異世界歩きはまだ早い

a little

第二話 巻き込んでいた男

 「少しは落ち着きましたか?」

 「はい、すいませんです。取り乱してしまって……」

 「いえ、今のは俺のせいでもありますし。謝らなきゃいけないのは俺の方ですよ」

 「……あなたは優しいのですね」


 綺麗な瑠璃色の瞳で、こちらを見つめる女神さん。面と向かってそんなことを言われたのは初めてかもしれない。なんだか歯がゆいぞ。


 俺は優しくなんてない。彼女の気持ちを考えるに至らなかった発言をした上に、泣かせるほど咎とがめるような視線を投げたのだ。正直、やり過ぎだったと後悔している。


 どの辺に優しさを感じたのか不思議だ。体調を気にかけたからか?


 理由が分からないので、見つめてくる女神さんからとりあえず視線を逸らし、否定してしまう。


 「少し話しは長くなるのですが……お付き合い下さい」


 そう言うと、女神さんはスッと姿勢を但し、身体を俺の方へ向ける。


 またしても雰囲気から幼さが消えた。言うならば女神モードだ。


 「私は転生を司る女神、リズニア。役割は主に、この狭間に訪れた者に、異世界への転生・転移の権利の与えることです。わかり易く例えるなら、そういう部署に所属して仕事するOL、みたいなもんです」

 「異世界……OL……? 」


 聞き慣れない単語に混乱する。OL感覚なら、女神はたくさんいるということなのだろうか。


 「異世界に引っかかりましたか? マンガとかアニメとかラノベなんかに出てきたり出てこなかったりする、あのまんまの異世界ですよ? 」


 異世界は別に存在する世界であることくらいしか知識にない。ウソを付いているようにも見えないし本当に存在するのだろう。


 「すいません。そういうのには疎くて……」


 俺のアニメやマンガの知識は子供の頃で止まっている。最近のものだと全く分からなくなる程だ。ゲームならまだいけるのだが。


 「あれですよ! ……ほらっ! モンスターが出てきたり、魔法が使える、王道ファンタジ〜な世界ですよっ! 分かりません?」


 女神さんは必死に異世界の内容を伝えてくる。先ほどまでの女神らしさは何処に行ってしまったか。なんだか話がズレてきているような気がする。


 「アレですかね? ド〇クエみたいな世界感ってことですか?」

 「そうですっ! そんな感じの世界です! そっかー最初からドラ〇エみたいな世界感って言っとけば、一発で分かりましたよねー。私はやった事ないですが、ドラク〇って長年続く人気シリーズですもんねー。王道を征く、異世界チックなファンタジーゲームですもんねー。うんうん。異世界って言われピンと来ない人には今度から……んんゴホンっ」


 みるみる顔が青くなって、咳払いをする女神さん。やっと俺の睨みしせんに気づいてくれたらしい。表情がわかり易くて助かる。あの顔はきっと、さっき睨まれたことをトラウマのように思い出しているに違いない。たがそろそろ気に掛けるのも疲れてきた。もういいか。どうせ死んでるんだし。


 話がズレいっていることを指摘するのが何故か億劫に感じて、少し睨んでしまったのだ。まあ後悔はしていない。


 ほぼ無意識で睨んでしまったが、こんなことは初めてだ。それだけは気をつけなければ。


 「……数ある異世界のひとつに、今、勇者を必要としている世界があります」


 女神モードで閑話休題。


 「しかし、勇者を呼ぶには別の世界から連れてくるしかありません」

 「──勇者?」

 「はい。色々あって私は、あなたの生きてきた世界で勇者に相応しい人物を見つけ、あの場所で待っていたのです」


 遠くの方を見つめながら女神さんは続ける。


 「……ここに来る条件、覚えていますか?」


 女神さんはおそるおそる上目遣いで聞いてきた。何だったか。確かにここに来た時に言っていたような気がするが、冷静に聞いてる余裕も無かったし、はっきりとは覚えていない。


 「えっと、何でしたっけ?」

 「この場所に来れるのは女神に関わって死んだ者だけ。ですから私は、あの手この手を使って勇者候補さんをこっちに招こうとしました」


 そういえば物騒なことをこの女神が言いかけていたことを思い出す。


 「命を奪われたとかなんとか、言いかけたのはそれでなのか……」

 「違っ! ……くはないです。……はい。その通りです……」


 弁明すればまた、睨まれるとでも思ったのか、否定することを諦めて俯いてしまった。


 「私がいくらこの場所からちょっかい掛けても、勇者候補さんは一向に死ぬ気配が無くて……このままじゃ世界を救えないっ! と思った私は、自分の命を掛けてでも、連れてくる決心をしたのですっ!」


 落ち込んでいると思いきや、今度は遠くの方を見つめて、やる気に満ち溢れた表情をしている。抑えめのガッツポーズまでして、その時は正義感で行動していたことを主張してくる。結構な知らんがなである。


 「それで横断歩道の真ん中に突っ立っていたと……」

 「はいっ。ちなみにー、あの時かばいに来てくれたのが勇者さんですっ」

 「あー、あの学生。だから俺が巻き込まれた側なのか……」

 「しかし、驚きましたよー。庇いに来てくれるのまでは計画通りだったのに、何ですかあのドライビングテクニックはぁ!? いったい、どんな反射神経してれば避けきれるんですかっ!」


 表情からは怒り半分、感心半分なのが読み取れる。口調がころころと変わる女神だ。やっぱり避けきれていたようでよかった。


 「あの時は必死だったので……よく覚えていません。ただ、話は大体分かりました。それで、俺はこの後どうすればいいんですか?」

 「もちろん、この姿のまま転生することが出来ますよっ! チートスキル付きでっ!」

 「チートスキル?」


 ──スキルは能力の事だとして、チート。聞き覚えのない言葉。俺にはさっぱり分からない。外国語か、異世界の言葉なのだろうか。


 「女神の権限で、転生をする際、その人にあったチートスキルを一つだけ授けてあげてるんです」


 そのチートスキルが、そもそも何なのか聞きたかったのだけれども、女神さんは話を続ける。


 「本来一つだけですが、今回はお詫びを兼ねて三つ授けましょうっ!さぁらにさらにぃ、特別にぃ、選ばせてもあげますっ!」


 ドヤ顔を見せる女神は少し腹が立つ。どうスゴイでしょう? 感が顔から滲み出ている。

 お詫びと言っておきながらお詫びを兼ねている雰囲気が微塵も感じられないのが特に。


 「地球にはどうやったら帰れるんです?」

 「たしか、そこをまっすぐ行けば、地球に還れますよ。人に転生する保障はありませんがね」

 「……そうですか」


 女神が指差した方角には、うっすらと小さな光が見える。なるほど、この光を目指して歩けば戻れるという訳だ。百パーセント信用した訳ではないが、妙にあの光が懐かしく感じる。


 サラッと何でもない事のように付け加えられた、"人に転生する保障がない"という言葉で、自分が死んでしまったことを思い出す。再確認が住んだところで行動にうつる。


 「一応聞きますがぁ、地球で何か良く分からない物に生まれ変わるのと、この姿のままチートスキルを三つ手に入れて、異世界でカッコよく生きていくの、どちらがいいですか? 二つに一つです。お選びください」

 「なら、地球に還ります」

 「そうですかそうですか。それでは、私の授けられるチートスキルの一覧を……って還るぅ!? なぁんでですかッ! 理由はっ! どうしてですかっ! 今地球転生なんかしたら、アリとかブタとかミミズですよっ!」


 女神は転生するのがさも、当然でしょ。と言わんばかりの勢いで聞いてきた。面食らった表情を晒しているが、勢いに面食らったのはこっちの方だ。

 完全にだだ捏ねる子供みたいだ。アリも、ブタも、ミミズも、可能性でしかないでしょうに。


 転生しない理由としてはいくつかある。まず俺は勇者ではないし、異世界に興味もない。ましてや、モンスターが現れるような世界でとても平和に暮らしていける気がしない。それに──


 「この場所に来れるのは女神さんが原因で、命を奪われたものだけ何でしょう? もし、俺がトラックで引いてしまった人がいて、その人が異世界に行くつもりがあるのなら、できる限りの罪滅ぼしをするためにその……転生? ってのを選んだと思います。でも、実際には誰も死ななかった。その事実だけで俺は充分です。女神さま、わざわざ気にかけて頂いてありがとうございました。せめて、貴女のご希望に沿った生き物か人間に転生できるよう祈っていて下さい」


 一礼してから光に向かってゆっくりと歩き出す。感覚を頼りに。小さな光を目印に。一歩一歩前へ。前へ。


 「……待ってくださいっ!」


 背中から女神のよく通るデカい声が聞こえる。でも足を止めるつもりはない。本当に異世界にいく理由がないのだから。


 「でしたらっ五個! チートスキルを五個さしあげますっ! 」


 チートスキルって結局何だったのか。もう知ることもないのだ。


 「……七個……いや八個でどうでしょうっ! 」


 だんだんと光が大きくなってきた。さながら、光に集まる虫たちのように引き寄せられる感覚がある。


 「……うーん…よし、ならっ! 切り良く十個! ……どどーんと十個でどうですかっ! これ以上はお応えできませんっ! 神様にバレたらクビにされますっ! 十個でハンマープライス!」


 ──オークションか……! いかんいかん。良く分からないもので釣られたりはしないぞ。俺は。というか、上司の神様がいるのか。本当にOLみたいだな。


 「……お願いです。あの世界にはあなたのような方が……あなたのように他人を想いやれる方が必要なのですッ!」


 今までにないくらいに張り詰めた声に、思わず歩みを止めてしまった。リアルな本音というやつだろうか。聞く価値があるといいが。


 「モンスターが蔓延はびこり、勢力を増していくあの世界からは、徐々に他者を想いやる気持ちが薄れてしまっているのです……。このままだと、魔王に民も土地も奪われ、人々の文化すら失われることになるでしょう。……魔王を倒して欲しいとは言いません。ですがっ!身近な人々だけでも、救ってあげて欲しいのです……。その力は授けます。私を信じて下さい」


 どこかふざけたやつだと思っていたが、彼女も彼女なりに必死だったことは伝わった。人々を救いたいと願う気持ちにウソはないのだろう。それは本物だと信じたい。


 俺は踵を返して、女神さんの元に戻ることにした。チートスキルについてまだ詳しく聞いていなかったからだ。決して、彼女の想いに応えあげようとしている訳ではない。決して。


 「そのぉ……チートスキルってやつ、貰えるんですか?」


 女神の目の前まで来ると、何故か本音が言えなくてぶっきらぼうに違う質問を聞いてしまう。


 「はい! お約束します。でしたら……貴方の、お名前をお聞かせください」


 女神さんは俺の右手をパシンっと両手で掴み取ると、自分の胸元に寄せて潤んだ瞳をこちらに向けながら、聞いてきた。そういえば、まだ名前も教えてなかったか。


 右手の指先に柔らかい膨らみの感触を憶えながらも、平常心を保って答える。


 「こ…珖代……喜久嶺珖代きくみねこうだいです」

 「…こうだい……こうだい。いい名前ですね。私はリズニアなのでリズとお呼びください」


 名前を褒められるのは、案外照れくさいものだ。


 「あ、あの……リズニア……さん。スキルについて教えて貰っても?」


 女神に上目遣いでお願いされるのに耐えられ無くなった俺は、質問することにした。平常心は保ちつつ。


 あっ、そうでした。忘れてました。って感じの顔をした後、彼女はイスの下にいつの間にやら置いたあったバスケットに手を入れ、百均で売ってそうなスケッチブックを取り出した。俺の右手を離されたことが少し寂しい。


 「チートスキルの一覧です。欲しいと思った能力があったら紙に触れてもらえば大丈夫ですよ」


 そう言って、紙芝居をするようにパラパラとめくり始めたリズニアさん。


 「あの……文字が読めません」


 あっ、うっかりしてました。みたいな顔で一から読んでいくリズニアさん。少し抜けているくらいがステキに見えてきた。


 見たことない文字の羅列。異世界の文字か何かだろうか。


 「これが言葉を理解したりする能力で──」



 「…………ゔ……」



 ──ん?なんか聞こえなかったか今。



 女神さんは説明に夢中で気付いていないが確かに聴こえた。呻き声のような何か。嫌な予感がする。


 「個人的にオススメはこれですかねぇー。だいたいこれがあれば便利ですし──」


 

 「…………ゔぅ……ぐすんっ」



 「リズニアさん、なんか聴こえませんか?」

 「さん付けは入りませんよー。たとえばですけど、この組み合わせとか──」



 「……ゔうー……さん…ぅ」



 さっきよりだいぶ鮮明に聴こえた。リズニアさんはそっとスケッチブックを置いて、俺の腕にしがみつく。腕の辺りにまたしても柔らかい温もりが伝わるが、今はそれどころではない。


 声は俺の真後ろから聴こえた。そ〜っと振り返って見ると、何も無いところで蹲うずくまる人影のようなものを視界の端に捉えた。


 一旦、視線をリズニアさんの方に戻す。彼女も同じように見ていたらしく、丁度目が合った。彼女の目には先ほどのまでとは違う、焦りが見えた。焦ってる俺も写ってる。


 「あ、あの……リズニアさん? ここって、巻き込まれて死んだ人しか来ないんですよね? ……ねぇ?」

 「い、いえ。正確には私が原因で死んだ人だけです。……それ以外で来ることは……ありません」



 「…ゔゔ……ゔぅん……」



 人影がだんだん近づいてくることに、声で分かる。今度は二人で同時に見る。とそこには、いた。




 ────はっきり見える距離。


 


 その人物は蹲うずくまっていた訳ではなかった。




それは、返り血を浴びたように赤黒くなったワンピースを着た10才前後の少女の咽び泣く姿だった。




 俺もリズニアさんも同時に目をひん剥きながら、思考が停止する。


 


 やってしまった……巻き込んでしまった……寄りにも寄って、あんな小さな女の子を……。




 「ゔぅわぁぁあん……おかあさぁんっ! 」




 少女の悲鳴が木霊する。




 二人同時に、初めて、息を吸いながら低い声が出た。



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