銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第1話 静寂の中の少女

 辺りはまだ薄暗く青碧に染まり、日の光はまだ地平の彼方でくすぶっている。吹く風はなく雲はその場に留まり、地上には動く物の気配すらなく、生気を感じ得ない静寂が広がっている。


 その静止した世界のある一角に家屋が密集した小さな村があった。大人の肩丈ほどの高さの柱で床板を支えられた高床式の住居が幾つか建ち並んでいた。
 その形状は大小様々だが外壁は円柱状をしており、その屋根は円錐型にしぼられ一律に外壁が麻布で覆われている。
 その中に一際大きな家屋があった。屋根の天辺に据え付けられた装飾の目立つ天窓が月明かりに照らされ煌びやかに輝いている。










 その天窓から月明かりが淡く射しこみ、一人の少女を照らしていた。
 瞼に透る月光に刺激され、少女は夢境から大きなあくびと共に目覚めた。吐き出された息はまだ白く、反射的に身ぶるいをする。まだまどろむ目を二度三度こすると瞼の奥から深緑の円い瞳が覗いた。
 そして少女は天窓で切り取られた空を眺め、その色彩から現在の時刻を大まかに計る。




「そろそろ朝かな。……お母さん。おはよう。今日もまだ寒いね」




 感覚の乏しい身体を起こし、枕元に置かれた首飾りに哀愁感じる声色でそう呟く。




「お母さんの大好きだったお花、しおれちゃったね。後で換わりの摘んでくるね」




 首飾りの脇に活けられた舌状ぜつじょうの黄色い花弁を広げた小振りの花が生気を蒸発させくたびれていた。
 少女はそれをそっとさすると、首飾りをすくうように両手で持ち上げ留具を外し、何かを噛み締めるように"傷一つない"細い首にそっとかけた。


 次いで少女は寝床から立ち上がり、衣装箱から袖や裾がわずかにほつれた粗末な衣服を取り出し無駄のない手際で被った。服の捩れを几帳面に直し、乱れた髪を整え始める。
 肩にかかるほどの髪はまず前髪を両耳にかけた後、髪留め用の布をうなじから頭頂部に通し、右こめかみ辺りで大きな結び目を作る。
 髪留めから垂れた後ろ髪は右肩辺りで一つ結びにし、光を呑み込むような黒い髪に、萌黄色の結び目が印象的だ。
 うん、よし。そして少女は小さく意気込むとくるりと身を回し、階段を静かに下りて行った。










 階段を下りるとそこには居間が広がっている。
 麻布を織り重ねた絨毯じゅうたんが敷かれ、木組みされた壁には同じく麻で織られた飾り布がかけられ、その他に料理に用いる香辛料や干し肉がぶら下げられている。部屋の中央には炉があり、階段からそれを挟んで向かい側が衝立と暖簾のれんで仕切られ戸口となっている。
 少女が下りた階段の向かい側にも階段が備え付けられてあり、その上からは微かだが人の寝息が聞こえてくる。




「フフッ。気持ち良さそうな寝息……」




 少女はその寝息を気遣うように静かに歩みを進め、階段下の調理器具の置かれた水場へと向かった。
 その脇にある水瓶の蓋をどけ水を汲むと、まず手と伏せ置いておいた鍋をすすぐ。いよいよ少女の一日の仕事のはじまりだ。
 鍋は家畜の甲羅を流用しており、軽く丈夫で大小様々の大きさに加工すれば匙や椀などとしても利用できる何かと重宝する代物だ。
 少女は濡れた手を布巾で手早く拭い戸棚からミルクを取り出し、鍋と匙を抱えて炉に向かった。鍋は小さな身体には少々大きく抱えると足下が見えないほどだったが、少女は月明かりを頼りに薄暗い中慣れた足取りで進み、炉の脇に膝を着いた。




「朝ご飯の用意、用意ーーっと」




 まだ小さな手で鉤棒かぎぼうに鍋をかけ、その中にミルクを注ぐ。次いで解した麻に向け石を数度打ち火種を器用に作り、薪を組んで炉に火を灯す。
 薪に息を吹きかけ赤くくすぶりはじめたのを確認する。よし、いい感じだ。それから少女は不意に立ち上がり今度は戸口の暖簾をくぐり外へと向かった。










 戸口には階段が備え付けられ、小柄な身体には少々急なそれを吹き抜ける風に凍えながら下り床下に向かう。
 床下では支える支柱に縄で繋がれた一頭の家畜が物恋しく喉を鳴らし、目の後ろに付いた小さな耳を小刻みにはためかせながら少女を出迎えてくれた。
 その家畜、名称"スクートス"は村人たちにとってなくてはならない大型の生物だ。
 全高は大人の肩丈ほどしかないが、全長は太い尾を入れると大きい物で大人二人分の背丈ほどの巨体にもなる。外皮は堅い皮膚で覆われ低く地を踏みしめる四肢は太く、三枚の甲羅が段々に重なった広い背中は大変頑丈で、大量の荷物を運ぶのに適している。
 また、一日辺りに摂取する餌は少量でよく繁殖は困難であるが授乳期が長いため、その乳は貴重な水分補給源として活用されていた。




「ピウちゃん、おはよう。あっ!? ちょっと……フフッ、くすぐったいよ。今ご飯あげるからね」




 少女は家畜のことを恵愛をもって愛称で呼び、そう呼称される家畜、ピウは少女に信頼を寄せ頭をすり寄せてきてはその頬を舐めるほどとても懐いているようだ。
 ピウの少々過度な愛情表現を頭の甲羅を撫であしらうと、少女は脇にある水瓶から水を掬い、ピウ用の水飲み桶に注いでやった。そしてその隣に堅い木の実の殻と朽木、石を混合した餌を盛る。
 ピウは特に石が大好物だ。
 それを軽快な音を立て口から溢れんばかりに頬張る、いや既に溢れ落ちている様がとても愛らしく少女もまた大好きだった。
 愛獣の満足そうな食事を少女はしゃがみしばし眺めた後、奥の支柱に渡した紐に干しておいた衣服を取り込み、ピウに別れを告げ居間へと戻って行った。










 居間の中央では薪が赤く弾け、鍋がわずかに煮立ちはじめている頃合いだった。
 取り込んだ衣服をまだ寝息の聞こえる階段下に置き、足早に少女は再び水場に向かう。いよいよ朝の仕事も大詰めだ。
 今度は荒地で採れる堅果、この村ではドゥ―ルスと呼ばれる木の実を砕き乾燥させた香辛料と干し肉を取り出し、それを鍋に小振りの刃物で小間切りにして更に煮込んでいく。とても洗練された手際だ。




「隠し味のーー、ドゥールスの実をーー、パラパラ。コットコト。おいしくなあれーー。フフフッ」




 鍋が煮立った頃には部屋中を芳しい香りが覆い、天窓から朝焼け色の光が差し込みはじめ住人に朝の訪れを告げる。
 鼻先をくすぐる香りに少女も思わず鼻歌が交じりだす。
 匙に少量の煮汁を掬い湯気が失せるほどに何度も息を吹きかけ、小さな口を更に小さく尖らせ味見を試みる。




「ふうーー。ふうーー。……っあちちっ! ふうーー。ふうーー。ふうーー!」




 口先を付けた瞬間、その熱さに怯むが味には問題なかったのだろう。
 うん、よし。少女は再度小さく頷くと匙を置いて、寝息が聞こえる階段の奥へ目線をやった。




「そろそろ、お姉ちゃん起こしてあげなくちゃ」




 熱を帯びた口元を仰ぎつつ、先ほど階段下に置いた衣服の山から碧い衣を抱え、少女は寝息の聞こえる部屋を目指し様子を伺いながら慎重に階段を上って行った。

「銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「冒険」の人気作品

コメント

コメントを書く