ブルボン家に咲く薔薇~フランス王国戦記~

高見 梁川

第三十二話  理想と現実とその2

 国王ルイ・オーギュストの意識が回復したのは1776年11月19日のことであったが、長いこん睡状態によって体力を大きく損なっていた国王がどうにか上半身を起こすことが出来るようになったのは12月も半ばになってからのことであり、さらにマリー・シャルロットの引き起こした政変の詳細を国王が知らされたのは年をまたいだ1777年の1月を待たねばならなかった。


 「なんということをしてくれたのだ………」


 オーギュストは頭を抱えた。
 シャルロットの進めた一連の軍事行動はオーギュストが当初想定していた基準を大きく超えてしまっていた。
 すでに貴族たちと国王との間には埋めることのできない溝が出来ており、これを修復することはおそらく不可能であるに違いなかった。
 来るべき人民の無軌道な要求に対し矜持と教養をもって対抗する勢力としての貴族階級に期待していたオーギュストの希望は打ち砕かれていたのである。 
 ヴェルサイユの宮廷をにぎわしていた有力貴族の大半は領地に引きこもり晩餐会やサロンに集う貴族もすでに閑古鳥が鳴いている有様だという。
 それに代わるように下級貴族や啓蒙派貴族の子弟たちが辻に集まり平民の知識人を相手に新たな政治の仕組みについて議論するのが新たなパリの流行であるらしかった。
 それ以上にオーギュストを愕然とさせたのが腹心のカルノーやデオンといった部下たちが一連の粛清が完了するまでその事実をオーギュストに対し隠していたという事実である。
 確かにオルレアンを討伐した以上途中で手をゆるめては政権の命取りになる可能性があり動き出した流れを途中で止めるのはリスクがありすぎるものであっただろう。
 だからと言って国王に報告しないという理由にはならない。
 つまるところ彼らは国王ルイ・オーギュストよりも王妃マリー・シャルロットの判断を優先したということなのだ。
 シャルロットに宮廷侍医を押さえられていたとはいえ、軍人であるケレルマンはともかくカルノーならばシャルロットの越権について知らせてしかるべきであったし、デオンほどの人間であればシャルロットの隙をついて国王と接触を図るくらいの算段はついたはずであった。


 (私よりシャルロットのほうが頼りになる、ということか………)


 妻の政治的センスと天から与えられた者だけが持つ圧倒的なカリスマを誰よりも知るオーギュストは部下たちの心理を正確に洞察した。
 もしも自分が立場を変えればやはり同じ判断を下したかもしれないということを。
 何よりオーギュストはその生命を危ぶまれており、後継者不在の今オーギュストという存在は政治力を行使する以上に無事回復するということが求められていた。
 どんなに優れた政治を行おうとその権力の源泉が王位にあることは変えようのない事実なのだから。


 (だがシャルロットは知らない。歴史がこれからフランスにどんな試練を与えるのかということを)


 いかに天才的な政治家であるシャルロットでも中世から近代への転換点である歴史の潮流までは正確に見極められるわけではない。そして偶然がもたらす予想外の試練がフランスを襲うという歴史を知るはずもないのだ。


 (………また一から部下の作り直しか。少なくともシャルロットの手足を縛る必要があるな。表立っては難しいが)


 オーギュストはカルノーの忠誠心までは疑っていなかった。シャルロットと接触を図れぬほどに忙しい部署に回してしまえば影響は最小限に食い止められるだろう。ケレルマンやロシャンボー伯爵も王家に正面から弓を引ける人物ではない。デオンに灸を据え情報部を支配下に置けばシャルロットの独走は抑止できるはずだ。
 出来うるならばシャルロットを幽閉して政治権限をはく奪してしまうのが望ましいのだろうが個人的にも政治的にもオーギュストにとってはシャルロットを完全に排除しきれない理由が存在した。
 ひとつは今後に及んでもまだオーギュストがシャルロットのセンスを頼りに思っていること。そしてそれ以上にフランスは今回の政治的危機に際しオーストリアに借りを作ってしまっていることがその理由である。
 国境沿いに軍を動員し国内の反国王勢力を威圧したという事実はオーストリアがシャルロットの実家であり同盟国であることを差し引いても非常に大きな負債であった。
 いまだ思うに任せぬ病み上がりの身体を横たえてオーギュストは深いため息をついた。
 病床に伏している間にも世界は激しく変転しており、すでに世界はオーギュストの知るものとは異なる道を歩み始めている。
 その事実がいったいどんな影響をもたらすかオーギュストには想像もつかない。
 だがその一方で、自然死である人の命数までは変化しないであろうとオーギュストは考えている。
 それはすなわち今年の12月にはバイエルン選帝侯マクシミリアンヨーゼフ3世が死亡し、義兄ヨーゼフ2世がプロイセンのフリードリヒ2世と再び干戈を交えることを意味していた。
 世に言うバイエルン継承戦争である。








 フランスの政治的動乱は海を越えたアメリカ大陸にも深刻な影響を及ぼしつつあった。
 ラ・ファイエットをはじめとする啓蒙派貴族とその親類や暗黙のうちに融通されていたフランス王国政府からの資金援助がパッタリと途絶えたのである。
 それでなくともロングアイランドの戦い以降敗退を重ねて民衆からの支持を失いつつあった大陸軍にとってこの打撃は致命的であったと言える。
 なぜならばこのとき大陸軍は志願兵の契約期間が年末に切れることから、新たな募兵のための資金はいくらあっても足りない状態であったからである。
 すでに7月4日高らかに宣言された独立宣言の熱狂は冷め、現実の厳しさが大陸軍を侵しつつあった。
 大陸軍総司令官であるジョージ・ワシントンは年内に明確な勝利をあげる以外に大陸軍を維持する術はないと考えていた。


 「全く下手をうったもんだぜ」


 ワシントンはみすぼらしい敗残兵と化した兵を眺めて一人ごちた。
 ロングアイランドの惨敗からフィラディルフィアまでの撤退戦で兵士の士気はどん底近くまで低下しており、さらに冬の寒さと食糧の不足が追い打ちをかけていた。
 これでさらに給料が遅配されるようなことになれば軍の瓦解は免れない。しかし農園経営者のような小規模ブルジョワジーを中核とするアメリカ政府にはイギリス資本家ほどの経済力は望むべくもなかった。
 後年のメリカ合衆国の国力を考えれば信じがたい話かもしれないが、独立間もないこの時期アメリカには工業基盤も採掘すべき資源も元種となる資本も存在しなかった。
 フランスからの援助が停止したことはワシントンの思い描くアメリカの将来に暗い影を投げかけずにはおかなかったのである。


 「サミュエルやジェファーソンが意地を張らずに最初から俺に全権を任せてくれていれば……いや、いまさら埒もない繰りごとか………」


 ワシントンが大陸軍の指揮権を掌握したころにはすでに大陸軍は敗北を重ねていた。
 最初から全戦力を投入できればどこかで一勝する程度の機会はあったと思うがことここにいたっては詮ないことである。


 「―――――奇襲しかありますまい。最適なのはやはり………クリスマスの晩になりましょうか」
 「どこを狙う?」
 「ハウにひと泡ふかせたいところではありますが……安全策をとるならやはりトレントンでありましょうな」
 「ヘッセン傭兵に生贄になってもらうか……」


 ワシントンは信頼するノックス大佐の言葉に深くうなづく。
 デラウェア州トレントンに駐留するのはイギリス王室と血縁のあるドイツ領主から援軍として送られた傭兵で占められていた。
 もともとイギリス軍と違い勝利すべき意欲の薄いこの傭兵たちは、アメリカ軍が連敗していることも相まってすっかり戦勝気分に浸っているという情報であった。
 地の利では完全に大陸軍が勝っている。というより大陸軍がイギリス軍に勝るものはそれだけだ。
 本来防衛軍である大陸軍の士気は高いものであったが、敗北とイギリス政府からの懐柔は着実に大陸軍から戦意を奪いつつあった。そのなかにはほかならぬワシントン自身すら含まれていたのである。
 敗北が覆せぬものになった場合は恥も外聞もなく降伏して条件闘争に移る覚悟はすでにワシントンの心の中で固まりつつあった。
 死ぬまで利益の戦いに身を投じるなど愚か者のすることだ―――そんなことを考えているワシントンの脳裏に一人の青年の姿が浮かぶ。


 「この手に自由を手にするまで決して諦めるな!我らが新たな歴史の扉を開くのだ!」


 同志のフランス義勇軍を前に熱弁をふるう青年――――ラ・ファイエット侯爵ならば死ぬまで戦い続けるのかもしれない。彼にとっては現実よりも理想のほうが重い。それが口先だけの空虚な虚言でないのは、彼が領地の主な収入源である農地を売り飛ばし、まさに一文無しになるまで資金を大陸軍につぎ込んでいることを見ても明らかだった。
 その志の高さにはワシントンも素直に畏敬を覚える。
 そしてこの青年が夢見るような民主共和政体が誕生すればどんなにかよいだろうと心から思う。
 国王も貴族もいない、人民だけの人民のための政治、それは人類にとってキリストの誕生にも匹敵する革命をもたらすはずであり、ラ・ファイエットは間違いなくその革命を主導した英雄となるはずであった。
 もし現実がそれを許すならば―――――。


 「悪いが死んで得られるものに興味はない。――――人民が生きるということと貴族の生きるということは違うのだよ。わかってくれとは思わないが」


 おそらくアメリカが勝っても負けてもラ・ファイエットは現実に裏切られる。
 戦友として信頼できる友だった。
 仲間として憎めない弟のような青年だった。
 同志として裏切りを心配する必要のないかけがえのない男だった。
 いや、少なくとも今はまだ―――――。
 しかしもしもトレントンの攻撃が失敗したならば、ワシントンは戦友である彼の枕に、かつての、という冠詞をつけることを決意していた。







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