世界を渡る少年
第四十一話
 
 
「くそ!なんで動かねえ……坊主こりゃなんの手妻だ?!」
 
リュシマコスにとって目の前の現実は素直には受け入れがたいものだった。
身長190cm体重100kgになんなんとする自分の剣が50kgそこそこの少年に軽々と受け止められ微動だにしないなど誰が信ずるだろう。
なにかしらの理由が存在するはずだった。
そうでなければそもそも素手で剣を掴みとることなど出来ようはずがないのだ。
 
「中隊長………ちょっと冷静になっていただけませだけませんかね?」
 
苦笑するようにバラールはリュシマコスに声をかけた。
その声音に含まれた嘲りと哀れみの色にリュシマコスは憤然となる。
オレはこの隊の中隊長だ。王国でも指折りの勇者だ。それがなぜこんな取るに足りない准尉ごときに嘲りを受けねばならないのか。
 
現実離れした光景にわれを失っていたアリシアがいち早く違和感に気づいた。
 
「し、失礼しました!大尉!」
 
「大尉ィ?!」
 
驚愕とともにリュシマコスは少年の襟章を見た。
オルパシア軍の徽章である百合の紋章が三つ、その存在を主張している。
 
馬鹿な…………!
 
ありえない話だった。
士官学校を出たばかりの18歳の新任でようやく少尉……目の前の少年はどう多めに見積もっても二十歳には届かない。
それどころか下手をすれば15,6にすら見えるほどだ。
唯一の例外があるとすればよほどの権門の子弟だろうが………リュシマコスも貴族のはしくれとして権門の家系は承知しているがこんな規格外の少年など見たことも聞いたこともなかった。
 
「おいおい、いつから王国軍は託児所になったんだ?」
 
虚勢を張りつつリュシマコスは改めて少年を見下ろした。
自分の肩口ほどに見える少年の顔を間近に見て思わず目を見張る。
想像以上の美形だった。
肌はあくまでも白く滑らかで極上の白磁器を思わせる。
そのなかで自分の剣を押さえ込んでいる右手だけが異様であった。
あの華奢で美しい女性のような手が何故自分の剣を押さえ込めるというのだろう?
空恐ろしい美しさだが男娼に感じる媚の色を一切感じさせないところを見るとオレの知らない貴族のボンボンであるのかもしれぬ。
 
「今の言葉そっくり貴官に返そう。ここは託児所ではない、戦場なのだ。私は貴官のように可愛げのない男の面倒を見るほど酔狂ではないぞ」
 
少年の言葉は辛らつだった。
リュシマコスのなけなしの忍耐があっという間に底をついた。
こんなガキに……!
こんなガキに邪魔者扱いされるなどという屈辱を許容することは断じてできなかった。
 
「うおおおおおおおお!!」
 
全身の力を振り絞って剣を握っていた右手を振りかぶる。
虎を絞め殺したときですらこれほどの力を振り絞ったことはない。まさに渾身の一撃だった。
対する少年はいまだに剣を受け止めたまま身じろぎひとつしない。
少年の意表をついたことにリュシマコスは深い喜びを感じるとともにこの一撃が少年の美貌を跡形も無く破壊するであろうことに歓喜した。
 
だが
 
「貴官がそちらの女性に言っていたように上官への反抗は重罪だ。まさかそのことに否やはあるまいね?」
 
自分の拳を顔面に受け止めながら少年は薄く嗤って微動だにしない。
これは悪夢か?
物理法則を超えた現象の前に急速に現実感が麻痺していくのをリュシマコスは感じた。
この体重差、拳に乗せられた衝撃力、百歩譲って少年が無傷であったとしても少年に対して発生した物理衝撃までは消せぬ道理だ。
なのに薄皮一枚にすら衝撃を受けた気配のないのはいったいどういうわけなのか。
リュシマコスは生まれて初めて個人的な武勇に対して恐怖を感じていた。
 
「………化け物め」
 
リュシマコスの捨て台詞は真人になんの感銘ももたらさなかった。
 
「化外であることはもとより承知。されど我もまたオルパシアの民なり。国王陛下の勅命により第502中隊と第377中隊は我が指揮下に入る。アリシア中尉!」
 
「はっ………!?」
 
自分は少尉であります……といいかけたがアリシアは真人の有無を言わさぬ気配を感じ取って口をつぐんだ。
 
「貴官をこの第377歩兵中隊の中隊長に野戦昇進させるものとする。並びにバラール少尉を中隊長代理として我が副官を兼任せよ。南部の情報を知悉する貴官の見識は貴重だ。これから私の補佐をよろしく頼む。リュシマコス少尉は後備軍とともに別命を待て」
 
「はっ………謹んで拝命します!」
 
アリシアの胸をかつてない充足感が包む。
幼い日夢に見た憧れ
汚れなき英雄
正義と誇り
戦場を支配する薄汚れた欲望にいつしか忘れかけていた理想
この人ならば純白の白雪のように王国を覆う汚泥を濯ぎ一面の白銀に変えてしまうかもしれない。
そしてその隣にたっているのが自分ならこんなにうれしいことはない。
激しく高鳴る胸の動悸にアリシアは思わず両手を胸の前に合わて顔を俯かせる。
その姿はまるで神の像に向って頭を垂れる敬虔な修道女にも似ていた。
 
「ふ、ふざけるな!貴様からそんな処分を受けるいわれはないぞ!」
 
リュシマコスの言い分ももっともだと言えるかもしれない。
いかに野戦昇進や処分をするにしてもそれは上官全てが成し得る権限ではない。
直系の上位組織である大隊長か連隊長が行うべきものだ。
確かにこの少年は中隊ふたつを指揮下におくと言ったが編成上いずれかの上位組織に組み込まれているはずであり、それらの組織にはリュシマコスの所属する軍閥の意向が通じるはずであった。
 
「貴官は勘違いしているようだが私の指揮する二個中隊は南部軍の編成からははずれることになる。軍務卿の直轄軍として傭兵部隊とともに遊撃の任につく予定だ。
その点で私が貴官に処分を下すのは全く妥当なものだ」
 
「そんな馬鹿な!」
 
想像を超えた事態にリュシマコスは思わず叫んだ。
ありえない。
自分の知らない王都でいったい何があったのか。
南部に派遣される援軍であるにもかかわらず南部軍の指揮下には入らない、しかも傭兵と正規軍が独立して作戦行動するなど王国の歴史始まって以来のことだった。
 
でたらめだ。
しかしそのでたらめを押し通してしまうのが権力であり暴力というものであった。
それをリュシマコスは体験として知っていた。
 
「何者なんだ………てめえは………」
 
「わが名はマヒト・ナカオカミ・ティレース・ノルド・シェレンベルグ。王国軍大尉にして王国子爵でもある」
 
「………シェレンベルグだとぉ………」
 
リュシマコスはようやく敗北を認めつつあった。
シェレンベルグ侯爵に息子はいなかったはずだからおそらくは養子なのだろうが、シェレンベルグと言えば王国では五本の指には入る権門である。
そうでなければ目の前の小僧が子爵などという位を叙爵しているわけがなかった。
いかにマンシュタイン公爵家の末席に身を連ねるといえども自分がかなう相手ではない。
 
………今は退いてやる。しかしこのままで終わらせることはオレの自尊心が許さない。
 
王国の派閥はマンシュタイン家を筆頭とする門閥貴族とハースバルド家とシェレンベルグ家を中心とした実務派貴族に二分されつつあることはリュシマコスも承知していた。
 
いつか二派が決別する日がやってくる。その時には……貴様の大事にするもの全てを踏みにじって凱歌を歌わせてもらうぞ小僧!!
 
 
背中全体で憎悪と怨念を撒き散らしながらリュシマコスが天幕を退出すると真人は優しくアリシアの頬を撫でた。
 
「大丈夫だったかい?」
 
「ははははい!大尉のおかげをもちましてっ!」
 
アリシアはかつてない胸の動悸と熱病にかかったような顔のほてりと戦わなくてはならなかった。
 
ひとり人生経験豊かなバラールは嘆息とともにアリシアの将来に危惧を覚えずにはいられなかった。
バラールの見るところアリシアには夢見がちな乙女のような一面がある。
その精神はあくまでも清く、どこまでも美しい理想を心のどこかで持ち続けていられる………そんな一面が。
そんな彼女が真人に傾倒していくのは必然といえるだろう。
しかし過度の傾倒はアリシアを平凡な女性の幸せから遠ざけかねない危険を孕んでいた。
真人のために全てを投げ出し奉仕することに喜びを見出す神の信徒のようになりかねない危険が。
 
願わくばお嬢にカムナビの祝福があらんことを………
 
アリシアは誰が見ても贔屓目無しに美人といえる女だ。
積極的に気が惹けるとも思えないが彼女が真人のお眼鏡にかなうことを祈るしかあるまい。
瞳を潤ませて真人に世話を焼き始めた上官の姿を見て、バラールはもう一度肺が空になるほどの深いため息をついた。
 
 
 
「くそ!なんで動かねえ……坊主こりゃなんの手妻だ?!」
 
リュシマコスにとって目の前の現実は素直には受け入れがたいものだった。
身長190cm体重100kgになんなんとする自分の剣が50kgそこそこの少年に軽々と受け止められ微動だにしないなど誰が信ずるだろう。
なにかしらの理由が存在するはずだった。
そうでなければそもそも素手で剣を掴みとることなど出来ようはずがないのだ。
 
「中隊長………ちょっと冷静になっていただけませだけませんかね?」
 
苦笑するようにバラールはリュシマコスに声をかけた。
その声音に含まれた嘲りと哀れみの色にリュシマコスは憤然となる。
オレはこの隊の中隊長だ。王国でも指折りの勇者だ。それがなぜこんな取るに足りない准尉ごときに嘲りを受けねばならないのか。
 
現実離れした光景にわれを失っていたアリシアがいち早く違和感に気づいた。
 
「し、失礼しました!大尉!」
 
「大尉ィ?!」
 
驚愕とともにリュシマコスは少年の襟章を見た。
オルパシア軍の徽章である百合の紋章が三つ、その存在を主張している。
 
馬鹿な…………!
 
ありえない話だった。
士官学校を出たばかりの18歳の新任でようやく少尉……目の前の少年はどう多めに見積もっても二十歳には届かない。
それどころか下手をすれば15,6にすら見えるほどだ。
唯一の例外があるとすればよほどの権門の子弟だろうが………リュシマコスも貴族のはしくれとして権門の家系は承知しているがこんな規格外の少年など見たことも聞いたこともなかった。
 
「おいおい、いつから王国軍は託児所になったんだ?」
 
虚勢を張りつつリュシマコスは改めて少年を見下ろした。
自分の肩口ほどに見える少年の顔を間近に見て思わず目を見張る。
想像以上の美形だった。
肌はあくまでも白く滑らかで極上の白磁器を思わせる。
そのなかで自分の剣を押さえ込んでいる右手だけが異様であった。
あの華奢で美しい女性のような手が何故自分の剣を押さえ込めるというのだろう?
空恐ろしい美しさだが男娼に感じる媚の色を一切感じさせないところを見るとオレの知らない貴族のボンボンであるのかもしれぬ。
 
「今の言葉そっくり貴官に返そう。ここは託児所ではない、戦場なのだ。私は貴官のように可愛げのない男の面倒を見るほど酔狂ではないぞ」
 
少年の言葉は辛らつだった。
リュシマコスのなけなしの忍耐があっという間に底をついた。
こんなガキに……!
こんなガキに邪魔者扱いされるなどという屈辱を許容することは断じてできなかった。
 
「うおおおおおおおお!!」
 
全身の力を振り絞って剣を握っていた右手を振りかぶる。
虎を絞め殺したときですらこれほどの力を振り絞ったことはない。まさに渾身の一撃だった。
対する少年はいまだに剣を受け止めたまま身じろぎひとつしない。
少年の意表をついたことにリュシマコスは深い喜びを感じるとともにこの一撃が少年の美貌を跡形も無く破壊するであろうことに歓喜した。
 
だが
 
「貴官がそちらの女性に言っていたように上官への反抗は重罪だ。まさかそのことに否やはあるまいね?」
 
自分の拳を顔面に受け止めながら少年は薄く嗤って微動だにしない。
これは悪夢か?
物理法則を超えた現象の前に急速に現実感が麻痺していくのをリュシマコスは感じた。
この体重差、拳に乗せられた衝撃力、百歩譲って少年が無傷であったとしても少年に対して発生した物理衝撃までは消せぬ道理だ。
なのに薄皮一枚にすら衝撃を受けた気配のないのはいったいどういうわけなのか。
リュシマコスは生まれて初めて個人的な武勇に対して恐怖を感じていた。
 
「………化け物め」
 
リュシマコスの捨て台詞は真人になんの感銘ももたらさなかった。
 
「化外であることはもとより承知。されど我もまたオルパシアの民なり。国王陛下の勅命により第502中隊と第377中隊は我が指揮下に入る。アリシア中尉!」
 
「はっ………!?」
 
自分は少尉であります……といいかけたがアリシアは真人の有無を言わさぬ気配を感じ取って口をつぐんだ。
 
「貴官をこの第377歩兵中隊の中隊長に野戦昇進させるものとする。並びにバラール少尉を中隊長代理として我が副官を兼任せよ。南部の情報を知悉する貴官の見識は貴重だ。これから私の補佐をよろしく頼む。リュシマコス少尉は後備軍とともに別命を待て」
 
「はっ………謹んで拝命します!」
 
アリシアの胸をかつてない充足感が包む。
幼い日夢に見た憧れ
汚れなき英雄
正義と誇り
戦場を支配する薄汚れた欲望にいつしか忘れかけていた理想
この人ならば純白の白雪のように王国を覆う汚泥を濯ぎ一面の白銀に変えてしまうかもしれない。
そしてその隣にたっているのが自分ならこんなにうれしいことはない。
激しく高鳴る胸の動悸にアリシアは思わず両手を胸の前に合わて顔を俯かせる。
その姿はまるで神の像に向って頭を垂れる敬虔な修道女にも似ていた。
 
「ふ、ふざけるな!貴様からそんな処分を受けるいわれはないぞ!」
 
リュシマコスの言い分ももっともだと言えるかもしれない。
いかに野戦昇進や処分をするにしてもそれは上官全てが成し得る権限ではない。
直系の上位組織である大隊長か連隊長が行うべきものだ。
確かにこの少年は中隊ふたつを指揮下におくと言ったが編成上いずれかの上位組織に組み込まれているはずであり、それらの組織にはリュシマコスの所属する軍閥の意向が通じるはずであった。
 
「貴官は勘違いしているようだが私の指揮する二個中隊は南部軍の編成からははずれることになる。軍務卿の直轄軍として傭兵部隊とともに遊撃の任につく予定だ。
その点で私が貴官に処分を下すのは全く妥当なものだ」
 
「そんな馬鹿な!」
 
想像を超えた事態にリュシマコスは思わず叫んだ。
ありえない。
自分の知らない王都でいったい何があったのか。
南部に派遣される援軍であるにもかかわらず南部軍の指揮下には入らない、しかも傭兵と正規軍が独立して作戦行動するなど王国の歴史始まって以来のことだった。
 
でたらめだ。
しかしそのでたらめを押し通してしまうのが権力であり暴力というものであった。
それをリュシマコスは体験として知っていた。
 
「何者なんだ………てめえは………」
 
「わが名はマヒト・ナカオカミ・ティレース・ノルド・シェレンベルグ。王国軍大尉にして王国子爵でもある」
 
「………シェレンベルグだとぉ………」
 
リュシマコスはようやく敗北を認めつつあった。
シェレンベルグ侯爵に息子はいなかったはずだからおそらくは養子なのだろうが、シェレンベルグと言えば王国では五本の指には入る権門である。
そうでなければ目の前の小僧が子爵などという位を叙爵しているわけがなかった。
いかにマンシュタイン公爵家の末席に身を連ねるといえども自分がかなう相手ではない。
 
………今は退いてやる。しかしこのままで終わらせることはオレの自尊心が許さない。
 
王国の派閥はマンシュタイン家を筆頭とする門閥貴族とハースバルド家とシェレンベルグ家を中心とした実務派貴族に二分されつつあることはリュシマコスも承知していた。
 
いつか二派が決別する日がやってくる。その時には……貴様の大事にするもの全てを踏みにじって凱歌を歌わせてもらうぞ小僧!!
 
 
背中全体で憎悪と怨念を撒き散らしながらリュシマコスが天幕を退出すると真人は優しくアリシアの頬を撫でた。
 
「大丈夫だったかい?」
 
「ははははい!大尉のおかげをもちましてっ!」
 
アリシアはかつてない胸の動悸と熱病にかかったような顔のほてりと戦わなくてはならなかった。
 
ひとり人生経験豊かなバラールは嘆息とともにアリシアの将来に危惧を覚えずにはいられなかった。
バラールの見るところアリシアには夢見がちな乙女のような一面がある。
その精神はあくまでも清く、どこまでも美しい理想を心のどこかで持ち続けていられる………そんな一面が。
そんな彼女が真人に傾倒していくのは必然といえるだろう。
しかし過度の傾倒はアリシアを平凡な女性の幸せから遠ざけかねない危険を孕んでいた。
真人のために全てを投げ出し奉仕することに喜びを見出す神の信徒のようになりかねない危険が。
 
願わくばお嬢にカムナビの祝福があらんことを………
 
アリシアは誰が見ても贔屓目無しに美人といえる女だ。
積極的に気が惹けるとも思えないが彼女が真人のお眼鏡にかなうことを祈るしかあるまい。
瞳を潤ませて真人に世話を焼き始めた上官の姿を見て、バラールはもう一度肺が空になるほどの深いため息をついた。
 
 
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