彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版
第七話 故郷への帰還その2
こいつらは恥というものを知らないのだろうか?
まあ、確かに恥という文化は日本固有のものであるかもしれない。
しかし海外にもそれに類する名誉や誇りといった文化があったはずだ。
それなのに…………。
 
「大公ご就任おめでとうございます」
 
トゥルゴヴィシュテ城に入城し、ワラキア公就任を発表した俺のもとに、つい先日まで戦場で槍を合わせていた貴族たちが大挙して押し掛けていたのだった。
 
 
 
「ベルド、俺がおかしいのか?それともあいつらの面の皮が厚すぎるのか?いったいどっちだ?」
「もちろん殿下のお考えが正しいこと疑う余地もありませんが………これがワラキア貴族にとっての日常であることも事実です………」
 
腹の底で今なお燃え続けるヴラドの怨念がムクリと鎌首をもたげたような気がした。
彼らにとってワラキア公の地位などその日に着替える見栄えの良い衣装程度の価値しかないということか。
こんな風見鶏の馬鹿どもに父も兄も殺されたのか。
貴様たちの口にする忠節にいったいどれほどの信用が置けると言うのだ?
 
―――――史実のヴラドが人間不審に陥ったのがわかる気がした。
オスマンの支配下で艱難辛苦を共にした仲間たちがいなければ、俺も彼とどうように疑心暗鬼に捕われていたに違いない。
ベルドたちが傍にいてくれることを今日ほどありがたく思ったことはなかった。
 
「どの程度集まっている?」
「東部の中立派とヴラディスラフ派の主だった面々………およそ30家と言ったところでしょうか」
「そうか…………」
 
彼らにとってはいつものことなのだろう。
表面だけでも頭を下げて見せればワラキア公も自分達を無碍に扱うことは出来ないはずだと信じている。
確かに南北を大国に挟まれたワラキアは貴族たちの支持なしには国家として存続することさえ危ういからだ。
しかしオスマン朝の支配下に入り、当面の間南部の侵攻の心配をするどころか資金や人員の支援を受けることが出来る現状では彼らの協力は必ずしも必要なものではない。
 
「奴らが信じているほどに自分に価値があればいいが………な」
 
敗れたとはいえヴラディスラフはまだ失地の回復を諦めていないだろう。
当然ヤーノシュもこのまま俺をワラキア公の座につけておくつもりは毛頭ないに違いない。
そうした意味から考えれば、俺が彼らを寛大に遇してその歓心を買おうとするだろうという予想はそれほど的外れなものではなかった。
だが俺にとっては今味方づらをされていざハンガリーに侵攻されたときに裏切られたのでは、むしろ最初から敵でいてくれたほうがやりやすいのである。
それに俺は彼らの主君に対する軽すぎる態度を許容するつもりはない。
 
 
 
「皆の者大儀である」
 
威風堂々と現れたヴラドの雄姿に居並ぶ貴族たちは内心で舌うちを禁じ得なかった。
鷹のように鋭い視線と意思の強そうな太い眉。
ほっそりとしているが長身でバランスのとれた美しい肢体。
所詮は14歳の少年、オスマンに唯々諾々と従うだけの子供にすぎないと思っていたのに、その堂々たる態度は彼が決して操られているだけの人形でないことを示していた。
それは逆にいえば、自分達が操るにも不都合な存在であるということでもある。
だからこそ先代のヴラド・ドラクル2世は味方によって殺されなくてはならなかったのだ。
内心の動揺はともかくも、貴族たちを代表して最前列に座していた老人がヴラドの前に進み出て恭しく頭を垂れた。
 
「我ら一同、殿下の大公ご就任を心よりお慶び申し上げます。前大公との行き違いから不幸にも殿下との間に剣を交える仕儀になりましたこと、衷心よりお詫び申し上げ、これまで以上の忠誠を
殿下に捧げることをお誓い申し上げます」
 
「いらぬ」
「はあ?」
 
にべもなく吐き捨てられた俺の言葉を老人は何を言ってるのかわからない、といった様子で首を傾げた。
はて、いったい何がいらないというものか?もしかすると土産の貢物のことであろうか?
 
「余に剣を向けたもの、一人たりとも許さぬ。中立を保ったものは今回だけは見逃してやろう」
 
傲岸不遜を絵に描いたようなヴラドの言葉が彼らの脳に浸透するまで、数秒の時間を要した。
それほどにヴラドの言葉は彼らにとって予想外も甚だしかった。
―――――――数瞬の沈黙から解凍された広間で貴族たちの怒号にも似た抗議の悲鳴があがった。
 
「か、かような仕置きは前例がありませんぞ!」
「我々抜きでいったいどうやってワラキアを守るおつもりか?」
「仕方なかったのです!先祖の土地を守るため我々はやむを得ず…………」
 
「ほう…………」
 
いかんな、抑えていたがそろそろ限界だ。
いったいこいつらは何様なのだ?
こいつらにとって君主とはいったいなんだ?
犯人の特定こそできないが、間違いなくこの中に先代ヴラド・ドラクル二世殺害の下手人がいるはずだった。
それだけのことをして、なんら罪悪感を覚えていない連中など、俺の国には必要ない。
何より俺の腹の奥でのたうちまわっているヴラドの怒りが治まらない!
 
「―――――仕方なく……我が父と兄を殺したか。仕方なければ余に剣を向けるのも厭わないというのだな?何せ仕方ないのだから―――――」
 
 
その地獄の底から発せられたような低い声と、凍てついた真冬の烈風のような瞳がどれほどヴラドの怒りが激甚であるかを雄弁に物語っていた。
ゴクリと生唾を呑んでそれを理解した貴族たちは、再び器用に口を鳴らし始めた。
 
「わ、我々は決してそのような…………」
「我がドルトムント家は決して殿下を裏切りませぬ!」
「嘘をつけ!貴様が前大公を殺したという噂だぞ!」
「無礼な!何の証拠があってそのような……!」
 
責任のなすりあいが始まり、自分だけは生き残ろうとするものたちが涙を流して慈悲を乞う。
まるで出来の悪い芝居を見せられているようだ。
事実彼らの言動が演技であることに違いはないのだろうが………。
 
「過去の大公達がどうあれ、余は決して裏切りを許さぬ。そして貴様達の父と兄に対する仕打ちを忘れぬ。これまでの功に免じて命だけは取らずにおいてやるから一週間のうちに国外に退去しろ。
不満があればいつでも剣をとって立ち向かってきても一向に構わぬが、再び余に逆らえば万が一にもその命はないと思え………」
 
いい加減にこの馬鹿げた喜劇にも疲れた。
自分達の哀訴が俺に一片の感傷も与えられなかったことを知ると再び彼らは敵意を剥きだしに抗議の叫びをあげた。
まったく、そんな底の浅い演技だから愛想を尽かされるのだ。
 
「ミルチャ老公以来の名門たる我が家をつぶす権利が殿下におありになるのか?草葉の陰で老公が泣いておられますぞ!」
「今我が家を追放すれば北部の諸侯はこぞってハンガリーに味方するでありましょう!」
 
泣き落としの次は脅迫か。
少し自分たちの立場を理解してもらわんと話が進まん。
俺の目配せに気づいたゲクランが意地の悪そうな微笑を浮かべた。
彼にとっても自分を罠にはめた貴族の横暴は決して快いものではありえなかったのだ。
 
ドスン
 
槍の石突きで床を叩く音がこだました。
 
ドスンドスン!
 
続けざまに警護の兵士が槍を手に威嚇するように床を鳴らしていく。
完全武装した兵士がおよそ二十人、全員が敵意をもった視線で貴族たちを睨みつけていた。
このときになって初めて彼らはここがヴラドの手兵によって包囲された空間であることを自覚したのである。
しかもそのほとんどは縁を頼ることのできる知己のワラキア貴族ではなく、名もない騎士や荒くれ者の傭兵たちであった。
主君の生殺与奪を握っているとさえ思ってきた自分たちが、その実いつでも料理することのできる生贄の羊であることにようやく気づいた貴族たちはほとんど惑乱した。
 
「ど、どうか!命ばかりは………!」
「お慈悲を!私には愛しい妻と娘が……!」
 
殺される、と思ったのであろう。
ゲクラン配下の傭兵たちは凶暴な死の気配がプンプンと匂っているから無理もない。
このままここで殺すことも出来るが、それでは今後の予定に差し支える。
 
「今命あることを殿下の御慈悲と感謝しなさい。その感謝こそが貴方がたの名誉と命を守るでしょう。もし忘れることあらば、神の御許で存分に思い出せるようにしてさしあげる」
 
ベルドの放った最後通牒を合図にしたかのように、貴族たちは宮廷の殺意から逃れようと転がるように退出していった。
いや、実際に何人かは転んでいたな………。
 
「無様な…………」
 
おいおいベルド君キャラ変わってないか?
 
 
 
 
 
「は、早く領地に帰るのだ!急げ!」
「叔父上に連絡を!事は一刻を争うのだ!」
 
いろいろと本音をダダ漏れにしつつ貴族たちが領地へと去っていく。
 
「よろしいので?」
「ま、次に会ったときには殺すさ」
 
いっそ殺してしまってもよかったのではないか?と言外に言い含めるゲクランに俺は嗤って答える。
正直俺も殺すことも考えたのだが、それに真っ向から反対する男がいたのだ。
 
「それで準備のほうはいいのか?」
「………ぬかりなく」
 
シエナが暗い声で軽く頭を下げた。
今回の追放措置は何を隠そうシエナの発案である。
この愛想のない無表情な能吏は、おそらくワラキア軍で一番情報の重要性を理解していた。
本格的な諜報組織の立ち上げを依頼していた俺に、シエナがちょうど使い勝手のよい人材がいる、とこともなげに言い放ったのを俺は昨日のことのように覚えていた。
使い勝手のよい人材とはすなわち、今日追放した貴族たちである。
自分さえよければいい、という彼らのことだ。
お家再興を餌にすれば、万が一ハンガリー軍が敗北したときの保険として特に良心の痛みなど感じることもなくいくらでも情報を流してくれることだろう。
 
「すでに内応を約束した貴族が8家、その使用人を含めれば20家以上にのぼります。ほとんどのものはヴラディスラフのもとに向かうでしょうが、うまくすればハンガリーやトランシルヴァニアでも
使えるかと」
「こいつはおっかねえ。虫も殺せねえような顔してやるもんだ」
「…………顔のことはおっしゃらないでください」
 
眉ひとつ動かさぬままにビシリ、とシエナがゲクランの揶揄をさえぎる。
これまで見られることのなかったシエナのプライベートな部分が垣間見えて俺は噴き出すのを我慢するのに苦労した。
無表情で暗い顔をしているが、実のところシエナの顔立ちは童顔の美青年そのものなのだ。
どうやらシエナ自身はその顔立ちに深刻なコンプレックスを抱いているものらしい。
 
「監視は?」
「監視役の貴族がさらに3家、こちらの手の者を忍び込ませた家が16家というところです。まず篩に掛けるには十分かと」
 
彼らに忠誠心を期待出来ない以上素直に情報をよこしてくれると信じるのは危険である。
当然彼らの情報を監視する役目の人間が必要となる。
そのうえで複数の情報をかき集め、考察し、雑多な情報を取捨選択して正しい情報を見つけ出す。
そうした情報戦の基本をシエナは誰に教えられることもなく知悉していた。
最初は実は俺と同じ現代人の転生者ではないか、と疑ったほどだ。
 
 
「それじゃ俺からも一つ聞きたいんですがね、大将」
 
ニヤニヤとシエナを眺めていたゲクランであったが、これ以上シエナをからかうことの危険を感じ取ったのか話題をかえてきた。
正直怒らせたくない人物だけに俺もヘタレにもその尻馬にのる。
空気の読める日本人の血は伊達ではないのだ。
 
「まあ、俺が心配するのもおこがましい話なんですがね?連中、本当に穴掘りと射撃の訓練だけでいいんですかい?」
 
まともな練兵もせずに日夜土木作業と射撃の訓練に明け暮れているのが不審らしい。
ゲクランの傭兵らしい赤銅色の日焼けした肌に、ごつごつとした角ばった顔立ちが何とも言えず愛嬌に溢れている。
丸々と太ったように見える巨体は実は鋼のような筋肉の塊であり、逆境でも不敵に笑えるその心胆は傭兵仲間でも評判が高かった。
―――このあたりの遠慮のない率直さは美徳といっていいだろう。
オレはただのイエスマンは必要としていないし、常識に照らしてゲクランの疑問は妥当なものだからである。
 
「ああ、当面の間はそれでいい。もちろん将来的には困るが、今はまずそれをこなしてくれることが最優先だ」
 
俺のワラキア統治が始まれば援軍として派遣されていたオスマンの軍勢は帰還してしまう。
残るのは俺に臣従を誓った貴族たちの軍を合わせても五千には届かないだろう。
正直貴族に頼るのは必要最低限にとどめたいことを考えれば四千まで手が届くかどうか。
 
―――――まずヤーノシュがまた仕掛けてくるのはオスマンの援軍が帰ったあとになるだろうな。
 
先ごろの戦いではそれほど出番はなかったが、予備戦力として経験豊かな彼らの存在はワラキア軍にとっても貴重な心の支えだった。
彼らの抜ける穴をいったい何で埋めたものか。
そのため俺は暫定的な措置として賃金と引き換えに平民の子弟からおよそ千ほどの兵士を徴募していた。
現在土木工事の訓練に汗を流している若者たちがその連中である。
 
基本的に為政者に対する忠誠心の薄い彼らの戦力化にはそれ相応の時間が必要となる。
一人前の軍人を育てるにはとかく資金と時間が必要なものなのだ。
しかし残念なことにワラキアにはそれだけの時間も資金も残されてはいなかった。
―――――――ならば時間をかけずに役に立つことができるよう工夫してやるだけのこと。
 
「そりゃ大将がそうおっしゃるなら構いませんがね。ただオレはどうも奴らを見てるといつか味方に後ろ玉くらわせやしないかと心配で心配で………」 
 
ひな鳥のよちよち歩きを見守る親鳥の心境なのか、ゲクランは困ったように苦笑する。
こんな顔をして存外面倒見がよく、弱いものを大事にする男なのだ。
 
「顔のことはいいっこなしじゃございやせんか?」
 
 
―――――いかん、口に出していたか。
 
ゲクランとシエナにジト目でにらまれて、慌てて俺は釈明を考えなくてはならなかった。
まあ、確かに恥という文化は日本固有のものであるかもしれない。
しかし海外にもそれに類する名誉や誇りといった文化があったはずだ。
それなのに…………。
 
「大公ご就任おめでとうございます」
 
トゥルゴヴィシュテ城に入城し、ワラキア公就任を発表した俺のもとに、つい先日まで戦場で槍を合わせていた貴族たちが大挙して押し掛けていたのだった。
 
 
 
「ベルド、俺がおかしいのか?それともあいつらの面の皮が厚すぎるのか?いったいどっちだ?」
「もちろん殿下のお考えが正しいこと疑う余地もありませんが………これがワラキア貴族にとっての日常であることも事実です………」
 
腹の底で今なお燃え続けるヴラドの怨念がムクリと鎌首をもたげたような気がした。
彼らにとってワラキア公の地位などその日に着替える見栄えの良い衣装程度の価値しかないということか。
こんな風見鶏の馬鹿どもに父も兄も殺されたのか。
貴様たちの口にする忠節にいったいどれほどの信用が置けると言うのだ?
 
―――――史実のヴラドが人間不審に陥ったのがわかる気がした。
オスマンの支配下で艱難辛苦を共にした仲間たちがいなければ、俺も彼とどうように疑心暗鬼に捕われていたに違いない。
ベルドたちが傍にいてくれることを今日ほどありがたく思ったことはなかった。
 
「どの程度集まっている?」
「東部の中立派とヴラディスラフ派の主だった面々………およそ30家と言ったところでしょうか」
「そうか…………」
 
彼らにとってはいつものことなのだろう。
表面だけでも頭を下げて見せればワラキア公も自分達を無碍に扱うことは出来ないはずだと信じている。
確かに南北を大国に挟まれたワラキアは貴族たちの支持なしには国家として存続することさえ危ういからだ。
しかしオスマン朝の支配下に入り、当面の間南部の侵攻の心配をするどころか資金や人員の支援を受けることが出来る現状では彼らの協力は必ずしも必要なものではない。
 
「奴らが信じているほどに自分に価値があればいいが………な」
 
敗れたとはいえヴラディスラフはまだ失地の回復を諦めていないだろう。
当然ヤーノシュもこのまま俺をワラキア公の座につけておくつもりは毛頭ないに違いない。
そうした意味から考えれば、俺が彼らを寛大に遇してその歓心を買おうとするだろうという予想はそれほど的外れなものではなかった。
だが俺にとっては今味方づらをされていざハンガリーに侵攻されたときに裏切られたのでは、むしろ最初から敵でいてくれたほうがやりやすいのである。
それに俺は彼らの主君に対する軽すぎる態度を許容するつもりはない。
 
 
 
「皆の者大儀である」
 
威風堂々と現れたヴラドの雄姿に居並ぶ貴族たちは内心で舌うちを禁じ得なかった。
鷹のように鋭い視線と意思の強そうな太い眉。
ほっそりとしているが長身でバランスのとれた美しい肢体。
所詮は14歳の少年、オスマンに唯々諾々と従うだけの子供にすぎないと思っていたのに、その堂々たる態度は彼が決して操られているだけの人形でないことを示していた。
それは逆にいえば、自分達が操るにも不都合な存在であるということでもある。
だからこそ先代のヴラド・ドラクル2世は味方によって殺されなくてはならなかったのだ。
内心の動揺はともかくも、貴族たちを代表して最前列に座していた老人がヴラドの前に進み出て恭しく頭を垂れた。
 
「我ら一同、殿下の大公ご就任を心よりお慶び申し上げます。前大公との行き違いから不幸にも殿下との間に剣を交える仕儀になりましたこと、衷心よりお詫び申し上げ、これまで以上の忠誠を
殿下に捧げることをお誓い申し上げます」
 
「いらぬ」
「はあ?」
 
にべもなく吐き捨てられた俺の言葉を老人は何を言ってるのかわからない、といった様子で首を傾げた。
はて、いったい何がいらないというものか?もしかすると土産の貢物のことであろうか?
 
「余に剣を向けたもの、一人たりとも許さぬ。中立を保ったものは今回だけは見逃してやろう」
 
傲岸不遜を絵に描いたようなヴラドの言葉が彼らの脳に浸透するまで、数秒の時間を要した。
それほどにヴラドの言葉は彼らにとって予想外も甚だしかった。
―――――――数瞬の沈黙から解凍された広間で貴族たちの怒号にも似た抗議の悲鳴があがった。
 
「か、かような仕置きは前例がありませんぞ!」
「我々抜きでいったいどうやってワラキアを守るおつもりか?」
「仕方なかったのです!先祖の土地を守るため我々はやむを得ず…………」
 
「ほう…………」
 
いかんな、抑えていたがそろそろ限界だ。
いったいこいつらは何様なのだ?
こいつらにとって君主とはいったいなんだ?
犯人の特定こそできないが、間違いなくこの中に先代ヴラド・ドラクル二世殺害の下手人がいるはずだった。
それだけのことをして、なんら罪悪感を覚えていない連中など、俺の国には必要ない。
何より俺の腹の奥でのたうちまわっているヴラドの怒りが治まらない!
 
「―――――仕方なく……我が父と兄を殺したか。仕方なければ余に剣を向けるのも厭わないというのだな?何せ仕方ないのだから―――――」
 
 
その地獄の底から発せられたような低い声と、凍てついた真冬の烈風のような瞳がどれほどヴラドの怒りが激甚であるかを雄弁に物語っていた。
ゴクリと生唾を呑んでそれを理解した貴族たちは、再び器用に口を鳴らし始めた。
 
「わ、我々は決してそのような…………」
「我がドルトムント家は決して殿下を裏切りませぬ!」
「嘘をつけ!貴様が前大公を殺したという噂だぞ!」
「無礼な!何の証拠があってそのような……!」
 
責任のなすりあいが始まり、自分だけは生き残ろうとするものたちが涙を流して慈悲を乞う。
まるで出来の悪い芝居を見せられているようだ。
事実彼らの言動が演技であることに違いはないのだろうが………。
 
「過去の大公達がどうあれ、余は決して裏切りを許さぬ。そして貴様達の父と兄に対する仕打ちを忘れぬ。これまでの功に免じて命だけは取らずにおいてやるから一週間のうちに国外に退去しろ。
不満があればいつでも剣をとって立ち向かってきても一向に構わぬが、再び余に逆らえば万が一にもその命はないと思え………」
 
いい加減にこの馬鹿げた喜劇にも疲れた。
自分達の哀訴が俺に一片の感傷も与えられなかったことを知ると再び彼らは敵意を剥きだしに抗議の叫びをあげた。
まったく、そんな底の浅い演技だから愛想を尽かされるのだ。
 
「ミルチャ老公以来の名門たる我が家をつぶす権利が殿下におありになるのか?草葉の陰で老公が泣いておられますぞ!」
「今我が家を追放すれば北部の諸侯はこぞってハンガリーに味方するでありましょう!」
 
泣き落としの次は脅迫か。
少し自分たちの立場を理解してもらわんと話が進まん。
俺の目配せに気づいたゲクランが意地の悪そうな微笑を浮かべた。
彼にとっても自分を罠にはめた貴族の横暴は決して快いものではありえなかったのだ。
 
ドスン
 
槍の石突きで床を叩く音がこだました。
 
ドスンドスン!
 
続けざまに警護の兵士が槍を手に威嚇するように床を鳴らしていく。
完全武装した兵士がおよそ二十人、全員が敵意をもった視線で貴族たちを睨みつけていた。
このときになって初めて彼らはここがヴラドの手兵によって包囲された空間であることを自覚したのである。
しかもそのほとんどは縁を頼ることのできる知己のワラキア貴族ではなく、名もない騎士や荒くれ者の傭兵たちであった。
主君の生殺与奪を握っているとさえ思ってきた自分たちが、その実いつでも料理することのできる生贄の羊であることにようやく気づいた貴族たちはほとんど惑乱した。
 
「ど、どうか!命ばかりは………!」
「お慈悲を!私には愛しい妻と娘が……!」
 
殺される、と思ったのであろう。
ゲクラン配下の傭兵たちは凶暴な死の気配がプンプンと匂っているから無理もない。
このままここで殺すことも出来るが、それでは今後の予定に差し支える。
 
「今命あることを殿下の御慈悲と感謝しなさい。その感謝こそが貴方がたの名誉と命を守るでしょう。もし忘れることあらば、神の御許で存分に思い出せるようにしてさしあげる」
 
ベルドの放った最後通牒を合図にしたかのように、貴族たちは宮廷の殺意から逃れようと転がるように退出していった。
いや、実際に何人かは転んでいたな………。
 
「無様な…………」
 
おいおいベルド君キャラ変わってないか?
 
 
 
 
 
「は、早く領地に帰るのだ!急げ!」
「叔父上に連絡を!事は一刻を争うのだ!」
 
いろいろと本音をダダ漏れにしつつ貴族たちが領地へと去っていく。
 
「よろしいので?」
「ま、次に会ったときには殺すさ」
 
いっそ殺してしまってもよかったのではないか?と言外に言い含めるゲクランに俺は嗤って答える。
正直俺も殺すことも考えたのだが、それに真っ向から反対する男がいたのだ。
 
「それで準備のほうはいいのか?」
「………ぬかりなく」
 
シエナが暗い声で軽く頭を下げた。
今回の追放措置は何を隠そうシエナの発案である。
この愛想のない無表情な能吏は、おそらくワラキア軍で一番情報の重要性を理解していた。
本格的な諜報組織の立ち上げを依頼していた俺に、シエナがちょうど使い勝手のよい人材がいる、とこともなげに言い放ったのを俺は昨日のことのように覚えていた。
使い勝手のよい人材とはすなわち、今日追放した貴族たちである。
自分さえよければいい、という彼らのことだ。
お家再興を餌にすれば、万が一ハンガリー軍が敗北したときの保険として特に良心の痛みなど感じることもなくいくらでも情報を流してくれることだろう。
 
「すでに内応を約束した貴族が8家、その使用人を含めれば20家以上にのぼります。ほとんどのものはヴラディスラフのもとに向かうでしょうが、うまくすればハンガリーやトランシルヴァニアでも
使えるかと」
「こいつはおっかねえ。虫も殺せねえような顔してやるもんだ」
「…………顔のことはおっしゃらないでください」
 
眉ひとつ動かさぬままにビシリ、とシエナがゲクランの揶揄をさえぎる。
これまで見られることのなかったシエナのプライベートな部分が垣間見えて俺は噴き出すのを我慢するのに苦労した。
無表情で暗い顔をしているが、実のところシエナの顔立ちは童顔の美青年そのものなのだ。
どうやらシエナ自身はその顔立ちに深刻なコンプレックスを抱いているものらしい。
 
「監視は?」
「監視役の貴族がさらに3家、こちらの手の者を忍び込ませた家が16家というところです。まず篩に掛けるには十分かと」
 
彼らに忠誠心を期待出来ない以上素直に情報をよこしてくれると信じるのは危険である。
当然彼らの情報を監視する役目の人間が必要となる。
そのうえで複数の情報をかき集め、考察し、雑多な情報を取捨選択して正しい情報を見つけ出す。
そうした情報戦の基本をシエナは誰に教えられることもなく知悉していた。
最初は実は俺と同じ現代人の転生者ではないか、と疑ったほどだ。
 
 
「それじゃ俺からも一つ聞きたいんですがね、大将」
 
ニヤニヤとシエナを眺めていたゲクランであったが、これ以上シエナをからかうことの危険を感じ取ったのか話題をかえてきた。
正直怒らせたくない人物だけに俺もヘタレにもその尻馬にのる。
空気の読める日本人の血は伊達ではないのだ。
 
「まあ、俺が心配するのもおこがましい話なんですがね?連中、本当に穴掘りと射撃の訓練だけでいいんですかい?」
 
まともな練兵もせずに日夜土木作業と射撃の訓練に明け暮れているのが不審らしい。
ゲクランの傭兵らしい赤銅色の日焼けした肌に、ごつごつとした角ばった顔立ちが何とも言えず愛嬌に溢れている。
丸々と太ったように見える巨体は実は鋼のような筋肉の塊であり、逆境でも不敵に笑えるその心胆は傭兵仲間でも評判が高かった。
―――このあたりの遠慮のない率直さは美徳といっていいだろう。
オレはただのイエスマンは必要としていないし、常識に照らしてゲクランの疑問は妥当なものだからである。
 
「ああ、当面の間はそれでいい。もちろん将来的には困るが、今はまずそれをこなしてくれることが最優先だ」
 
俺のワラキア統治が始まれば援軍として派遣されていたオスマンの軍勢は帰還してしまう。
残るのは俺に臣従を誓った貴族たちの軍を合わせても五千には届かないだろう。
正直貴族に頼るのは必要最低限にとどめたいことを考えれば四千まで手が届くかどうか。
 
―――――まずヤーノシュがまた仕掛けてくるのはオスマンの援軍が帰ったあとになるだろうな。
 
先ごろの戦いではそれほど出番はなかったが、予備戦力として経験豊かな彼らの存在はワラキア軍にとっても貴重な心の支えだった。
彼らの抜ける穴をいったい何で埋めたものか。
そのため俺は暫定的な措置として賃金と引き換えに平民の子弟からおよそ千ほどの兵士を徴募していた。
現在土木工事の訓練に汗を流している若者たちがその連中である。
 
基本的に為政者に対する忠誠心の薄い彼らの戦力化にはそれ相応の時間が必要となる。
一人前の軍人を育てるにはとかく資金と時間が必要なものなのだ。
しかし残念なことにワラキアにはそれだけの時間も資金も残されてはいなかった。
―――――――ならば時間をかけずに役に立つことができるよう工夫してやるだけのこと。
 
「そりゃ大将がそうおっしゃるなら構いませんがね。ただオレはどうも奴らを見てるといつか味方に後ろ玉くらわせやしないかと心配で心配で………」 
 
ひな鳥のよちよち歩きを見守る親鳥の心境なのか、ゲクランは困ったように苦笑する。
こんな顔をして存外面倒見がよく、弱いものを大事にする男なのだ。
 
「顔のことはいいっこなしじゃございやせんか?」
 
 
―――――いかん、口に出していたか。
 
ゲクランとシエナにジト目でにらまれて、慌てて俺は釈明を考えなくてはならなかった。
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