ、はじめるとするかの。すまないが皆、席を外してもらえるかのう」
「え……。でも、私……、わたし……!」
「テララちゃんもじゃ。いい子に外で待っておってくれるかの? なあに、そう長くはかからんじゃろ」




 そう言うと、テララ含め同室に居る村人たちの退出を求めた。
 テララは何度もその場に居合わせたいと訴えたが、クス爺に穏やかに再度なだめられ、未だ意識戻らぬヒトを残し部屋の外で待つことにした。


 しかし、部屋の外と言っても暖簾のれんと一枚の衝立で仕切られただけの空間だ。
 血の気が退く予期せぬ出血音。骨を砕きすり合わせる首をひねり潰されるような摩擦音。クス爺が懸命に施しを試み漏れる深く乱れた呼吸音。
 空間を伝わる緊張感にテララは震えが治まらず、両手で顔を覆い身をかがめ祈り続けることしかできなかった。


 やがて外は冷たく重い紫苑しおんの闇に呑まれるほどに日が沈んでいった。
 だが、部屋からクス爺が出てくることなはなく施術は黙々と続いていた。










 一方、テララの家から東北に位置する、ちょうど彼方の地平に母大樹が浮かぶ村の楽殿がくでんでは、テララの姉、チサキミコ様によるお勤めが執り行われていた。


 楽殿は幾つもの祭具で飾り付けられ、中央に大人ほどの大きさの人型に組まれた器具が佇み、その彼方の空には母大樹が荘厳たる様で浮かび上がっている。
 楽殿を八方より囲むように御付きの者が露草色の外衣を頭から羽織り、何やら奉唱し続けているようだ。
 人型の器具を挟んで母大樹の向かい側、楽殿の下には首輪を付け悶え苦しみうめく村人が六人ばかり麻布の上に横たわっている。
 そしてそれぞれの親族だろう数人がそれを取り囲み、すすり泣く声が木霊している。




「まだ……ヘキチョウに、憑かれ……、たくねぇ……」
「どうか、この人を……どうか……。どうか……!」




 その辺りを囲うように、碧瑠璃の布で覆われた行灯あんどんが立てられ、一帯は青白く浮かび上がり重く神妙な空気で包まれていた。


 そこへ新たに一人、奉唱する御付きの者より一層優美な衣をまとった人物が行灯に照らされむせび泣く村人たちの下に現れた。ミコフクに身を包んだテララの姉だ。
 地に擦れるほどの白無地の薄手の羽織や長く垂れ下った碧い袂、後腰に付けられ棚引く飾り布が行灯で温められた陽気で舞上がる。
 暗闇にたゆたうその様は、この世に迷い込んだ神霊の類かのように浮世離れした神格さをはらんでいる。


 村人たちはその存在を識るや、足下まで擦り寄り礼拝を繰り返し一様にその名を口にする。




「チサキミコ様っ! チサキミコ様っ!! どうか……どうか夫を御救い下さいっ!!!!」
「どうか息子をっ……! どうかチサキミコ様っ!!」




 悲痛に歪み救いを哀願するその後ろでは、息も絶え絶えに生死を彷徨い呻く村人たちが見え、その身体には"碧い炎"が至るところにくすぶりはじめていた。
 しかしテララの姉は表情一つ崩すことなく、何一つ慈悲の言葉もなく、粛然しゅくぜんと楽殿へと上ってゆく。






 やがてチサキミコが楽殿に到着し、それまで唱えられていた奉唱が静かに止んだ。
 その幾ばくかの静寂の中、彼女は母大樹が彼方に据えられた祭具の前まで進みひざまづくと、奉上することばを唱えはじめた。




「彼の地に仰ぎ奉る 掛けまくもかしこき 母なる大樹 大前を拝み奉りて 聞こしせとかしこみ恐みももう
 大御樹おおみきひろき厚き御恵み賜えねば 此は天の邪陽を以ちて 灰塵に還す 果敢無はかなき物なれど 大御樹と御山 末代なれど其を堅守す
 されど此は果敢無き定め 抗い負ひ持つ業にはげましめ給ひ 此が血汐 大御樹に捧げ 御恵み授け賜えと恐み恐みも白す」




 そして祭壇より房紐ふさひもと長い緋色の帯で飾られた小振りの刃物を持ち上げると、それに合わせ歌舞がはじまった。
 母大樹をたたえ、その賜り物により命繋ぎ留めること能う感謝の舞いだ。
 白碧の衣で舞うチサキミコを追う刃物の緋色が、この世に息づく血汐の如く楽殿に舞い流れる。






 歌舞が進むにつれ、楽殿の下で燻る村人たちの碧い炎も勢いを増し、囲む咽び泣きもいよいよ悲鳴に変わりつつあった。




 歌舞も終盤に差しかかり、チサキミコは再度、母大樹の御前にひざまずき、舞で用いた刃物を左手に持ち代え祭具に据えられた皿の上におもむろにかざした。
 次いで一拍もって呼吸を鎮めた後、何の躊躇、迷いもなく空いた右手で刃物を固く握りしめ、勢い良くそれを引き抜いた。
 鮮やかな紅が空を斬り、右手から滴る鮮血で皿がとくとくと満たされてゆく。
 その悲愴渦巻く静寂の中、皿が流血で満たされた後、チサキミコは顔色一つ変えることなく刃物を皿に添えた。そして脇に畳まれた布で手の傷を覆い、最後に母大樹へ深々とこうべを垂れた。






 彼女が姿勢を正すと、続いて楽殿中央の人型に組まれた器具へ歩み寄っていった。
 それに追従して御付きの者が一人楽殿に上り、彼女の首輪を前方に突き出し顔が天を仰ぐような格好で、彼女を器具にはりつけにしてゆく。一体これから何が行われるというのか。
 次いで家畜の亡骸から拝借した甲羅と水袋にも用いられる胃袋を六つ、別の御付きの者が運んできた。
 その内、甲羅はチサキミコの足元、正確には突き出された首輪の真下に何かを受け止めるように裏返しに置かれた。




「其の血汐 邪陽の使者 ヘキチョウ鎮め 果敢無き定め救い賜ふ 大御樹の御恵み在らん」




 御付きの者たちはそうチサキミコに奉上し深々と礼拝を済ませ、その後一人が彼女の首輪におもむろに手をかけた。そして一息にその"栓"を引き抜いた。


 次の瞬間、チサキミコの呻きと共に首輪に開けられた穴から鮮血が噴流し、周囲に彼女の血汐が激しく飛散した。
 その勢いに磔にされた彼女の顔色からはたちまちにして生気が失せ、蒼白に染まりはじめる。呼吸は浅く荒く、大量の冷汗が額から首筋を伝う。
 小柄な彼女の身体は小刻みに震え、人型の器具に両腕や両足を固定する留具がぶつかり凄惨な音を立てている。
 その音圧は次第に増してゆき、御付きの者の良心を深く抉り続けてゆく。




 やがて足下に置かれた甲羅に彼女の生血が注がれ、御付きの者たちは順繰りに水袋にそれを汲み採り、楽殿下で碧い炎に包まれている村人たちの下へ足早に向った。
 そして、同じように碧く燃える村人たちの首輪の栓を引き抜き、透かさず開いた穴へ運んできた水袋からチサキミコの血を注ぎ入れる。


 するとどうだ。それまで村人の身体を覆い青々と燃盛っていた炎が徐々にその勢い弱め、ついには焼け跡だけを残し夜風に消えていったではないか。
 しかし、時既に遅く定め短し者は炎の勢いが鎮まることなく、碧く激しく燃え盛り、その碧い炎の中へと果てていった。
 親族たちの安堵する声、片や慟哭どうこくする声が碧瑠璃色の明かりが滲む深い闇夜に木霊する。










 そんな祭事終えぬ最中、突如辺りの悲愴感をつんざく奇声が轟き、一同に戦慄が走った。




「Ουαααααααααααααααα……!!!!」




 辺りを見やると、それは居た。
 チサキミコが磔にされ佇むちょうど楽殿の正面、見慣れぬ人影がそこにあった。
 テララの家で傷の手当てを施されていたはずのヒトだ。それは、脚を引きずりながらも天を仰ぐように仰け反り、頭を掻きむしり獣の形相で咆哮している。


 しかし村人らが警戒するも、それは程無く紐の切れた帆のように弱々しくふらつき、意識を失い地に倒れ込んだのだった。

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