彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版

高見 梁川

第四話 覚醒編その3

あれからすでに2年の月日が経とうとしている。


心の奥底に眠るヴラドの記憶を消化し、大嫌いなメムノンの講義も真面目にこなして俺はオスマンの兵制や政治体制を学習した。


何と言ってもオスマンの強みは新興国家であるための進取の気風と寛容な占領政策にある。


これはキリスト教国である欧州世界の排他性とは一線を画すものであった。


徹底した愚民政策によって文明を停滞させていた欧州文明はアナトリアの小さな君侯国にすぎなかったオスマンの膨張を阻止する力を失って久しかった。


ある程度の弾力的な身分制度や、占領地の宗教の自由などの寛容な政策は、ローマ教皇庁が強く世俗権力と結びついた欧州世界には決して真似することのできないものであった。


 



 



「兄様!よくぞご無事で!」


「ああ、心配かけたな、ラドゥ」


 



愛らしい顔立ちは相変わらずだが、少し大人びた表情を見せるようになったラドゥに出迎えられて俺は顔をほころばせた。


もともと優等生気質であったラドゥは以前ほど甘えん坊ではなくなっているが、それでも無条件に信頼できる家族というものはそれだけで十分強い癒しなのである。


 



「見事な戦ぶりであったとお聞きしました」


「まあ、出来のいい部下がいるからな………」


 



いよいよ親父に対する対抗馬として俺を担ぐつもりらしいムラト2世はブルガリアで発生した小規模な反乱の鎮圧を俺に任せた。


初陣をかねた俺の評価試験ということであったらしい。


幸いにして実戦経験豊富な幕僚に恵まれた俺はごく無難に初陣を果たして帰還したというわけだった。


 



 



この2年の間に俺は帰国後の中核となるべき側近の家臣を登用するために可能な限りの努力を払ってきた。


人質として異国で育った俺にとってワラキア公国を治めるためには忠実で有能な家臣の存在が不可欠であるからである。


戦に関しては東欧の各地を転戦してきたという歴戦の傭兵隊長ゲクランの加入が大きい。


雇い主に騙され、敵中に囮として置き去りにされて捕虜になったところを俺が身代金を立て替えて救いだしたらひどく感謝されて今ではかけがえのない軍事幕僚である。


傭兵仲間に顔が効き、実力のある傭兵を選別したり傭兵間の情報を集めるのにも重宝している。


下級貴族出身の武官では新たにネイとタンブル、そして2年前に最初の部下となったベルドが台頭していた。


ネイもタンブルもワラキアでの小競り合いで捕虜になった人間で、年も若く俺の目指す改革を理解してくれる貴重な人材である。


来るべきワラキアの中央集権化のために既得権益と独立意識の強すぎる大領主の協力はあてにならない以上、彼ら下級の騎士階級の協力は不可欠だ。


文官でも商人のデュラムと下級官僚であったシエナの二人が兵站と情報収集を担当してくれている。


デュラムはオスマン兵の略奪で全財産を失い路頭に迷っているところに偶然出会い、もともとは腕ききの商人であったこともあって資金の運用も任せることのできる陽気で信用の出来る男である。


シエナの方は親父に徴税官として任命された下級官吏で捕虜として奴隷に売り出されようとしているところを買い上げた。


能面のように表情のない男だが、抜群の知性と組織運営力でオスマン国内に流入したワラキア公国人の情報網を組織化するという大事業をまがりなりにも形にしてくれた手腕は見事の一言に尽きる。


これでもう少し愛想がよければ将来は宰相にだってなれる器なのだが。


 



「ベルドも怪我はしてない?」


「おかげさまをもちまして傷ひとつなく」


「よかった………ベルドはすぐ無茶をするから心配したよ?」


 



同い年であるせいだろうか。


あれからベルドとラドゥはすぐに仲良くなった。


俺の前ではへりくだって見せているが、二人きりになるとため口で会話していることを俺は知っている。


ベルド以外でラドゥと同年代のワラキアの人間はいないから、そうした意味でもベルドという人材は望外の拾いものだった。


それにしてもこれが12歳同士の会話かと思うと、そう追い込んだのが自分であるだけに罪悪感を禁じ得ない。


 



 



 



史実のヴラドにはこんな気心のしれた側近団は存在しなかった。


それは父ヴラド・ドラクルの命運が尽きるまでの時間を彼が計ることができない以上当然のことだ。


しかし俺はその時がそう遠くないことを知識として知っている。


だからこそそのときのために今まで死に物狂いで準備してきたのである。


帰還の中核となるべきワラキア人で構成された兵団約500名にゲクランの伝手で集められた傭兵およそ500名、合わせて千名が俺の所有する全兵力だが


史実のヴラドにはその一兵たりとも存在しなかった。


――――この差は大きい。


 



(といっても弱小戦力であることに変わりはないんだけどね…………)


 



大国オスマンからしてみれば吹けば飛ぶような小勢。


しかし今はこれで十分だった。むしろ警戒されるほど巨大な勢力になってしまってはまずい。


今オスマンの庇護を失うのは政治的自殺にほかならないからだ。


史実において後ろ盾のないヴラドはわずか2カ月でフニャディ・ヤーノシュの軍勢によってワラキアの地から放逐されてしまう。


その後ヴラドがワラキア公に返り咲くのは実に1456年のことである。


ここで9年もの貴重な時間を無駄にすることがなければあるいはヴラドの国内改革もそれなりの成功を収めることができたかもしれなかった。


残念ながらそれでもオスマンに勝てたとは思わないが。


 



「凱旋おめでとうございます公子殿」


「これはわざわざのお出迎え痛み入ります。メムノン先生ラーラ


「このたびのご活躍はスルタンもことのほかお喜びですよ」


 



昨年復位したムラト2世は堅実な政治手腕に定評のある男だ。


一度は息子のメフメト2世に帝位を譲ったが、メフメト2世の若さにまかせた強引な施政が官僚たちとの軋轢を生みその不始末を尻ぬぐいする形で再びスルタンの座に就いた。


今回の俺の出征も、はたして俺が親父の対抗馬に成りうるのか見極めるための試金石だったに違いない。


思いのほか使いものになりそうなのでご機嫌麗しいといったところだろう。


 



「―――――――おそらくは年内、とお考えください」


 



何が、とはメムノンは言わなかった。


それが親父との直接対決を意味することは言わずとも十分に承知していた。


少しやりすぎたか――――暗殺以前に親父とやりあうとなるとさすがにこちらの分が悪い。


 



「ラドゥ様も次代の軍人官僚カプクルとして兄上に負けぬよう精進しなければなりませんよ?」


「はいっ!」


 



 



困った問題のもうひとつがこれだ。


俺がワラキア公としての対抗馬になりうる以上ラドゥの立場は万が一のスペアにすぎない。


見目も良く、さらに頭の回転も速いラドゥは、このまま何も事がなければオスマン帝国の官僚としての道が用意されていた。


出来ればいっしょに故国の地をと思ったがそうは問屋がおろさないらしい。


これはしばらくの間はオスマンの忠犬を演じるほかはあるまいな。


 



「スルタンに戦勝の挨拶をするなら早いほうがよいでしょう………御身大切に」


「お心遣いかたじけなく」


 



ここ最近のメムノンと俺の関係は悪くない。


肌が合わないのは相変わらずだが、それでも俺も表面を取り繕うことを覚えたし、俺がオスマンにとって有用でありうることをメムノン自身も自覚しているのだろう。


それでも気に食わないのは変わらないが――――そもそもラドゥがオスマンに取り込まれそうなのはラドゥが奴の愛弟子であるというところが大きいのだ。


プライドが高くとっつきにくいメムノンだが、こと学問に関しては真面目で向上心のある若者を大切にする傾向がある。


彼の教え子は有能であると周囲の評価も高く、ある種のブランドにさえなりつつあった。


その教え子のなかには先年退位した前皇帝メフメト2世の姿もあったのである。


 



「――――――殿下」


「シエナか?」


 



秀麗でありながら無表情な顔に凍るような冷たい瞳。


ワラキア随一の能吏でありながらその愛想のなさと頑なさによって辺境に飛ばされてきた男は、今もその性質を変える気は全くないらしかった。


 



「どうやら殿下の予想どおり、公国内では離反の動きが表面化しつつあります」


「だろう、な…………」


 



父ヴラド・ドラクル2世は確かに善戦はしている、だがそれだけだ。


敵わない相手がくれば逃げ、山岳に立てこもり補給線を圧迫して局地的な勝利を得る。


数百程度の小競り合いで軍を進退させることにかけては目を見張るような指揮ぶりを発揮するものの、その戦果ではオスマンを押しとどめることは不可能であった。


優勢な勢力から逃げている間にも国土はオスマン兵によって蹂躙され続け、戦いを継続するための物資をハンガリーとトランシルヴァニアに頼った結果、国内経済へのトランシルヴァニア商人の浸透を許してしまう。


もともとヤーノシュとヴラド2世は仲が良いどころか仇敵同士なのでただで支援してくれるはずがないのである。


これではいったい何のためにワラキアが戦っているのかわからない。


継戦に利あらず、と諸侯が親父の追い落としを図るのはむしろ当然の成り行きなのだ。


 



「それで南部は――――?」


「ベルド殿やネイ殿のご縁戚は間違いなく………さらに中央から北部もトランシルヴァニアと利益を相反する者たちは揃って殿下になびきましょう」


「それほど…………か」


 



さすがに単独での抗戦を諦めたワラキア宮廷では親ハンガリー派と反ハンガリー派の対立が深まっていた。


ワラキアを経済的に侵略しているのはオスマンではなくむしろハンガリーだ、という反ハンガリー派の言い分は決してゆえないものとは言えなかった。


名誉ではなく経済を考慮したならばオスマンに屈服するほうが国民のためではあったかもしれない。


 



「………問題はあのご老体だけか………」


 



 



ハンガリー王国摂政フニャディ・ヤーノシュ。


恐るべき敵であることに疑いはない。


一介の傭兵隊長からトランシルヴァニア公に成りあがり、現在はハンガリー王国摂政として東欧でも随一の大国を実質的に差配している立身伝中の人物である。


事実、亡命後のヴラドはこのヤーノシュを政治軍事における師としてその薫陶を受けた。


彼の教え子はヴラド、マーチャーシュ、シュテファンなどのちに当代一級の人物として評価も高いことを考えれば、教育者の能力も第一級であったのかもしれない。


戦術指揮能力もヴァルナの戦いでオスマンに敗北したとはいえ決して低いものではなかった。


 



 



―――――だがこの人物を破らずしてヴラドの……俺の未来はない。


 



史実どおりに誰も救われぬ悲劇の主人公を演じるつもりは俺にはないのだ。


 



 



 



 



 



1447年8月、うだるような熱気の中で、気前よくスルタンから振舞われた軍資金をもとに集められた新生ワラキア軍が訓練を行っていた。


その数およそ三千、オスマンにとっては吹けば飛ぶような小勢だがそれでもワラキアでヴラド2世が掌握している兵力よりは多い。


一時は五千以上の兵力を動員できたはずのヴラド2世は今や数百の兵士を養うことにすら困窮する有様であった。


 



「てめえら!公子殿下の前で俺に恥かかせんじゃねえぞ!」


「おらっ!シェフ殿の言うことが聞けんやつは尻の穴の心配をしてもらうぞ?」


「そりゃ勘弁!」


 



どっと明るい笑い声がこだまする。


現状ワラキア軍団の中核を担うのは傭兵である。


ネイとタンブルの率いるワラキア騎士団はその性格上五百がよいところで事実上の主力はゲクランの率いる二千五百の傭兵団となる。


本来不正規戦を得意とする傭兵団を主力として扱わなければならないために俺は長槍兵による密集隊形――――テルシオの訓練に血道をあげていた。


 



「次!右旋回!馬鹿野郎!隊列を乱す奴があるか!」


「左旋回!今度隊列乱しやがったら飯抜きにするぞ!」


 



なんとも頼りない限りだが、傭兵が主力である以上彼らにある程度の正規戦を戦ってもらわなければならない。


そのためには鈍重でも防御力を重視したテルシオによって彼らが逃亡したり略奪に走ったりしないよう枠にはめてしまう必要があった。


 



「どうにか格好がついてきたじゃねえか………」


「まあ、あっしらはそれなりに年季もありますしやれと言われればそれなりにこなしてみせますが……こりゃ本当に公子殿下がお考えで?」


「見た目は餓鬼だがまったくとんでもねえこと考えやがる。もう少し早くフランスあたりに生まれてりゃ今頃はイングランドを征服してたかもしれんぜ?」


 



テルシオは槍兵の防御力と火器の火力を組み合わせた移動する生きた城塞である。


これは乗馬騎士が戦の花形であった中世の戦闘様式にとって天敵以外のなにものでもなかった。


天才ゴンサーロ・フェルナンデス・デ・コルドバ公が発明したと言われるこの隊形は、1631年北方の獅子グスタフ・アドルフがブライテンフェルトの戦いでテルシオを撃ち破るまで長く欧州の最強陣形として君臨したのである。


その有用性をゲクランは優秀な戦術指揮官として痛いほどに自覚していた。


もしこれに対抗することができるとすれば、それはワラキアの貧弱な貴族たちではなく、ハンガリーの正規軍かオスマンのイェニチェリぐらいのものだろう。


 



「今は陣形を崩さなきゃそれでいい。おいおい機動力と陣形転換も仕込むとするさ」


「ちょいと残念な気もしますね。ヴァルナでこの陣形があればハンガリー王は死なずに済んだかもしれません」


「まあ勝てぬまでも負けることはなかっただろうよ」


 



戦力の中心を傭兵が占める以上その戦意と忠誠心は指揮官の器と戦況に大きく左右されてしまう。


傭兵たちは決して命知らずの戦争の犬ではなく、食うに困ったあぶれものが生きていくために徒党を組んだのがほとんどであるからだ。


ともすれば敵方の傭兵と共謀して派手に戦っているように見せかけるという詐欺同然の光景も見られたほどであった。


しかしそんな彼らも自分のまわりを仲間によって囲まれた堅固な陣地のなかではそれなりの勇気を発揮してしまうことをゲクランは経験的に熟知していた。


 



「このままあと3ケ月もあればいっぱしの漢に育てて見せるんだが………」


 



 



土煙りをあげて一人の兵士が北から疾走してくるのがゲクランの目にとまった。


その男が数週間まえにワラキアへの偵察に向かった斥候の一人であることをゲクランは覚えていた。


そしておそらくはワラキアで何かただならぬ事態が発生したであろうことも。


 



 



「………………やっぱり…………そう、うまくはいかんわなぁ……………」


 



 



1447年8月――――戦巧者ではあったがハンガリーとオスマンの双方を敵に回すという政治的には完全に無能であったヴラド・ドラクル2世が、長男のミルチャともども味方のワラキア貴族に暗殺されたという


凶報がエディルネにもたらされた。


それは短いながらヴラドに与えられていた猶予期間の終わりを告げる使者であり、そして新たな動乱の序曲でもあった。


 






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