異世界歩きはまだ早い

a little

第7話 師匠の過去 前編

 「ねぇ、見てダン。協会から新しい制服もらっちゃった! 似合うかな?」
 
 深緑色の外套は衛生騎士ファーストヒーラーにのみ与えられた特別な衣装。彼女に合わせて作られたオーダーメイドの制服が似合わないはずが無い。
 
 ただ、その制服を着ると云うことは彼女がファーストヒーラーとして戦場に赴くことを意味する。出来ることならその姿は何度も見たくない。
 
 「ねぇ、ダン。聞いてた?」
 
 彼女が眉を寄せながら顔を覗き込んでくる。
 
 「あ、ああ。……似合ってる。似合ってると思うぞ。」
 
 戦場について行くことの出来ない俺は、せめて彼女の夫として、心の支えでありたかった。
 その思いから彼女に協力出来ることはないかと訊くと、出来ることなら冒険者を辞めて欲しいと頼まれた。
 
 帰るべき場所に信じて待ってくれる人が居ることがなによりの支えになると言われたが、単純に俺の身を案じての事だろう。
 彼女とパーティを組んでいた時はケガも絶えなかった男だ。心配されても仕方ないと割り切って、冒険者家業は一度休業することにした。
 
 幸いなことに妻がファーストヒーラーに選ばれてから、レイティア家からの支援が増えた。領地や屋敷、メイドなんかを貰えた上に協会からは余りある程の報酬金が出ていたもんだから、帰りを待つ時間はたんまりあった。
 
 そうして妻は初仕事を終え、戦場から生きて帰ってきた。
 自分の傷すら満足に治せないほど疲弊しきった姿で。
 
 「ヒナッ……!」
 
 出立前とは打って変わって覇気のない顔を見せる妻に駆け寄る。
 それに続いてメイド達も。
 
 「奥様っ! そのケガはどうなされたのですか!」
 「心配しなくても大丈夫……たくさんの命を、助けてきたから。」
 
 その笑顔は強がりだとすぐにわかった。
 彼女ヒナは救えた多くの生命より、救えなかった一のことを悔やむ慈愛に満ちた人だからだ。きっと奥歯を噛み締めてるに違いない。
 
 その夜、共に寝る寝室で彼女は嘆いた。
 
 「ダン。私、正しいこと出来てるのかな? 人を助ける為に戦ってるのに、たくさんの人を殺しながら見殺しにした。正義が……分からなくなっちゃった……。」
 「分からないなら逃げてもいい。ヒナが正しいと思えることなら、俺はどこまででもついて行くし協力する。」
 「……うん。」
 
 こんな生活が続けばヒナは身も心も持たない。
 
 どんなに庭が大きかろうと、どんなに沢山のメイドが仕えていようとヒナが死んでしまったら意味が無い。だから、彼女には内緒で冒険者に戻ることを俺は選んだ。
 
 

 最初に始めたのは情報収集だ。
 頼れる友人の多かった俺は最大限のコネを使い、有能な情報屋から近々起きる戦争の情報を仕入れた。
 
 その情報を元に、次にヒナが赴くであろう地域を割り出し更なるコネを使って、その戦争にいち兵士として紛れ込む。
 
 かなり強引な方法だったが意外とどうにかなった。
 年に二回ほどのペースで戦場に向かう彼女に、バレないように近づくことも出来た。
 
 ヒナと共に最前線で戦えることの喜びや安心感はあったが、一度も会えないことや、バレそうになったことや、時には敵側として最前線で鉢合うこともあった。
 
 

 ヒナは戦の招集がかかると決まって庭の手入れをする癖がある。
 悪いことじゃないが庭はそれなりに広く、メイドが幾ら止めてようとも自分でやると言って聞かなくなる。
 その日が来ると決まって俺は酒場に出掛ける。
 
 ヒナが寝たのを確認し屋敷を出る。
 メイド達にもこの事は伝えていない。屋敷の裏口からそっと出て酒場に向かう。
 
 賑わいを見せる酒場に着くと、頼りになる情報屋の女が三人の男と呑んでいた。俺が同じテーブルにつくと男達は何処かに行ってしまった。おそらく関係者なのだろう。
 
 「招集がかかった。先ずは有力な地域を教えてくれ。」
 「もう時期、大規模なのが起きるわ。」
 「なんだ。」
 
 女は一枚の折り畳んだ紙をテーブルに置いた。
 
 「ここじゃ話せねぇほどか。」
 
 紙には時間と場所が指定してある。話し合いはその時に。ということだ。
 
 用が無くなった俺が立ち去ろうとすると、女が声を掛けてきた。
 
 「とりあえず飲みましょう。酒場に来て何も飲まないのは勿体ないわ。」
 
 声は穏やかだが、察しろという目を向けてくる。
 確かに酒場に来て何もせず帰るのは怪しい。
 
 俺はエールを一杯頼み、それを飲み終わるまで女と取り留めのない会話を続けた。
 
 それなりの時間が過ぎその場に馴染んできたタイミングで、後ろから肩を掴まれた。
 
 「おい。テメェ、ダットリーだろ?」
 
 俺よりも背の高い男。年季の入った鎧をみれば冒険者であることは分かる。筋骨隆々とした身体つきを見ればかなり腕の立つ者だと思える。
 
 「ん、どこかで会ったか?」
 
 その質問に突如、鬼のような形相を見せた男が勢い良く殴りかかってきた。突然のことに反応出来ず、抉られるような感覚が顔面を襲う。
 
 気付いたときには吹き飛ばれていて、口の中に鉄の味が広がった。
 
 「テメェ……どういうつもりだぁ! オラ立てよ!」
 
 静まり返る酒場の中心で俺は男に胸ぐらを掴まれ強制的に立たされた。
 この男のブチ切れポイントが分からない。
 酔っている感じはない。覚えていないことがそんなに気に食わないのか。
 
 「なんのつもりだ。」
 「それはこっちのセリフだっ……! あいつはヒーラーになる事を恐れていた……なのに、どうしてあいつを戦場に行かせたッ! 答えろォ!!」
 
 ──思い出した。
 この男はヒナが冒険者をやっていた頃のパーティーメンバーの一人だ。確かヴロードだったか。個々が強いパーティーだ。
 よく見れば後ろに勢揃いしている。
 
 軽蔑の眼差しを痛いほど感じる。向けたれば勝手にすればいい。
 
 どこでヒナがヒーラーを始めたことを知ったのかは知らないが、面倒なので言ってやらねばならない。
 
 「……あいつの意思だ。」
 「あ?」
 「あいつが、自分から望んでやっている事だ。それを止める権利は誰にもねぇよ。」
 「自分の女が死ぬかも知んねぇんだぞ……? 止めんのが普通だろぉがッ!!!」
 
 嘘は言っていない。
 だが、男は更に怒り今にも殴りに来そうだ。
 知った風な連中が一番メンドくさい。
 
 「待ちなさい!」
 
 後ろで見ていた男の仲間の一人、これまた見覚えのある正義感の強そうな女がやって来た。こいつは覚えている、サマンシアだ。
 
 「アンタが言ってることは多分、嘘じゃないのでしょうね。」
 「なっ……! サマンシア、テメェこの野郎の肩持つのかよ!」
 「あの子が一度言い出したら聞かないのはあんたも知ってるでしょ?」
 「確かに、そうだが……。」
 「この男があの子の意思を尊重してくれたと信じたいの私は。」
 
 男が諦めたようにゆっくりと手を離した。
 なんでもいいが、殴った方が被害者面するのはやめてほしい。
 
 「ただ、ひとつ聞かせて。」
 
 面倒な女は返事も待たずに勝手に訊(たず)ねてくる。
 
 「あの子の事を考えてあげられるなら、こんな所で油なんか売らずに信じて待ってあげられなかったのかしら?」
 「……それは出来ない。」
 「あいつには戦場に行かせて、自分は女と酒を飲むのか。クズだな、テメェ。」
 
 男は怒りも通り越した眼差しを向けてくる。
 
 一言足りなかった。だから、誤解して伝わっていることは分かっている。
 たまたま情報屋の女と飲んでいた所を見られたようだが、酒や女に逃げたい気持ちは一切無い。
 そんな気持ちになっていればとっくにメイド達に手を出している。
 
 俺が伝えたかったのはもしもがあった時、家にいて何も出来なかったでは必ず後悔することになる。だから“それは出来ない”ということだ。
 
 だが誤解を解く気にもならない。何も知らない連中にいちいち説明する気なんか起きない。どうせこいつらは俺から離れられないしする必要もない。
 それよりも、だ。
 
 「テメェみたいな男にあいつを託したのは間違いだった────」
 「は? なんだよそれ……俺には、酒を飲む自由も女と話す自由もねぇってのか。やりたい事しちゃいけねぇのか……? お前達にあれこれ指図されなきゃならならねぇのかよ? ヒナのこと考えてんのは……お前達だけじゃねぇんだよッ! あいつの為になろうとしてる俺のことは誰も分かってくんねぇ……これでも頑張ったんだ……あいつがヒーラーになる事を選んだ時、俺は何度だって止めようとした……何度もだっ……! でも、一度決めたら何を言おうが絶対に意思を貫き通すのがヒナだ……危険な事だって言われなくても分かってんだよッ! でも、任せるしかなかった……あいつのことを考えて、考え抜いた結果だ……俺があいつのことを考えてないとでも思ったか? 何度も何度も最愛の人を戦場に送り出す俺の気持ちがお前達に分かるのか……? 好きでもない神に祈り続けて、帰りを待っているだけの俺の気持ちが分かんのか……? 傷だらけで帰ってくるあいつに、何もしてやれない俺の気持ちがテメェらに分かんのかよォォォッッ……!!! ……分かんねぇだろ、わかんねぇよな。あいつを想う奴はたくさんいても、俺の気持ちを考えるやつなんて、一人もいねぇんだから。」
 
 ──そうだ、やっと気付いた。
 誰も居ないんだ、誰も。
 
 俺のことを大切に思ってくれる人間ならこの世に一人だけ存在する。でも、辛さを理解してくれる者は一人も存在しない。
 
 ──ばからしい。俺はヒナを一番に考え行動する自分を、誰かに知ってもらいたかったんだ。
 少しでもいいから他人に理解して欲しかった。だから努力してた。それはきっと、誰でもない自分自身の為に。
 
 ──誰かに頑張りを認めてもらいたい。誰かに辛さを知ってもらいたい。そんな弱さからヒナがヒーラーを始めた情報を俺が無意識に漏らしてしまったのかもしれない。
 俺がしてきたこと全てが、結局は俺の為だったんだ。
 
 俺は一連の流れを見ていた情報屋の女の元へ向かい、密会の予定をキャンセルした。
 
 
 
 外は雨が降っていた。
 
 
 
 いつから降り始めたのかは知らないが急いで帰る気にはなれない。
 
 
 
 「旦那様……! 帰りが遅いので心配しておりました。」
 
 俺が屋敷を抜け出していたことに気付いていたのか、メイドが恭(うやうや)しくも一人で俺の帰りを待っていた。
 
 ふかふかのタオルを持ってきた彼女も俺と変わらないくらい濡れていた。
 
 「外で待っていたのか?」
 「奥様に令状が届けられた日には、旦那様は決まって夜の街にお出かけになります。」
 「知ってたのか。」
 「ほかの者はおそらく知りません。さぁこちらへ。」
 
 メイドは俺に気を使ったのか、エントランスではなく少し離れたゲストルームに案内した。
 
 「旦那様、お召し物を失礼します。」
 「ああ。」
 
 窓に雨のぶつかる音が聴こえる部屋で俺は服を脱ぎ身体を拭いてもらう。
 
 メイドはずぶ濡れの自分を差し置いて、俺に尽くしてくれている。妻と同じかそれより若い見た目をしているがよく気が回る。
 
 「アンタもそのままだと風邪引くぞ。」
 「大丈夫です。私にとっては旦那様が風邪を引かれる方が心配ですからっ」
 
 そう言ってあどけない笑顔をみせる。
 
 「奥様のことが心配なのは分かりますが、もう少し、自分のことも大切にしてください。」
 
 今度は悲しそうな顔をする。
 
 ──そうか。
 たとえ主とメイドの関係であっても、俺のことを分かろうとしてくれる人はいる。
 理解を示してくれそうな人はこんなにも近くにいたのか。
 
 「旦那様……?」
 
 気付けば彼女をベッドに押し倒していた。
 
 「いけませんっ……! 奥様にこの事が知れたら……」
 「アンタは……俺を理解してくれるのか? さっきは分かっているようなこと言ってたが、俺の気持ちが分かるのか?」
 「いえ、私には分かりません……でも、知りたいです……旦那様の、お気持ちを理解したいと思ってしまいます……。」
 
 身を捩(よじ)りながら彼女が熱っぽい視線を向けてくる。
 
 ──なんだ。
 俺の行動を把握していたのは心配していたからとか言っておきながらこの態度か。
 この子は悪い子だ。
 
 あいつは自分のやりたい事の為にファーストヒーラーになった。だったら俺も一つくらい好きなようにやらせてもらう。
 
 もう戦場に行く気も何もかも失せた。だからと言って家にいてもやりたい事なんてない。
 
 だったらあいつが帰ってくるまでの、せいぜい暇つぶしくらいに相手してやる。
 そう思いながら、自分の弱さを忘れたくて彼女を貪った。
 
 
 
 
 

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