世界を渡る少年

高見 梁川

第六十六話

 



ケルドランをめぐる攻防は大陸の勢力図を完全に塗り替えたと言っていい。


もともとブリストルの覇権主義に戦々恐々としていた小国の王たちは、ここが千載一遇の機会とばかりに次々とブリストル帝国に宣戦を布告したからである。


外務卿シェレンベルグが構築した対ブリストル包囲網は、オルパシア王国を中心に五つの小国から成り立っている。


ケルドランをオルパシア王国が奪取し、なおかつブリストルの野戦軍が壊滅したら、というほとんど達成不可能に思われた条件を真人が見事に達成した結果だった。


メイファン王国の滅亡以来大陸に敵無しと思われてきたブリストル帝国は、西方を除く三方向全てから強力な圧迫を受け、今や存亡の危機に立たされようとしていた。


 



 



 



 



「賢明な卿にはわかっているはずだ。我々が決してメイファンに見返りなど求めていないということが………」


 



そういってフェルナンド・ロンドベル・ヴィルヌーブ卿はニコリと邪気のない笑いを浮かべた。


ブリストルきっての知将であるフェルナンドにとって目の前の男の返答は答える前から明らかだったのだ。


 



「そうして同胞同士を争わせようというのか?ブリストルの武も地に落ちたものだな」


 



軽蔑も新たに男はフェルナンドを睨む。


男にとってブリストル帝国は不倶戴天の敵であった。


何しろ彼の母国メイファンを滅ぼしたのは目の前のブリストル帝国軍なのだから。


しかしケルドランの攻防戦に大敗して兵力数に劣るブリストル帝国はロドネーやエルネスティアといった小国と、何よりマヒト・ナカオカミの率いるオルパシア王国軍を迎撃するために戦線を縮小する必要に迫られていた。


つまりメイファンの占領維持に大軍を割いている余裕はなくなったのだ。


戦わずして怨敵ブリストル帝国軍はこのメイファンの地から去っていくことは確実だった。


問題は、ブリストルなきこのメイファンを支配するのは誰か、ということなのである。


 



「………それでは諸手をあげて歓迎なさいますか?無能な巫女姫とその夫マヒト・ナカオカミを」


 



憤怒の気配を隠そうともせず男はグッとのどを鳴らした。


それこそが彼をして怨敵と席を共にさせている最大の理由でもある。


メイファン滅亡後、ここメイファンの地で、友を失い、家族を犠牲にして抵抗を続けてきたのは彼とその仲間をおいて他にない。


決して何の助けにもならなかったカムナビの巫女姫や、素性の知れぬオルパシアの犬などではないのだ。


 



「王家が何をしてくれたのか、上流貴族が何の役に立ったのか、そう卿は言われた。まさにそのとおり、このメイファンを守るために彼らは何一つとして貢献していない。では巫女姫とオルパシア王国はどうなのです?彼らはメイファンの未来を託するに足る存在ですか?」


 



「我らはもはや王家に忠誠を誓うつもりはない」


 



それが男の答えだった。


男の名はバーデルベス、爵位を持たぬ下級貴族であり、メイファン滅亡後唯一国内に潜伏して対ブリストルの武装闘争を続けてきた男だった。


 



 



バーデルベスは思う。


国を滅ぼし、国を見捨てた者たちにいかなる権利も与えられるべきではない。


いったい亡国と化したこの国で何人の民が死に、何人の民が飢え、何人の民が慟哭の涙を流したか彼らには理解できないだろう。


もしもそれが出来たなら、家財を持ち出して他国へ逃亡するような真似ができるはずがないのだ。


さいわい王族や大領の諸侯のほとんどが命を失い、残るのは王位継承権の末席に名を連ねていただけの巫女姫のみ。


オルパシアの後ろ盾がなければ何の影響力もないただの小娘である。


逆にいえば、その小娘にメイファンを託すということはオルパシアの属国としてメイファンを献上するに等しい。


長いブリストルの圧政に苦しめられてきた国民がそれを許すとも思えなかった。


 



フェルナンドがバーデルベスに提案して見せたのはメイファン国内におけるブリストル軍の武器、糧食、資金の大部分の無償譲渡であった。


正面からブリストルと決戦を行うだけの兵力がないバーデルベスにとってこの提案が意味するところは大きい。


下級貴族と平民を母体とするバーデルベスの組織は他国の支援を受けた上流貴族たちと違い、資金難からろくな武装も揃えられずにいたからだ。


さらなるブリストルの支援を当てに出来るならば、メイファンに新たな国家体制と軍備を敷きなおすことすら可能であるはずだった。


それだけではない、フェルナンドは王都を立ち退く際にバーデルベスのゲリラを見て退却する演出をして見せることすら申し出ている。


解放者の実績を手中に収めるということはバーデルベスの勢力が今後メイファンを指導していくのに少なからぬ力になるだろう。


 



………このメイファンを守るべきは我々なのだ。


 



かつての上司、あるいはそれに率いられた同胞と刃を交えることに抵抗がないわけではない。


しかし彼らにメイファンを任せては再び同じことの繰り返しになる。


また危機至れば彼らは自らの生命と権力の維持を優先して容易く民を見捨てることだろう。


この国を一歩も退かず見捨てなかったのは自分たちだけだ、という自負がバーデルベスにはあるのであった。


 



「よかろう………我らメイファン解放同盟は卿の提案を受け入れよう。たとえそれでブリストルに対する怨念がいささかも癒えるものではないとしても」


 



フェルナンドは相変わらずニコリと邪気のない笑みを浮かべていた。


だが、内心では声を上げて笑い出したいのをこらえることで忙しい。


バーデルベスは己の正義を疑っていないのだろうが、ブリストルと裏取引した事実が明らかにされれば国民の支持は根本から崩壊することは確実だった。


すなわち、目先の利益に目がくらんで決して借りを作ってはならない相手に借りを作ってしまったのだ。


その闘志と理想は敬意に値するが、一国の指導者としては政治的センスが乏しすぎる。


あの甘っちょろいマヒトとシェラが、バーデルベスにどう対するのか、想像しただけでフェルナンドは歓喜が噴出すのを押さえられずにいた。


 



 



 



 



 



ケルドラン城塞での戦闘に勝利した真人たちに、王都でマンシュタイン公爵が討ち取られたという報せが届いたのは戦闘の終了から十日以上経ってのことであった。


マンシュタイン公爵領は国王の直轄領となり、溜め込んでいた代々の資産を没収したことでオルパシア王国は、苦しんでいた莫大な軍の維持費にやって一息つくことが可能となったのである。


また北部と南部に展開していたブリストル軍が自国へと撤退したことで、戦力に余剰さえ生じていた。


だからといって数万規模の遠征軍を何年も支えることは容易なことではない。


この期を逃さず戦果を拡張し、短期に決着をつけてしまうのが望ましいのは言うまでもなかった。


近日中に援軍と輜重の補充が行われ、新たな戦場へ進発すべきことが真人への命令書には書かれていた。


すなわち、シェラとプリムの故郷であるメイファン王国を解放する時が近づいていたのである。


 



 



 



 



 「残念ながらバーデルベスが指揮下に入る可能性は低いと言わざるをえません」


 



カニンガム子爵は沈痛な面持ちとともにそう告げないわけにはいかなかった。


ようやく負傷兵の後送や補充兵の再編が終わりかけた頃、衝撃の報せがメイファンから舞い込んだのだ。


バーデルベスが率いるわずか千名余のレジスタンスが、ブリストル駐留軍を打ち破り王都フォーセリオンを奪還したという報せであった。


十倍以上の兵力を誇るブリストル軍を打ち破ったという事実にメイファン国民は狂喜したと言っていい。


たちまちバーデルベスのもとに志願兵が集まり、兵力が一万を突破するに及んで、バーデルベスはメイファン臨時政府の樹立を宣言した。


それは紛れもなく、真人たちオルパシア王国軍への牽制であることは明白であった。


 



 「まずいな………国民の支持があちらにある以上力押しは禍根を残すことになるぞ」


 



ディアナも苦い表情は隠せない。


手強い雄敵と相見えるのは戦士の誉れだが、素人同然の国民兵を相手にする後味の悪さをディアナは十分に承知していた。


勝っても負けても禄でもないことになるのは明らかだった。


 



 



「素人同然の兵があのブリストルを破ることなどありえません。間違いなくブリストルと裏取引をしているはず。そんな真似をして何が正義かっ!」


 



憤懣やるかたなく顔を真っ赤にして憤っているのはシェラの副官としてメイファン軍を統率しているハイデル中佐である。


少なくとも軍事学上の常識を知るものにとって今回のブリストル軍の敗北は演技以外の何者でもあるまい。


おそらく斥候にブリストルの陣営を偵察させれば、彼らが何ら損害を受けていないことは、すぐにでも判明するだろう。


しかもバーデルベスがシェラフィータとプリムローゼは真っ赤な偽物であると国民に宣伝していることは、二人とかけがえのない主君と仰ぐハイデルにとって


絶対に許容できないことなのだった。


 



「あの男は……バーデルベス少佐は王政府に欺かれ多くを失った者なのです。彼はシェラフィータ様に剣を向けるに躊躇することはないでしょう」


 



カニンガム子爵の声音はどこまでも苦かった。


いったい何がバーデルベスを今の立場に追い込んだのか、あの絶望的な国内戦を戦ったカニンガムは知っているのであった。


 



「…………訳を……お聞かせください、カニンガム様……」


 



重苦しい沈黙が支配するなか初めてシェラは口を開いた。


その瞳にはある種の決意の光がある。おそらくはその決心を固めるために今までの時間を必要としたのであろう。


カニンガムはわずかな逡巡の後に苦い記憶を紡ぎだしたのだった。


 



「あれは国王陛下が討ち取られ、なんとか王族を国外に退去させねばならぬと第三王子バルガルド殿下の避退作戦中のことであったと聞きます。バーデルベスはノルダムの村に逗留中である殿下の警護を下命され、村の外周に野戦陣地を構築して警護にあたっておりましたが………追撃してきたブリストル軍と交戦するも部隊は壊滅、せめて殿下だけでも落とそうと本陣に駆けつけた彼は見てはならぬものを見たのです」


 



あったはならぬことだとカニンガムは思う。


貴人には貴人たるの誇りがなくては貴人ではない。


しかしそのことを自覚できぬ者のなんと多かったことだろう。


残念ながらバルガルド殿下も他の王族たちも為政者としての資格があるとは思われなかった。


 



「バルガルド殿下などおりませんでした。全ては敵を吸引するための囮でしかなかったのです。殿下の代わりに座らされていたのは、殿下に良く似た背格好の少年……バーデルベスの従兄弟であったと聞きます。逃亡を阻止するために両足の腱が切られておりました」


 



バーデルベスに深刻な怒りを燃やすハイデルでさえも、その事実には息を呑まざるをえなかった。


もしも同じ命令を自分に出された場合、変わらぬ忠誠を抱き続けられるかは疑問だった。


 



「そればかりかノルダムの村民たちも一部の兵たちによって村を疎開することを禁じられておりました。王子がいる村に村民が不在であるのはおかしいという判断からです。つまり……老若男女全ての村民はバルガルド殿下のために生贄へと捧げられたのです」


 



因果の報いというべきだろうか。


そうまでして助かろうとしたバルガルドは国境を目の前にして入り込んだ間諜にその命を奪われている。


ノルダムに散った生命は、何もかもが無駄だったのだ。


 



「バーデルベスはもはや王政府の統治には従えないと判断しました。名も無き民たちを守るためには自ら統治者に成り上がるほかはないと決心したのです。もともと軍内に彼を慕う人間は数多くおりました。間違いなく彼はかつての王政府のように私欲を貪る人間ではない。ゆえにこそ、我々にとっては打倒せねばならぬ最悪の敵なのです」


 



バーデルベスがシェラに忠誠を誓うことはありえない。


それをするには彼の絶望は深すぎるのだ。


だからといって放置しておくわけにはいかなかった。


彼は人間の私欲を憎みすぎている。それでは統治者としていずれ国家を誤らせることは明らかだった。


何より彼には政治家としての才能が致命的といっていいほど不足していた。


対ブリストルとの闘争において、かたくなに他国からの援助を拒否し、独自路線を貫いたことがそのいい例だ。


しかもその彼がブリストルとの協定を受け入れたという事実が、彼の不退転の決意を何よりも強くあらわしていた。


戦わずに済む可能性は限りなく零に近かったのである。


 



 



「少し寄り道をしていただてよろしいでしょうか、真人様」


 



 



シェラフィータの決意の瞳が揺らいでいないことにカニンガムは驚きを隠せなかった。


下手をすれば罪悪感から故国への復帰をあきらめかねないのではないか、とすら危惧していたのだ。


このことすらもシェラの覚悟のうちだったというのだろうか。


 



 



真人が優しくうなづくのを確認してシェラは立ち上がった。


 



 



 



「やはりケジメをつけなくては先に進むことは適いますまい。参りましょう、私という人間の始まりの地、カムナビの大神殿へ…………」


 



 






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