世界を渡る少年

高見 梁川

第六十四話

 

マンシュタインが違和感を覚えたのは王都を囲む城壁が遠目にも確認できるほどに接近した後のことであった。
 

………静かすぎるのではないか?
 

賛同する門閥貴族たちと合流果たしたマンシュタインの門閥貴族軍は総勢一万弱を数えていた。
しかし当初はさらに千名ほどは集まろうと予想していたのだ。
王都内に留まっていた関係貴族たちがなぜかいまだ参集しないことが原因であった。
 

しかも王都に放っている間諜からの報告が一向に入らない。
王都の守備兵力の配置状況を把握するばかりか、できれば城門を内から開け放つことまで期待していただけに失望と懸念は大きくなるばかりである。
 

………もしかしてこの反乱は見破られていたのではないか?
 

背筋から寒気にも似たものが立ち上ってくるのをマンシュタインは自覚しつつあった。
それは公爵が初めて感じる破滅への恐怖であったのだが、公爵はそれを認めるつもりは毛頭ない。
圧倒的に優勢な兵力を保持しているのが明らかな以上、たとえシェレンベルグやハースバルドが策を弄しようとも噛み破るまでのことなのだ。
………少なくとも公爵はそう信じて疑おうとはしなかった。
 

 

 

 

 

王都の人口は約二十万を数える。
今やその二十万名は老若男女を問わずマンシュタインたち門閥貴族への敵対を明らかにしていた。
 

 

貴族の居館が立ち並ぶ西地区は、数万の王都民によって蟻の出る隙間もないほど物理的に包囲されていた。
これによりマンシュタインに呼応するつもりであった貴族たちは分断され逼塞し傍観することを余儀なくされている。
迂闊に敵対を明らかにすれば数の暴力によってたちまち打ち倒されることは明白だからだ。
その事実を公爵に連絡することもできない。
王都の全ての出入り口は封鎖され、王都から外に出ようとするものも圧倒的多数の民によって監視されていたからであった。
公爵への不満を煽ったシェレンベルグの煽動は、意図した以上の効果をあげつつあった。
 

 

もともと王都は国王の直轄地でもあり、王の名の下に住民の自治がある程度保障されている。
また貴族であっても法に反した行為を王都の民に振るえば処罰は免れないのは王の庇護があればこそだ。
こうした法治が行き届いた都市はオルパシア広しといえども王都以外にはない。
 

だからこそ王都の民はことさら国王への忠誠心を厚くし、門閥貴族の愚挙を心の底から憎んでいた。
王の直接的な支配化にあることこそが彼らの誇りであったのだ。
 

本来弱者たる民がいくら貴族への反感を抱いてもそれが実力を持つにはいたらないが、その力の組織化にはハースバルドが辣腕を揮っていた。
まず彼は門閥貴族に対する防壁役と、王都城門付近の監視、さらに油を炊き出し城壁から浴びせる係りの三つに民を分けたのである。
 

王都に残存する門閥貴族派の戦力を合計すれば千名を越す数になるだろうが、それはあくまで全てを合わせればの話であって、貴族一人あたりの戦力は微々たるものにすぎない。
路上にひしめく数万の民のなかに身体を乗り入れて戦力の結集を図る度胸が門閥貴族にあるはずもなかった。
失敗すれば激高した民に嬲り殺しにされるのは目に見えているからだ。
ほとんど戦力らしい戦力を持たぬ民は、ただその数によって王都内貴族の戦力を無効化したのである。
 

また王都内にひしめく間諜たちはなんとか脱出の機会を伺っていたが、現状は絶望的であった。
聳え立つ城壁によって守られた王都には都合八つの門があるが、これらの門は近衛兵によって物理的に封鎖されてしまっていた。
強行突破を図ろうにもこれまた数万の民が物理的な障害となって立ちはだかっている。
ひとりひとりに攻撃力は皆無でも、数万の民はその存在自体が強固な十分な障壁であり、こうした際に最も重要な機動力を彼らから奪っていたのであった。
 

 

門閥貴族に対し三割程度にすぎない兵力の補填にも抜かりはない。
そもそも防御側は防御施設の効果だけで攻撃側の三倍の有利を得るとされているし、こと攻城戦にかぎっては使いようによっては素人にすぎない一般人もあなどれぬ力となる。
攻城側が攻城塔や投石器を用意できない今回のような速戦のケースでは特にそうだ。
王都中からかき集められた油を煮えたぎらせて、城壁から下に注ぎこむだけでもかけられた兵士にとっては十分すぎる凶器であった。
たかが二千程度と考えられていた王都の防御力は想定を遥かに超えて頑強だった。
 

 

 

 

 

 

「開門せよ!我に従うものには寛大な処分を約束するぞ!」
 

王都の兵も民も大軍の出現に恐れおののいていることを確信していたマンシュタインにとって、王都の反応はあまりに心外なものであった。
 

「アルハンブラ王万歳!」
「マヒト子爵万歳!」
「くたばれ門閥貴族どもめ!」
 

恐れおののくどころか意気軒昂、戦意万全といった有様である。
もともと王都民は自立心が旺盛で貴族に対する敬意に欠けるとはいえ、こうも悪し様に罵ってくるとは思わなかった。
 

………やはりマヒト・ナカオカミなどという氏素性の知れぬものを登用するから平民から貴族に対する忠誠心が失われるのだ!
 

貴族階級というものは一朝一夕に培われたものではない。
建国の王ミーティアの手によってオルパシア王国が統一されたそのときに、その功臣として四公八侯が叙爵されており、これを特別に根源の貴族と呼ぶ。
マンシュタインは四公の筆頭たる家柄に生まれついていた。シェレンベルグは八侯の筆頭である。
根源貴族を統率すべき人間が本分を忘れ愚かにもその血統を汚すとは嘆かわしいことこのうえないであった。
誤りは正されるべきであり、大義はやはり自分のもとにあるのだ。
 

「殲滅せよ。奴らに生まれた身の程というものを教えてやれ」
 

もう一度この国の在り方を作り直してみせる。
その邪魔をするものは一人残らず滅べばよいのだ。
 

 

 

 

門閥貴族軍が前進を開始した。
急な進撃であったために攻城兵器はない。
王都を攻略するためにはもっぱら梯子と縄によって城壁を越えるより方法はないのである。
マンシュタインは手勢は温存しつつ兵を城壁を登るものと弓で援護するものの二手に分けた。
 

「一番乗りには金貨百枚の報償を授けるぞ!」
 

これみよがしな利益誘導だが、それでも確実に兵士たちの士気はあがる。
今の状況では巧緻より拙速が望ましいことは戦の素人であるマンシュタインでも十分にわかっていた。
王都の外周は広すぎて、二千足らずの守備兵ではその全周を守りきることは難しいのだ。
敵に対応の時間的余裕を与えるわけにはいかない。
 

「ぐわああああああああああ!!」
 

梯子を登る複数の兵士から悲鳴があがったのはそのときだった。
見れば大きな柄杓のようなものから白い煙をあげながら煮えたぎった油が撒き散らされている。
その数およそ三千以上、それはマンシュタインが予想していた近衛全軍の数を遥かに上回るものであった。
 

「そんな馬鹿な………!」
 

高温の油を浴びせられた兵士たちが次々と梯子から落下していく。
落下しただけならば命には別状はないが、さすがに負傷は免れず、たちまちのうちに数百の兵が戦力としての価値を喪失した。
そればかりか、今度は火矢が追い討ちをかけ油を浴びた梯子ごと兵士たちを炎の渦に飲み込んでいく。
城門を斧で斬り割ろうとしていたものたちも同様の運命を辿らざるをえなかった。
 

「なぜだ?いったいどこから湧いて出た?」
 

「おそらくは油を撒いているのは兵士ではございますまい………姿は見えずともああして柄杓を振るときに見え隠れする手……近衛であれば白銀の篭手をつけているはず。
それがどうも粗末な服を身に着けているだけのように思われまする」
 

そう答えたのはマンシュタインの参謀格でもあるダウディング伯爵であった。
確かによくみれば柄杓をふりかぶる手は武装したもののそれではない。
王都の民が近衛に協力して防衛戦を戦っているのに違いなかった。
本来ならば鎧袖一触になぎ払える存在のはずだが、こうして近衛と手を組まれて支援に専念されるとなかなかに煩わしい存在であると言わざるを得ない。
 

「おのれっ……この平民ずれが……!!」
 

平民が武装して貴族に立ち向かう……それはマンシュタインにとって想像の埒外にある。
そもそもそんなことがあってはならないのだ。もしもそれを許せばこのオルパシアを支える秩序は失われてしまうだろう。
何をもって善とし何をもって悪とするか……そうした価値観そのものが混沌の彼方に消えてしまうのだ。
身勝手な理屈ではあるが、マンシュタインは本気でそう信じていた。
 

「ひるむな!平民ごときに退くは末代までの恥ぞ!」
 

とはいえバカ正直に突撃を繰り返しては損害が増えるばかりである。
貴族のプライドも、純粋な戦闘行為には役に立たないばかりかむしろ有害でさえあった。
冷静に考えれば王都に援軍が到着するためには少なくとも一定以上の時間が必要であり、その時間を有効に使えば破城槌や投石器程度は用意できたかもしれないのだ。
味方の劣勢に血が上ってしまったマンシュタインにはそんな悠長な思考を持つことはできなかったが。
 

 

 

「………おいおい、いくらなんでもこりゃねえだろ………」
 

リュシマコスは配下の大隊を率いながら嘆息することしきりであった。
マンシュタイン派の軍閥に属する彼は、マヒトに左遷させられた形で王都に戻ってきていたが、マンシュタインの肝いりで新編の大隊の指揮を任され大尉に昇進していた。
ところが新編された大隊ということは、要するに大隊のほとんどが新兵であるということだ。
訓練も経験も十分ではない兵が実戦の場で活躍することはありえない。
現に右往左往するのみでろくな戦果もあげられぬままにリュシマコスの大隊は二割に近い損害を与えられてしまっていた。
 

リュシマコスの見ることろ、この戦いはすでに終わっている。
最初から待ち構えていたとしか思えぬ王都側の対応が、ただ王都の守備のみであるはずがないのだ。
必ずやこちらを撃破する手を打っているはずであった。
城壁に見える近衛の数は多く見ても一千余にすぎないということは、おそらくは千から二千の予備兵力を反撃のために温存しているに違いなかった。
そんなあたりまえのことが公爵とそのとりまきには見えていない。
気づいているものも中にはいるはずなのだが余計なことを言って反感を買いたくないのだろう。愚かしいことだ。
 

仕える主人を間違えたか、とリュシマコスは思う。
血縁を利用して何かと力にはなってもらったが気位ばかり高すぎて現実に対応する判断力がない。
このままでは戦いに負けるのはもちろん自分の命まで危かった。
かといって主人を変えシェレンベルグ―ハースバルド連合に尻尾を振る気にもなれなかった。
それはすなわち、あのマヒト・ナカオカミに屈服することに等しいからだ。
 

アリシアを嬲っていたあの日、マヒトに受けた屈辱を片時も忘れたことはない。
あれは武に己を託してきた矜持が根こそぎ踏みにじられた瞬間であった。
あの時以来、己の強さ……拠って立つ土台を失ったリュシマコスは鬱々とした日々を送ってきたのである。
かつての矜持を取り戻すためにはマヒトに挑み、かつ勝利するしかないのだ。
あるいは、マヒトに対する復讐を成し遂げたとき、リュシマコスは武とは全く別の強さを得るのかもしれなかった。
 

 

 

 

 

「………頃あいだな」
 

城壁上から戦況を見守ってきたハースバルドはおもむろに右手をあげた。
戦闘開始からすでに二時間、ほとんど戦果らしい戦果をあげぬままに門閥貴族軍の損害は千に手が届こうとしている。
兵士も目に見える戦果がないままに戦意を維持することは難しく、一部に逃亡する兵が出始めていた。
マンシュタイン家の手勢が全く無傷で待機しているとはいえ、そのことが逆に味方の士気を奪いつつあるのだ。
自ら好んで貧乏くじをひきたがる人間はいないのである。
それに後方で再編された近衛騎兵が戻る時間が迫ってもいた。
タイミングを合わせなければ今度は彼らが敵中に孤立するはめになる。
このまま篭城していても勝つことはできるだろうが、早急に叛乱を鎮めなければ対ブリストルで共闘関係を築く予定の周辺各国に影響がでないとも限らなかった。
出来うる限り予定どおり早めに撃破しておくべきであった。
 

八つの城門のうち二つがゆっくりと開けられた。
開け放たれた門のなかから解き放たれた矢のように二つの集団が疾駆する。
ひとつはスターリング少佐の率いる正規軍千名であり、もうひとつはルーシア大尉の率いるハースバルド家の手兵であった。
軍務卿が手塩にかけたハースバルドの手兵の練度は、通常の正規軍のそれを遥かに上回る。
ほとんど一撃でルーシアのハースバルド軍は門閥貴族の一軍を撃砕した。
 

数だけは多くとも、門閥貴族の軍は指揮系統も明確ではなく、戦意も薄く、しかもろくな実戦を経験していないのだ。
精鋭を集めた逆襲部隊に敵うはずもなかった。
双方向から城壁にとりついていた部隊を次々に剥がされていくのを、もはや誰も止めることは出来ずにいたのである。
 

「ええい!あの程度の小勢に何を恐れる!」
 

マンシュタインがようやく重い腰をあげて手勢を投入しようとしたのもつかの間、今度は偵察にあたっていた近衛部隊の騎兵三百が後方に到着した。
背後を捕られ、退路を断たれたことに動揺が伝播していくのは致し方ないと言えるだろう。
包囲するほうが圧倒的に少数ではあるが、門閥貴族軍は三方面から包囲され事実上その戦闘力を喪失しつつあった。
退路を断たれ、しかも練度の高い部隊を相手にしてなお戦意を保つことは難しい。
なんといっても最前線で戦う兵士は平民なのであり、死ぬまで貴族に付き合う義理は持ち合わせていないのだから。
 

「雑魚に構うな!公爵の軍を捕捉せよ!」
 

ルーシアは精鋭の五百を錐のように突出させ、門閥貴族軍の中央に位置するマンシュタイン公爵を指呼の間に捉えようとしていた。
門閥貴族軍一万といえども、本気で戦う気のある部隊はそれぞれの貴族が抱える手兵のなかでも古参の一握りにすぎない。
まじめに全てを相手にする必要はないのである。
 

「防げ!馬鹿者、あんな小娘の軍など蹴散らしてしまえ!」
 

マンシュタインの檄にもかかわらず二時間もの戦闘に疲れきった部隊は、ルーシアの素早い機動に追随できないでいた。
門閥貴族の首魁、マンシュタインさえ捕らえることが出来れば貴族軍の瓦解は免れない。
勢いをいささかも減じずにルーシアたちがマンシュタイン軍に襲いかかろうとしたそのとき、横合いから百名足らずの小集団が割り込んでいた。
 

「マヒト・ナカオカミの女か。手土産には悪くない」
 

その小集団の正体はリュシマコス率いる一隊であった。
 

マヒトの武に結局自分が及ばないであろうことにリュシマコスは気づいている。あれは人が到達しうる領域を超えているのだ。
だからといってマヒトに対する負けを認める気にもならなかった。
ならば門閥貴族による政権奪取を――とも思ったがどうやらそれもかなわぬ気配が濃厚であった。
 

―――奴に一矢報いるまでは死ねぬ。
 

そんなときリュシマコスの目の前にルーシアが現れた。
マヒト・ナカオカミをオルパシアへと引き込み、同時にマヒトの妻の一人になることが噂されている女だ。
 

せめてこの女を奴から奪い去り、ブリストルにでも亡命するとしよう。
あの男が失望に顔をゆがめるのを鑑賞できないのは残念だが。
 

マヒトを除けばオルパシア内に自分と張り合える武の持ち主は五人といない。
リュシマコスは復讐の快感に全身を震わせていた。
 

 

立ちはだかる男が虎殺しリュシーであることにルーシアは気づいていた。
今のルーシアの武力では手に余る男だ。
しかしここでわざわざ機動を変えていてはマンシュタインを取り逃がす恐れがある。
どうやら奥の手を使う必要があるようだった。
 

―――愚かな
 

リュシマコスとしては全く自分を避けるつもりのないルーシアの蛮勇に苦笑を禁じえない。
付き従う兵とともにいれば大丈夫だとでも思ったのであろうか。
だがリュシマコスほどの男にとって兵卒が多少いることはなんの障害にもならないのだ。
 

「一足先にあの世へ行け」
 

リュシマコスがルーシアへ必殺の刃を振り上げようとしたそのとき、意識とは別に身体があらぬ方向へ傾いていくことにリュシマコスは気づいた。
 

……ありえない。こんなことはありえない。
オレは誰からの攻撃も受けていないし、馬にも地形にも障害はないはずだ。
なのになぜ勝手にオレは大地に落ちようとしているのか。
起き上がらなくては。
身体をもう一度垂直に立て直さなくては。
ああ、それなのになぜ、こんなにも地面が近いのだ――!
 

無情にも大地に伏したまま身動きの取れぬリュシマコスを、無数の馬蹄が踏みにじっていった。
 

「………ありがとう、真宵」
 

八の式、蝙蝠の式神真宵がユラユラと空を舞っている。
戦闘力は皆無ではあるが、狙った相手の平衡感覚を狂わすことが真宵の能力なのであった。
 




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