銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第2話 他愛ない彩り

 鍋が煮立った頃には部屋中を芳しい香りが覆い、天窓から朝焼け色の光が差し込み、住人に朝の訪れを告げる。
 鼻先をくすぐる香りに少女も思わず鼻歌が交じる。
 匙に少量の煮汁を掬い湯気が失せるほどに何度も息を吹きかけ、小さな口を更に小さく尖らせ味見を試みる。


「ふうーー。ふうーー。……っあちちっ!」


 口先を付けた瞬間、その熱さに怯むが味には問題なかったのだろう。
 うん、よし。少女は再度小さく頷くと匙を下ろし、寝息が聞こえる階段の奥へ目線をやった。


「そろそろ、お姉ちゃん起こしてあげなくちゃ」


 熱を帯びた口元を仰ぎつつ、先ほど階段下に置いた衣服の山から碧い衣を抱え、少女は寝息の聞こえる部屋を目指し様子を伺いながら慎重に階段を上って行った。





 階段口から二階を覗くと、そこには部屋の奥の寝床で豪快な寝息を立てている姉が掛け布をはね退け、大口を開いて横になっているのが見えた。
 首がかゆむのか、そこに"埋め込まれた"白濁色の武骨な首輪辺りを掻いている。
 少女はそのスクートスの爪でこしらえられた首輪に触らぬように、優しく姉を揺すった。




「お姉ちゃん。朝だよーー。今晩また"お勤め"あるんでしょ? 起きてーー」
「……ん、にゃ……。まだ寝さし…………ぐぅ……」
「いつも支度に時間かかるんだから、そろそろ起きないと……」




 まだ夢に浸っていたいのか、単に勤めの支度が面倒なのか、優しく促す少女を煙たがるように姉は背を向け掛け布に包まってしまった。
 それでも少女はめげずに、今度は少々意地悪そうに言葉を続ける。




「もう。お姉ちゃんの大好きなドゥ―ルスのスープせっかく作ったのに、冷めちゃうよ?」
「……んにゃっ!? 起きるっ! ほう言うことは先に言いんさいよっ!」




 すると少女の言葉を耳にするや勢い良く掛け布がどけられ、"初老の少女"が飛び起きた。
 いや、正確には、酷く"ひび割れた"少女だ。そのか細い腕や脚は、まるで干からびてえぐれた大地かのように細かくひび割れている。酷い箇所だとその一部ががれ落ち赤黒くただれた肌が痛々しい。特に首輪付近の損傷が酷く、首筋から頬にかけた範囲は思わず目を背けたくなる。
 そんな痛々しい身体を気にも留めない機敏な動作で、そのひび割れた姉は我先にと足早に居間へ下りていった。
 もう。子供なんだから。少女はその様に驚きつつも微笑ましく姉を見送りその寝床を整え、持ってきた姉の衣を枕元に添え自身も居間へと向かった。










「昨日の夜。すごく寒かったね。お姉ちゃん身体、冷えなかった?」




 煮沸を繰り返し食事を催促する鍋の前には、匙を握りしめ跳ねた青鈍色の髪も研がずに姉が小躍り気味に座っている。食事はまだかと生唾を飲み込み首輪がそれに追従して大きくうねる。




「んにゃ。少し寒かったけど、テララの飯を食べれば何も問題ないよ。いいからはようこっちきて座って!」




 少女、テララはやれやれと肩をすくめ、寝起きで下の回らない姉に急かされるままに鍋の脇に膝を着く。
 年の逆転した手間のかかる子供の世話をする母親といったところか。
 幼い母親テララは最後の味見を済ませ、椀によく火の通った大きめの干し肉とドゥ―ルスの実を多めにこんもりと注いでゆく。
 一方の姉は寝起きで細まった眼をこれでもかと言わんばかりに見開き、満面の笑みでそれを待ち構えている。まるで少女に飼い慣らされた家畜と大差ない。




「はい。召し上がれ。ちょっと熱いから気をつけてね、って……」




 テララが姉に椀を手渡すや、具を咀嚼する間も無くスープを飲み干す姉。まだ咀嚼の足りない大きい具がそのまま食道を通り、武骨な首輪が一際大きく揺れる。
 毎度のことながらその見事な食べっぷり、否飲みっぷりに、テララは唖然と喜びが混同した面持ちでそれを眺めている。




「かっひーーっ! うんまいっ! おかわりっ!」
「お姉ちゃん。本当に好きだね。沢山作ったからゆっくり食べていいんだよ? ……はい、どうぞ」
「だってお母さん、……違っ……、あん、た……家事……上、手……から……。……おかわりっ!」
「……もう、食べながら話さないの! 行儀悪いのダメだってお母さんも言ってたでしょ!」




 姉がそう言うと、一瞬、間を置いた後哀愁を帯びた瞳でテララが努めて笑顔で続けた。




「お母さん。やる気だけはすごかったよね……。何するにしてもいつも笑顔で……。でもとことん不器用で……フフッ、結局全部私がしなくちゃいけなくて……。私がお母さんよりも家事覚えちゃって……。お陰で私、お姉ちゃんよりも早くお嫁さんになっちゃったりして……!」
「なあに言ってるんだか。12にもなって、たしか一度も男気がなかったと思うんだけど?」
「もうすぐ13になるもん。お姉ちゃんと3つしか違わないでしょ! もう、いじわる言わないでよーー!」
「あたしはいいのーー! それにテララがお嫁にいったらスープ食べられないもん! そんなの許しませんーー!」




 太陽がようやく顔を出し、天窓から温かく射しこむ。
 内壁に飾られた飾り布や絨毯が光を浴び紺に軍緑、緋色に染まり、木組みで造られた粗末な部屋の中が色付いてゆく。
 冷えた身体も鼻腔から肺を満たす湯気と、腹に溜まるスープの温もりで芯まで温まってゆく。
 隔てるものがなにもない二人だけの静かな日常だ。






 スープを平らげ、満足そうに絨毯に仰向けになっている姉を横目に、テララは余った具を椀にまとめ自身の朝食を手短に済ませた。
 そして二人分の食器を重ねるとおもむろに立ち上がり、姉に告げた。


「それじゃ、そろそろ行くね?」
「ん? どこか行くの?」




 テララの突然の申し出に上体を起こし返答を伺う姉を横切り、テララは食器を洗いはじめた。




「今朝、お肉とかきれちゃって、小山で"拾って"こようと思うの。お母さんの花もしおれちゃって換えてあげなくちゃ」
「"ハリスの山"に行くのね。くれぐれも……」




 テララの向かう場所を察したのか口元をスープで汚した顔で姉は呼吸を整え、似合わず慎んだ様子で言葉を続けようと構えた。
 しかし、その口から言葉が紡がれるよりも先に、テララが少々意地悪気味に姉の口ぶりを真似て口を挟む。




「ハリスの山は母大樹様から贈られた宝物だから、むやみに荒らしてはいけない。でしょ? 何度も1人で行ってるんだもん。大丈夫だよ」




 威厳高らかに掲げた人差し指と鼻を渋々下ろし、バツの悪そうに背中を丸め空の鍋を見つめる姉。
 テララはその様子を伺いながら普段と変わりなく優しく要件を述べてゆく。




「お姉ちゃんの"ミコフク"。寝床の枕元に畳んでおいたからね? あと、寒かったらちゃんと温かくしてね? 夕暮れまでには帰ってくるから。それじゃ、行ってきます!」




 テララは戸口床に立てかけられた小ぶりの石斧と植物の葉と茎で編まれた籠を背負うと、快活な様子で戸口の暖簾をくぐって行った。
 姉はその身体に似合わず取り繕われた面持ちのテララを見送り、一言呟く。




「……あの子も、強くなったね……」

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