彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版

高見 梁川

第二十四話 ドラキュラの花嫁その3

ゾクリと背筋を走る寒気に俺は思わず周囲を見渡した。
いったいどうしたのだろう、とベルドが疑問の視線を向けてくる。
戦は完全な勝利に終わり、反抗した貴族はまともに戦うことすら出来ずに着の身着のまま逃走したらしかった。
 

「何か気になることでもござますか?」
「いや………なんだか寒気がしただけだ。俺としたことが、気の迷いか?」
「それはいけません!幸い領民や兵士の大半は領主より殿下に心を寄せている様子。今日は早々にお休みくださいませ!」
「う……うむ」
 

刺客に襲われて以来ベルドが小姑化している気がしてない。
しかしその心配も決して杞憂と言えないところが哀しい現実であった。
なぜならこうして帰国早々、ワラキア軍はハンガリーに呼応したと思われる国内貴族の反乱鎮圧に向かわなければならなかったからだ。
幸いなことにコンスタンティノポリス総大主教庁は目論見通りワラキア優位な裁定を下し、ブラショフとシギショアラを結ぶトランシルヴァニア中央部までをワラキア領として認めるかわりに
トランシルヴァニア西部は引き続きフニャディ・ヤーノシュが領有すること。
そしてヤーノシュの二人の息子を無償で返還することなどを両国に対して通告した。
おそらくは断腸の思いであっらだろうが、たとえトランシルヴァニアの過半を諦めることになろうともヤーノシュは年齢的にも最後の子である二人の息子を諦めることが出来なかった。
せっかく出世しても、その成果を子孫に譲ることのできない人生はむなしい。
それに強引な手段でハンガリー宮廷を制圧した今、このままワラキアとの戦争を継続することはあまりにも危険であった。
必要であれば表面上はオスマンの属国であるワラキアにはいつでも攻め込める大義名分は出来る。
ならば今は宮中を掌握し、息子を取り戻して近いうちに訪れるであろう再戦のための準備をするために不利な講和を結ぶのは許容の範疇内というべきであった。
そうしてハンガリーとの間に和平が成立したのがつい先日のことである。
ところがまたしてもというべきか、ワラキアを離れトランシルヴァニアでハンガリーと対峙しているのを奇貨として国内貴族が蠢動していた。
これがもしもっと早く大規模なものであれば和平自体どうなっていたことかわからない。
しかしトゥルゴヴィシュテに残してきた警戒部隊と、とってかえしたワラキア軍によって反乱貴族は分断されあっさりと各個撃破されていった。
 

「――――――それにしても思ったより便利なものだったな。これ…………」
 

俺が見上げる視線の先には巨人の腕を思わせる建造物が鎮座している。
ワラキアからトランシルヴァニアを結ぶ街道の結節点に整備されたその施設の名を腕木塔と呼んだ。
腕木通信とは要するに巨大な三本の柱を操ることによって手旗信号と同じような形で遠距離の仲間と意志の疎通を図ることにある。
これは電信が普及する前のナポレオン時代にフランスにおいて整備されたもので、この時代以前によく使用されていた狼煙などよりも遥かに細かい意志伝達が可能であった。
手旗では二本の腕しかつかえないが、腕木は三本の柱を使用するため、ほぼ会話に匹敵するだけの情報量を伝達することができたという。
反乱の状況と兵力を正確に把握していたワラキア軍は帰国するやほとんど電光石火の勢いで反乱軍を鎮圧した。
征伐された貴族にしてみれば、いったい何が起こったのかわからぬままに悪魔が現れて命を刈り取られたように感じたであろう。
悠長にお互いの騎士同士を派遣して協力の打ち合わせなどをしていたのがそのいい証拠であった。
 

「―――――殿下、ルペニ伯から降伏の使者が参っておりますが………」
「追い返せ。俺は二度目は許さんと言ったはずだ」
 

ルペニ伯爵はヴラディスラフとの戦いにおいて中立を保ったワラキア西部の中堅貴族である。
防衛線ならばともかく、速成のワラキア軍がトランシルヴァニアに侵攻して勝利するとは考えられなかった貴族は多かったらしく、ルペニ伯爵もその一人であった。
中立派がトゥルゴヴィシュテを訪れたときに俺は二度目はないことをはっきりと宣言しているにもかかわらず、謝罪すれば許されると考えているとすれば恐るべき度胸だ。
離合集散は貴族の習いとでも思っているのだろうか。
そんな貴族の協力は俺には必要はないし、せめてワラキア軍の敗報を聞くまでの我慢もできない馬鹿には敵としての価値すらない。
ただただ除くべき塵芥として淡々と処理するまでのことだ。
 

「―――――殿下」
「シエナか」
 

相変わらずの無表情で、冷徹な策士が俺の前にゆっくりと膝を折った。
 

「コンラル、パシェトゥ両伯はすでにハンガリーへ逃亡したようです。セルグイはどうもまだワラキア軍の勝利を信じ切れていないようでいまだ抗戦の構えを崩していません」
「ちょうどいい機会だ。馬鹿には消えてもらうとしよう。どうせ潜り込んでいるものがいるのだろう?」
「配下の騎士数名がこちらに内通を確約しております」
「できるだけ惨たらしく殺してやれ。戦わずに逃げる貴族が多ければそれだけ手間がはぶける」
「御意」
 

今回の討伐が早期に終了したのは腕木通信の効果もあるが、それ以上に内偵を済ませていたシエナの功績によるところが大きい。
組織者として有能であるばかりでなく、シエナは謀略の仕掛け人としても一級の腕を誇っている。
愚かにも命を失った貴族の幾人かはシエナの工作によって潜入した間諜に謀反を唆され、本来謀反するつもりはなかったのについ便乗する気にさせられてしまった者たちだった。
実のところ先刻のルペニ伯もその騙された者の一人である。
だからといって一向に同情には値しないが。
この程度で裏切るほど底の浅い連中などいるだけ迷惑でしかないのだから。
 

「―――――もうひとつご報告が」
「なんだ?」
 

わずかだが鉄面皮のシエナが言い渋る気配を感じて俺は首を傾げた。
少なくとも俺の記憶にあるかぎりこの男が俺の前で遠慮などしかことはなかったはずであった。
 

「ラドゥ殿下ですがこのたびセルビアにて初陣を済ませられイェニチェリの一員に抜擢されたようで」
 

ドキリと心臓が不自然な跳ねかたをしたのが自分でもはっきりとわかった。
近いうちにそうなるであろうことは予想していた。
しかしあまりに早すぎる。
ラドゥは今年でようやく12歳のはずだ。
まさかムラト2世はラドゥを殺すつもりなのか?
 

「…………ラドゥは無事なのか?」
「はい。どうやら戦線の後方で守られていたようでございます。オスマンも今は殿下を大事に扱っております。将来の有為な人材として」
 

ラドゥは真面目な秀才タイプの男である。
他国人の官僚を育成するオスマンからすれば魅力的な人材であることは間違いないだろう。
しかしそれは俺の思惑にとっては逆効果にしかならない。
折りを見て俺は占領地の拡大を理由にラドゥの返還を要求するつもりであったからだ。
 

「引き続きラドゥの情報を集めてくれ」
「御意」
 

短くそう言って引きさがったシエナは、その秀麗な美貌の知性的な広めの額に小さく皺をよせた。
主君は気づいていないようだが、これはシエナが深刻な決意を固めたときの癖だった。
彼がいったいどんな決意を固めたのか。
それは間違いなく合理的な理由があり、ワラキアのためになる決意であることなのは確かだが、それが情理とは無縁であることもまた確かなことであった。
 

 

 

 

「………見よ!サレス!まるで鳥の羽根に手が届きそうだぞ!」
「すいませんが私には姫がどの鳥を見ているのかもわからないのですが」
「むっ?そうか………しかしとんでもない代物だな、これは!」
 

そう言ってヘレナが手にしているのはイワンから贈られた望遠鏡である。
対ワラキア貿易の拠点となっているモルダヴィア領キリアに向けて出発した船のなかでヘレナのテンションは留まる事を知らなかった。
これほどはしゃぐ性格であったろうか?とヘレナを良く知るサレスでも首を傾げたくなるほどだ。
ヘレナ自身もそうサレスに思われていることも自覚しているし、自分でもはしゃぎすぎていると思わなくもないのである。
しかし湧きあがる歓喜を抑えることができない。
 

ワラキア公に嫁ぐという唐突な宣言はヘレナの人生最大の賭けであった。
おそらくイワンからワラキアの要望として切りだされていたらヨハネス陛下は断っただろう。
冷静に考えるならばワラキアはハンガリーとの戦いに勝ったとはいえその国力はまだまだ小国の域を出るものではない。
しかも対外的にはオスマンに臣従した従属国であり、ワラキアがハンガリーという大国を独力で征服できると考えるのは都合がよすぎる願望と言わざるをえなかった。
だからヘレナはそうした分析からいっさい関係のないワラキアの開発した先進的な発明を強調することによって将来のワラキアに対する皇帝たちの期待を極大化してみせたのだ。
もしかしたらワラキアならば、絶望的な状況を覆す何かをもたらしてくれるのではないか?
いわば皇帝や宰相たちは己の願望によって目をくらまされたと言えるのかもしれない。
 

暗く濁ったローマ帝室の血はすでに生殖能力の衰えとなって現れていたが、かわりに途轍もない天才を生み出すことがあった。
ヘレナもまたそうした古い血の産んだ早熟の天才の一人である。
しかし彼女のその才能に父ソマスでさえもなんら関心を示そうとはしなかった。
彼らにとって女性とは子孫を残すための道具であって政治を指導すべき存在ではなかったからであった。
そんな環境に強い不満をヘレナが抱いていたことを、側近であり、護衛であり、親友でもあるサレスだけが知っていた。
 

「さあ、そろそろ船室に戻りませんと………潮風は身体の毒ですよ?」
「むぅ……サレス!妾を子供扱いするでない!」
「姫はまだ12歳の子供でいらっしゃいますから」
 

何も知らない人間が発育から推測するならば10歳と言われてもおかしくないほどにヘレナの身長は小さく、その身体は女性らしい凹凸と無縁であった。
頭脳だけは大人顔負けに発達したヘレナにとって色気の乏しい身体だけが唯一のコンプレックスだった。
だからこそ子供扱いされることに強い抵抗を感じてしまうのだ。
 

「12歳といえば大人じゃ!子供だって産めるのじゃぞ!」
「残念ながら姫様はまだ御子を産めるお身体ではございません」
「むぐぅ……」
 

そうなのだ。
ヘレナは今年12歳の誕生日を迎えてもなお初潮を迎えていない。
あるいはこのまま産まず女になるのではないかと母が危惧してしまうほどである。
思わぬ自爆に膨れっ面でそっぽを向くヘレナを無理やり抱きよせてサレスはその小さな身体を抱え上げた。
幼女特有のやわらかな肉の感触とくすぐったいようなミルク臭い匂いがサレスの鼻をつく。
まるで愛玩動物を撫でまわすようにサレスに抱きすくめられ、頬を擦りつけられてヘレナは暴れた。
しかしイスラムの戦士として鍛えられたサレスの強力ごうりきの前にはヘレナのか弱い抵抗など何の意味ももたない。
不本意さを隠そうともしないが観念して抵抗することを止めたヘレナを満面の笑みで弄びながら、サレスは船内へ我儘な姫君を連れ戻すことに成功した。
 

 

サレスが侍女としてパレオロゴス帝家に潜入したのはサレスが15歳になったばかりの時であった。
ブルガリアに生まれたが両親が落ちぶれた下級貴族であったサレスは6歳になったばかりの頃に両親に売られた。
行き先は幼いころからスパイとして英才教育を施すイスラム教の寺院であった。
7歳で殺人を覚え、8歳で毒と麻薬を覚えた。
育成された子供たちのなかでも優秀であると認められたサレスは礼儀作法から学問まで必要な知識を詰め込まれ、オスマンにとって重大な敵国への間諜としての役割が期待されたのである。
しかしその期待は任務について早々に一人の少女によって撃ち破られたのだった。
 

任務に失敗したことを悟ったサレスは何の迷いもなく死が訪れることを疑わなかった。
失敗する者には死を。
それが幼いころから師によって骨の髄まで教え込まされてきた真実であったからだ。
しかしイスラムのスパイであることを見破った少女は莞爾とした微笑とともにサレスの思いもかけぬ言葉を投げつけた。
 

「死んでどうなる?」
「知れたこと!アラーの御許に参るまで!」
「誰がそれを見たのだ?お前は何故それを信じることが出来る?」
 

少女に問われてみてサレスは初めて死後の世界を見たものが師のなかにもいないことに思い当った。
奴隷として教団に買われて以来、一方的な教えを受け入れることしかできなかったサレスにとって、まだ両親のもとで平凡な暮らしをしていたころには当たり前にもっていた疑うという感情が蘇った瞬間だった。
 

「………妾はまだまだ無知じゃが、それでもそなたよりは世界を知っておるぞ?」
 

だが知るだけでは足りない。
妾はその世界で何かを成したいのだ。
そういってヘレナという少女はサレスに手を差し出して満面の笑みで告げたのである。
 

「妾とともに誰も見たことのない世界を見て見るつもりはないか?」
 

無意識のうちにサレスはヘレナの小さい手を押し頂くように取っていた。
もし世界がヘレナの言うとおりに広いのなら、死ぬまでの間はその可能性を探ってもよいように思われたのである。
どうせ死ぬのはいつでもできるのだから。
 

「…………せっかくうるさい城から抜け出せたのに………」
 

ブチブチと不平を呟くヘレナの様子にサレスは目を細める。
遂に少女は籠を抜け出したのだ。
誰でもない少女の閃きと才覚によって。
そしてサレスにこれからも新たな世界を見せてくれるのだろう。
まだ世界の誰も見ていない領域を見るために、少女はとうとう第一歩を踏み出したのだ。
 

「まずは身体を休ませてくださいませ。―――――もう貴女を縛る籠は存在しないのだから」
 

サレスの言葉にヘレナは意外そうに目を瞬かせると、大きく頷いて破顔した。
 

「そうじゃな。うむ、そのとおりじゃ!」
 


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