世界を渡る少年

高見 梁川

第二十八話

 



 



コラウル山系を越えるとそこはもうブリストル帝国の領土である。


眼下に広がる巨大な石の壁……コラウルからさらに伸びる大陸公路と南へ続くビルセナ街道を管制するケルドラン盆地に聳え立つこの石造りの塊こそブリストルの誇る前線基地にしてこの旅の目的地ケルドラン城塞都市に他ならなかった。


 



「相変わらず過剰なほどの物々しさよ」


 



ラスネールは嘆息して苦笑を浮かべるしかない。


高さ十数メートルには達しようとする城壁、さらに城壁を補完する夥しい支砦群………極めつけはマッセナ川の流れを捻じ曲げてまで造りだした


巨大な堀………難航不落を絵に描いたような情景であった。


ブリストルがオルパシア攻略の最重要前線拠点として長年にわたって整備してきたことを知る人は知っている。


これを見てその程度の想像を働かせることのできない人間はラスネールに言わせればクズだ。


現実より己にとって都合のいい空想を大事にする妄想家と言い換えてもよい。


 



「………無駄なものを造りましたね………」


 



呆れたような真人の声にラスネールは目を剥いて振り返った。


初めてこの城塞都市を見るものは例外なくその威容に圧倒されてしまう。ラスネールですらその例外ではなかった。


軍事の専門家であるウーデット卿も反応は似たり寄ったりだったはずだ。もちろん攻略のヒントをつかもうと油断なく目を配ってはいたが。


 



「無駄とはどういう意味かね?この都市は戦争が始まれば最重要拠点として大いに力を発揮するだろうと私は思うのだが」


 



この城塞を陥落させようとしたらいったいどれほどの兵力が必要になるか想像もつかない。


それは国力において劣るオルパシアにとって決して許容することのできぬ損害を強要するのかもしれなかった。


 



「別して堀に利用しているマッセナ川がいけませんね」


 



こともなげに真人は言い捨てた。子供が出来の悪いおもちゃを放り投げるような無造作な言い様だった。


 



ラスネールには真人の言っている意味が理解できなかった。


川幅三十数メートルになんなんとする水量も豊富なマッセナ川はケルドランの重要な防御障壁である。


川と城とを渡す橋は城壁からの弓が交差する殺し間となっており、川を泳いで渡ろうとすれば自然歩兵は軽装にならざるを得ない。


軽装歩兵に重厚な城壁を突破することは不可能だ。


城門を破るにしろ城壁を登るにしろしかるべき装備なくして歩兵の戦力化は難しいのである。


 



「お忘れですか?マッセナ川がどこから流れてくるか」


 



たった今自分たちが越えてきたコラウル山系に決まっている……と言いかけてラスネールは息を呑んだ。


愕然としたと言っていい。


この少年はマッセナ川をせき止めてしまえばいいと、こともなげに言っているのだ。


 



いや待て、それは現実的ではないだろう。


敵前で強行される大規模土木工事の成功率は決して高いものではないはずだ。


目の付けどころは良いとは思うがこれは…………


 



「兵力的に優位ならそうした戦術も可能かもしれないが残念ながら戦争の主導権はブリストルにある。君の思うようにはいくまいよ」


 



真人は肩をすくめていたずらっぽく笑うにとどめた。


渓谷を堰き止めるだけなら真人一人でも可能なことなのだがそれを言うのは憚るべきだった。


 



 



 



 



 



ブリストル帝国が大陸に誇る陸軍の12人しかいない将軍の一人であるアウフレーベ・ラスク・フェルゼン・ロームクロイツは憂鬱そうに肩まで伸びた黒髪を玩んでいた。


気持ちが塞いでいる理由はわかっている。


今回の茶番としか言いようのない政治交渉によりオルパシア王国外務卿ラスネール侯爵を拘禁し王都まで護衛するという任務に納得がいかないのだった。


アウフレーベが女性の身でありながら将軍の地位にまで登りつめたのはそうした陰湿な策略によってではなく堂々たる用兵の妙と個人的に卓越した武勇にあるのであり彼女自身その矜持を誇りに思っているのだからやるせなさは積もるばかりである。


 



…………そんな卑怯な手を使わずともオルパシアごとき私が完膚なきまでに打ち破ってみせる!


 



アウフレーベにはその自信があったが命令には逆らえない。


 



逆に嬉々としてこの任務を受け容れている人間もいる。


軍監として王都から派遣されてきたエイディングがその筆頭だった。


危険からはいち早く逃れるくせに、相手が弱者と見るやいけ高々に現れる輩である。


アウフレーベがもっとも嫌う品性の下劣な連中だが任務をないがしろにいているわけではないので処罰することもできなかった。


 



「…………哀れな………」


 



アウフレーベの眼下を一頭の馬車と一騎の武官が城門に向かっている。


せめて丁重に扱わせることを心に誓ってアウフレーベは使者を出迎えに身を翻した。


 



 



 



 



 



「オルパシア王国全権使節団代表の外務卿ラスネールだ。わざわざのお出迎え痛み入る……と言いたいところだが……何かねこれは?」


ラスネール達はブリストル兵に槍先を向けられていた。


まともな交渉をする気はないだろうと踏んではいたが、まさか交渉自体する気が無いとは思わなかった。


 



「ふん、もはや開戦は決しておる。わざわざ手間をかける必要もあるまい。この場で捕縛してくれる」


 



鎖を腕に巻いた兵士が歩み出る。


仮にも侯爵に対して囚人のように手鎖をつけるつもりらしい。


 



「愚かな………大陸中にブリストルの無法と野蛮を喧伝したいか」


 



全く無法というべきであった。


外交官には戦時捕虜になった場合でもこれを虐待してはならないのは一流の国家間では常識である。


戦争になったからといって外交のチャンネルを失うのは通常の場合損失にしかならないからだ。


 



しかしこのラスネールの呟きはブリストルの高官らしき男を激高させたらしかった。


 



「減らず口を叩きおって!何をしておる、早くこの者に鎖を………」


 



「誰がそんな勝手な真似を許したか!下がれエイディング!」


 



凛とした鮮烈な響きが男の動きを止めさせる。


 



「こ、これは将軍………心外なことを申されますな……こやつらを捕縛し連行するのは恐れ多くも皇帝陛下の御意でありますぞ!」


 



虎の威を借る狐とはこのことか。


真人は薄く笑った。


彼女は本物のもののふだ。そしてもののふが威に屈服することはありえない。


 



「ブリストルは大陸に冠たる大国の一、それが開戦の宣誓すら満足に行えぬと大陸中に恥を晒す気か!皇帝陛下がブリストルの恥を晒せと貴様に命令したとでも言うのかエイディング!」


 



真っ向から切りつけられた正論にエイディングは返す言葉もない。


ただ、理不尽な怨念を宿した目で睨みつけるだけだった。


 



「失礼した、ご使者殿。私がこの城塞を預かるアウフレーベ・ラスク・フェルゼン・ロームクロイツだ。遠路のお運びをいただいて恐縮だが、今聞いたとおりわが国の開戦の意志は変わらぬ。無駄な抵抗はせぬがよろしかろう」


 



アウフレーベが手を一振りすると兵士の列が退いていく。


 



「開戦の儀が整うまでしばし別室で待たれよ。貴殿たちの待遇は私が保証するゆえ心配には及ばぬ」


 



明らかな殺意を乗せてエイディングがアウフレーベを凝視する。


自分の獲物を横取りするなら許しはしない。たとえそれが味方であろうとも陥れ命で購わせるまでだ………!


 



敵国の侯爵という高貴な存在を貶め嬲るのを夢見ていた。


エイディングのサディスティックな妄執が蛇のように鎌首をもたげ始めていた。


 



 






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