デリュージョン

有田うさぎ

全文

「ん」で終わる言葉はあっても
「ん」から始まる言葉はない。
しりとりは、「ん」で終わることはあっても
「ん」から始まることはない。
「ん」で終わる小説はみたことがあるけれど
「ん」から始まる小説はみたことがない。
だから、「ん」で終わる物語はあっても
「ん」から始まる物語はない。
と思っていたけれど。
「ん」から始まった。
僕たちは、そういう関係だった。

「明日ゆかに話したいことあるから、十八時に体育館横にきて欲しいんだ」
 裏ではなく横というところに、いつもの彼らしさを感じる。俯いて拳を握りながら、必死に言葉を紡ぎだす。
「う、うん、わかった」
 白桃色の肌をした「ゆか」は、夏でもないのに日焼けしたように赤い。
 それから夕方はすぐに来た。体育館の四方を囲むガラス板から、バレー部とバスケットボール部が体育館を利用しているのが見えた。館内にあるナイター照明からガラス板を通して外に漏れ出す光は、十二月の周囲の暗さと合間ってセンチメンタルな雰囲気を醸し出すのに丁度良い明るさだった。
 約束の時間になっても「ゆか」は来ない。携帯の電話発信ボタンを押そうとした手前、校舎と体育館を繋ぐ通路に敷いてある砂利石が踏まれる音が聞こえた。
 いつもの爽やかな佇まいと対照的に、懸命にこちらに走ってくる「ゆか」の姿が見えた。
「遅れてごめん!」
「授業が長引いたの?」 
「違うの、元彼に呼び止められてたの」 
 綺麗な嘘もつけない「ゆか」は、素直すぎるのだろう。
「日本史のノート写させてって頼まれたの。十八時で終わる約束だったのに、今日の範囲について逐一質問してきて、それに答えてたら結局こんな時間になっちゃった。本当にごめん」
 もはや十八時で、という時点で遅刻する前提だが、頼まれたら断れない「ゆか」に惹かれたのだ。元カレも彼女を引き留めたくて逐一質問をしたのだろうに、それを理解できていない「ゆか」のことが、また愛おしくなった。
「元カレとただの友達の俺だったらさ、元カレの方が大事だよな」
「違うよ。そんなことない」
「ほんとに? だって今までだって、ゆか気づいてくれないじゃん。俺がゆかのこと好きだってこと」
「えっ……」
 見開かれた「ゆか」の瞳に、夕日が映り込んでいた。
「俺、基本女子には話しかけなくて、でもゆかにだけは話しかけていた。ちょっとでも近づけたらなって、ゆかだけの特別になりたかったんだ」
「そんな……。気づいてなかったのはそっちじゃん。私が休み時間も授業中もずっと見てたのに。いつも友達と部活の話で夢中だったじゃない。私も前から好きだったんだよ」
 不器用な恋が実った瞬間だった。降り始めた粉雪と、学校のチャイムが、二人を祝福するように鳴り響く。
 
 
 そこで映画は終わった。僕は満足して、テレビ画面を消す。真っ暗な画面に映った在川悠の顔は、瞳は虚ろだが口角はやや上がっているという、世捨て人と詐欺師の中間のような表情だった。じじ臭い、しょうたれた自分の顔はいつまで経っても大嫌いだった。
「ゆう、そろそろ寝なさいよ!」
 一階から母の声が聞こえる。眠さを抑え込んで時計をみると、深夜二時を回っている。本来高校生が起きている時間ではない。先ほどのヒロイン「ゆか」のセリフを無意識に頭の中で反芻する。電気を消して寝床に着いても、暫く交感神経は働いたままだった。
 恋愛ドラマや青春映画を見るのが好きだ。イケメンと美女が観れるからとか、日常では有り得ない胸がときめく体験ができるから、などといった純一な理由ではない。告白する、若しくはされる側を自分に見立て、第三者から白い目で見られる愚かな己の姿を想像することで、改めて僕はこういった煌びやかな世界に縁がないということを自覚することができるからである。
フィクションとして作り上げられた恋愛ドラマの綺麗な世界を、ジェンガの一番抜いてはいけない不安定なピースを跳ね除けるように、正しい現実へと崩したくなるのだ。
 例えば、僕がジャニーズのオーディションを受けに行く。会場には多くのスタッフ、オーディション参加者、次期ジャニーズを待ち伏せしている人だっているかもしれない。各々好き嫌いはあるにせよ、ある一定以上のレベルに顔が整ったイケメンが来ることがこの場の共通認識であり常識だ。そんな中で自分のような顔の冴えない男性が行くと、間違いなく皆一斉に奇異な目でこちらを見てくる。中途半端なイケメンよりも注目を浴びるかもしれない。
 その空間で嘲られることが、僕には堪らない興奮となる。人間の根っこにある、本当に腐った内面を抉って胸に刻み込みたいのだ。ある人は吹き出して笑うだろう。ストレートに「うけるな、お前。家に鏡はないの?」などと毒を吐く人もいるかもしれない。八方美人を演じている人だって、汚物を見るようにこちらに目を向けてくるだろう。ヒトの化けの皮が剥がれて全裸になった本能が滑稽だ。
 人は生まれた時から、身体的特徴や貧富など格差がある。その格差を感じさせない為に試行錯誤して人の綺麗な部分だけを見せ、あたかも皆平等とした現実は虚構に過ぎない。不平等な現実を知ることで初めて、腐敗したこの世界の本当の真実を見れた気がするのだ。 
 そんなことを考えて眠りにつき、また朝が来た。どれだけ世の中に不平があろうとなかろうと、太陽は昇るのだ。
 誰も関心がないであろう自分の寝癖を直すこともなく、情けないほど大きな欠伸を三回しながら一階へ降りる。壁付けキッチン横のリビングには、母が既に朝食を作って待ってくれていた。
「ゆう、もう八時半よ! 母さんはもうすぐ仕事なのよ。食べたら皿は水に浸けとくだけでいいから」
 これまで何回と聞いた母の言葉に「わかった、分かった」とだけ返事をして椅子に座る。職場に持っていく弁当箱を急かしなく包んでいる母を横目に、朝食の漬物を一気に口の中へ頬張る。
「もう、ばっかり食いはせんの」
 いつもの母の口癖だ。結局胃に入ればどう食べたって一緒だろう。母に背くように首を傾げて、部屋の隅で映っているテレビに視線を移す。最近熱愛報道がされていた女優と俳優が結婚したらしい。関心のありそうな母の横で、冷めた目でテレビを眺める。女優がその俳優を好きになったきっかけを聞かれて「彼の紳士で優しい部分に惹かれました」と答えていた。顔がタイプだったから、と答えろよと、心の中でつぶやいた。カラオケで歌いくさした懐メロのように、使い古された言葉が平然と虚構にプラスされると反吐が出そうになる。無駄に口角の上がった芸能コメンテーターの「この両親から生まれてくる子供が、非常に楽しみですね」というコメントの途中でチャンネルを切り替えた。
「もう、せっかく見てたのに」
 息をするようにいろんな種類の「もう」を朝っぱらから聞かされる。母の前世は牛だったのか?と問いたい。
「仕事遅れるよ」
 母はため息をついて「あと頼んだわよ」とこちらにしかめっ面の顔を向けたまま、玄関先へ消えていった。ニュースキャスターは、残暑厳しいこの時期にも、冬に着るような厚手のスーツを平然と着ている。その右上に表示されていた時間を見て、はっとした。僕も、これでは学校に遅れてしまう。

 母の通勤と僕の通学。同一なのは毎日同じ景色を見て職場や学校を行き来するということ。そりゃあ四季によって見栄えは変化するが、風景の骨格は変化しない。学校に着くまで信号機の数は二つ。一つは電球式、もう一方はLED。学校と林道の別れ道にある三叉路の中心には「クチメ(毒蛇)に注意!」と書かれた小学生が共同制作して作ったであろう立て看板。寂れた筆文字で民宿-長谷-と印字されたボロ雑巾さながらの灰色一色の民宿は、この長閑な田舎町に何ら違和感を覚えさせない。毎日同じ文字、記号、自然。目を瞑って歩いても学校に辿り着けそう。
 人も同じだ。行き交う人の骨格も大して変わらない。朝からトップギアで会話する女子高生。いつも部活動用具の一式を流行りのスクエアバッグに背負って群れを成し自転車を漕ぐサッカー部の連中。交通安全指導の為派遣された、交代制なのだろうが毎日同じような顔に感じる地域のおじちゃん。もはや人も風景の一部であり、半袖であるか長袖であるか、細部は変わっても一つのモノクロ画として年間を通じて変化はない。
 こんな、当たり前に変わり映えしない日々を平凡でつまらないと悲観するのに、高校一年生が始まって数ヶ月もかからなかった。中学までは自我が曖昧だったので、この平凡が普通であると何ら疑うこともなかったのだ。僕は大人になったのだろうか。
 ただ、高校一年生の秋、少しだけこの平凡の中に起伏を見つけた。高校へと続く坂道の沿道に咲いている金木犀の香りの主張が激しい。高校まであと徒歩三分の距離になると、そこにさらに銀杏の香りがプラスされ、独特な甘い臭いが鼻にこびりついて離れない。日課で毎朝噛んでいるキシリトールガムの爽快感も台無しだ。キシリトールガムは爽快という当たり前の正式が金木犀や銀杏によって打ち消される。ちょっとした嬉しさを感じた。
そして金木犀につられるように僕の目の前に彼女が現れた。僕の出会いの一生分を使い果たした。といっても大袈裟ではない、どころか足りない。 
 あれから一年が経った。彼女にも僕にも等しく同じ一年が流れた。
 高校は体育祭の準備で全体が活気立っていた。学校の、何か行事を皆で楽しく成し遂げようとする雰囲気が苦手だ。体育祭はクラス皆で協力して楽しい思い出にしましょう。遠足はより一層クラスの仲を深めましょう。誰が決めたかわからないそんな常識を担任から言われた、当人はそれが同調意識の低い生徒の首を締めるとも知らずに。そしてその行事が終わった後に、本当に楽しかったのはクラスのヒエラルキーのトップにいる奴だけだ。各行事、記念写真や学校だよりなどで表面上は皆平等に楽しんでいる風に見える。しかしそこに写るクラスの底辺は、写真に撮られるその一瞬だけ嘘の笑顔を学校に作らされ、無理矢理楽しい想い出として塗り替えさせられているに過ぎない。いっそのこと先生もクラスも底辺を見放して相手にしない方が、辛い想い出は嘘にならないのに。

「っしゃー。今日の騎馬戦練習、絶対二ホームの奴らに負けんからな!」
 教室内のエントロピーを増大させる甲高い声で、いつものように教室中の視線が吉川勇磨に注がれる。彼はクラスの中心的存在で、クラスの”イケてる連中”に分類される。野球部でがたいが良く、百八十センチはある身長から出された野太い声。教室の通路側の薄い和紙ガラスが地震さながら小刻みに軋む。これでガラスが割れたらもはやアニメの世界だ。
「テンション上げてこーぜ皆」
 吉川が敢えて底辺に向けて呼びかけてくる。当然、僕ら底辺は何と返していいか分からず教室内が沈黙する。でも僕は分かっている。このシラけた感じも吉川は楽しんでいる。お笑い芸人がスベって場が沈黙になり、そこからジワジワとした笑いが生まれるのと同じだ。
「はいはい、さぁ吉川君吉川君。運動場、いこか!」
 これまた”イケてる連中”の一人、沖倫也がその場をワザとらしく取り仕切って、教室に笑いが起こった。丸目の吉川に対して沖は切れ目で、身長は高校生の平均並み。少年という言葉がよく似合う質素な顔立ちをしている。
 でも実際に声を出して笑っているのは”イケてる連中”だけ。それも底辺が自分たちより社会的にも生物的にも地位が下であると認識し、自分は吉川側の人間であると安心した結果からくる蔑んだ笑いだ。クラスの底辺たちは口角を攣ったように上下させているだけで、心底不愉快な笑みを浮かべている。
 ”イケてる連中”が不平等なクラスを作る。しかし彼らは、それを周囲に絶妙に感じさせない。中途半端に優しいのだ。底辺を晒し者にしたりいじめることもしない。先生には楽しいクラスと映る。”イケてる連中”が意図的に捏造しているクラス像に皆気づいていない。きっとこの感性は、彼女によって鍛えられた。本音にある、底辺を罵りたい気持ちをもっと前面に出せば真実は嘘にならないのに。
「うるさいな」
 透き通った声に似つかない五文字が教室の湿った空気を吹き抜ける。彼女だけがこのクラスの真実を教えてくれる。
「吉川マジでうっさいから黙れ。人を馬鹿にしたように騒ぐな。勉強したい奴にとっても迷惑だ」
 城下優里。彼女の眼の中には純氷を溶かしたように澄んだ涙液が流れていて、お淑やかな顔立ちは、とても罵詈雑言を浴びせる風貌ではない。そう無意識に人を見た目で判断した自分に対して、まだ僕は彼女からしたら凡人なのだと思う。僕は彼女を城下さん、と「さん」付けで呼んでいる。尊敬に値するのだ。高校二年生になって同じクラスになった。それを偶然というにはあまりにも寂しくて、きっと城下さんを初めて知った高校一年生の秋、かぐらがわ祭りから僕たちは繋がっていたのだと思う。

 普段は人の出入りも疎らな桜良公園も毎年かぐらがわ祭りの時期になると賑やかさを取り戻す。ごった返した人の群れを成しているのはほぼ地元住民で、観光客であろう人はその中の一割にも満たないが、過疎化が進んだこの街でどこからこんなに人が集まったのかと思うほど足の踏み場もない。家族連れや浴衣に袖を通した男女の耳を塞ぎたくなる喧噪と、それを鼓舞するかのように御輿を担ぐ中年親父の甲高い声が響く。学校帰りに軽い気持ちで電話一本、りんご飴の一つを買って帰るよう頼んできた母を恨む。
 様々な出店が立ち並ぶ中、人混みに揉まれてりんご飴の屋台を見つけた時は、祭り会場の中心部にきていた。円を描くように作られた人混みの輪の中には小さく簡易的なステージが設営されていて「大声大会〜、集え地元の喉自慢〜」と看板がステージ正面に立てかけられていた。
「お母さーん、いつもお弁当美味しいよー!」
「政治家ー、もっと日本を良くしろ!」
 ありきたりな言葉が平然と飛び交う中で大声大会は平穏に進行していた。
 りんご飴を買って、きた道を帰ろうとしたとき「エントリーナンバー十一番、城下優里」と司会の声が聞こえてきた。彼女の名前は聞いたことがある。自分とは三つ離れた教室のクラスにいる女子だ。何か一物ある女子として自分の教室まで噂は広がっていたが、赤の他人に興味がなかったので大して気にも止めなかった。それでも帰る足が止まったのは、彼女の言葉が、他の参加者が大声大会で作り上げてきた、祭りは楽しいものという決まり切った雰囲気を一瞬にしてぶち壊したことに衝撃を受けたからだ。
「ふざけんじゃねえよ! 祭りなんてただの綺麗事だ。厄除けを買った若者はすぐにネットに転売していた。出店だって今流行りのミルクティーを法外な値段で販売して客から金をせがんでいた。こんな祭りなんて消えてしっ……」
 係員に「はい、十秒ですよ!」と強引にステージから降ろされる城下さんの、それでもまだマイクが入っていない状態で何かを訴えている横顔をただただ見つめていた。彼女はこの世界の真実を教えてくれた。自分が今見ている祭りの、この浮かれだった景色が一変したきがして、右手に握っていたりんご飴を落としそうになった。祭りの核心をついた嘘偽りない城下さんの言葉で、暫く傍聴者は狐に包まれたように、誰も何も言えなかった。

 かといって特に関わるきっかけもなかった。そんなキッカケを探せるなら、僕だってクラスの底辺にいない。
「てかさ聞いて。昨日さー雨降ってたじゃん。チャリで学校から帰ってたら横からきた車のタイヤで水かけられたのー。百歩譲って許す。スカート全部濡れたのは千歩譲って許すけど、ちらっとこっちを見てバツが悪いと思ったろうけど、そのまま何事もなかった様に車を走らせたのは一万歩譲っても許せなかったよ。運転手みたら五十歳ぐらいのいい年こいたオッさんでさぁ。半世紀生きたら、もっといい歳のとり方したいよな」
 軽快に昨日感じた不満を同じクラスの女子に話す城下さん。外見と言葉に相当のギャップを感じて一瞬自分の目と耳を疑う。相手の女子たちは、井戸端会議に品を損ねた主婦がきたかのように苦渋の表情で頷き笑うだけで、言葉では同調しようとしない。
 そろそろ体育祭練習の為にグラウンドへ移動しなければならない。城下さんがマイペースに教室を一人で後にすると、まだ教室にいたクラスメイトたちは堪えていた嘲笑が溢れた。本人の前で何か言うと、自分の表面を何層にも覆う「クラスで見せる表向きの私」の仮面を剥がされることを恐れている。表向きの自分も、クラスで毎日演じていたら、いつしかそれが本当の自分であるということを、自分でも疑わなくなる。つまりクラスで見せる顔を否定されるということは、本当の自分を否定されるのと同じだ。城下さんはクラスの中で触れてはいけない厄介者というか邪魔者だった。
 
 嫌がらせのような晴天で、今にも汗が滴り落ちてきそうだ。午後からの保健体育が始まった。今回は体育祭に向けての騎馬戦練習を他クラスと合同で行う。運動場はいつにも増して活気に包まれていた。高校には部活用に運動場が二つ有り、男子と女子はそれぞれ別の運動場を使って練習を行う。運動場から見える近くの山々や木々と、外の開放感で心が少しだけ落ち着いたが、それは一時的に過ぎなかった。
「よしかわぁー、気合い入ってんじゃん」
 隣クラスの一人が、吉川が沖とエアー騎馬戦している姿を見ながら、腰パンした体操ズボンに手を突っ込み気怠そうな声で話し掛けている。不良漫画の見過ぎだ。真面目は格好悪い、少しダラしない方が格好良いいと思ってやまない。
「皆、並べー!」
 生徒指導も担当している”体育会系”という言葉がいかにも似合う先生の声が運動場に響く。身長は低いが横にはでかい。声の野太さだったら吉川を凌ぐだろう。それぞれ群れをなして話していた皆が、三々五々整列を開始した。
 準備運動も早々に、くじ引きでそれぞれのクラス内で二つずつのチームに別れて練習が始まった。僕はくじ引きなど、運任せの行いには良い巡りあわせがまるでない。せめて吉川以外のチームになれば、幾分かこの練習も楽だっただろう。吉川以外の”イケてる連中”は、普段吉川を囃し立てるくらいでリーダー性は低いのでまだ落ち着く。リーダー性の高い人は誰彼構わず無駄に干渉してくるから苦手だ。 
 チーム内で輪になってから、広大な運動場に居るのに変な圧迫感を感じる。吉川の空気感に合わせないといけないことに、決して表情には映すことのない深い溜息をした。見上げた山々が、今では無機質なただの緑に見える。
「えっとー! 俺がやっぱ上だな!」
 吉川が隣クラスの”イケてる連中”の方を見ながらワザとらしく大声を出す。
「おいおい吉川ー、お前上やったら誰が支えんの」
 隣クラスの”イケてる連中”の嘲笑しながらも真っ当な答えが返ってくる。吉川のチームには体格が細い底辺ばかりがくじで当たっていた。ゴボウをタッパーに敷き詰めたように、よくこんなに細い人たちが集まったものだ。
「このメンツで誰が攻めるんやって、やっぱ、俺やな!」
 底辺は、ただただ運動場の足元の土に視線を向け続ける。土の上で光っている水晶の破片に、靴底を使って土を被せる、誰にも何の利益にもならない作業を繰り返していた。ただ作り笑いだけはしっかりと保っていて、周囲と結託して何か密かに悪巧みを考えているゴボウの束にしか見えない。
 やっぱ、俺やな、が要らない。どんどん先生の目にはノリの良いクラスという虚像が映るだけだ。そこに更に葉っぱをかけるように、吉川と同じチームになった沖が動き出す。
「いやー、こういう時は……やっぱり在川だなー!」
 逸らしていた視線も虚しく、沖の何の論理も根拠もない発言が飛び出す。底辺もクラスの活動に参加している、という自覚を持たせてあげようとする沖の言葉が余計でしょうがない。吉川に競って軽快にこの場を回す自分、に酔っているだけで振られた者の配慮には一切欠けている。城下さんがこの場にいたら「吉川はあんたを賑やかしのライバルとも思っていないよ」とでも言っていただろうか。僕も今沖にそう耳元で囁いてあげたい。
「在川くん騎手とかウケる。沖、絶対うちのチームが優勝するわ」
 吉川が馬鹿にしすぎたと思ったのか、すぐに道に迷った小学生のように困った顔を作って「先生ー、今日めっちゃ暑くないですかぁー?」とワザと話を逸らしていた。だからそれが要らない。「吉川やめろって」”イケてる連中”が笑いながら揶揄っている。ここで仏頂面をすれば”イケてる連中”の作り上げた楽しい雰囲気が台無しだが、来週から始まる定期テストのことを考えていて本当に無表情になっていたのかもしれない。
「ちょ、在川くん冗談やって」
 吉川がすかさず満遍の笑みでフォローを入れてくる。吉川の言う「冗談」は、先ほどの「ウケる」に対してだ。一方城下さんなら「優勝する」に対して「冗談」だと罵るだろう。城下さんの忖度ない優しさが欲しかった。 
 ここで城下さんのように「うるせえな、調子乗んな。しばくぞ!」などと大声で叫ぶとどうなるか想像した。誰もが予想していない人物、底辺の在川悠。吉川や沖は城下さんがいる時には先生の前で静かになる。先生に何か問題のあるクラスだと悟られない為だ。まして間違っても高校生にもなっていじめをしていると先生に判断されたくないのだ。ある意味で中学生より陰湿。中学生は純粋にはっきりといじめを行う。先生の前で気づかれて事が大きくなって親に話が回っても、所詮中学生という子どもだから。しかし高校生はもう大人扱い。いじめをしてる自分、クラスに知れ渡れば恥ずかしいという一種の自我が芽生え、”いじめ”を”いじり”というソフトなネーミングに変えて自分より下位の連中をいたぶる。”いじり”とは、なんと愛くるしい響きだろうか。動物を愛撫するような名詞も、実際やっていることはいじめのそれと同じだ。これが就職すれば”教育”というもはや日本の三大義務にも含まれる言葉に変換されてさらに陰湿さを増す。もはやいじめが人を成長させる言葉にされているから更にタチが悪い。大人になりたくないなぁ。どの世代でも形を変えて、人間の腐った本能は満たされている。
 僕が城下さんに変わってこのクラスの闇を暴けば……。その後の展開を想像しただけで横に広がった口元を、手で隠すのに必死だった。
 
 騎馬戦練習が終わり教室に入る前、吉川が沖に「城下ってムカつくよな」と陰口を叩いていた。「ありゃ完全に痛いやつだよな」と沖も応酬していた。教室に帰ると城下さんの姿が見えた。今度は昨日のバイト先での出来事について愚痴を漏らしている。
「昨日店長と休憩時間偶然被ってさぁ、それでその時店長に小声で言われたんだ。「君綺麗な顔してるのに性格勿体ないね、うんほんと勿体ない。顔だけ取り替えて欲しいくらいだよ」って。これって偏見じゃない? 綺麗な奴は皆性格良いと思ってんのかって話だよ。そんなの幻想だよ」
 聞き役の女子たちは大人しく「うん、うん」と頷くだけで、城下さんの言うことの本質を一欠片も理解していない気がする。僕の一つ左隣の席に座る吉川が「チッ」とわかりやすく舌打ちを三回ほど繰り返していた。沖は城下さんの方を好戦的な目で威嚇し続けている。
「何だ? 私の顔にでも何かついてるのか?」
 城下さんの視線が吉川と沖の方へ向く。吉川が「別に」と答える頃には、城下さんは次の授業準備に取り掛かっていた。再度吉川が「チッ」と今度は小さく舌打ちして、沖は「なんだよあいつ」とボソッと呟いていた。周囲にわかる程度に城下さんに干渉すると、楽しいクラス像が崩れてしまうので大ごとにはしないのだ。ちんけで薄っぺらなクラス像を守るために、彼らは今日も己の甲斐ない自制心と戦っていた。
「城下って彼氏いるのかな」
 自分のすぐ前の席にいる男子から、ふわりと興味深い話が聞こえてきた。
「知らね。でも城下って不細工ではないから腫れ物好きの奴にでもとられちゃうんじゃない」
 二人、なんていう名前だったっけ。
「けっ世の中所詮顔かよ」
 結局二人が誰かも思い出せないまま、とられちゃうかもよ、という言葉だけが耳にこびりついて離れなかった。

「城下さん!」
 気づけば僕は学校の下駄箱で学校靴を履いて帰ろうとする城下さんの名前を呼んでいた。今日初めてまともに学校で言葉を発したと思う。
「あぁ、えっと……在川くん。どうした?」
 城下さんに話しかけるのは初めてだった。城下さんは持ち上げていた学校靴を静かに地面に置いた。そして首だけ後ろに捻って、自分に背を向けた状態で、大きな黒眼から覗き込むようにこちらを訝しげに見つめてきた。
「よかったら……友達になってくれないかな」
 自分から友達になって欲しいと頼んだのは人生で初めてだ。慣れない言葉を口にして喉元が痒くなってきた。
「よかったら、って何だよ。友達になりたい理由があるならハッキリと言えよ」 
 城下さんの初対面でも気を遣わない物言いが好きだ。土を落とすために城下さんが靴底を地面に叩き付けた時鳴った、バンッという音が校舎に響いた。と同時に僕も口を開いた。
「城下さんは、毎日僕に真実を教えてくれるんだ」
 心臓の脈打つ音が身体の内部から鮮明に聞こえてきて、全身に熱い血液が流れているのを感じた。暫くの沈黙の後、終始背中を向けていた城下さんがそのまま学校靴を履いて立ち上がった。
「私でいいなら。一緒に帰ろう」
 そう言い終えた城下さんは、一瞬安心したような笑みを浮かべていた、気がする。城下さんの夕日に照らされた背中を追いかける形で、僕たちは逃げるように学校を後にした。
 
 城下さんの自宅は、学校近くの河川敷沿いを十分ほど歩いた先にある県道を、さらに五分ほど市内方面へ歩くと着くらしい。僕の家とは諸に反対側だったが、城下さんと話がし
たいという理由で家まで送ることにした。勿論家まで送るというのはどこぞのイケメンがするものだ、僕にとって大変烏滸がましいとも思っていた。だから近くに家があるという設定で城下さんには伝えた。河川敷沿いには一級河川である十橋大川が流れている。その清澄さと相反して、今歩いている河川敷は歩き古されている。清掃の行き届いていない灰色のアスファルトが目立つ。道中、向かいから煙草を咥えた中肉中背の四十代くらいのおじさんが、こちらを憚ることなく横柄な足取りで歩いてきた。すれ違った後も、そのおじさんが通ってきた道には、高校生には産業廃棄物の臭いと感じるキツい煙草の匂いがまだ空気中に滞留していた。
「世の中間違いだらけだと思わないか」
 十橋大川以上に澄んだ城下さんの、核心を突く言葉一つ一つに純粋に聞き耳を立てていると「一緒に帰ってるんだから何か返事しろよ」と続けざまに一喝された。「今のおじさんに対して城下さんが何を思うか純粋に聴いていたかった」と僕が答えると「君は素直だな」と城下さんは笑った。上空を見上げると、秋のどこまでも高い空に吸い込まれそうになった。
「煙草の煙ってさ、人の寿命を縮めるじゃんか」
「まあ、でも吸ってる人が短命に終わるのは好都合なんじゃないの」
「違うよ。吸っている人の傍にいる人の方が体への被害が大きいんだよ」
「そうなの?」
「そう。歩き煙草は殺人だよ。立派な殺人だと自覚した方がいい。何人もの命を毎日吸って、当の本人はのらりくらり平然と生きてんだよ、クソが」
 城下さんの言葉に、僕は微笑む。勿論、嘲笑したわけではない。
 城下さんは、ただ口が悪いだけの人ではない。愛憎の憎だけを切り取ったととれる言葉の中にも、実はしっかりと愛がある。現実から目を逸らさないことも、愛の一つだ。
「何、ニヤニヤしてんだ?」
「いや、……城下さんの髪が、跳ねてきたなと思って」
「あっ。へへ。あたし、癖っ毛なんだ。朝にはセットするんだけどさ、夜になる頃はいつもこうだよ」
 たわいない話をしながらも、僕らは生まれる前から一緒にいたかのように、お互いの距離を心地よく感じていた。城下さんは、僕が言葉にしない沢山のことを無意識に分かっていたように思えたし、僕も城下さんの感情が手に取るようにわかった。僕はワザと時間をかけて、ゆっくりと城下さんの自宅へ歩みを進めた。これからも城下さんと一緒に帰れる、という喜びを噛み締めながら。
 けれど僕のそんな無垢な喜びは、束の間だった。
 四日後の朝、登校して教室に入ったとき、教室内の空気にいつもとは違う違和感を覚えた。皆が何かを言いたそうに視線を動かしていて、その先には吉川と沖、さらにまだ学校に来ていない城下さんの席があった。吉川と沖は息をつまらせながら笑っている。
 間もなく城下さんが教室に入ってきた。その瞬間、これまで少し騒めいていた教室の中がシーンと静まり返った。嫌な胸騒ぎしかしなかった。
 城下さんが席に座る。
「った……」
 城下さんから悲痛な声が聞こえた。と同時に椅子の上から、何か金色に光る小さな金属が疎らに床に落ちてきた。丁寧にワックスがけされた木製タイルに当たって軽快に鳴り響く。それの一つが自分の足元に転がってきて、上履きにたどり着く少し前には画鋲だと認識できた。吉川と沖が教室内に散らばった五十はある画鋲を回収している。その頃には他の多くの生徒は、あえて知らん顔して勉強するふりをしていた。この現実から目を逸らすように。吉川が城下さんの席近くにある画鋲を回収し終わると、自分の椅子を見て立ち尽くしている城下さんに向けて
「先生に言うなよ」
と釘を押して席に帰っていった。城下さんは何も返事しなかった。僕はただ城下さんを見ているだけだった。
 
 次の日、城下さんは学校にこなかった。吉川と沖は、少しの落胆と安堵が混じった表情をしている。クラスの皆はいつもと変わらない日常を過ごしていると感じたが、よく耳をすませてみると、いつもより話し声が弾んでいるように感じたし、何より表情が緩んでいた。城下さんの椅子は朝日に反射して異常な光沢を帯びていた。沖の机には空っぽになって凹んだアラビックヤマトの液状糊の容器が立っている。
 
 数日が経つと、最近は”イケてる連中”が底辺に話しかける姿を目にするようになった。底辺はクラスの一員になれた気がしていて、笑顔が増えた。女子の会話には以前より拍車がかかっていて、授業直前まで黄色い声が収束しないでいた。教室にぽっかりと一つだけ空いた席は、女子の荷物置き場で埋められた。先生はクラスの変化を取り立てて咎めることなく、日常は空気の様にサラリと過ぎていった。
 城下さんのいない体育祭も終わった。クラスの集合写真に自分だけぶっきらぼうに写ることでしか、抵抗できなかった。
 興奮冷めやらぬグラウンドには、友達と馬鹿騒ぎしている連中や、お酒が入って、もはや日焼けかアルコールのせいか分からない真っ赤な顔の地域の親父たちが、それでもなお缶ビール片手に今日一日を振り返り語り合っている。
 僕たち底辺は、グラウンドの隅で大した意味もなく、クラスで輪になって会話している。帰りたいと言い出せない雰囲気だ。さっさとこの場からおいとましたいと思っていると
「俺城下に告っちゃおうかな」
 と会話に紛れて突拍子もないワードが聞こえてきた。以前名前を思い出せなかったあの二人だ。
「えー何でだよ。引き篭もりじゃん彼女」
 城下さんが、引き篭もり? 僕は目を見張った。
「ちょっと弱ってる状態ならつけ入りやすいだろ。学校では白い目で見られるからプライベートでこっそり付き合うんだ」
「何だよそれっ。まぁお前童貞だもんなぁ。城下かぁ。ホントに付き合ったらまぁそれはそれである意味面白そう」
「だろ、おいっ、童貞は余計だ。付き合ったらひみ……」
「城下さん彼氏いるらしいよ」
 掴み所のない憤りに、背中を押された。二人は大きく口を開いたまま固まってしまった。結局二人の名前はまだ思い出せない。
「えっ……」
「だから城下さん、彼氏いるらしいよ」
 僕は後ろを一切振り返らずに運動場を後にした。走るたび騎馬戦でできた足裏の肉刺が靴下で擦れて、痛くて鬱陶しかった。


 次の日、僕は城下さんの家を訪ねた。城下さんによく似た温和な顔立ちの母が僕を出迎えてくれた。
「城下さんの同級生の在川と言います。城下さんに会わせていただけないでしょうか」
「礼儀正しい子ね。でも今日はあの子ちょっと体調が悪いの。だから……ごめんなさいね……」
 引き篭もりであることを隠そうとしているのか。それでも僕は引き下がらない。玄関の引き戸の空いている隙間に手をかけて、閉めようとしていた城下さんの母を制止した。
「僕だったら、会ってくれると思うんです」
 終始塞ぎ込んだ表情をしていた城下さんの母が、一瞬たじろぐようにこちらを見つめた。僕の意思が変わらないことを悟ったのか、「わかったわ、ここでちょっと待ってて」と言い残し、玄関のすぐ近くにある階段を登っていった。年季の入った木製階段が一定のリズムで踏まれて、みしみしと軋む。その音がクリアに聞こえてくるのは、この屋内に城下さんの母以外、誰も居ないと感じさせるほど無音だったからだ。
 城下さんの母の階段を登る音が止(や)まったと同時に、小さく乾いたノック音が二回鳴った。
「優里、同級生がきてるの」
 城下さんの母の覇気のない声が聞こえてくる。二分ほど経ってもドアの向こうから何も反応はない。「えっと……名前は何だったかしらね……」蚊が鳴くような呟きですら鮮明に一音一音聞こえてきて
「在川です、在川悠です」
 と僕は二階にいる城下さんの母に玄関先で応えた。
「あっ……在川くん、在川悠くんて人」
 木偶の坊に玄関先でつっ立っている自分が落ち着かない。城下さんの母が僕の名前を発して現状に変化がないまま数十秒経った。十秒が一分にも感じる。もう無理だと悟ったの
か、城下さんの母が階段を降りてくる。再び鳴った階段の軋む音は淋しさを増して近づいてくる。視界に城下さんの母の鬱屈した顔が見えてきた。その時、二階から床が踏まれて起こる振動音と、それによって蛍光灯が揺れ、蛍光管と蛍光管を支えている金具が擦れる侘しい音が聞こえてきた。城下さんの母の階段を降りる足が止まる。僕は僅かに舌先にあった唾を飲み込んだ。
「十分待って」
 一瞬の生活音の後に、城下さんのいつもの澄んだ声が家内に響いた。

 城下さんの部屋は六畳ほどの和室だった。所々ささくれた畳は、床下の柱が通っていない箇所を踏むと少し凹んだ。部屋の東西には二十四インチの液晶テレビと、雰囲気にそぐわない洋風ベッドがそれぞれ向かい合って置かれていた。部屋の奥にはベランダへと通じる掃き出し窓がある。南向きに位置するこの部屋は太陽光がよく入るだろうが、掃き出し窓を隙間なく覆う燻んだ藍色のカーテンによって光の一切を遮られていた。圧迫感漂うカーテンと洋風ベッドの所為で、六畳が四畳半ほどに感じる。部屋の明かりをつくっているのは、黒ずんだ丸型蛍光灯から漏れ出す薄暗い光と、消音状態のままついているテレビの青白い光。今日は快晴なのに、冬の曇天の昼間と同じくらいの光量しかなかった。
「よぉ」
「……お邪魔します」
「久しぶりだな、元気だったか? まぁ座れよ」
「うん。城下さんはげん……」
「で、何か聞きたいことあるのか?」
 先ほどから僕に、ではなくテレビに向けて話している様で腹立たしい。自分の話を遮られて、僕の心配など露知らずという風に洋風ベッドのフレームに呑気に凭れ、ポテチの新味を頬張っている城下さんに憤りを感じる。
「何で昼間からカーテン閉めてるんだよ」
 間接的に引き篭もりの真意を攻めようと思っていたが、今のは思ったより直接的だったかもしれない。自分の軽率な発言に後悔しそうになったとき
「暗くてごめんな。この方がテレビを集中して見れるんだよ」
 と城下さんはさらに朗かな笑顔になった。この部屋に漂う異質さと裏腹に、私は通常通りのライフスタイルを本日も過ごしてますよとでも言いたいのか。ファグッパリパリパリ……ファグッパリパリパリ…。…一定間隔でポテチを袋から摘まんで喰らう時に発する咀嚼音が、事態の深刻さを感じさせない。
「何で学校来なくなったんだよ」
 もう遠回しに訊いても無駄だと思った。色んな感情が入り混じって少し声が震えていたと思う。城下さんは大きく背伸びを一回して、眠たそうに小さく口を開いた。
「朝自分が学校来て、普段通り椅子に座ったら、その椅子に画鋲が仕掛けられていたら誰だって怖いだろ」
 意外な答えが返ってきた。城下さんならあの画鋲の一件など、いつもの強靭な精神で何ともないと思っていた。引き篭もりにはもっと僕には想像つかない深い理由があると思っていた。
「城下さんに怖いっていう感情があるとは思わなかった」
 本当に驚いての発言だったが、少し皮肉のこもった言い方になってしまったかもしれない。
「当たり前だろ、私をロボットか何かの類だとでも思ってたのか」
 欠伸混じりに答える城下さんに呆れる。
「だっていつもクラスメイトに物怖じしない発言ばかりしてたから」
 城下さんが次のポテチを袋から取ろうとして、その手が途中で止まった。それから少し遅れて咀嚼音も消え、この部屋に違和感のない沈黙が溶け込んだ。
「……違うんだよ」
 一分ほどの沈黙を破り、いきなり城下さんが僕の目を見て呟いてきたから、体育座りしていた足と、肩が一瞬少し上にはずんだ。
「あくまで今後の展開を想定して想像上で感じる恐怖と、実際そこにある、目で見て肌で感じ取れる恐怖は違うんだよ。クラスの皆が想像したのは画鋲に気づいた時の恐怖? 痛みの恐怖? それも所詮ただの予防接種くらいのだろ。はたまた誰だろうという恐怖? 傍観者はあくまで他人事。その程度。でも私が感じたのはね、殺されてたかもしれないって恐怖だよ。たかが画鋲で死ぬかって? じゃあ君は画鋲の針を数十本最後まで身体に貫通させたことはある? 画鋲の鋭く尖った針が怖かったよ。在川くんはあの画鋲で流れるかもしれなかった赤い血を想像したか?」
 息をするのも忘れて、城下さんの言葉一つ一つに溺れていた。というのは半ば嘘で、何も言い返せなかった。
 僕は城下さんのことを何もわかっていなかったと気づく。城下さんはあの日の朝、確かに得体のしれない恐怖を感じていたのだ。そして、今まで散々人格を否定し続けてきた、沖や吉川などと同じ程度にしか城下さんの抱える恐怖を感じ取れていなかった自分を殴りたい。城下さんの生き方を知り賛同していた気になっていただけで、実はそれは表面上で、根はつまらないクラスの一同調者だったのだ。
「ごめん……何も」
「何だよ、せっかく家にきたならもっと慰めたりしてみろよ。やっぱコミュ障は使えねーな」
「コミュ障っていうな、ばか」
 城下さんは床に手をついて大袈裟に笑っている。これは強がった結果からでた笑顔だろうか。これほど近くにいて、何も分からない自分が情けない。城下さんのことをもっと内側から知りたいと切に思った。

 城下さんは三時から用事があるとのことだったので、城下さんの母に挨拶をして十分前には家を出た「よかったら、またきてあげてね」と城下さんのお母さんが言った。一階のリビングから玄関先に出てきたその顔には、安堵が垣間見えた。僕は丁寧にお辞儀して城下家をあとにした。
 そこから何となくまっすぐ家に帰る気になれなかったので、学校近くにあるGEOで新しい恋愛ドラマのブルーレイを物色していると、店内に入って気付けば三時間半が経っていた。レンタルするか迷っていた三作の内二作を選んで会計を済ませ自宅に着く頃には、辺りは城下さんの部屋に居た時の暗さ以上に真っ暗になっていた。
「遅かったじゃない、もう夜の八時よ。連絡もなかったから心配してたのよ」
 携帯を見ると母から、今何してるの? 夕飯もうできたから、というメッセージが一時間前に届いていた。「DVD選んでたらこんな時間になった」と返事をしてリビングに向かうと、後ろから「もう、いつもなんだから」という気の抜けた母の声がした。テーブルの真ん中には、大皿にのった数種類の揚げ物が、その祖熱と油で既にふやけたラップに巻かれ置いてあった。その横には小皿にサラダが二人分盛られていた。
「ご飯今からよそうからちょっと待ってて」
 いつの間にか母がキッチンへ移動して炊飯器の蓋を開けている。昨日、いつも近所で通りすがりに挨拶してくれる高齢夫婦から戴いたという、魚沼産コシヒカリの食欲をそそる香りがリビングにまで広がった。
 ただ待っているのも致し方ないので、僕は唐揚げにへばり付いていたラップを剥ぎ取り、揚げ物とサラダ用に取り皿を二人分食器棚から用意する。
 ふと、帰宅してから終始つきっぱなしだったテレビから引き篭もりに関するニュースが流れてきた。
「学校に行きたくても行けない、働きたくても仕事に就けない若者の、引き篭もり生活急増が近年社会問題になっています……内閣府が行なった調査によると、引き篭もりになってしまう若者の原因として挫折体験があります。学業成績の低下、いじめ、失恋、職場に馴染めないなどが主なきっかけです。なぜこれまで順風満帆に人生を送っ……」
 取り皿を持つ手が止まる。母はご飯の入った茶碗をテーブルに置き、再びキッチンに戻って麦茶を入れる準備に取りかかっていた。
「引き篭もりって本人と家族どっちが辛いんだろう」
 独り言のように呟いた言葉に母が反応してチラっとこちらを向いた。
「家族は勿論つらいでしょうけど、本人はどこまでそれを深刻に受け止めているかで違うんじゃない」
 そう言い残して再びお茶用グラスに視線を移したが、そのまま母は言葉を続ける。
「本人が親不孝だと思いながら、外的要因が理由で社会とも繋がれない孤独を抱えているとしたらあれでしょうけど、引き篭もりの原因が単に怠惰や気の緩みといったとりわけ本人の性格からくるものなら、本人に問題があるわね」
 母が麦茶を注ぎ終わって共に椅子に座り、夕食を摂取する。城下さんの母の様子は納得できる。けれど城下さんはいじめが原因で引き篭もりになったとして、自ら塞ぎ込んでいるとまでは考えられなかった。でももしかしたら、僕の前で終始空元気を演じていたのかもしれない。城下さんのことを考えながら引き篭もり特集の番組を見ていると、ますます城下さんに当てはまる引き篭もりの定義が分からなくなった。
「……なんで急にチャンネル変えるんだよ」
 テレビからはいきなり陽気な音楽が流れ、画面左上には、お笑い! スター発掘、と文字が書かれてある。 
「あら、あなたもよく同じことするじゃない」
 もっともな意見を言われて返す言葉が見つからない。黙って竹輪の磯辺揚げを摘んでいると
「あなたも部屋でドラマばっかり見てないで、たまには外で遊ばないと友達一人もいなくなるわよ」
 と母から人差し指で脇腹を突かれて茶化された。相手にされなかったからさらにちょっかいを出す吉川と同じ悪ガキだ。三十路もとうに過ぎたいい大人の、目も当てられない大人気ない言動、行動の数々には辟易とする。中学でこなかった反抗期を実感しているのではなく、素で母の一挙手一投足が鼻につくのだ。母の大好物である椎茸の唐揚げばかり摘んでいると「もう、ばっかり食いしないの」と叱られた。

 自分の二階部屋に入って、お気に入りの二人がけ用ファブリックソファに深く腰を掛ける。高校入学のお祝いに母が買ってくれた。凭れ心地のよさは非常にリラックス効果があり、今では何度もこの上で寝落ちする。母の「彼女ができた時のために二人用のにしとこう」という余計な計らいと、女子ウケが良いとの理由でライトネイビー色にした、その意義ある選定も見事に虚しく一年間独りで使い古した。痤瘡のように、体重が日々かかっている部分の繊維がすっかり擦り切れたそれは、皮肉にも母然り社会のしがらみ全てから僕を毎日解放してくれていた。
 ソファの肘掛けが定位置になっているリモコンを操作し、早速今日借りてきたブルーレイを再生する。病気である彼氏が彼女に支えられ、死ぬ間際に告白されるという内容だった。しっかりと、今自分を支えてくれる人が一人もいなくて孤独であることを実感できた。そしてゴボウのような自分をこの男性に置き換えたとき、どちらが病人かわからなくなる。女子は、ある程度筋肉質で、ガタイが良くて、カッコイイ男子というのが前提で異性を好きになる。そのある程度の前提から踏み外している僕が言われるのは「生理的にむり」という言葉だろう。もはや骨格や筋肉、細胞という遺伝子レベルで己を否定されれば、恋愛できたらいいなという淡い期待でさえも、ひとかけらを持つこともなくなる。僕の邪念を一つも余すことなく、このたった一度しかない貴重な人生の時間の中から、恋愛を”無駄な時間”として根こそぎ削り取ってくれる。

 冬休みになるまで、ほとんどの休日は城下さんの家を訪ねた。玄関先で毎回城下さんの母は出迎えてくれて「いつもありがとうね、優里もきっと喜ぶわ」と言って、二人分のお菓子まで用意してくれた。うちの母と入れ替わって欲しいと思う優しさだった。
 十二月初冬の候、寒さも本格的になった昼下がり。城下さんの部屋の洋風ベッドの上に、六個ほどのDVDケースがブルーレイディスクとともに不安定に積み重なっているのを発見した。
「城下さんってドラマとか映画とかよく見るの?」
 自分から出た声が思ったより弾んでしまって、訳もなく縮こまった。
「あぁ、好きだ。今日も在川くんがうちにくる手前ずっと見てたぞ」
 そう言って城下さんはブルーレイディスクの一つを手にとり、中心の穴に人差し指を入れ、空中でディスクをフラフープのように回転させていた。自分の趣味嗜好が城下さんと被っていた事実が嬉しい。城下さんが指で回していたディスクは、遠心力で城下さんの爪をつたって指から離れ僕の足元へと飛んできた。「十九歳のラブストーリー」とゴシック体を少し筆体に崩して印字されたタイトルと桜並木の背景が目に入る。
「恋愛物が好きなの?」
 食い入るように聞いてしまった自分に、また少し恥ずかしくなる。
「好きだな、何でだと思う?」
 好きな理由を次に訊こうと思っていたので、逆にそれが疑問形で返ってきて少し戸惑う。年季の入った石油ストーブの温風ファンが回転して発する異音混じりの音と、一定間隔でストーブ全体から部屋に響く原因不明の汽笛音が、気まずい沈黙を感じさせず考える時間を与えてくれた。
「処女だから」
 盛大な僕なりのジョークだったから、その冗談に対して城下さんから「それもある」と返ってきて心底驚いた。この人を超えることはできない。城下さんのように余計な忖度のない物言いをしたのだけれど、城下さんの返事は僕のそれを軽やかに上回った。僕が何も言えずにいると、在川くんも童貞だろ、と城下さんに得意げに侮辱された。
「自分の力でどうにもならない現実も、ドラマの世界で疑似体験できるんだよ。世の中の間違った政治や価値観を指摘したりすることは頑張れば誰にもできる。でも恋愛は自分だけじゃ無理だろ? 社会と関わらなければならないけれど、この陳腐な現実で愛する人はできるのか。そもそも私は誰かから愛されることはあるのか。恋愛という行為が、子孫繁栄という人類の生存にとって一番大切な営みに繋がっているのがしがらみだよな。一番大事な人類の存続が、誰かと相思相愛になりセックスする、という自分にとって一番難しい現実でしか達成されないもどかしさ。社会貢献できない情けない自分が嫌で、架空の世界に逃げてるんだよ」
 
 城下さんは一頻り話し終わって、低い天井を空を仰ぐように見上げた。僕の恋愛フィクション好きな理由とは一見異なったが、現実から逃避したいという部分では本質的に一致していた。「僕が恋人になってあげようか?」という冗談を考えたが「ウザっ、コミュ障のくせに調子のんな」と一蹴されるのは目に見えていたので言葉にするのを控えた。

 十二月霜寒の候。玄関先でサザンカの鉢植えを手入れしている城下さんの母が健気で自然と表情が緩んだ。
「城下さんって毎日一人で寂しくないの?」
 僕は思い出したように城下さんに疑問をぶつけた。
「一人っていけないことなのか?」。
「いけないことではないと思うけど……」
 僕が口ごもる時は大概、城下さんの教えを仰せ願いたいからだということを、最近城下さんはうっすらと感じ取ったようで、今も大変憐れみの表情でこちらを見つめている。冬休みも近くなるとこの掛け合いをワザとすることもあって、馬鹿だなぁと二人で罵り合って大笑いした。それはそれで楽しかった。
「高校二年生になりたての頃、学食を独りで食べにいったことがあるんだ。食堂で周囲の物珍しげにこちらを見てくる視線に、落ち着かない。自分が大手モデル事務所主催のオーディションの参加者として、周りと同じく列に並んでいるような、それぐらいの場違い感さえ感じた。友達と二人で学食を訪れた際は、周囲の視線を感じなかった。その時は隣に人がいるということだけで、独りで学食を食べている肩身の狭そうな高校生を横目に、何だろう何ともいえない優越感を感じてしまった。独りって、なんでこんなに弱く映るんだろうな。ほんとは強いのにね」
 城下さんは独りであるということをネガティブに思っていない様だ。自分とは価値観の合わない現実から離れ、むしろ能動的に引き篭もりになることを選んだ強い人間なのだ。
「それに何より在川くんが毎週末来てくれるから寂しくないな」
 そう言われて実感する。城下さんも僕も、決して”独り”ではなかった。

 冬休みに入って三日が経った。自分の部屋のテレビをつけると浮かれた若者がサンタのコスプレをしているのを見て今日がクリスマスなのだと実感した。
 クリスマスを意識したのは小学生以来かもしれない。あの頃はサンタさんが来ると疑わなかったクリスマスが待ち遠しかった。思春期になってもサンタさんがいるとすれば、きっと”いつもより孤独な平日”を毎年プレゼントしてくれている。それとは反対に”イケてる連中”はカップル同士特別な一日を過ごしている。吉川や沖の楽しんでいる姿が容易に想像できた。善良であると真に疑わなかったサンタさんも実に不平等だ。
 今日は一週間ぶりに城下さんと会う約束をしている。一週間前に城下さんが映画をみにいきたいといったのだ。彼女が引き篭もりになって、外出という外出はこれが初めてだった。ただ、僕たちは男女の関係ではない。そして、男女の関係ではない男女がともにクリスマスを過ごそうなどという時は必ずどちらかが告白しようと思っているだろうが、僕たちにはそれもない。ただ純粋に、お互いの価値観が合うだけなのだ。

「おーい。在川くんこっちこっち」
 池田東駅に着くと、城下さんが観光客や地元民でごった返した駅の改札前で手を振っている。学校から最寄りの映画館は市内にあり、バスと電車を四十分乗り継いで着くこの池田東駅から更に徒歩十分を要する。
「おはよ、待たせてごめん」
人混みを掻き分けて城下さんのもとへ走っていく。おはよ、といってももう昼の二時だ。そして一時半に待ち合わせしていたのに僕が乗る電車を間違えて三十分城下さんを待たせてしまった。
「今のごめんは気持ちがこもってない、もう一回」
 いたって真面目な顔で城下さんが人差し指を立てた。
「ごめん」
 僕はわかりやすく両手を自分の顔の前に合わせた。
「安易なジェスチャーは感情表現の怠惰だ。言葉だけで申し訳ないという誠意を伝えてみせろ」
「ごめん、なさい」
「ごめん、に、なさいというたった三文字を加えただけで全て解決すると思うな」
 何が正解かわからない。自分が遅刻したのに、目の前のいつもより無駄にお洒落して、ライトブルーのニットと寒い中膝丈しかない黒色の花柄スカートを身に纏った個体に憤りすら感じる。
「DVD貸してあげるから許して」
 持ってきた鞄の中に、レンタルで気に入って全五作を購入した「TRUE LOVE」が入っているのを思い出した。鞄からそれを取り出すと
「えっ、いいよいいよそこまで怒ってないから」
 と城下さんが焦った顔を作った。苦肉の策だったが「物で情を釣るな」と言い返されると思っていたから、気を遣われたのではこちらも引くに引けない。
「気を遣うなんて、城下さんらしくない」
 僕はそう吐き捨て、半ば強引に城下さんの手持ち無沙汰にしている両手にDVDを押し付けた。
「えー……じゃあ、借りる、かな……」
 引け目を感じたのか、いつもより語気の弱った城下さんは本当に城下さんらしくない。その後も何度かDVDを返そうとしてくる城下さんをはねのけながら、僕たちは映画館へ向かった。

「映画よかったねー。くっついたり離れたりする二人の関係にドキドキしたよ。自転車の二人乗りはダメだけどな! あくまで映画の世界。いやーでもハルトの最後の告白、あれは現実だったら確実に浮くよな」
 饒舌に今日の映画を総評する彼女の横を、僕は終始頷きながら池田東駅へと足を進める。自分独りだったら、いつものフィクションに対する綺麗事を感じながら映画を観ていたと思うが、今日は純粋に恋愛映画を楽しんでいたかもしれない。それが横に彼女でなくても女性がいたから卑屈にならずにフィクションを楽しめたのだとすれば、人ってなんて単純な生き物だと思った。
「在川くんはどうだった?」
 城下さんに映画の感想を訊かれて、自分がつまらない人に成り下がったと思われないような感想を述べようと思った。
「ハルトとエリカが偶然出逢ったと見せかけた夏祭りのシーン。あれは偶然じゃなくて必然だよ。二人が底辺だったらあんな友達と祭りに出向くようなことはしない。もし独りで祭りに行くことがあっても、独りでいる人に話しかけたいと思わないだろう? ハルトのバンド活動が日の目を見たのも、直向きな努力がSNSで話題になったからじゃあない。顔だよ。よく夢に向けて頑張っている人がテレビで特集されてフォロワーが増える現象があるけど、あれは顔がいいから増えるんだ。不細工が汗水垂らしたところを流したって滑稽な姿に終わる。外見を見ているのであってその人の純粋な努力を見ている訳じゃあない。直向きな人がすべて報われるなら世の中こんなに世知辛くない。イケメンだから許されて、不細工には言う権利すらないことばっかりだ。この世の不公平を直に感じ取ることができたという意味で今日の映画は楽しかったよ」
 すぐ側を歩く二十代ほどのカップルに聞こえる程度にそういうと「在川くんらしいな」と城下さんは笑った。
 その後お腹が空いたので、僕たちは近くのカフェに寄って夕食を済ませた。夕方五時という、飲食店の人の出入りが丁度落ち着く時間帯に店に入ったので、駅近でクリスマス当日にも関わらず待たずに席に座れた。今日の映画の再度振り返りと、最近城下さんがハマっているという気泡緩衝材を無限に潰すアプリゲームの楽しさの話を聞かされて、外に出た時には夜の七時半になっていた。
 駅前ロータリーの木々に仕掛けられていたイルミネーションは既に点灯していて、駅周辺が若いカップルの行き交うリア充の巣窟と化していた。眩いパステルカラーの輝きを背に写真を撮り合う屈託ない笑顔の横を、だぶだぶの服装で足を地面に滑らせながら、ホームレスの男性がイルミネーションに目もくれず通り過ぎて行った。
 彼には既に見えていないのかもしれない。この光と陰に満ちた世界の中で、自分が陰でいることを普通だと思ってしまえば、この世界の虚構を虚構とも思わなくなるのではないか。この世の中の現実が間違っていると感じ訴えている自分は、陰である自らを認めずに抗うだけの羞恥なエネルギーを存分に秘めているのだ。そんな自分が後ろめたくなった。
「理想の現実を望むこと自体、高望みなのかな」
 城下さんの、イルミネーションの光が反射して何色にも色付いている横顔に視線を移す。
「間違いを、間違いだと感じなくなったら人間終わりだよ」
 城下さんの視線もホームレスの男性に向いている。駅の構内から流れている『ジングルベル』の音楽に溶け込むようにホームレスの男性は駅の中へと消えて行った。

「寒くなってきたね」
 不意に近づいてきた城下さんの唇に、僕は反射的に仰け反った。仰け反らないといけない気がした。城下さんの唇が当たったらいけない気がした。城下さんの瞳は確かに潤んでいて、確かに僕は無様だった。
「悲しいね」
 城下さんの潤んだ瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。周囲の暗さが一層増して、それと反比例する形で煌々とイルミネーションが輝きを増す。その悪戯な明かりが、僕たち二人には少しも優しくなかった。

 冬休みも小晦日になった。毎年年末は家で餅つきをする。餅つきといっても母と二人で、機械で餅米を捏ねる。そこからできた大きな餅の塊から少しずつ手で千切って食べられるサイズの餅にする。餅好きな母は、餅つきの日はいつにも増して気合が入る。首に巻いた白いタオルに、冬にも関わらず汗が染み込んでいく。米を粘土状にしているだけで、普段食べる白米と大して変わらないではないか、と例年風情の欠片もない自分だった。でも今年は餅を捏ねる手に力が入る。
 「TRUE LOVE2」の試写会兼、舞台挨拶の抽選に当たったのだ。
「ゆう、最近笑顔増えたけど、何かいいことあった?」
 母がこちらを覗き込むようにして、できたての餅を食べながら問いかけてきた。無意識に溢れ出ていた笑顔ほど、恥ずかしいものはない。最大限のぶっきらぼうで答える。
「特に何もないよ」
 自分も熱々の餅を手に取り、噎せないように少しづつ頬張った。同じ米を摂取しているのに、よく噛まないといけないところに、白米と違う煩わしさを感じる。
「あら、また笑ってる」
 母が揚げ足をとるようになった。そういう母も今日はよく笑っている。母子家庭で育ってきて、たった一人の家族の、こうした気合の入った楽しそうな姿を見るのも悪くないなと思った。
「よかったわ。あんたいっつも死にそうな顔してるから」
「そう?」
「そうよ。カーテンも閉めっぱなしで、服だってパジャマぐらいしか持ってないし」
「学生はそんなもんだよ。城下さんもそう言ってた」
「城下さん? そういうお友達ができたの?」
 友達、と言われて城下さんと僕は友達なのだろうかと考えた。友達というには馴々しくなく、かといって知り合いという距離感ではない。僕と城下さんの関係につける名前を模索していると
「ほら、また笑ってる」
 と母が更に揚げ足をとってきた。こうなった時の母は厄介だ。しかし、当選枠十名の内の一名を勝ち取った喜びは隠しきれないらしい。
「餅が噛めば噛むほど味が出て、美味しいって気づいた」
「素直か素直じゃないかわからないわよ」
 素直に二個目の餅に手を伸ばす。母には城下さんと付き合うことがあれば報告しよう。「実は……最近彼女できたんだ」母もびっくりするだろう。変わり映えしない日々のサプライズには丁度いいかもしれない。その顔を思い浮かべると、餅が喉に詰まりそうになった。
 
 
 正月明けて早々、城下さんと盛大に喧嘩した。この日の喧嘩が、後に僕たちの関係に重要な意味をもたらすのだけれど、大体、起承転結の転は人生の中であっさりとやってくる。それは城下さんの家に「TRUE LOVE2」のイベントに当選したという喜びの報告をしに行った一月二日のことだった。
 その日は部屋に入ってから、違和感しか感じなかった。
「「TRUE LOVE」続編の試写会イベントに当選したんだ! 抽選枠全国で十名だよ、やばくない?」
「すごいじゃん! おめでとう! いつ参加するの?」
 城下さんはいつもはこんな仰々しく喜ばない。
「今年の九月十日に参加するんだ。同伴者二名まで可なんだけど、よかったらこない?」
「うん、予定合えばよかったら行こうかな」
 ならば、よかったら、という曖昧な言葉は普通城下さんは使わない。それに一つ気がかりなことがある。
「「TRUE LOVE」見た?」
「もちろん見たよ! 彼に告白するシーンはほんと泣いたよ」
「告白するのは男の方なんだけど」
 呼吸するにも気を遣いそうになるくらいの沈黙が、無風のこの部屋に流れる。今日は沈黙を掻き消してくれるストーブもついていない。
 城下さんが嘘をついた。出逢って初めて嘘を聞いた。毎日真実を教えてくれていたあの城下さんが。
 沈黙は人間を冷静にさせる。注意深く部屋を見渡すと、部屋に入った時に感じた違和感の理由がわかってきた。テレビのフレームはこの前きた時より明らかに埃を被っているし、ポテチの食べ屑が洋風ベッドの周りに散乱している。掃き出し窓に掛かっているカーテンの隙間から見える窓の棧(さん)には、綿埃が冬の昼間の陽光下、灰色に光っていた。生活の怠惰だ。城下さんは冬休み、僕に感情表現の怠惰について指摘した。それよりもタチが悪い。
「ねぇ何かあった?」
「……何ともないよ」
「嘘つくな! 何かあったならはっきり言えよ」
「何ともないって!」
 この感情に任せた不毛なやりとりを何回か繰り返しても、僕は冷静だった。
 城下さんのテレビ横には「TRUE LOVE」の五作がケースに入り束で整列していたのだけれど、なぜか一ケースだけケースの方向が明後日の方を向いていた。本の気になった部分に箋をつけるみたいに。
 無言でDVDケースに近づくと「待って!」と声が聞こえ服の裾を引っ張られたが、その手を振り払い歩みを進める。一つだけ不自然に置かれたDVDケースを開けると
「直すから」
 と後ろからまた声がした。僕は反射的に持っていたDVDケースを床に叩きつけた。鈍く乾いた音が耳に入ってくる頃には、僕は城下さんの胸ぐらを掴んでいた。
「ふざけんな、何で正直に今まで言わなかったんだよ!」
 三巻目のDVDには五センチほどの切り傷があったからもうこれは再生できないだろう。でもそのことで怒っているのではない。
「いつものように……指で回してたら飛んで、当たりが悪くて……それで……」
 城下さんの声は震えていて、ひどく怯えていた。けれど僕は自分の気持ちを抑えることができなかった。
「理由を訊いてるんじゃないんだよ!」
 理由なんかどうでもいい、本当に理由なんかどうでもいいのだ。なぜつまらない嘘をつくようになったのか、なぜ僕の質問に包み隠さず答えてくれないのか。それだけが知りた
かった。
「ごめん……本当に……ごめんなさい……」
 胸ぐらを掴んでいた手が城下さんの涙で湿って、僕は手を離した。と同時に城下さんは床に膝から崩れ落ちた。最後まで城下さんは今日の真実を伝えてはくれなかった。
「もういいよ……映画見に行った時から変だったよ。変わったよ……変わってしまったよ城下さんは!」
 「待って……待ってよ!」というくぐもった城下さんの叫び声は、僕のドアを粗暴に閉める甲高い音でかき消された。部屋を出た後も城下さんの啜り泣く悲痛な涙声が聞こえてきたが、全体重を乗せて階段を降りることで、いつもより軋んでその声もかき消した。

 
 景色の色合いが白から緑に変わり、その緑の中に黄色を見つけた。かけていたマスクのズレをもう一度右手で直し、菜の花の香りがなくなるまで全力で走る。走った先にはあの十橋大川が広がっていた。
 観光には県外客が訪れるが、それでも地元民を見ることの方が多い。河川敷を降りた、川のすぐ手前にあるベンチに腰掛けて、一定の速度で流れる綺麗な川の水を眺めていた。
「私たちってさ」
 僕の隣には確かに城下さんがいる。
「出逢ってよかったのかな?」
 けれど遠い存在に感じる。掴んでも手からスイスイとすり抜けていく魚のように。
「僕は出逢ってよかったと思ってるよ」
 紛れもない本心だった。城下さんとの少しの苦い思い出は、たくさんの楽しかった思い出で塗り替えられて今がある。
「去年のかぐらがわ祭り、大声大会で城下さんのことを知ったんだ」
「知ってるよ」
 知ってる? どういうことだ、と思った。
「ステージから在川くんのことが見えたんだ。私が気づかざるを得なかったというべきかな。みんなが目をそらしたり嘲笑する中、一人私の方を真っ直ぐに見ていたよね。伝わる人がいるんだと思った。この人なら信じていいって本当にそう思ったよ。だから、同じクラスになって、在川くんが話しかけてくれたとき実は凄く嬉しかったんだ」
 これまで知らなかった事実が城下さんの口から溢れてきて、掬いきれない。僕は、じゃない。僕たちはあの時から出逢っていたんだ。
「城下さんは、僕にたくさんの真実を教えてくれた。いつも尊敬してるよ」
「君はよく尊敬っていうけどさぁ」
 城下さんらしいいつもの強気な口調に意地悪っぽさが混じっている。確かに僕は日頃から城下さんに尊敬の安売りをしている。安売り? イヤイヤとんでもない。別に何度……
「私に対して尊敬以外の感情ってないの?」  
 
 その質問には答えなかった。でも、曖昧でも答えになるとすれば、今までずっと訊きたかったことがある。
「城下さんは僕と出逢ってよかった?」
少し間を置いた後、城下さんは口を開いた。
「在川くんは、私に独りじゃないってことを教えてくれたよ。だから私は在川くんと……」
「おい、ありゃあよぉ、ばあちゃん」
 気付くと背後から声が聞こえてきた。川の流れでも見にきたのだろうか、この声は知っている。以前魚沼産コシヒカリをくれた老夫婦だ。河川敷の坂に生えている雑草が草履で無遠慮に踏まれ、体幹はとうに衰え歩くたび揺らめく人影がうっすらと目の前に現れた。お互い耳が遠いので、会話が自然と大声になる。距離があっても話し声は、はっきりと耳に聞こえてきた。
「あの子学校も行かんと最近よう家おるやんかぁ」
「よう昼間っから部屋からテレビの音聞こえてきてねぇ」
「引き篭もりらしいで」
「前から何となーくは思いよったけんど、やっぱりそうやったんやのぅ」
「お母さんも大変や。女手一つで育ててきてその一人娘が引き篭もりて、ほんまに気の毒やねぇ」
「高校出んかったら今の時代仕事ないで」
「親不孝してるいう自覚はないのかしらねぇ」
「それにあの子彼氏も今までおらんでしょう。見たことないじゃない」
「高校生にもなったら彼氏の一人や二人ばぁおってもえぇけど」
「まぁあの調子じゃ、しょうがないかねぇ」
 いつも感じの良さそうだった老夫婦の、これが本音だった。無防備に受けた言葉の暴力に、城下さんの爽やかだった顔が一気に青ざめる。人が変わったように小刻みに全身が震
え、呼吸の荒い城下さんの両手を握っても、体温は感じなかった。

 母が階段でかける掃除機のモーター音が煩くて目覚めた。夢現に携帯の画面を見ると、午前十時を回っていた。
「入るわよ」
 九十年代の掃除機から発する音は、もはや騒音レベルだ。焦燥感を煽るようなけたましい音と共に母の声が聞こえてきた。きっと返事したって僕の声は聞こえないだろうから黙っていると、ドアノブが回った。
「あんたは毎日春休み気分なんだから」
 わかりやすく母が腰に手を当ててため息をつく。人を苛つかせる選手権たる大会があれば、県大会で三位以内にはランクインするのではないか。
「いっつも部屋着のままだしテレビばっかり付けて、たまには勉強したり、外に出なさい!」
「うるさいな」
「部屋もこんなに汚くって、ちょっとは片付けなさい!」
「いいから出て行け!」
 無言で掃除機をかけ始めた母を避けながら、僕に今できる唯一の抵抗、必殺貧乏ゆすり。して心を落ち着かせる。
 母は春休み気分というけれど、実際今日で春休み四日目を迎える。城下さんのいない学校は、もう毎日行き来しても何の感情も抱かなかった。上品に外面だけ楽しい思い出を作っていくクラスに価値はない。城下さんと喧嘩した日から何もやる気がなくなって、僕の部屋は雑誌やDVDケースが好き放題に散らかっていた。
 「TRUE LOVE」は結局城下さんの部屋に置いたきりでそのままになっていた。春休み手前、正月以来ぶりに一度城下さんの家を訪ねたが、城下さんの母に「優里、在川くんに今会いたくないらしいの、ごめんなさいね」と大変申し訳なさそうにいわれたので、DVDだけ取りに来たと伝えるのも気が引けた。実際はこの前のことを謝ろうという気もあったが、自分の中のつまらない意地が勝って、城下さんからあの日の真実を伝えてほしいという気持ちの方が強かった。
「あら、あのカップル、子どもが生まれたのね、おめでたいじゃない」
 母は掃除機の音を消して、昨日の夜から僕の部屋で付けっ放しになっているテレビの方を見た。
「いいからはよ外出ろって」
 僕の貧乏ゆすりがさらに強くなる。
「もう、そんな怒らんの」
 母のテレビを見ながらの他人事のような返事が、さらに僕を苛立たせる。そもそもさっきまで母も怒っていたではないか。テレビからはアナウンサーの歓喜に満ちた声が聞こえ”太田夫婦、待望の第一子を出産”というテロップが見えた。その後、産まれた赤ちゃんを挟む形で、夫婦二人が笑顔で写る写真がテレビに映った。その写真を見て何気なく呟いた母の「格差社会ね」という独り言が、何か重みを持って僕には聞こえた。母はたまに、本当にたまに核心をつくことをいう。
 母のいうように、この二人の笑顔は相当な格差社会を表している。格差の、優劣の優だけが映っているこの画の裏には、その何倍もの劣が社会に潜んでいる。ニート、浮浪者、引き篭もり……世の中をうまく生きて行けない人たちのカテゴリーは多い。優しい部分に惹かれました。と言っていた女優は、例えこういった人たちが優しくても彼らには惹かれない。彼らとでは、いい遺伝子を残せた、と屈託ない笑顔で笑えないのだ。少数の優によって社会は美化され、その陰で何の取り柄もない劣側は社会のお荷物というレッテルを貼られ社会から見捨てられる。この出産のニュースで、今日もまた一つ世界は美しく掃除されていく。
「あなたもいつかこうして将来結婚して子供を産むのかねえ」
 そう言って母は重たそうに掃除機を抱えながら部屋を出ていく。「はいはい」と返事をしたけれど、僕を形成する六十兆個の偏屈な細胞の中にある遺伝子が欲しい人を見つけるなど、宝クジで三億円を当てる以上に難しいだろうと思った。

 城下さんと会わなくなって話し相手が母以外いなくなると、どんどん外の世界から自分が遮断されていくように感じてきた。ただその感情は、クラスに同調していない結果からくるもので、クラスにいるだけで孤独を感じないといった、いわば似非一体感を感じておらず、純粋に城下さんがいないから孤独を感じていることに改めて気づいて一種の自尊心を取り戻した。
 ファブリックソファに寝っ転がって、最近レンタルしたドラマの一話目を見る。カフェに友達と来ていた女性客が、そこの定員に恋をしてしまうという在り来たりな恋愛ストーリーだった。
 これまで、フィクションは世の中を美化し綺麗事として流している、とばかり思っていた。でも最近になって、それは世の中結局美男美女が評価される、という不平等で残酷な現実をまざまざと叩きつけていることと同義であると捉えるようになった。そういう意味で、この世の”フィクション”が一番”ノンフィクション”である、という名言が自分の中で誕生したので、後世に残したいと思う。真白の中に一点の真黒を見つけて安心する。世の中に純白など存在しない。「お綺麗な方ですね」と定員に言われて「あなたの方が、よっぽどカッコいいですよ」と主人公の女性客が顔を赤くする。このやり取りはお世辞なんかじゃない、嘘偽りのない真実だ。
 冬休み城下さんと行ったカフェで、僕たちのすぐ横の席の女性客二人のうち一人を口説いている、お世辞にも美男とは言えない男性定員がいた。その定員が「これ僕の連絡先だから、よかったら後で」と言って名刺サイズの紙切れを女性客に渡していた。その男性定員が厨房へ戻って行くのを確認した女性客は、彼が去った後連れの彼女と共にテーブルをけたましく叩きながら吹き出して笑っていた。これまで我慢していた笑いが一気に漏れていた。「自分の顔面偏差値わかってて言ってんのか」笑いと共に真実が漏れた。女性客は彼女らにとってのただの紙切れを、飲み残したアイスティーにストローの紙屑と手拭き用の紙と共に入れて店を後にしていた。グラスの中で、男性定員の鉛筆書きの文字が少しづつ液体に滲んで見えなくなっていくの最後まで見続けていた。
 僕にもそういって欲しい。捻じ曲げられ用のない現実を突きつけて欲しい。かつてに否定した、いつか自分に彼女ができる、を何故か冬休み呑気に餅を食べながら性懲りもなく再び思ってしまった、僕の無謀な一欠片の願いを、その汚い右腕でしっかりと跡形もなく潰して欲しい。抱いてしまう少しの希望、欲を蝕んで欲しかった。付き合うや結婚できないということは子孫を残さないことと同義だ。つまり自分が何年後死んでも、たとえ今死んでも血筋を残すことなく、少子化の現代に何も貢献できずに、非生産的に生涯を終えることに変わりはない。いや自分と同じような人間が再度この世に生産されても、社会にとって無益になるだけだ。自分の人生を、生きることを否定されることは何よりも正しい。何よりも正しい真実で、真実の核となる部分を知れて素晴らしい。多くの人は、自分の人生の間違いに目を背ける。自分の人生を否定することは自分の今の存在、価値を否定されるのと同じだ。核である真実を指摘されることを人は嫌う。そこの虚構をつくことが何よりの真実を知らせてくれる。自分は社会にいらない存在だということを自覚して、それでもなお生きている社会のはみ出し者は強い。なぜなら今後さらなる理不尽なことが起きても、彼らはそれを全て受け入れ生きていけるからだ。


「よーし、体育祭練習始めるぞー!」
相変わらず野太い声がグラウンドに響く。
 高校生活最後の体育祭練習が始まった。今年は騎馬戦よりも憂鬱な競技がある。それはフオークダンスだった。うちの高校では、フオークダンスは三年生特有の種目だ。高校生活最後の思い出に、という学校側のコンセプトが基になっているらしいが、余計なお世話だと思った。関わりのある人、ない人関係なしに男女で手を繋いで踊るという非日常的な営み。中学生の時は女子と手を繋ぐという行為だけで男子の皆が騒いでいたが、高校生になると満更でもないという感じで、男子は怠そうに整列する。これを成長したといえるのだろうか。
 男女混合でのフォークダンス練習が始まった。こういう女子が絡む時には吉川はいつも大人しくなる。クラスの中に、今年の春別れた元彼女がいることも合間ってか、吉川は終始無言だった。一方の沖はというと、こういうとき無駄にイケメンぶる。普段バカをやっている反面、クールな一面があるとモテると思っているのだろう。だが、実はまだ高校生活で彼女ができていないことを先日耳にしたので、沖の努力は全く功を奏していないようだ。沖の耳元で「そのギャップ、女子は全く気にしていないし、気づいてもいないよ」と耳打ちしてあげたい。
 クラス一人一人を冷静に人間観察していると、前方に城下さんの姿が見えて一気に表情が曇った。このフォークダンスの、自分の気持ちなど露知らずとも取れる軽快な機械音が、城下さんの順番が自分に来る前に止まるのを願った。
 愉快なマーチ的音楽は止まる気配を一切見せず、城下さんに順番が回ってきた。先生に、そろそろ休憩の時間じゃないですか? という風に目配せをしたが、先生は生徒指導する時の顔と正反対で、いつにも増して笑顔で明後日の方向を向いていた。僕は無力だ。
 城下さんの手と自分の手が触れる。城下さんは手の接触面積をできるだけ少なくしようとして、僕たちの手はくっついたり離れたりを繰り返した。お互い終始俯き加減で、目が合うことは一切なかった。
 城下さんとのフォークダンスを終えて次の人に移ったとき、後方から終始楽しそうに会話する城下さんと男の声が聞こえてきた。男は城下さんの声質に似ていて、優しい響きを放っていた。
 今年の八月に、城下さんと上野が付き合っていることを知った。去年の体育祭後、城下さんに告白しようとしていた、名前の思い出せなかったうちの一人は上野玲一という名前の男だった。
 八月初旬、教室に入るといつもの風景に違和感を覚えた。上野と城下さんがお互いの机を挟む形で向き合って楽しく会話していた。この時点では違和感に過ぎなかったが、吉川が体育祭の練習の帰りに囃し立てていたのと、放課後上野と城下さんが一緒に帰宅する姿をみて、二人は付き合っていることがわかった。
 いつから城下さんとの関係があったのだろう。僕が想像するよりももっと前からかもしれない。去年の冬休みからだろうか。城下さんの様子から考えても、あの頃から関係があったとするのに違和感はない。
 少し冷たい秋風が、銀杏と金木犀の香りを共に連れて身体を通り抜けていく。フォークダンスの稚拙で陽気なメロディだけが、いつまでも周囲の空気感と同調できずにいた。

「かわー……かわー……在川ー!」
 ハッとして顔を上げた。担任の先生が顔中の皺を眉間に寄せ、情けないものを見るかのような目でこちらを覗き込んでいる。教室では既に帰りのホームルームを行なっていた。高校三年生も秋になっていた。うちの高校は二年生から理系文系でクラスが分配され、高校三年生はほとんどクラスのメンバーは変わらない。文理でコース変更を希望すれば教室が変わるが、そういった人はクラスに三、四人いるかいないかだ。実際うちのクラスは二年生から三年生に学年が上がる時に二名がクラスを移動したが、苗字も存じない人だった。
 教室で寝ることも多く、最近はどれが夢でどれが現実かもわからなくなってきた。でも城下さんの机だけ以前のままぽっかり空いているのをみて、これが現実なのだとわかった。
 放課後教室を出ようとした時に、背後から吉川と沖の声が聞こえてきた。
「俺たちのアレ、成功したな」
「あぁ、もうこのまま卒業までずっと来ないだろ、あんな手紙送ったら」
 反射的に立ち止まって振り返った。
「え、なにアレって?」
 普段話さない僕からの唐突な質問でも、吉川と沖は話題に興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、上機嫌になって喋り始めた。
「あぁ城下さん宛てに手紙送ってたんだよ。家で多分一人で病んでると思うよ」
「そうそう、ラブレターみたいな? とっても嬉しかったと思うよ城下さん」
 遮るものがなければ、そのまま目の前に飛んでいきそうな握りこぶしを抑えた。
「いつから……?」
「去年の冬休みから」
 キョネンノフユヤスミカラ。きょねんのふゆやすみから。去年の冬休みから。体の震えが止まらなかった。目の前の二つの物体は、饒舌混じりに腹を抱えて笑っている。
「上野たちと結託して考えた文章は秀逸だったよ。もはやアートだ」
「毎日城下優里という人間が社会に必要ないということを教えてあげた。俺ら、とても親切だろ? 今まで叩かれた憎まれ口を、全部返してやったんだから」
「城下さん家の住所宛てに差出人不明で送ったから城下さんは何に反論していいかわからないし、誰かわからないのは何よりも恐怖だったろう。この世の……」
 目の前に飛んでいった握りこぶしは、吉川の大きな手に掴まれ止められた。瞳が充血して熱くなった。
「……きょうだ……卑怯だ……お前らは……腐ってる、人間のクズだ……お前らと城下さんを……一緒にするな!」
「やめろっ、クラスに聞こえるだろ!」
 吉川がそういい終わる頃には、僕は廊下を走っていた。僕が誰かのために走ったのは、これが最後だっただろうか。

 息を切らして城下さんの家に着きインターホンで僕の名前を伝えると、城下さんの母が静かに出迎えた。
「優里さんに、優里さんに会わせてください!」
 藁にも縋る勢いの僕に対して、城下さんの母は首を横に振るだけでやけに落ち着いていて、今は一段と二人の温度差を感じる。
「優里さんがまだ会いたくないって、いってるんですか?」
 城下さんの母は僕が取り乱している様子を尋ねることもなく、一文字に首を振って僕の言葉を否定し続ける。
「じゃあ何なんですか! 優里さんのことなら僕が誰より知ってます、だって僕は……」
「在川くん」
 城下さんの母が重たい口を開いた。
「優里はね、優里は……」
 そこから先のことは、あまり覚えていない。
 城下さんはたった八日前、近所の大型ショッピングセンターの屋上から飛び降り自殺した。「久しぶりに服見に行ってくる。お母さん、いつもありがとうね」という言葉が城下さんの母が聞いた最後の言葉になった。いつもありがとうなんていう、そんな素直すぎる言葉を、母は気に止めなかったという。何故なら僕と同じ母子家庭で育った城下さんは、一日一回は必ず母にありがとうという言葉を忘れなかったから。城下さんの母に言われるがまま初めて城下さんの家のリビングに入ると、壁一面に、母への感謝の言葉と母の似顔絵が貼られてあった。一番最初は三歳、最後は今年の十八歳。母の日に書いたであろう、城下さんの母の笑顔が十六枚年齢順に並んでいた。
「優里、あなたの大切な人が来てくれたわよ」
 城下さんの母と共に、リビングの一画にある仏壇に手を合わせた。大切な人、という城下さんの母の言葉は、否定せずそっと心にしまった。線香の白い煙の先、九ヶ月ぶりに城下さんの顔をみた。
「守ってあげれなくて……私の、私のせいね、私がしっかりしてなかったから……」
 城下さんの母が、悔しそうにそう呟いた。城下さんの葬式から今日まで、何度この言葉を口にしたかわからないという。僕には、実の娘を亡くした城下さんの母と同じ悲しみを分かつことはできない。何も言えなくて、もどかしさだけが残った。
 城下さんの母は静かに腰を上げて、仏壇の中央に備えられている上質な木箱に触れた。
「優里の部屋にあったんだけど……もしかして、在川くんの?」
 城下さんの母が箱から取り出したものをみて、あの日の記憶がよみがえった。「TRUE LOVE」の全五巻。はい、といった僕の声は震えていたと思う。城下さんの母は、やっぱりそうだったのね、と一瞬微笑んだあと、返すの遅れてごめんなさいといったので、いいんです、そのまま優里さんの前に置いていてあげてくださいと応えた。
 そうだ、どうしても聞いておきたかったことがある。
「三巻のDVDの傷について、お母さんなにか知りませんか?」
 箱に一つずつDVDケースを戻していた城下さんの母の手が止まる。
「この傷は……」
 リビングの床に一滴の涙が音もなく落ちた。
「このDVDの傷は、きっと在川くんに気づいて欲しくて、優里がつけたんだと思う」
 城下さんの母が、絞るように言葉をゆっくりと紡ぎ出す。
「優里は最近……リストカットを繰り返していたの。風呂場で……うちの風呂場は磨りガラスだから、脱衣所からぼんやりと風呂の中にいる人の動きは見えるの。優里も当然周知している。私が気づいて注意しても毎回同じ時間に、同じ風呂場で……していたの。こんなこと言っちゃあ……馬鹿みたいだけど、なんで誰にも見つからない自分の部屋でやらないんだろうって思ってたの。でもね、でもわかったの。あの子、私が怒って全力で体で止めると、怯えてはいるの。手足が震えて怯えてはいるんだけどね……一瞬だけ……一瞬だけ安心した顔を見せるの。気づいてくれて、全力で止めてくれてありがとうって……言ってくれているように感じたの。寂しかったと思う……。このDVDの傷は、きっと在川くんに気づいて欲しくて、ナイフでつけたんだと思う。大切なDVDを、本当にごめんなさいね……」
 城下さんの母がいい終わる頃には、ずっとこらえていた涙が溢れ出て止まらなかった。城下さんの母が言う「ごめんなさい」が、あの日の城下さんの姿と重なって「謝らないでください」といった僕の声は、うまく声にならなかった。
 最後まで、何も城下さんのことをわかっていなかった。あの日城下さんは、僕に気づいて欲しかったのだ。それを城下さんならなんでも言ってくれるだろうと思って疑わなかった。城下さんからのサインを、ずっと一人そばにいた僕が気づけなかった。ずっと近くにいたのに。誰よりも近かったのに。情けない自分をどれほど後悔したって、あの日にはもう戻れない。
 僕たちはお互いに不器用だった。けれどドラマと違って、グッドエンドにはならなかった。
「引き篭もりになっちゃった優里と……それでも仲良くしてくれて、在川くん本当にありがとうね……味方になってくれてありがとうね……」
 目の前がぼやけて滲んだが、僕はまっすぐ城下さんの母の目をみていった。
「優里さんは……優里さんはこの間違った現実と戦って、それでも駄目で引き篭もりになった。勇気を持った引き篭もりだと思うんです。だから……だから優里さんの引き篭もりは悲観しないでください。皆が社会でうまく生きていけるわけじゃないです……僕は、優里さんを尊敬しています。優里さんの真っ直ぐな生き方を尊敬しています。そんな優里さんを最後まで愛したお母さんも尊敬しています。あと僕は、僕にとって優里さんは……特別な存在でした。世界でたった一人の……今はっきりとそう思います」
 どこまで伝わったのかはわからないけれど、きっと城下さんの母ならわかってくれたと思う。「優里、あんたは幸せだね……」と笑って再び仏壇を向いた城下さんの母の素朴な横顔と、仏壇にいる城下さんのいつもみていた笑顔が重なった。


 十一月二日の午後七時半過ぎに歩く通学路は、正面から自転車で通り過ぎてくる部活帰りの高校生の顔が、もうほとんど誰かを識別できないほど暗くなっていた。一ヶ月ほど前は沿道沿いの木々が紅葉を見せていたのに、今では木々についていた殆どの葉が、通い路に憚ることなく落ちていた。またその葉を、あなたはもう用無しと言わんばかりに、憚ることなく靴底や自転車で高校生が踏みつけているのを見ると、葉の一つ一つが惨いと思った。
 冬の到来に対抗するかのように、金木犀は未だ朧に形を成して秋の香りを残す。周辺の街灯や住宅から漏れ出す光に照らされ、黄色く光っている銀杏の葉を見ながら、もう後戻りはできないなと思った。一定のリズムで静かに後ろから体を吹き抜けていく風が、少し冷たい。自分以外誰もいない通学路には、もう冬が近いと感じるこの澄んだ空気と、静寂さを邪魔する要因は何もなかった。
「城下さん」
 そう金木犀に話しかけるように口に出すと、自然とまた目に涙が溜まってきた。寄り添うように空に向かって伸びている細い花軸の数々が、頼りなさそうに風に揺れている。
 金木犀の花言葉の一つに「初恋」があることを、最近知った。この癖のある甘い香りも今では愛おしく感じる。
 その香りに溺れていくように、意識はだんだんと薄くなっていった。意識がすっかりと切れてなくなるまで、呆れるほど城下さんの名前を何回も呼んでいた気がする。




「朝からうるさいなぁ」
 ぼやけていた視界がはっきりとしてきた。目の前には、田舎町を感じさせる簡素な高校周辺の景色が広がっていた。少し遠くに目を向けると、自宅近辺もみえる。次に足元に目
線を落とすと、校内を埋め尽くすほどたくさんの人々で溢れかえっていた。どうやってここまでたどり着いたのか、寝惚けていたので覚えてはいないが、城下さんが僕をここまで連れてきたのだとしたら納得ができた。 
 ここから見える二百ほどの顔はぼんやりとしか見えないが、皆一ようにこちらを怪訝な表情で見上げて、各々が躍起になって叫んでいる。
「在川やめろ」
「在川、早く降りてこい!」
「在川、何やってるんだ」
「在川、早まるな」
 これほど自分の名前が呼ばれた日は二度としてない。その中に吉川や沖の姿も見えた。最期まで癪に障る。だがもうどうでもいいのだ。もう沖や吉川がつくる嘘八百の顔も見なくてよくなるから清々とする。こんな期待も希望も持てない現実から数分後におさらばできる。
 皆が叫ぶ言葉の中には魂がこもっていない。ここにいる大多数の人間の中で、僕のことを、僕の命を必要としている人は何人いるだろうか。一人もいないのである。生徒は修了式や卒業式まで残り数ヶ月という中で、高校生活の楽しい思い出に純粋に傷を付けたくないから僕に死んでほしくないと思っている。先生はというと、つまらない体裁と自分の立場を守る為に必死になっているだけだ。既に生徒の一人を守れていない時点で、大事にする外面(そとづら)などあるのだろうかと問いたい。
 母さん、先立つ不幸を許してね。僕は母さんの望むような立派な人間にはなれなかった。普通に友達と仲良くして、普通に恋人を作って、普通に楽しい学校生活を送る。そんな普通が僕にはできなかった。そして最期の最期まで親不孝でごめんよ。今まで素直になれなかったけど、毎日食卓に並ぶご飯はどれも美味しかった。毎年の餅つきも楽しかった。何
気ない会話の一つ一つが当たり前じゃなかったって今は思うよ。たった一人の僕の家族。ありがとう。さよなら。
 城下さん、もうすぐ会えるよ。元気にしている? きっと僕たちはこの世界に間違って産まれてきたんだと思う。来世はどんな世界かわからないけど、もしも僕たちにとって住みやすい社会だったらいいね。でも、たとえどんな世界でもまた二人出逢って、思い出の続きを作ろう。今は途中で途切れちゃっているけれど、僕たちの明るい未来はもうすぐ動き出すんだから。もう失敗はしないよ。もう城下さんを悲しませたりはしない。だってどんな時でもそばにいるって決めたから。あ、後ドラマの試写会また絶対抽選当てるから、今度は一緒に行こう。僕たちは独りじゃない。待っててね。
「ゆう、何してんのよ!」
 僕しかいないはずの屋上で、確かに僕の耳元に響く声が聞こえてきて、それと同時に体が後ろに仰け反った。屋上のアスファルトに背中から叩きつけられて、予想よりも早く体に痛みが走った。視界に母の顔が見えたことで生きていることを実感した。
「昨日あなたが家に帰ってこないから心配して夜通し探していたら、朝に学校から連絡があって。こんなところで何してるのよ!」
 久しぶりに母の声をちゃんと聞いた。城下さんを失った悲しさから、二週間母とは碌に口を利いていない。
「城下さんに会いに行くんだよ」
 そう告げた途端、先ほどまで息を切らしていた母は呼吸が止まったように口をぽかんと開け、動かなくなった。母に対して後悔の念ばかりが残るが、僕の言葉の言わんとすることをわかってほしい。たった一人の理解者である僕の家族として。
「あなたのいう城下さんて、誰なのよ」
 此の期に及んでまだこの母親は僕を茶化そうとしているのか。それか、この状況でも明確に説明しないと単純にわかってもらえないらしい。
「だから会いに行くんだよ、先月旅立った同級生の城下優里さんの元に。母さんにも城下さんのことは少し言ってただろ。大切な、大切な僕の生き甲斐だったんだ。そんな人がこの世からいなくなったんだよ」
 唇を震わせながら、吐き捨てるようにそう母に言った後で、何故か今になって先ほどの母の言葉に違和感を感じてきた。母はやはりこちらを惚けた目で見ている。
「だから城下さんって誰よ」
「だから同じクラスの……」
 途中で言葉に詰まった。自分の発する言葉の一つ一つが無意味な単語の羅列に感じた。
そしてその後母から返ってくる言葉の全てを、心の中で輪唱しているように感じた。途中からどちらが追いかけているのかはわからなくなった。
「何を言ってるの、あなた高校一年の今ぐらいの時期から徐々に不登校になっていったじゃない。ずっと部屋に篭ってて、部屋の前まで行くと「城下さん」「城下さん」って声が聞こえるから、誰なんだろうってずっと思ってたのよ」
「え……」
「高校に問い合わせても名簿にそんな苗字の人は居ませんという返事だったのよ。近所にも”城下”なんていないし」
「うるさいっ! 黙れ」
 僕は自分の耳に入ってくる母の声を、黙れ、黙れと繰り返すことで遮ろうとした。何を信じていいのか。例えわかったとしても今の僕には受け入れることはできなかった。
「ゆう、城下さんはいないの。いい加減目を覚ましてよ!」
「違う、目を覚ますのは母さんの方だ。城下さんだけが……城下さんだけが僕を分かってくれる!」
 もう、戻れないんだ。
「お願いだから……お願いだから現実を生きてよ、ゆう!」
 目の前で泣き崩れる母を置き去りに、再び屋上の縁を目指して歩みを進める。見上げた先にはどこまでも澄んだ秋空が広がっている。陽光で光り輝いたその水色があまりにも綺麗で、目を伏せたくなるほど眩しかった。

(了)

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