コミュ障の紫さん、自殺に失敗して吹っ切れる

忍々人参

第4話 人生の転機

私はなんてバカなんだろう。
部屋の中、電話線が繋がるモデムからノートPCに繋がっているLANケーブルを見てため息が漏れる。
首吊りに使うならこれらのケーブルでも良かったのに、紐という単語に囚われ過ぎていたのか全く思いつきもしなかった。
とりあえず、私はノートPCとモデムの2つを繋ぐLANケーブルを外して輪っかを作ってみた。
ケーブルは弾力性が強くて結び辛かったけど、どうにか夜に靴紐で作ったものと同じくらいの大きさのものを作る。
そしてそれを再び玄関のドアノブへと掛けるが、しかし。

「……ぅん、と…………」

何故か、どうしてもその中心へと頭を潜らせる気持ちにはなれなかった。
つい数時間前までは迷いなく行動に移せたはずの自殺という行為が躊躇ためらわれる。
その理由に、何となく心当たりはあった。

『――なんで私は死ななくちゃならなかったのかな』

最期を迎える真っ暗な部屋の中、酸素欠乏で不確かな脳みそが投げかけたその疑問が、今になって私の心の内へとモヤモヤした感情を生み出していたのだ。
今までずっと、私は自分の事を社会に出てはいけない、他人と関わってはいけない類の人間だと思い続けてきた。
どんな形であれ関われば迷惑をかけるし、それに嫌われるから、それならば最初から自分の殻に閉じこもってしまえばいいのだと思い込み続けてきた。
その結末として迎えた自殺のはず。
納得して下したはずの決断であり、それならば後悔なんてものは無いはずなのに。

――結局、最期の最期に私は愚痴ったのだった。『なんで私が』と。

私はドアノブに輪っかにして掛けたLANケーブルを外して、元通りに戻した。

それから、ベッドに腰かけた私はすっからかんの財布を手でもてあそびながら、あまり真剣味なく今後についてを考える。
とりあえず、お金が無いのが問題だった。
現金は500円未満、交通系ICカードのMelonに1500円ほど、口座には163円のみ。
これでは3日後の食事も満足に叶わない。
しかし、それでも今の私にあまり追い詰められた気はなく、むしろ余裕さえあった。

――だって一度死ねたんだから、本当にダメだったらもう一度死ねばいい。

不思議と今は『死ぬ』という単語が私にとって、世間一般でイメージするところの暗くて恐ろしいものではなく、明るく光っていていつでも逃げ出すことのできる非常口のような存在に思える。
いつか本当に死にたい時がやってきた時に自分で死を選べるという確信が、私にちょっとした図太さを与えてくれていた。

心もちの変化はともかく、どれだけ気持ちに余裕があったとしても人生に付いて回るのはお金の有る無しの問題だった。
いくら考えてみてもお金を得るには労働が必要であり、しかし自分にできる労働なんてないのではないかという結論へと行きついてしまう。
いつの間にか外の景色は朝よりももっと明るくなっており、置き時計を見ると時刻は正午になっていた。

「……ぁ、こ、この時間、なら」

これ以上部屋で閉じこもりながらあれこれと考えていても良いアイディアは閃きそうにない。
昼時、住宅街であるこの周辺は人はまばらなはずだし、ちょうどお腹も空いてきた頃合いだったのでコンビニへとご飯を買いに行くついでに少し散歩でもしようと決める。
普段あまり着ることのない外行きの服に袖を通し、使い古したスニーカーを履いて私はそーっとドアを開ける。
そして周囲に他人の気配がないことを確認するとそそくさドアを閉めて鍵を掛けて、忍者のように足音を立てずに小走りでマンションの外へ出た。
……誰とも遭遇しないでよかった。
マンション内での住人との鉢合わせは、私にとってはとてもありがたくないイベントなのだ。
すれ違って頭を下げるのは、まあいい。
その後に「あの人仕事してないのかしら」とか「引きこもりなのかしら」とか絶対に思われてしまうと、私の自意識は勝手に被害妄想として膨らんでいって憂鬱になってしまうのだ。
それがどうしようもなく嫌だった。
人通りの少ない住宅街を歩いて再び今朝(時間的には深夜だが)訪れたコンビニで菓子パンと牛乳を買い、外に出る。
これを食べながら今後について考えようと、近くにある小さな公園へと向かった。



白い壁の並ぶ住宅街に、木々と茂みで囲われた公園だけが緑色で目立っていた。
最近はあまり来なかったけど、気分転換がしたくなった時に人目の無さそうな時間帯を狙ってよく訪れる場所だ。
遊具はほとんど無く、老人用の体を動かすための器具と休憩用のベンチがわずかにあるばかり。
子供は遊びに来ず、横並びにしか座れないベンチに集まる主婦の姿もなく、私にとっては外界のオアシスとなっていた。
昼時の今、この周辺に住む人たちは自宅でご飯を食べている頃合いで、この公園に人がいることはない……はずだったのだが。
ベンチで横になる人の姿がそこにはあった。
即座に回れ右をして引き返そうと思ったが、あることが気になった私はそろそろと足音を忍ばせながら近づいた。
その男は汚らしくもなく、特段に仕立ての良いスーツを着ているわけでもない、いたって普通の外回り中のサラリーマンのようだった。
よっぽど疲れているのか寝不足だったのかは分からないけど、その男は熟睡しているようで私に気がついて目を覚ます気配はまるでない。
そしてそのベンチの脇に目をやる。
落ちていたのは、黒革の、使い込まれたのがよくわかる折り畳み財布だった。
音や風を立てないようにゆっくりと身を屈めてそれを拾い上げる。

――………………。

数瞬の間を置いて、私はその財布の中身を確かめる。
紙幣が、3万4000円入っていた。
ゴクリと喉が大きく鳴る。
私は思いがけないその音で男が目覚めないか心配したが、こちらの緊張をよそに男は寝息を立てたままだった。
再び、手元の財布に視線を移した。

――これは、いけないことだ。

自分がいったい何をしでかそうとしているのか、ちゃんと理解している。
だからこそ理性が頭の内側で私をいさめた。

――私がやろうとしていることは犯罪だ。

やっていいこと、悪いこと。
ちゃんと理解している。
社会の法を遵守すること、私が生活するために必要なことが秤にかけられていた。
法か、3万4000円か。
圧倒的多数の人は考えるまでもなく法に傾くことだろう。
小刻みに、私の手が震えた。
しかし、

――なんで私を知らない人たちのことを、私が気にしてあげなきゃいけないんだろう。

私の頭の中にその言葉がよぎった。
そう、私はこのベンチの人を知らない。
ベンチのこの人もきっと私のことなんて知らない。
第一、私のことを知っている人なんてもう、この世界にはいない。
私が死を選ぶほどに困っていたのに、手を伸ばすどころか誰も気にかけたことがないのがいい証拠だ。
そんな世界の中で私を知らずに暮らす誰かを、私がわざわざ気にかける必要は?
財布の中身を、私は――――。



陽が住宅の陰に隠れたからか、気持ちよさそうにベンチで眠っていた男が大あくびをしながら体を起こす。
そこから離れたベンチに1人の女性がいることに気付き、男は恥ずかしそうに頭をかいていそいそと立ち上がった。
そして歩み去ろうとしたその時、男は自分の足元に何かが落ちているのに気が付く。

「おっと、危ねっ!」

それは男自身の黒革の財布だった。
そしてそれを急いで拾って中身を確認する。

「……………………」

ホッと一息、そしてパタリと財布を閉じると、男はジャケットのポケットへとそれを突っ込んだ。
そしてまだ寝足りないとでも言いたげなゆっくりな動作で、男は公園の出口へと歩いていくのだった。

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