コミュ障の紫さん、自殺に失敗して吹っ切れる

忍々人参

第6話 新しい人生へ

まだ対人関係に思い悩むことが少なかった小学生の頃から数えると、実に15年ぶりの経験となる他の人のお宅訪問に、私の心臓は高鳴っていた。

「ぉ、ぉじゃまします……」
「はい。どうぞ〜」

あかりちゃんはドアを開けて私を先に部屋へと上げてくれる。
私と同じワンルームのスペースは、年頃の女の子らしい小物が多く生活感に溢れていた。

「ちょっと散らかしちゃってますけど……どうぞ適当に腰を下ろしてください」
「は、はい……」

敷き布団が部屋の隅で丁寧に畳まれていたが、その数は1組だけ。
ぐるりと見渡してみると家具や食器などの数も1人分、どうやらあかりちゃんは高校生にしてひとり暮らしのようだ。
一人暮らしなのかと聞けば話を展開させることはできるのだろうが、しかし悲しいかな、私には話を広げて畳むだけのコミュ力はないので当然黙り込む。
あかりちゃんは冷蔵庫から作り置きと思われるお茶の入ったビンを取り出して、自分の分と私の分2つのグラスに注いで持ってきてくれる。

「どうぞ、ただの麦茶ですけど」
「あ、あ、ありがとう、ございます……」
「いえいえ。それに敬語じゃなくていいですよ、私まだ高校生ですから」

応えようと口を開き、反射的に使ってしまいそうになる敬語をグッと押さえて、なるべく落ち着かせた口調を意識して心遣いへの感謝を伝える。
あかりちゃんは私の返事にとても自然な笑顔を返してくれた。

「それで、先ほどのお願いの件なんですけど……これで足りますか?」

そう言って物置きのスペースとして使っているのだろうお化粧道具やら本やらが雑多に置いてあった棚の上から、あかりちゃんは1台のノートPCを取って私の前に置いた。

「う、うん。ら、LANケーブルとかは……」
「あ、無線LANが入るんで大丈夫ですよ」
「あ、そ、そうなんだ。ありがとう」

許可を得て、PCのスイッチを入れる。
最近まではうちの壊れたノートPCも稼働していたはずなのに、何故か起動時にファンが回る音を大分懐かしく感じた。

『いきなりで失礼なのは承知の上ですが、実は折り入ってのお願いがあります……』

つい十数分前に私がそう書かれた裏紙をあかりちゃんに見せて頼んだのは、ネットに繋がる端末を貸してくださいということだった。
私にはこれからの生活の準備のためにどうしても必要なものがあったが、しかしコミュ障のために人が積極的に話しかけてくるような場所での買い物ができない上、そもそも姿恰好が不審者のそれである私にはネット通販以外で物資の調達ができるとは思えない。
家のノートPCが壊れてしまった私には、誰かにこのお願いを聞いてもらうしかなかったのだ。

私は手慣れた手つきでブラウザを立ち上げてAmazooonのサイトへとアクセス、自分のアカウントでログインをする。

「何を買うんですか?」

ひょこっと私の横に顔を出したあかりちゃんが問いかけてくる。

「え、と……」

私は早々に目当てのものショッピングカートに入れ終わっていたので、画面上に映し出されたその一覧をおずおずと指差した。

「お洋服にカバンに靴、それに……すきバサミ? つかぬ事を聞きますが……お姉さん、ご自分で髪を切れるんですか?」
「わ、わ、わ、わかんないけど……」

明らかにここ何年もまともに切ったことがないだろう、伸びきった髪を見たあかりちゃんが不安そうな目でこちらを見るので、私はちょっと身が縮まってしまう思いで指をモジモジさせるしかなかった。
でも美容院が無理だということだけは確実に分かっていた。
だって私があんなコミュ力必須な場所に行けるわけがない。
ひたすらオロオロとしているだけの私に対してあかりちゃんは1つため息を吐くと、私に優しく微笑んで口を開く。

「……私、髪切れますよ」
「え……?」

私は自分が何を持ちかけられているのかよく分からない。
頭の上に『?』を沢山浮かべたような顔をしていたのだろう私に業を煮やしてか、さっきよりも少し強めた口調であかりちゃんは再度言い直す。

「だから私が切ってあげますっていうことです。いきなり経験も無いのにその量の自分の髪を切るなんて無謀過ぎます! なので、このすきバサミはなし!」

そう言って彼女はカートの中身からすきバサミを削除して、注文確定を押してしまう。

「もしよければ今から切っちゃいますか?」
「え? い……いいの?」
「私は予定ないので大丈夫です」

いや、違う、そうではなく。
私が『いいの?』と聞いたのはそもそも髪を切ってもらうなんてこと、あかりちゃんにとってはきっと迷惑なだけなのにいいの? ということだったのに、話は私の髪を切って貰うことが前提になる。
優しい彼女を気遣わせたくない、でもどうやって辞退すればいいのかコミュ力皆無な私には分からない。
そんな気持ちの板挟みになってオロオロと視線をあちこち走らせる、そんな挙動不審な私の顔を――あかりちゃんはペチンと両手で挟む。

「ぁうっ……」
「お姉さん、落ち着いてください」

情けなさと混乱を含んでいるだろう私の目を、あかりちゃんの澄んだ目がぐいっと覗き込んでくる。
無理やりに合わせられた視線に、恥ずかしさが込み上げてきて顔が熱くなるのが分かった。

「お姉さん、今から髪切りますね?」

抗う知性もどこかへ飛び、私はただコクコクと頷く。
再びにっこりとした表情を作ると、あかりちゃんはそそくさと準備に取り掛かった。
頼んでもいないのにたくさんの優しさをくれて、優柔不断でモタモタとしてしまいがちな私をグイグイと引っ張ってくれる。
そんな今のこの感じに、私は母と会話していた頃の懐かしさを覚えていた。

床に新聞紙、首にタオルを巻いた状態で低めの腰掛けに座らせられたところで、「それじゃあ切り始めますよ」と声を掛けられる。

「――ありがとう。よろしくね」

在りし日の母との会話を思い出していたせいか、その感謝の言葉は何に邪魔されることもなく自然と出ていた。



伸ばしに伸ばした髪を切るのは難航を極め、あかりちゃんにお礼を言って部屋を出たのはもう陽が沈みかけた時刻。
彼女が手首を疲れのために痛くしながらも根気よく切り続けてくれたおかげで、今の私の髪は量も長さも一般的なロングになった。
手元には頑として受け取ってもらえなかったしわくちゃの1万円札がある。

『私が言い出したことですから、お金なんていりませんよ』

今日1日で、あかりちゃんはとても優しい心根をしているけれど、これと決めたら意思を変えないちょっと頑固なところがあると知った。
そのどちらの面にも救われた私は、この恩はきっと別の形で返していこうと心に誓う。

自分の部屋に帰った私は、明かりをつけないままにベッドへと倒れ込んで、そのまま目を瞑る。
今日という日はもしかすると私の人生の中で1番濃い1日だったかもしれない、との思いが頭に浮かんだ。
自殺を決行し、失敗して、開き直ってお金を盗んで、最後には10年ぶりの人の優しさに触れた。
人生で初めての体験ばかりで疲労が溜まっていたのだろう、意識は徐々に闇の中に吸い込まれていく。

――今日から私の新しい生き方が、新しい人生が始まったんだ。

それだけを自分に言い聞かせ、後は強く襲う微睡みへと意識を委ねた。

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