異世界歩きはまだ早い
長期クエスト⑩
────同時刻、魔女の庵。
痺れを切らしたように工房から "ニセモノの魔女" が出てきた。
彼女は静かに苛立っていた。普段であれば外で何があろうとも気にもとめない彼女だが、何度も響く怒号と地響きにいい加減耐えかね出てきたのだ。
「全く、どこのどいつよ。暴れるのは勝手だけど、せめて余所でやってくれないかしら。大切な書類と大切じゃない書類が混ざってしまったらどうしてくれ……る、のよ…。」
彼女は足元に落ちた大きな影を追うように見上げた。見上げてしまった。
何かが落ちてくる。何かは把握できないが、落ちてきているのは理解できる。
自分の上に倒れ込んでくる物体がドラゴンの後頭部であるとは夢にも思わないだろう。
それでも"ニセモノの魔女"は自分の死を悟った。
──どうやら私は、ここまでのようね。
彼女は、研究者としての真っ当な理念からあっさりと死の運命を受け入れた。
先人達から受け継いだ研究技術や知識、それらを未来の研究者達に引き継ぐ為に彼女は日々邁進してきた。
幸か不幸か彼女には研究者としての才があった。
結果として人より多くの技術革新を産み、研究に基づいた新たな発見をしてきたことで周りの研究者からは疎まれる存在となった。そんな事もあり人間関係にほとほと疲れ果てた彼女は、人は滅多に足を踏み入れない迷いの森に骨をうずめるつもりで庵を構えた訳だが────事実として、自分の残してきたモノが次の世代に受け継がれれば何時何時いつなんどき死したとしても後悔は無かった。
──故にこれは、一人の女子としての独白である。
「ああ、一度でいいからチューしてみたかったなぁ……。」
──────────────────────
やる気、集中力、体力、思考、あらゆるものが削ぎ落とされ、鼻血を出すだけの人形と化していた喜久嶺きくみね珖代は、蝦藤えびとうかなみに救われ落下死を免れた。
かなみは珖代を木の幹にもたれさせ休ませたあと、謝罪を述べてから急いで倒れゆくドラゴンのもとに向かった。しかし自分に出来ることを冷静に考え出した彼女は、一か八かでドラゴンの対処に当たるよりも、森の消火活動にあたることが確実だと気付き、目的を切り替えた。
竜が倒れる────。
体長が二百~二五〇メートルほどの黒いドラゴンがゆっくりと背中から倒れゆく。
大きな影に隠された薫と中島がその背中に呑まれるのも時間の問題でしかない。
「中島さん、少し、伏せていてください。」
「……ひ、ひい~! 」
中島茂茂しげしげは言われるがままに伏せて、頭を抱ながら蹲うずくった。素早い行動ではあったが、全身が小刻みに震えている。逃げることも叶わず、圧死させられる未来が見えていたなら当然であっただろう。
だが、蝦藤 薫かおりは諦めない。
震える身体に精神のムチを打ち、天に拳を掲げ────置いた。
┠ 自動反撃オートカウンター ┨それは、いついかなる時も反撃に転じる小業にして究極奥義。
薫の狙う打開策であり、唯一の対抗手段。
カウンターとは本来、どの流派においても "後の先" であることが好ましいとされる型である。相手の繰り出した手を確認し、それに合わせた最も最善の手で返す。いうならば、後出しジャンケンによく似ている。
しかし、仕掛けた相手に合わせ自らの手をさらけ出す薫のやり方は "後の先" ではなく "先の後" に通ずる。
つまり、その型カウンターは常識を逸脱していたのである。
たとえ寝ていたとしても発動するスキルであることは、隣で寝た経験のある珖代が知っていたりする。好奇心と己が欲求に負け、おっぱいにタッチしようとした憐れな男の末路は今は置いておこう。
倒れゆくドラゴンの背中が、どこよりも先に薫の拳に触れる。
薫の拳は鉄の槍をも砕く硬い鎧を、一切動じることなく一手に引き受けた。
三千年級ドラゴンの全体重が一人の人間に重くしかかる。
その衝撃の凄さを物語るように、薫の膝辺りまでが一瞬のうちに地面に埋まり、そこを中心とした大地に大きな亀裂が走った。
拳の一点でのみで支えられる黒い鱗は、薫の腕に沿うようにべコンと凹んでいく。
鱗、皮膚、肉、が大きく波打つように揺れ、ドラゴンの全身に幾つもの衝撃が波紋となって広がりを見せる。鋭い衝撃はドラゴンの背中から全身に駆け巡り突き抜けた。
一点突破の衝撃によりドラゴンは起きあがりこぼしのように、スっと元の位置に戻った。
森の動物達も遠くへ避難していたこともあり、その瞬間はやけに静まり返る。静寂。
その静寂さが嵐の前の静けさであったことを告げるかのように、ドラゴンはゆっくりとその巨体を反対側に倒していく。
反対側、つまり倒れ込む真正面には、攻撃を決めて満足気に鼻を鳴らすリズニアの姿があった────が、こちらへ倒れてくるドラゴンに対し
「ぎゃーーーーーーーぁ!!」
と言う声を上げながら慌てふためき、なす術なく下敷きにされた。
全長二百~二五〇メートルからなる粛征竜の血統種は、今日の爆音と被害を生み出した。森の半分を破壊したのだ。しかしそれは同時に終焉の合図でもあった。
潰された女神を除いて皆が、決着が着いたことを肌で理解した。
珖代は僅かに残る意識で、乾いた鼻血を拭きながら一部始終を目撃していた為、益々混乱をきたしている。それでも終わったと安堵した。
ドラゴンにかけられた威圧が解け、既にかなりの時間が経過している。それにも関わらず、ドラゴンは指先一つ動かさない。否、動かすことが出来ない。息をするのがやっとの状態だったからだ。
消火活動に専念するかなみとセバス、瀕死状態であるとこを確認する薫と商人、放心状態の珖代。それらを差し置いて、トドメを刺す為にあの男がドラゴンの喉元へやって来た。
薄汚れたスーツにお世辞にも決らないネクタイ、それらを完璧に着こなす覇気の無い顔と黒髪に束で混じった白髪の男────中島である。
喉元には竜の弱点でもある逆鱗が存在する。その事実は作戦開始前よりリズニアから伝えられていた為、中島は光沢のある鱗の光の反射の違いで、逆鱗の位置を確認した。
あとは事前に用意していた剣を取り出し喉元を突き刺すだけだった。だが、中島は震えていた。
召喚石獲得の有無は、最後にトドメを刺した者の運に関わる。その為、┠ 天佑 ┨を持つ中島がトドメ役に選ばれた。しかし、皆が命を張って紡いだこの瞬間に全てがかかっているという事実が、中島を "重圧" と "責任" の檻に押し込んだ。
男には運以外にも危機感が足りていなかった。リストラされた事を家族に黙っていてもそのうちどうにかなるだろうと思っていたほどに、危機感が足りていなかった。
大事なことから逃げ続けた男は、どこの世界に行っても変わらず逃げ続ける。中島は今になって逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「おじさん、その役目、ボクにやらせてくれないか?」
そんな男に救いの声が掛かった。思いがけない幸運。┠ 天佑 ┨なるスキルが働いたのだと見ていい。でなければ男の成長にも繋がらない、つまらないシナリオ筋書きだ。
「キミは……。」
そこに居たのはドラゴンと暮らしていた少年だった。居るはずのない少年の登場に中島は目を丸くした。
少年は森で起きている異変に気付き、胸騒ぎを覚えてここへやって来た。それが┠ 天佑 ┨によるものか、はたまた少年とドラゴンが起こした〝奇跡〟なのかは誰にも分からない。
「お願い。ボクがしっかりと決着を着ける。だから、その剣を貸して欲しいんだ。」
「だけど、あのドラゴンはキミにとって…………分かった。キミに渡そう。」
中島は、少年の真っ直ぐな瞳に可能性を見た。┠ 目利き ┨による直感に等しいものであったが、何より自分の中の不安が解消しきれていなかったのが大きかった。
┠ 天佑 ┨それは、中島にとって常に発動してくれている反則級能力。とはいなかった。
常に幸運状態、あるいは任意のタイミングで発動できるような能力であれば、そもそも荒野に放置され三日間さ迷った挙句、魔物の大群に襲われることなどまずありえない。
────奇跡的なタイミングで珖代さん達に助けてもらったのはスキルがあったおかげだ。そして今も。少年が奇跡的なタイミングで困っている私に手を差し伸べてくれた。例え彼が私の為に、差し伸べてきた手では無かったとしても構わない。┠ 天佑 ┨さまさまだ。誰かが手を差し伸べるなんて、生前の私ではまずありえないことだからね。
中島は今までの経験から┠ 天佑 ┨が思いがけない幸運を呼び込むモノだと判断した。
召喚石の入手確率は、最後に倒した人の運で決まる。作為的に幸運に頼ろうとしている時点で、┠ 天佑 ┨が発動しない可能性があるのでないだろうか。そう考えたから少年に剣を託した。
「ペリー、ボクが終らせてあげるからね……。」
ペリー。そう呼ばれたドラゴンは薄らと重い瞼まぶたを開けた。何をする訳でもなく、ただ少年を見下ろしている。
少年は5歳の頃に森で小さな竜を拾って以来、弟のように可愛がってきた。ドラゴンであるペリーが自分より長生きするのは分かっている。それでも、自分が死んだあとにペリーが暴走し、ハジュンのように死んでいくと思うと耐えられなかった。
少年は知っていたのだ。ペリーが粛征竜の血統を持つドラゴンであることを。ハジュンの伝説を。
だから森に逃がすのでは無く、最後は自分の手で。出来ることならばそうしたいと心の内に秘めていたのだ。
少年は逆鱗を剥がすように持ち上げると、空いた隙間に剣を突き刺した。
そこに躊躇は無かった。
「ペリー、さっきは言いそびれちゃったんだけど……ボクにとってキミは……かけがえのない家族だ。そして、これからもだ。だから……安心してくれて、いいんだ。いいんだよ。」
ペリーはその言葉を聞き届けると、ゆっくりと目を閉じ、徐々に砂となって風に消えてしまった。
その砂は光に照らされ、ひと粒ひと粒が青く輝きを放つ。
光の奔流が淡く世界に溶けだし混ざりあう。
空に残された小さな天の川も、やがて消え入る。
少年は最後のひと粒が消えるまで天を見つ続けた。
大事な家族を見送るように。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
竜の腹に押しつぶされてぺしゃんこになった元女神の頭に拳大サイズの重い何かが落ちて来る。
ゴンッという衝撃と共にリズニアが意識を取り出し起き上がる。
信じられないことに、リズニアは押し潰されたにも関わらず無傷であった。流石、鬼耐久。
「うわぇっ! で、出ましたぁ! 出ましたよっ! 召喚石です!」
リズニアの驚く声に皆が集まった。
「リズ、見せてくれ。」
興奮状態が抑えられないリズニアから、大きなクリスタルを珖代は受け取った。
光に反射し、幾層もの色を輝かせる美しい結晶。それこそが元女神にぶつかった物の正体だ。珖代はそれを吟味したあと、かなみに渡しこう言った。
「かなみちゃん、これをあの子に。頼めるかい?」
多くを聞かずとも、かなみには珖代の伝えようとする思いを理解できた。
「うん……。わかった。」
少し名残惜しい気持ちもあった。それでも、召喚石は持つべき主に渡す方が正しいと、かなみは少年の元に向かった。
「ちょっ! 何考えてるんですか!」
「まあ落ち着け。」
かなみの様子から、事態を大まかに察知したリズニアが歩き出すが、珖代は遮って止めた。
少し離れた場所で、少年に召喚石の説明をするかなみ。少年は真剣な顔でそれを聞いている。
「あれは私達が、命懸けで取った召喚石じゃないですかっ! それなのになんであげちゃうんですか!?」
リズニアの怒りの矛先は珖代に向いた。
「あの召喚石は俺達のじゃなくてあの子の、ものだからだっ。」
「じゃあ、何のためにあそこまで戦ったんですか! 戦い損じゃないですか!」
リズニアの怒りはあながち間違っていなかった。寧ろ召喚石を手に入れるという名目の戦闘であった為、珖代には正論にも思えてならない。
「これ以上しつこく言うつもりなら、この辺に落ちてる木々全部、口にぶち込んで塞いでやろうか……?」
言い訳も思い付かないので、かるーく脅す。
「唇塞ぎたいならキスの方が手っ取り早いですよ。うーー……うっ!」
珖代は唇をつまんで黙らせることにした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「──そう。あとは、出てきて欲しいと強く願えば現れてくれるハズだよ。」
「ああ、やってみる。」
少年は全ての説明をしっかりと聞き終えたあと、教えてもらった手順に沿いクリスタルを両手でしっかりと握りしめた。そして強く願う。
かなみが教えたのは叡智によって知った召喚方法の一つだ。少年は説明に従い行動したが、召喚石に特に変わった変化は起きない。しかし、頭上から聞き覚えのある声が響いた。
「ペイィーー!!」
少年は問い掛けた。キミはペリーなのかと。すると、肩乗りサイズの仔竜は肯定するように擦り寄ってきた。
「あはは。くすぐったいよペリー! お前、出会った頃より小さくなっちゃったんじゃないか? あはは!」
「ぺイィー!」
少年と竜は周りも気にせずじゃれ合った。かなみにはその光景が本当の兄弟のように、輝いて見えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方その頃、森の庵。
間一髪の所で、潰されずに済んだ"工房の魔女"はじーっと森を眺めていた。
甚大な被害を受けた森は、折れた木々のほとんどを回収したかなみの手によって一部がぽっかりと禿げてしまっている。
二度の竜による転倒の爪痕は、偶然にも魔女の庵から村までを繋ぐ、大きな道を作ってしまった。
「うん。村に行きやすくなったと考えましょう……。」
魔女はポジティブに考える事にした。半分、現実逃避に近いものもあったが、そのまま工房へと戻っていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
夕方。オレンジ色の光が世界を薄く染め上げる。
村は、やって来た初日のように喧騒で溢れていた。しかし、それはいい意味ではなかった。
鍬くわやら斧やらを持った村人達が珖代達を鬼の形相で追いかけてくる。
勿論そうなれば馬車に乗って逃げる訳だが、村人の怒りにも理由はある。
曲芸旅団だと思って歓迎したらその実、森林盗伐とうばつを目的とした賊であったと勘違いしているからだ。
珖代達が原因で森の一部が消し飛んでしまったのは変えようの無い事実である。故に捕まる前に逃げることを選んだのだ。
たくさんの村人達に追いかけられながら珖代達は村を脱出出る。
耕具を振りかざす人々が馬車から見えなくなった頃、一人の少年が森から現れた。あの竜と暮らす少年だ。
他に人が居ないか確認し、商人が馬車を止める。すると少年は皆の名前を教えて欲しいと頼みにきた。そこでかなみが丁寧に一人ずつの名前を教えていく。
今度は同じようにして少年に名前を聞く。
「ボクはドゥス。クローフ・ドゥス。でこいつがペリーだよ。かなみ、しげしげ、こうだい、かおり、リズニア、ありがとう! またいつかこの村に遊びに来て欲しい。 」
「もちろんですよ。ねぇこうだい。」
かなみの翻訳によって聞いていた珖代がリズニアの質問に答える。
「ああ、また来るよ。」
少年はその言葉をリズニアづてに聞いて笑顔になった。
馬車は再び走り始める。
ドゥスは大きく手を振り、ペリーはそれを真似するかのように空中で旋回した。
後に剣聖レクムの右腕となる竜騎兵ドラグーンとその竜は、馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。
痺れを切らしたように工房から "ニセモノの魔女" が出てきた。
彼女は静かに苛立っていた。普段であれば外で何があろうとも気にもとめない彼女だが、何度も響く怒号と地響きにいい加減耐えかね出てきたのだ。
「全く、どこのどいつよ。暴れるのは勝手だけど、せめて余所でやってくれないかしら。大切な書類と大切じゃない書類が混ざってしまったらどうしてくれ……る、のよ…。」
彼女は足元に落ちた大きな影を追うように見上げた。見上げてしまった。
何かが落ちてくる。何かは把握できないが、落ちてきているのは理解できる。
自分の上に倒れ込んでくる物体がドラゴンの後頭部であるとは夢にも思わないだろう。
それでも"ニセモノの魔女"は自分の死を悟った。
──どうやら私は、ここまでのようね。
彼女は、研究者としての真っ当な理念からあっさりと死の運命を受け入れた。
先人達から受け継いだ研究技術や知識、それらを未来の研究者達に引き継ぐ為に彼女は日々邁進してきた。
幸か不幸か彼女には研究者としての才があった。
結果として人より多くの技術革新を産み、研究に基づいた新たな発見をしてきたことで周りの研究者からは疎まれる存在となった。そんな事もあり人間関係にほとほと疲れ果てた彼女は、人は滅多に足を踏み入れない迷いの森に骨をうずめるつもりで庵を構えた訳だが────事実として、自分の残してきたモノが次の世代に受け継がれれば何時何時いつなんどき死したとしても後悔は無かった。
──故にこれは、一人の女子としての独白である。
「ああ、一度でいいからチューしてみたかったなぁ……。」
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やる気、集中力、体力、思考、あらゆるものが削ぎ落とされ、鼻血を出すだけの人形と化していた喜久嶺きくみね珖代は、蝦藤えびとうかなみに救われ落下死を免れた。
かなみは珖代を木の幹にもたれさせ休ませたあと、謝罪を述べてから急いで倒れゆくドラゴンのもとに向かった。しかし自分に出来ることを冷静に考え出した彼女は、一か八かでドラゴンの対処に当たるよりも、森の消火活動にあたることが確実だと気付き、目的を切り替えた。
竜が倒れる────。
体長が二百~二五〇メートルほどの黒いドラゴンがゆっくりと背中から倒れゆく。
大きな影に隠された薫と中島がその背中に呑まれるのも時間の問題でしかない。
「中島さん、少し、伏せていてください。」
「……ひ、ひい~! 」
中島茂茂しげしげは言われるがままに伏せて、頭を抱ながら蹲うずくった。素早い行動ではあったが、全身が小刻みに震えている。逃げることも叶わず、圧死させられる未来が見えていたなら当然であっただろう。
だが、蝦藤 薫かおりは諦めない。
震える身体に精神のムチを打ち、天に拳を掲げ────置いた。
┠ 自動反撃オートカウンター ┨それは、いついかなる時も反撃に転じる小業にして究極奥義。
薫の狙う打開策であり、唯一の対抗手段。
カウンターとは本来、どの流派においても "後の先" であることが好ましいとされる型である。相手の繰り出した手を確認し、それに合わせた最も最善の手で返す。いうならば、後出しジャンケンによく似ている。
しかし、仕掛けた相手に合わせ自らの手をさらけ出す薫のやり方は "後の先" ではなく "先の後" に通ずる。
つまり、その型カウンターは常識を逸脱していたのである。
たとえ寝ていたとしても発動するスキルであることは、隣で寝た経験のある珖代が知っていたりする。好奇心と己が欲求に負け、おっぱいにタッチしようとした憐れな男の末路は今は置いておこう。
倒れゆくドラゴンの背中が、どこよりも先に薫の拳に触れる。
薫の拳は鉄の槍をも砕く硬い鎧を、一切動じることなく一手に引き受けた。
三千年級ドラゴンの全体重が一人の人間に重くしかかる。
その衝撃の凄さを物語るように、薫の膝辺りまでが一瞬のうちに地面に埋まり、そこを中心とした大地に大きな亀裂が走った。
拳の一点でのみで支えられる黒い鱗は、薫の腕に沿うようにべコンと凹んでいく。
鱗、皮膚、肉、が大きく波打つように揺れ、ドラゴンの全身に幾つもの衝撃が波紋となって広がりを見せる。鋭い衝撃はドラゴンの背中から全身に駆け巡り突き抜けた。
一点突破の衝撃によりドラゴンは起きあがりこぼしのように、スっと元の位置に戻った。
森の動物達も遠くへ避難していたこともあり、その瞬間はやけに静まり返る。静寂。
その静寂さが嵐の前の静けさであったことを告げるかのように、ドラゴンはゆっくりとその巨体を反対側に倒していく。
反対側、つまり倒れ込む真正面には、攻撃を決めて満足気に鼻を鳴らすリズニアの姿があった────が、こちらへ倒れてくるドラゴンに対し
「ぎゃーーーーーーーぁ!!」
と言う声を上げながら慌てふためき、なす術なく下敷きにされた。
全長二百~二五〇メートルからなる粛征竜の血統種は、今日の爆音と被害を生み出した。森の半分を破壊したのだ。しかしそれは同時に終焉の合図でもあった。
潰された女神を除いて皆が、決着が着いたことを肌で理解した。
珖代は僅かに残る意識で、乾いた鼻血を拭きながら一部始終を目撃していた為、益々混乱をきたしている。それでも終わったと安堵した。
ドラゴンにかけられた威圧が解け、既にかなりの時間が経過している。それにも関わらず、ドラゴンは指先一つ動かさない。否、動かすことが出来ない。息をするのがやっとの状態だったからだ。
消火活動に専念するかなみとセバス、瀕死状態であるとこを確認する薫と商人、放心状態の珖代。それらを差し置いて、トドメを刺す為にあの男がドラゴンの喉元へやって来た。
薄汚れたスーツにお世辞にも決らないネクタイ、それらを完璧に着こなす覇気の無い顔と黒髪に束で混じった白髪の男────中島である。
喉元には竜の弱点でもある逆鱗が存在する。その事実は作戦開始前よりリズニアから伝えられていた為、中島は光沢のある鱗の光の反射の違いで、逆鱗の位置を確認した。
あとは事前に用意していた剣を取り出し喉元を突き刺すだけだった。だが、中島は震えていた。
召喚石獲得の有無は、最後にトドメを刺した者の運に関わる。その為、┠ 天佑 ┨を持つ中島がトドメ役に選ばれた。しかし、皆が命を張って紡いだこの瞬間に全てがかかっているという事実が、中島を "重圧" と "責任" の檻に押し込んだ。
男には運以外にも危機感が足りていなかった。リストラされた事を家族に黙っていてもそのうちどうにかなるだろうと思っていたほどに、危機感が足りていなかった。
大事なことから逃げ続けた男は、どこの世界に行っても変わらず逃げ続ける。中島は今になって逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「おじさん、その役目、ボクにやらせてくれないか?」
そんな男に救いの声が掛かった。思いがけない幸運。┠ 天佑 ┨なるスキルが働いたのだと見ていい。でなければ男の成長にも繋がらない、つまらないシナリオ筋書きだ。
「キミは……。」
そこに居たのはドラゴンと暮らしていた少年だった。居るはずのない少年の登場に中島は目を丸くした。
少年は森で起きている異変に気付き、胸騒ぎを覚えてここへやって来た。それが┠ 天佑 ┨によるものか、はたまた少年とドラゴンが起こした〝奇跡〟なのかは誰にも分からない。
「お願い。ボクがしっかりと決着を着ける。だから、その剣を貸して欲しいんだ。」
「だけど、あのドラゴンはキミにとって…………分かった。キミに渡そう。」
中島は、少年の真っ直ぐな瞳に可能性を見た。┠ 目利き ┨による直感に等しいものであったが、何より自分の中の不安が解消しきれていなかったのが大きかった。
┠ 天佑 ┨それは、中島にとって常に発動してくれている反則級能力。とはいなかった。
常に幸運状態、あるいは任意のタイミングで発動できるような能力であれば、そもそも荒野に放置され三日間さ迷った挙句、魔物の大群に襲われることなどまずありえない。
────奇跡的なタイミングで珖代さん達に助けてもらったのはスキルがあったおかげだ。そして今も。少年が奇跡的なタイミングで困っている私に手を差し伸べてくれた。例え彼が私の為に、差し伸べてきた手では無かったとしても構わない。┠ 天佑 ┨さまさまだ。誰かが手を差し伸べるなんて、生前の私ではまずありえないことだからね。
中島は今までの経験から┠ 天佑 ┨が思いがけない幸運を呼び込むモノだと判断した。
召喚石の入手確率は、最後に倒した人の運で決まる。作為的に幸運に頼ろうとしている時点で、┠ 天佑 ┨が発動しない可能性があるのでないだろうか。そう考えたから少年に剣を託した。
「ペリー、ボクが終らせてあげるからね……。」
ペリー。そう呼ばれたドラゴンは薄らと重い瞼まぶたを開けた。何をする訳でもなく、ただ少年を見下ろしている。
少年は5歳の頃に森で小さな竜を拾って以来、弟のように可愛がってきた。ドラゴンであるペリーが自分より長生きするのは分かっている。それでも、自分が死んだあとにペリーが暴走し、ハジュンのように死んでいくと思うと耐えられなかった。
少年は知っていたのだ。ペリーが粛征竜の血統を持つドラゴンであることを。ハジュンの伝説を。
だから森に逃がすのでは無く、最後は自分の手で。出来ることならばそうしたいと心の内に秘めていたのだ。
少年は逆鱗を剥がすように持ち上げると、空いた隙間に剣を突き刺した。
そこに躊躇は無かった。
「ペリー、さっきは言いそびれちゃったんだけど……ボクにとってキミは……かけがえのない家族だ。そして、これからもだ。だから……安心してくれて、いいんだ。いいんだよ。」
ペリーはその言葉を聞き届けると、ゆっくりと目を閉じ、徐々に砂となって風に消えてしまった。
その砂は光に照らされ、ひと粒ひと粒が青く輝きを放つ。
光の奔流が淡く世界に溶けだし混ざりあう。
空に残された小さな天の川も、やがて消え入る。
少年は最後のひと粒が消えるまで天を見つ続けた。
大事な家族を見送るように。
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竜の腹に押しつぶされてぺしゃんこになった元女神の頭に拳大サイズの重い何かが落ちて来る。
ゴンッという衝撃と共にリズニアが意識を取り出し起き上がる。
信じられないことに、リズニアは押し潰されたにも関わらず無傷であった。流石、鬼耐久。
「うわぇっ! で、出ましたぁ! 出ましたよっ! 召喚石です!」
リズニアの驚く声に皆が集まった。
「リズ、見せてくれ。」
興奮状態が抑えられないリズニアから、大きなクリスタルを珖代は受け取った。
光に反射し、幾層もの色を輝かせる美しい結晶。それこそが元女神にぶつかった物の正体だ。珖代はそれを吟味したあと、かなみに渡しこう言った。
「かなみちゃん、これをあの子に。頼めるかい?」
多くを聞かずとも、かなみには珖代の伝えようとする思いを理解できた。
「うん……。わかった。」
少し名残惜しい気持ちもあった。それでも、召喚石は持つべき主に渡す方が正しいと、かなみは少年の元に向かった。
「ちょっ! 何考えてるんですか!」
「まあ落ち着け。」
かなみの様子から、事態を大まかに察知したリズニアが歩き出すが、珖代は遮って止めた。
少し離れた場所で、少年に召喚石の説明をするかなみ。少年は真剣な顔でそれを聞いている。
「あれは私達が、命懸けで取った召喚石じゃないですかっ! それなのになんであげちゃうんですか!?」
リズニアの怒りの矛先は珖代に向いた。
「あの召喚石は俺達のじゃなくてあの子の、ものだからだっ。」
「じゃあ、何のためにあそこまで戦ったんですか! 戦い損じゃないですか!」
リズニアの怒りはあながち間違っていなかった。寧ろ召喚石を手に入れるという名目の戦闘であった為、珖代には正論にも思えてならない。
「これ以上しつこく言うつもりなら、この辺に落ちてる木々全部、口にぶち込んで塞いでやろうか……?」
言い訳も思い付かないので、かるーく脅す。
「唇塞ぎたいならキスの方が手っ取り早いですよ。うーー……うっ!」
珖代は唇をつまんで黙らせることにした。
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「──そう。あとは、出てきて欲しいと強く願えば現れてくれるハズだよ。」
「ああ、やってみる。」
少年は全ての説明をしっかりと聞き終えたあと、教えてもらった手順に沿いクリスタルを両手でしっかりと握りしめた。そして強く願う。
かなみが教えたのは叡智によって知った召喚方法の一つだ。少年は説明に従い行動したが、召喚石に特に変わった変化は起きない。しかし、頭上から聞き覚えのある声が響いた。
「ペイィーー!!」
少年は問い掛けた。キミはペリーなのかと。すると、肩乗りサイズの仔竜は肯定するように擦り寄ってきた。
「あはは。くすぐったいよペリー! お前、出会った頃より小さくなっちゃったんじゃないか? あはは!」
「ぺイィー!」
少年と竜は周りも気にせずじゃれ合った。かなみにはその光景が本当の兄弟のように、輝いて見えた。
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一方その頃、森の庵。
間一髪の所で、潰されずに済んだ"工房の魔女"はじーっと森を眺めていた。
甚大な被害を受けた森は、折れた木々のほとんどを回収したかなみの手によって一部がぽっかりと禿げてしまっている。
二度の竜による転倒の爪痕は、偶然にも魔女の庵から村までを繋ぐ、大きな道を作ってしまった。
「うん。村に行きやすくなったと考えましょう……。」
魔女はポジティブに考える事にした。半分、現実逃避に近いものもあったが、そのまま工房へと戻っていった。
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夕方。オレンジ色の光が世界を薄く染め上げる。
村は、やって来た初日のように喧騒で溢れていた。しかし、それはいい意味ではなかった。
鍬くわやら斧やらを持った村人達が珖代達を鬼の形相で追いかけてくる。
勿論そうなれば馬車に乗って逃げる訳だが、村人の怒りにも理由はある。
曲芸旅団だと思って歓迎したらその実、森林盗伐とうばつを目的とした賊であったと勘違いしているからだ。
珖代達が原因で森の一部が消し飛んでしまったのは変えようの無い事実である。故に捕まる前に逃げることを選んだのだ。
たくさんの村人達に追いかけられながら珖代達は村を脱出出る。
耕具を振りかざす人々が馬車から見えなくなった頃、一人の少年が森から現れた。あの竜と暮らす少年だ。
他に人が居ないか確認し、商人が馬車を止める。すると少年は皆の名前を教えて欲しいと頼みにきた。そこでかなみが丁寧に一人ずつの名前を教えていく。
今度は同じようにして少年に名前を聞く。
「ボクはドゥス。クローフ・ドゥス。でこいつがペリーだよ。かなみ、しげしげ、こうだい、かおり、リズニア、ありがとう! またいつかこの村に遊びに来て欲しい。 」
「もちろんですよ。ねぇこうだい。」
かなみの翻訳によって聞いていた珖代がリズニアの質問に答える。
「ああ、また来るよ。」
少年はその言葉をリズニアづてに聞いて笑顔になった。
馬車は再び走り始める。
ドゥスは大きく手を振り、ペリーはそれを真似するかのように空中で旋回した。
後に剣聖レクムの右腕となる竜騎兵ドラグーンとその竜は、馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。
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