世界を渡る少年

高見 梁川

第六十一話

 



シンクレアの魔矢が真人の左胸に吸い込まれるのを、アルセイルは歓喜とともに目撃した。


 



――勝った


 



 



あまりに多くの犠牲を払った。


ブリストルが大陸に誇る三万の軍団は消滅し、故国の英雄シンクロードもまた外道とも言える自分の策のために失われた。


しかしその犠牲は決して無駄死にではない。


あのマヒト・ナカオカミの命を引き換えに得たのだから。


 



「真人おおおおおおおお!」


 



崩れ落ちる真人の姿に絶叫ながらも、ディアナはどこまでも闘神ディアナであった。


彼女の本心は今すぐにでも真人の救援に赴きたかったが、戦術指揮官としての彼女はあくまでもブリストルの指揮中枢である本陣の破壊と要人の殺傷を優先するべきであると考えていた。


味方の損害を極減し、敵の被害を極大化することが戦場を支配する者としての宿命なのである。


それに愛すべき伴侶たる男が、こんなところで自分を置いて死んでしまうはずがない。


この先戦いはまだまだ続き、その戦いの中心にシェラとプリムは間違いなく立たされることになるだろう。


守護者たる真人が、そんな二人を残して倒されるはずがない、これはディアナの確信だった。


彼女の率いる騎兵はアルセイルの懸命の防御にもかかわらず、堤防を壊す水のように瞬く間に彼の本陣を直撃し、これを蹂躙した。


人的被害は見た目ほど大きくはないものの、騎兵による蹂躙によってブリストル軍の指揮系統には深刻な支障が発生したのである。


これでは第二波のオルパシア歩兵に対する効果的な迎撃など望むべくもない。


もはや軍組織としてブリストル軍が死に体なのは明らかだった。


 



「見事な用兵だ。だが、少々遅かったようだな………」


 



マヒト・ナカオカミは助からない。


ディアナにはわからないだろうが、あの魔矢には治癒を阻害する高度な術式がこめられているのだ。


いかに真人が人を超越した能力を誇ろうと、内臓に魔矢を突き刺したまま生きる術はないのである。


後はブリストルの将として恥ずかしくない最後を飾るのみ――!


 



できうればあの見事なオルパシアの女将と雌雄を決してみたい。


しかし練達の戦術指揮官であるディアナがその機会を与えてくれる確率が低いことにアルセイルは気づいていた。


既に本陣は壊滅状態にあり、ただ個々の武勇に優れた精鋭の一部が必死の抗戦を継続している。


組織的な防戦を再び行うことは不可能だ。


ならば一個の武人としてただひとりの戦士として力の限り抗ってみせるのも悪くはない。


 



 



………アルセイルはあるひとつのことを見落としていた。


それは真人に対する刺客としての役目を達成したという高揚感によるものかもしれず、あるいはアルセイルが優れた武人であるがゆえに武を重視しすぎた結果であったかもしれない。


何よりシンクロードの命を糧にした必殺の策が破れることを認めるには彼らの存在はアルセイルの中で大き過ぎたのだ。


結果的に本陣を蹂躙することを選択したディアナの勘は完全に正しかった。


神を依り憑かせトランス状態にあったストラト神殿の司祭たちは、自分たちに何が起こったのかを自覚することもなく、オルパシア騎兵の馬蹄に踏みにじられていたのである。


 



 



 



 



 



ゴポリ


 



 



真人の口から血胞があふれ出すのを見てフィリオは逆上したといってよい。


国のために殉じる兵士としてシンクロードとシンクレアの選択は尊く美しいものである。


一命を賭して雄敵を屠り去るその自己犠牲の精神は長くブリストルに英雄譚として語り継がれることだろう。


しかし一個の戦士としては最低の行為だった。


 



武を競うものが死を覚悟するのはもとより必要なことだが、死を囮として戦士の命を狙うことが許されようはずがない。


戦士が競うべきものはただ武の強さのみであり、死とは武の強弱の結果のひとつであるにすぎないのだ。


こんな詐術のような暗殺紛いの勝利のためにフィリオは戦ってきたわけではないのであった。


 



―――こんな、こんな結末を受け入れられるか!


 



だがフィリオの目から見ても真人の怪我が致命傷であるのは明らかだった。


真人の唇からこぼれる血胞は肺が傷ついて気管に血が逆流している証拠である。


フィリオの経験上こうした臓器の損傷は、宮廷魔術師のような高度な治癒魔術を使えでもしないかぎり生還は難しい。


 



「やめろ!シンクレア!」


 



がっくりと片膝をついた真人に、シンクレアが止めの一矢を放とうとしているのがフィリオの視界に写った。


今の真人にシンクレアの神弓は避けられない。


終わってしまう。


自分が追いつき追い越すべき無二の好敵手が永遠に失われてしまうのをフィリオは恐れずにはいられなかった。


いつの日か真人の武を凌駕して大陸中に最強の称号を轟かせる……その機会は今フィリオの手から永久にこぼれおちようとしているのだ。


 



「………我がブリストルに仇為す怨敵め……!あの世でシンクロード殿に詫びるがいい!」


 



「やめろぉぉぉぉ!!」


 



フィリオの絶叫がシンクレアに届くことはない。


シンクレアにとって武とは国家に仕えるためのひとつの手段にしかすぎないからだ。


残された最後の魔矢を真人の額に向けて、亡き僚友への哀悼とともにシンクレアは矢をとき放った。


 



 



 



動くこともままならないはずの真人が迫り来る矢を打ち払い、背中にまで突き抜けていた左胸の矢を一瞬の躊躇もなく引き抜いて見せたのはそのときだった。


 



「………誰だ?おまえ………」


 



否、真人ではない。


顔立ちはよく似ているが、真人より二・三歳は年長であるように見える。


信じられないことに異国風の民族衣装を身に纏った、それでも一目で傑出した戦士であることがわかる青年が、真人と入れ替わるようにそこにいた。


 



「………終の式、大和推参」


 



真人によく似たその青年はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら悠然と名乗りをあげた。


 



 



 



 



いったい真人はどこに消えたのか?


そもそもこれほどの武芸者を前にして全く気づかれずに人を入れ替えるなどという技が本当に可能なものなのか?


残されたフィリオたち武芸者は目の前の現実に驚きの色を隠せない。


なかでもシンクレアの動揺は深刻だった。


 



「貴様……マヒト・ナカオカミをどこにやった!?」


 



シンクレアが激高するのも当然であろう。


尊敬する僚友シンクロードの命を犠牲にしてまでしとめることにこだわったマヒトに、いつの間にか逃げられていましたではあの世でシンクロードに合わせる顔がなかった。


 



「……我が主なら狭間に隠させてもらったぞ?……といってもお主らにはわかるまいが」


 



大和と名乗った青年は自分の心臓を指差すと謎めいた表現をしながら薄く嗤った。


 



「それにしても大した腕だな。神の封鎖があと数分解けずにおればいかに我が主でも危うかったぞ」


 



青年の言葉に初めてフィリオたち武芸者は神殿の司祭が倒れたであろうことを知った。


ふと顧みればアルセイル率いるブリストル軍は完全に崩壊しもはや虫の息である。固有の武力を持たない司祭たちが真っ先に倒されるのは自明の理であるというべきだった。


 



「……それはつまりオレたちはもう真人には手が出せないというわけだな?」


 



フィリオは大和に尋ねた。


もちろん彼の答えはわかっている。しかし儀式的な意味でその確認は必要なのだった。


 



「然り、狭間には我ら眷属たるものにしか手を出せぬ」


 



「………ならばよし!」


 



フィリオはウェルキンとベアトリスを振り返った。


形式は既に出来上がっている。あとはそのタイミングと実行があるのみであった。


 



「マヒト・ナカオカミに重傷は負わせたが、どうやら間一髪で取り逃がした!再戦を期すためにも今はなんとしてもここを退くぞ!」


 



「そうね」


「うむ」


 



ここに真人がいれば逃亡することはできない。


それは契約違反であり、傭兵にとって犯してはならない犯罪行為であるからだ。


しかし討伐の対象であるマヒト・ナカオカミが戦場から消え去った今、優先されるべきは自らの生存であるのは当然だった。


傭兵契約のなかに討伐対象の捜索までは含まれていないのだから。


 



「そ、そんな馬鹿な!認められるかそんなことが!ならばシンクロード殿はいったいなんのために命を散らしたと言うのだ!」


 



油断のない足運びで早くも遁走に移ったフィリオたちとは違い、シンクレアはそう簡単に真人の命を諦める気にはなれなかった。


既にシンクレアにこの戦いを生き延びるつもりはない。


しかしあの世でシンクロードと胸を張って見えるためにも、真人の命を奪わずにはいられないのだ。


 



「命は確かに尊いが、死が願いを購うことはない。生こそが希みを叶える唯一の力と知れ」


 



「戯言を―――!」


 



シンクレアの雄たけびとともに神速の矢が大和に向かって放たれる。


だがブリストルに神技を謳われるはずの矢の数々が、なぜか一矢たりとも当らない。


 



「………水行を以って鏡と為す、幻せ」


 



水分が複数の鏡を構成して大和の姿を晦ませていることに、シンクレアはいまだ気づいてはいない。


矢の射手として最も大切な遠近感を狂わされてしまってはもとより矢の当ろうはずがなかった。


 



「何故だ?何故当らぬ?何故神は私を嘉し賜らぬのか?」


 



物心ついてより武への修練を怠ったことはない。


誰に恥じることなく技を磨き、心身を鍛え上げてきた。


そして国と信仰を守るため、長年の僚友を殺し、今自らの命を捧げた。


それなのになぜ、この身には憎き敵を討ち果たす力すら与えられないのか!


 



「気高い志、忠誠、愛情、それは武人にとって得がたい力にはなる………」


 



そういって大和はアヌビア世界ではついぞ見られることのない反りのついた剣……日本刀を鞘から引き抜いた。


冴え冴えとした輝きに満ちながら、背筋を凍らせずにはおかない鬼気を纏ったその刀にシンクレアもフィリオたちもまた驚きを隠せない。


これほどの格を備えた剣は魔力付与された国宝級の宝具でも見たことはないからだ。


 



「………されど最後に勝負を決めるのは覚悟の量や心のあり方ではなく、ただ純粋な力のみ」


 



超然としていた大和の表情に初めて苦渋の色が走る。


善が悪に負け、愛情が欲望に敗北する。それは善悪好悪ではなく、ただ純然たる力の量によって勝負が決するためだ。


それがこの悪しき世界の理なのであった。


 



「我世の理を知りて斬を飛ばす、切り裂け、アメノハハキリ」


 



大和が剣を振りぬいた不可視の斬撃は、遠く離れたシンクレアの四肢を容易く寸断し、彼を悪しき世界から永久に解放した。


 



 



 



 



「よお、大和とか言ったか?参考までに聞きたいんだが、お前真人のなんなんだ?」


 



フィリオは群がるオルパシア兵をなぎ払いながらも視線だけは大和に向けたまま叫んだ。


まさに洒落にならない攻撃だった。


だが真人に匹敵する武の存在に気づいた以上、彼ともいずれ手を合わせずにはいられないというのがフイリオの悪しき宿唖なのである。


それに真人との再戦の前に彼がどうして真人を逃したのかを知る必要があった。


 



「我が名は大和………中御神家守護司の眷属にして……かつて守護司を目指して果たせなかった、不甲斐のない真人の兄であった者の残滓だ」


 



雄敵を葬りながら、大和の表情はどこまでも深い哀切に満ちていた。


 



 



 






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