彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版
第二十八話 束の間の和平
「ふむ……まあトランシルヴァニアの割譲はいいとして……ハンガリーと本気で和平するつもりはあるまいな?我が君」
砂糖菓子を頬張りながらヘレナが悪戯っぽく笑う。
本当にこうした政治談議を交わすときのヘレナは生き生きとしていて、見た目どおりの少女でないことを改めて俺に感じさせた。
「今はお互いに時間が必要だからな……」
ヤーノシュとしては自らの戦略策源地であるトランシルヴァニアを手放すのは断腸の思いであろう。
しかしヤン・イスクラとの戦いで消耗し、さらにトランシルヴァニアで打撃を蒙った状態でワラキアと雌雄を決するのはあまりにリスクが高すぎた。
それにいかに一代の英雄であろうとも、自らの地位を息子に引き継ぎたいと考えるのは本能であるとも言える。
ラースローとマーチャーシュを人質にとられた現状ではヤーノシュが和平を断る可能性は低かった。
だからといってヤーノシュが馬鹿正直に和平を守るとは考えてもいない。
トランシルヴァニアをワラキアに奪われ、ワラキアを仮想敵国として認識せねばならない以上ハンガリー王国は念願の神聖ローマ帝国に食指を伸ばすこともオスマンと正面きって争うこともできない2流の国家に成り下がる。
一代の英雄たるヤーノシュがそれをよしとするはずがなかった。
「我が君はハンガリーが動くまで何年と見る?」
ヘレナの問いに俺は薄く嗤った。
確かに鋭い政治センスを持ったヘレナではあるが、やはり英雄の底力を見ぬくには絶対的に経験が不足しているらしかった。
「――――早ければ3ケ月持つかどうか、さ」
国内の粛清を完了したとはいえヤーノシュの権力基盤は砂上の楼閣のようなものだ。
ただ一度の失敗が、あるいはほんの一部の貴族の暴走がハンガリー王国という国家をも崩壊させかねない危ういバランスの上にヤーノシュは立っている。
古い大貴族を粛清し、トランシルヴァニア出身の傭兵あがりが国家を主導する立場に立つということはそういうことだった。
この恐るべき危うさを改善するためにはワラキアに対する画期的な勝利とトランシルヴァニアの奪還が必須の条件であった。
問題なのはワラキアの支配によりトランシルヴァニアの権力構造が変化してしまうことだ。
ハンガリー王国宰相としてサス人を優遇してきたヤーノシュにとってルーマニア人優遇を打ち出したヴラドの治世がトランシルヴァニアに根付いてしまうのは非常に都合が悪く、出来うるかぎり早く取り戻したいというのが本音なのである。
粛清による国政の停滞を解消できたならば、ヤーノシュはすぐさま兵を挙げるだろうと俺は推測していた。
「戦は拙速を尊ぶと聞いたような覚えはあるが………だとすると今度こそヤーノシュは命賭けで戦いを挑んでくるぞ?」
次に負ければいかにヤーノシュが英雄であろうとも失脚は免れない。
失脚すれば無理な粛清を実施した報いが必ずヤーノシュに跳ね返るであろう。
だとするならばあと先を考えずひたすら勝つためにいかなる犠牲も省みず向かってくるに違いなかった。
「――――こっちは毎回命賭けさ」
小国ワラキアには最初から後などない。
再起するだけの資金も権力基盤も俺は持っていないからだ。
いかにヤーノシュが覚悟を決めてかかろうとこちらのすることに変わりはなかった。
丘を越えた眼下に特徴的な尖塔の屋根が立ち並ぶオレディアの街並みが見えてきた。
都市としては規模は小さいがトランシルヴァニアとハンガリーの結節点にあたるこの都市は中継貿易でそれなりに栄えた比較的豊かな都市だった。
「――――見えてきたぞ、ヘレナ。もう少し我慢してくれ」
スプリングの存在しない中世の馬車は決して乗り心地のよいものではない。
むしろ女子供には負担にしかならない劣悪なものと言っていいだろう。
ヘレナの小さな身体が馬車の旅で耐えられるかと不安を感じずにはいられなかった。
「うむ、ちょうどよいクッションがあるから大丈夫じゃ!」
そういって俺の膝の上にのるヘレナが可愛らしすぎて固まってしまったのは内緒だ。
(―――――姫様!ご自分の武器をよく理解した素晴らしい攻撃です!)
無表情な侍女の目がそんな二人を妖しく見つめていた。
街の中心に設けられた教会の聖堂ですでにヤーノシュはヴラドを待ち受けていた。
父であるヴラド2世とは因縁浅からぬ仲だが、これまでヤーノシュ自身はヴラドと直接会う機会はなかった。
「――――来たか」
ガシャガシャという武装した騎士の鎧の立てる音とかすかな馬のいななきがヴラドの到着を知らせた。
はたして2度までもこの自分に煮え湯をのませた若者はいかなる男であることか………。
鈍い木枠の軋む音とともに扉が開かれる。
そこに傲然とたたずむ長身の少年を一目見た瞬間にヤーノシュは理解した。
――――――この男と決して並び立つことはできないことを。
おそらくヤーノシュの自分と同じことを考えているだろう。
この男と並び立つことはできない。
互いの相手の息の根を止めた方が新たな世界の地平を切り開くのだ。
小柄だが戦に鍛え上げられたヤーノシュの丸太のように太い身体は今にも斬りかからんばかりの威に満ち溢れている。
今ここで確実に俺の息の根を止められると判断すれば躊躇なくこの男は俺を殺すだろう。
ゲクランとその精鋭を同行させておいて大正解だった。
「あまり父上には似ておらぬな、ワラキア公」
「長くオスマンにて人質として生活しておりましたゆえ無調法はお詫び申し上げる」
ちょうど父と息子ほどに年の離れた二人であるが、二人は互いを好敵手として認めあっていたと言っていい。
かたやハンガリー王国の実質的君主であり、史実においてもペストで早逝しなければ神聖ローマ帝国皇帝の座すら狙えた英雄。
かたやオスマンの人質から徒手空拳の身でワラキア公国を統一し、圧倒的な戦力差を覆しトランシルヴァニア公国を征服した男。
いずれも必ずや歴史にその名を残す男たちだった。
「息子たちは息災にしておるか?」
「つつがなくシギショアラにてご静養中です。ラースロー殿はいささか気が塞いでおるご様子ですが」
「あれは少し根がまじめすぎるものでな。くれぐれも大事のないようお願いする」
「最善を尽くします」
立会の枢機卿は二人がいたって友好的であることに心から安堵していた。
この和平にあってはローマカトリックと正教会の双方から大司教が派遣されており、両者が決裂するようなことがあれば両協会の面子は丸つぶれになりかねなかったからである。
「それではワラキア公国はトランシルヴァニアを領有するということでよろしいか?」
「異議なし」
「引き換えにハンガリー王国はワラキア領であったファガラシュとアルマシュに公都であるシギショアラを領有することでよろしいか?」
「異議なし」
「なおこの和平以後ワラキア公は北部ハンガリーとの接触を禁ずるものとする。よろしいか?」
「異議なし」
「では父と子と聖霊の御名において、両国の和平をここに承認するものとする。アーメン」
和平の条件についてはすでに最初から打ち合わせが済んでいる。
それをわざわざこうしてハンガリーにまで足を運んだのは儀式上の礼でもあるが、何よりヤーノシュという男をこの目で見ておきたかったからだ。
史実においてヴラドの父、ヴラド2世を暗殺したのは直接にしろ間接にしろほぼ間違いなくヤーノシュの意向が働いているはずであった。
にもかかわらずモルダヴィアを追われたヴラドが亡命先に選んだのはヤーノシュの治めるハンガリー王国であった。
そこでヴラドは後の正義王マーチャーシュとともにヤーノシュの英才教育を受けたとされる。
軍事指揮官として傑出した才能を発揮したヴラドではあるが、その基礎はヤーノシュの薫陶によって磨かれたものであったのである。
ヴラドの師として恥じぬだけのカリスマと力量が間違いなくヤーノシュにはあった。
だからこそヤーノシュはヴラドと戦わずにはおれぬ。
その確信を持てただけでも俺にとっては十分すぎるほどの収穫だった。
「ワラキア公」
「何か?」
「先の戦いでフスの戦いを真似たのは公の発案によるものか?」
正確には俺が採用したのはフスの連結車両による簡易野戦陣地の作成だけではないのだが、ヤーノシュにとって印象的だったのはやはり長年の敵であるヤン・イスクラの戦術だったらしい。
「………当方には経験のある有能な傭兵が少なくないもので」
実際のところワラキア公国軍の主力はゲクラン率いる傭兵出身者たちである。
ようやく正規軍としての新兵も育ってきているが質的主力は傭兵出身者であることに変わりはない。
「謙遜せずともよい。傭兵の言葉を容れるのも君主の度量というものだ。だが、これだけは言っておく」
黒目の大きなヤーノシュの瞳が鷹のような獰猛な視線を向けた。
俺に向かって宣告するというよりはまるで自分自身に誓いを立てているように俺は感じた。
「いつまでもあのような異端の戦いが通用すると思うな。所詮万能の戦い方などありはしない。しかし―――王道は存在する。それはあのような根なし草の悪魔の能くするところではないのだ」
守勢においてフス派の連結車両は無類の力を発揮するが、それはあくまで形勢が悪ければ逃げることを前提にしている。
火力戦に徹することで局所的な優位を確立するこの戦術はその一方で攻城戦や敵の野戦軍を打ち破るための攻勢には向いていない。
ヤーノシュはそのことを指摘しているのである。
「――――ご忠言ありがたく」
「再び相まみえる日を楽しみにしておるぞ」
戦場で、とはヤーノシュは言わない。
しかし再び会うのが戦場以外にはありえないことを誰でもなく俺自身が承知していた。
「とんでもない男を敵に回しているな、我が君は」
ローマの中立を保障する意味でも迂闊に姿を現さないほうがよいと言われて隙間からヴラドとヤーノシュのやり取りを覗いていたヘレナは考えていた以上のヤーノシュの巨大さに呆れたように呟いた。
衰えたローマの国力では間違っても敵に回したくない男だ。
ヴラドという存在がなければローマの命運を託したくなるほどの英傑である。
「だがあの男は勘違いしておる。フス派?我が君がそんなちっぽけな路傍の石のおかげで勝利を拾ったとでも思っているのか?――――我が夫を嘗めてもらっては困るな」
砂糖菓子を頬張りながらヘレナが悪戯っぽく笑う。
本当にこうした政治談議を交わすときのヘレナは生き生きとしていて、見た目どおりの少女でないことを改めて俺に感じさせた。
「今はお互いに時間が必要だからな……」
ヤーノシュとしては自らの戦略策源地であるトランシルヴァニアを手放すのは断腸の思いであろう。
しかしヤン・イスクラとの戦いで消耗し、さらにトランシルヴァニアで打撃を蒙った状態でワラキアと雌雄を決するのはあまりにリスクが高すぎた。
それにいかに一代の英雄であろうとも、自らの地位を息子に引き継ぎたいと考えるのは本能であるとも言える。
ラースローとマーチャーシュを人質にとられた現状ではヤーノシュが和平を断る可能性は低かった。
だからといってヤーノシュが馬鹿正直に和平を守るとは考えてもいない。
トランシルヴァニアをワラキアに奪われ、ワラキアを仮想敵国として認識せねばならない以上ハンガリー王国は念願の神聖ローマ帝国に食指を伸ばすこともオスマンと正面きって争うこともできない2流の国家に成り下がる。
一代の英雄たるヤーノシュがそれをよしとするはずがなかった。
「我が君はハンガリーが動くまで何年と見る?」
ヘレナの問いに俺は薄く嗤った。
確かに鋭い政治センスを持ったヘレナではあるが、やはり英雄の底力を見ぬくには絶対的に経験が不足しているらしかった。
「――――早ければ3ケ月持つかどうか、さ」
国内の粛清を完了したとはいえヤーノシュの権力基盤は砂上の楼閣のようなものだ。
ただ一度の失敗が、あるいはほんの一部の貴族の暴走がハンガリー王国という国家をも崩壊させかねない危ういバランスの上にヤーノシュは立っている。
古い大貴族を粛清し、トランシルヴァニア出身の傭兵あがりが国家を主導する立場に立つということはそういうことだった。
この恐るべき危うさを改善するためにはワラキアに対する画期的な勝利とトランシルヴァニアの奪還が必須の条件であった。
問題なのはワラキアの支配によりトランシルヴァニアの権力構造が変化してしまうことだ。
ハンガリー王国宰相としてサス人を優遇してきたヤーノシュにとってルーマニア人優遇を打ち出したヴラドの治世がトランシルヴァニアに根付いてしまうのは非常に都合が悪く、出来うるかぎり早く取り戻したいというのが本音なのである。
粛清による国政の停滞を解消できたならば、ヤーノシュはすぐさま兵を挙げるだろうと俺は推測していた。
「戦は拙速を尊ぶと聞いたような覚えはあるが………だとすると今度こそヤーノシュは命賭けで戦いを挑んでくるぞ?」
次に負ければいかにヤーノシュが英雄であろうとも失脚は免れない。
失脚すれば無理な粛清を実施した報いが必ずヤーノシュに跳ね返るであろう。
だとするならばあと先を考えずひたすら勝つためにいかなる犠牲も省みず向かってくるに違いなかった。
「――――こっちは毎回命賭けさ」
小国ワラキアには最初から後などない。
再起するだけの資金も権力基盤も俺は持っていないからだ。
いかにヤーノシュが覚悟を決めてかかろうとこちらのすることに変わりはなかった。
丘を越えた眼下に特徴的な尖塔の屋根が立ち並ぶオレディアの街並みが見えてきた。
都市としては規模は小さいがトランシルヴァニアとハンガリーの結節点にあたるこの都市は中継貿易でそれなりに栄えた比較的豊かな都市だった。
「――――見えてきたぞ、ヘレナ。もう少し我慢してくれ」
スプリングの存在しない中世の馬車は決して乗り心地のよいものではない。
むしろ女子供には負担にしかならない劣悪なものと言っていいだろう。
ヘレナの小さな身体が馬車の旅で耐えられるかと不安を感じずにはいられなかった。
「うむ、ちょうどよいクッションがあるから大丈夫じゃ!」
そういって俺の膝の上にのるヘレナが可愛らしすぎて固まってしまったのは内緒だ。
(―――――姫様!ご自分の武器をよく理解した素晴らしい攻撃です!)
無表情な侍女の目がそんな二人を妖しく見つめていた。
街の中心に設けられた教会の聖堂ですでにヤーノシュはヴラドを待ち受けていた。
父であるヴラド2世とは因縁浅からぬ仲だが、これまでヤーノシュ自身はヴラドと直接会う機会はなかった。
「――――来たか」
ガシャガシャという武装した騎士の鎧の立てる音とかすかな馬のいななきがヴラドの到着を知らせた。
はたして2度までもこの自分に煮え湯をのませた若者はいかなる男であることか………。
鈍い木枠の軋む音とともに扉が開かれる。
そこに傲然とたたずむ長身の少年を一目見た瞬間にヤーノシュは理解した。
――――――この男と決して並び立つことはできないことを。
おそらくヤーノシュの自分と同じことを考えているだろう。
この男と並び立つことはできない。
互いの相手の息の根を止めた方が新たな世界の地平を切り開くのだ。
小柄だが戦に鍛え上げられたヤーノシュの丸太のように太い身体は今にも斬りかからんばかりの威に満ち溢れている。
今ここで確実に俺の息の根を止められると判断すれば躊躇なくこの男は俺を殺すだろう。
ゲクランとその精鋭を同行させておいて大正解だった。
「あまり父上には似ておらぬな、ワラキア公」
「長くオスマンにて人質として生活しておりましたゆえ無調法はお詫び申し上げる」
ちょうど父と息子ほどに年の離れた二人であるが、二人は互いを好敵手として認めあっていたと言っていい。
かたやハンガリー王国の実質的君主であり、史実においてもペストで早逝しなければ神聖ローマ帝国皇帝の座すら狙えた英雄。
かたやオスマンの人質から徒手空拳の身でワラキア公国を統一し、圧倒的な戦力差を覆しトランシルヴァニア公国を征服した男。
いずれも必ずや歴史にその名を残す男たちだった。
「息子たちは息災にしておるか?」
「つつがなくシギショアラにてご静養中です。ラースロー殿はいささか気が塞いでおるご様子ですが」
「あれは少し根がまじめすぎるものでな。くれぐれも大事のないようお願いする」
「最善を尽くします」
立会の枢機卿は二人がいたって友好的であることに心から安堵していた。
この和平にあってはローマカトリックと正教会の双方から大司教が派遣されており、両者が決裂するようなことがあれば両協会の面子は丸つぶれになりかねなかったからである。
「それではワラキア公国はトランシルヴァニアを領有するということでよろしいか?」
「異議なし」
「引き換えにハンガリー王国はワラキア領であったファガラシュとアルマシュに公都であるシギショアラを領有することでよろしいか?」
「異議なし」
「なおこの和平以後ワラキア公は北部ハンガリーとの接触を禁ずるものとする。よろしいか?」
「異議なし」
「では父と子と聖霊の御名において、両国の和平をここに承認するものとする。アーメン」
和平の条件についてはすでに最初から打ち合わせが済んでいる。
それをわざわざこうしてハンガリーにまで足を運んだのは儀式上の礼でもあるが、何よりヤーノシュという男をこの目で見ておきたかったからだ。
史実においてヴラドの父、ヴラド2世を暗殺したのは直接にしろ間接にしろほぼ間違いなくヤーノシュの意向が働いているはずであった。
にもかかわらずモルダヴィアを追われたヴラドが亡命先に選んだのはヤーノシュの治めるハンガリー王国であった。
そこでヴラドは後の正義王マーチャーシュとともにヤーノシュの英才教育を受けたとされる。
軍事指揮官として傑出した才能を発揮したヴラドではあるが、その基礎はヤーノシュの薫陶によって磨かれたものであったのである。
ヴラドの師として恥じぬだけのカリスマと力量が間違いなくヤーノシュにはあった。
だからこそヤーノシュはヴラドと戦わずにはおれぬ。
その確信を持てただけでも俺にとっては十分すぎるほどの収穫だった。
「ワラキア公」
「何か?」
「先の戦いでフスの戦いを真似たのは公の発案によるものか?」
正確には俺が採用したのはフスの連結車両による簡易野戦陣地の作成だけではないのだが、ヤーノシュにとって印象的だったのはやはり長年の敵であるヤン・イスクラの戦術だったらしい。
「………当方には経験のある有能な傭兵が少なくないもので」
実際のところワラキア公国軍の主力はゲクラン率いる傭兵出身者たちである。
ようやく正規軍としての新兵も育ってきているが質的主力は傭兵出身者であることに変わりはない。
「謙遜せずともよい。傭兵の言葉を容れるのも君主の度量というものだ。だが、これだけは言っておく」
黒目の大きなヤーノシュの瞳が鷹のような獰猛な視線を向けた。
俺に向かって宣告するというよりはまるで自分自身に誓いを立てているように俺は感じた。
「いつまでもあのような異端の戦いが通用すると思うな。所詮万能の戦い方などありはしない。しかし―――王道は存在する。それはあのような根なし草の悪魔の能くするところではないのだ」
守勢においてフス派の連結車両は無類の力を発揮するが、それはあくまで形勢が悪ければ逃げることを前提にしている。
火力戦に徹することで局所的な優位を確立するこの戦術はその一方で攻城戦や敵の野戦軍を打ち破るための攻勢には向いていない。
ヤーノシュはそのことを指摘しているのである。
「――――ご忠言ありがたく」
「再び相まみえる日を楽しみにしておるぞ」
戦場で、とはヤーノシュは言わない。
しかし再び会うのが戦場以外にはありえないことを誰でもなく俺自身が承知していた。
「とんでもない男を敵に回しているな、我が君は」
ローマの中立を保障する意味でも迂闊に姿を現さないほうがよいと言われて隙間からヴラドとヤーノシュのやり取りを覗いていたヘレナは考えていた以上のヤーノシュの巨大さに呆れたように呟いた。
衰えたローマの国力では間違っても敵に回したくない男だ。
ヴラドという存在がなければローマの命運を託したくなるほどの英傑である。
「だがあの男は勘違いしておる。フス派?我が君がそんなちっぽけな路傍の石のおかげで勝利を拾ったとでも思っているのか?――――我が夫を嘗めてもらっては困るな」
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