ブルボン家に咲く薔薇~フランス王国戦記~

高見 梁川

第二十五話

侍女に抑えられる形で国王が警護の者とともに屋敷内へと逃れる。
できれば屋敷の外に出たかったがさすがにここで国王の逃走を許すほどロアン公の配下は無能ではなかった。
君主に対するテロという形で反旗を翻した以上、国王を逃すということは身の破滅と同義であるからだ。


「往生際が悪いですぞ!?潔く観念なさりませ!」
「ふむ………では冥土の道連れは公爵ではなく枢機卿にいたしましょうか………」
「ひいいいいっ!」


ロアン公に向けられていた銃口が枢機卿にピタリと狙いを定めるとロアンはだらしなく悲鳴をあげて慌てて公爵の背後へと隠れるように逃げ出した。
そのあまりの醜態ぶりにロアン公をはじめとする刺客たちから侮蔑の視線が突き刺さる。
神に仕える代理人としてはあるべからざる生臭ぶりであった。
ここにきて公爵は自分が手を組むべき相手を誤ったのではないかという深刻な懸念を抱かざるをえなかった。


「しかし振られた賽はもとには戻らない…………そこの侍女よ。今そこをどければ命ばかりは助けてやるぞ?どうせ時間を稼いだところで我が屋敷からは逃れられぬ」


銃口を心臓から微動だにしないこの侍女さえなんとか出来れば国王を殺すことは容易い。
たとえ死んでも国王を道連れにする覚悟はあるが、公爵も人である。やはり命は惜しいし、暗殺後の栄達もあきらめるには惜しすぎた。
侍女もそれがわかっているのか、引き金に指をかけたままむやみに公爵を殺そうとはしなかった。


「はやまった真似をしましたね、公爵。あるいは毒殺ということもありうるかと内偵してはいましたが、さすがにこれほど思い切った暴挙に打ってでるとはさすがに予想できませんでしたよ」
「私も武門に生まれた貴族だ。最低限の矜持というものがある!」
「………あなたの背中に隠れた方はどうやら意見が違うようですけれどね………」


いかにも口惜しいという表情で枢機卿が舌うちをした。
実際この神の代理人は当初公爵に毒殺を薦めていたのである。
そのほうが計画が失敗した場合に言い逃れる可能性があるからだが、公爵は確実性を重視した。
国王に反逆すると言うのるかそるかの大博打を打つのに不確実な投機に賭けるのは愚か者のすることであった。


枢機卿は侍女が泰然として焦る様子を見せないことに不審を覚えていた。
国王は屋敷内に護衛とともに退避したが、出口の全ては厳重に封鎖されており袋のネズミであることは疑いない。
まさかこのまま公爵の命を人質に事が収まると考えているわけではないだろう。
屋敷内にも人はおり、国王があぶり出されるのは時間の問題であるからだ。
まさか――――――


「………いかんっ!早く国王を捕えよ!近衛が駆けつけるやも知れん!」


侍女の内偵と言う保険をかけていた国王のことだ。
さらに近衛がある時間で偵察に現れるくらいのことは準備している可能性があった。


「おっと、そのまま動かないでいただこう。屋敷に兵を送るのもご遠慮いただこうかな」


引き金の指を軽く動かしてみせる侍女の余裕の笑みが枢機卿から冷静な判断力を失わせた。
楽天的な夢想家にありがちなことに、枢機卿はこのとき初めて国王を殺しさえすれば立身出世は思いのままという希望から、もし失敗すれば自分の身がどうなるかという現実を実感したのであった。


「殺せ!一刻も早く国王を殺せ!」


枢機卿は正しく惑乱していた。
もう少しで天上の高みに足が届こうとしていると思ったら、実は奈落の底へと続く落とし穴であるなどということを認めるわけにはいかなかった。
宰相という野望のために賭けられたチップが自分の命であったということを自覚した枢機卿は力任せに公爵を地面に引きずり倒すとそう絶叫したのである。
勝手に主君である公爵を危険にさらしたことで部下たちは激昂したが、ことここにいたっては下手に撃たれる前に侍女を取り押さえる以外にない。
兵士たちは弾かれるように侍女に向かって駆けだした。


「…………愚か者のすることというのは本当に油断が出来ませんね………」


侍女は公爵の影に隠れている枢機卿の横腹を正確に撃ち抜いた。
大きな発砲音とともに枢機卿の僧服から血しぶきがあがり、公爵ではなく自分が撃たれたことに裏切られたような表情をした枢機卿は腹を抑えてのたうちまわった。


「た、助けてくれ!腹を撃たれた!医者を………死にたくない!死にたくない!」


自分はこんなところで死ぬような男ではない。
未来のフランス宰相としてかつてのリシュリューやマゼラン枢機卿のような栄華をこの世に築くのだ。


痛い!
痛い!
痛い!
こんなはずは!
こんなはずではなかった!
どうして自分がこんな目に遭わなくてはならない!
無能で教会の権威を認めぬ国王に天罰を下す聖なる役目を背負ったはずの自分が!


「早く助けてくれ!何をしている!私は枢機卿なのだ!この身は神の代理人であるのだぞ!」


どくどくと出血し続ける腹部を抑えて必死に呼びかける枢機卿に向けられたのはただ侮蔑と怒りの視線だけであった。
枢機卿の考えなしの行動によって彼らは危うく主を失いかけたのだ。
むしろその程度ですんでいるのは今が危急の時であるからであるにすぎない。
どこまでの自分本位な考え方しかできない枢機卿の危うさと幼さをようやく公爵もその部下たちも理解した。
その口車に乗ることがどんなに危険なことであるのかも。


「―――――だが私ももはやこの謀反の歩みを止めるわけにはいかぬ」


公爵は断固とした口ぶりで言いきった。
ずさんな計画であるかもしれない。
愚かな枢機卿の妄想の産物でさえあるのかもしれない。
しかし国王の政策が貴族を窮乏に追い込み、平民の権力を増進させていることもまた確かなことであった。
いつか平民に支配をとって変わられるかもしれない、という恐怖を公爵もまた他の貴族同様に共有していたのである。
その事実があればまだ戦える。
公爵の目配せとともに配下の兵士がスルスルと侍女を取り押さえに向かった。




「それは残念ですがもう少し時間を稼がせていただきますよ」




フリルのふんだんにあしらわれたスカートから一振りの剣を引きぬくと侍女は無警戒に近づいた兵士をたちまちのうちに五人六人と斬り伏せる。
利き腕や足を傷つけられた兵士たちが戦闘力を失ってうめき声とともに転がされた。
そのあまりの腕の冴えに兵士たちの歩みが止まる。
銀光のような剣閃に無駄のない芸術のような体さばき。
迂闊なことにこのときなって初めて公爵は侍女の正体に思い至った。


「その剣の腕…………貴様か!シャルル・デオン………この半陰陽体アンドロギュノスめ!」


デオンは一対一の剣闘において生涯無敗を誇ったフランス史上でも屈指の天才剣士である。
あまり知られてはいないが、史実において貧窮してからの彼はドレスを身に纏い、自分を倒すことが出来れば賭け金倍返しという身体を張った賭けで日銭を稼ぎついに一度も敗北することはなかったという。
それは彼の体力が衰えた晩年に入ってからの話しだというから驚きである。


いくら天才剣士であると言っても360度全方位を囲まれては勝算は立たない。
デオンは巧みに身体を入れ替え、壁を味方にジリジリと邸内に後退しつつさらに十人もの兵士を突き伏せた。
あまりの圧倒的な技量の差に犠牲を恐れた兵士たちは剣ではなく銃によってこの恐るべき剣士を倒すことを決断した。
国王の暗殺という重大事を成す以上銃声をあげるというリスクは避けたかったが、これ以上デオンを好きにさせておくのはそれ以上に危険であると判断したのだ。


「おっと、それではこの辺で退散と参りましょうか」


火薬の匂いをかぎ取ったデオンは目隠しでもするようにドレスを脱ぎ捨て、銃士に向かって放り投げる。
反射的に黒いメイド用のドレスを銃弾が撃ち抜き丸い風穴をあけるが、脱兎のように邸内に駆けだしたデオンを捉えることはできなかった。
歯ぎしりしながら公爵が吠える。


「急げ!あの道化者も国王も一人として逃がすな!」










国王が立てこもった部屋を見つけ出すのにそれほど長い時間はかからなかった。
公爵の屋敷だけあって邸内は広大というほかないがそれでも捜索にあたる人間の数は百人ではきかない。
速い段階で国王たちに追い出されたコックや給仕たちの証言によって明らかになったところによれば、国王たちはまっすぐに厨房に押し入り、中にいたコックたちを追い出しテーブルや食器棚で簡易なバリケードを築いているらしかった。


「いったい何の真似だ……………?」


公爵が首をひねるのも無理はない。
厨房は一階に位置しているため、外部と連絡を取るのにはひどく不都合な場所にあったからである。
当初の予想によれば最上階の公爵の私室から見晴らしの良いテラスに出て助けを呼ぶものとばかり考えられていたのだが。


そうしているうちに焦げ臭い匂いが立ちこめ始めた。
パチパチと火のはぜる音ともに、その匂いは明らかに中央の内部からこちらに漂ってきていた。
まさか逃げられぬと見て自決する気か?
いけない―――――政治的に考えて国王の死体が残らないというのは問題が大きい。
慌てて公爵は部下に厨房の扉の破壊を指示した。


鉄斧を抱えた屈強の兵士がバリバリと大きな破壊音を立てて頑丈な樫の扉を壊していく。
破壊された扉の隙間から白い煙が漏れ、厨房内がすでにかなり煙で充満してしまっていることを告げていた。
理性ではなく本能によって公爵は言い知れない焦燥感を感じていた。
目撃者の証言によれば国王は屋敷内に入るとほかのどこにも目もくれずこの厨房に駆けこんだらしい。
突然の暗殺の危機にもかかわらず、うらやましくも妬ましいほど泰然とした国王の姿が、いまだ公爵の脳裏にはありありと焼き付いていた。
あれは決して諦めにより自殺する人間のする表情ではないはずであった。
ならばいったい――――いったい何が厨房などにあるというのだ?


「この厨房の責任者を呼べ!大至急だ!」






年老いたシェフが公爵の前に引き立てられてきた。
すっかり恐縮した彼は、焦りに血走った公爵の目に怖れおののいたようにでっぷりと超えた身体を縮こまらせて震えた。


「わわ、私めにいったい何用でございましょうか………?」


いくらなんでも国王の侵入を防げなかった罪に問われるのはないだろう。
彼は料理の腕を買われて雇われて公爵に仕えるシェフなのであって剣をもって使える兵士ではない。
武装した国王を撃退する手段が皆無であったことは公爵でも理解しているはずであった。


「国王はなぜここに立てこもったと思う?」


「は…………?」


じれったそうに唇を噛んで公爵はいらだったように吐き捨てる。


「こんな袋小路の助けも呼べぬ厨房に何故国王は立てこもったのだ?私ではわからぬこともこの部屋を預かるお前なら想像がつくのではないか?いったいなぜだ?国王はこの中でどうしているのだ?」


わかりませんでは済まさぬ、と言いたげに公爵に睨みつけられた哀れなシェフは生まれてこのかた経験のないほど脳髄をフル回転させた。
公爵の意に染まぬ答えの場合、彼は八つ当たり同然にこの場で公爵に切り捨てられる可能性があった。
少なくとも最低でもこの騒乱の後、彼の職場が失われることは確かであった。


(どうして国王が現れたかって?そんなのこちらのほうが聞きたい…………!)


これといって特別なところのない平凡な厨房である。
さすがに公爵の家柄に相応しい広さと便利さは備わっているが取り立てて珍しいものはない。
厨房とほかの部屋の何が違う?
料理するのに使うから水は大量にある。
食材もあるし、食うには困らないかもしれないが斧で既に扉を打ち壊され、立てかけられたテーブルや食器棚が露出した有様を見ればそれが何ら意味のないことであるのは明らかだ。




――――――いや、待て




シェフの限界まで張り詰められた心の琴線に何かがひっかかった。
大量に消費される水、そして残飯、不要になった食材、賄いや肥料に消費される部分があるとはいえそれ以外の部分はいったいどこにいっている――――――?


シェフが何か重大な事実に気づいたのは彼の顔から血の気が失せ蒼白になっていくのが何より雄弁に物語っていた。
せき立てられるように公爵はシェフの肩を掴んでシェフの言葉を促した。


「何故だ?国王はいったい何のために厨房へやってきた?」




もし自分の想像どおりであるとすればもう遅いかもしれない。
遅かったとすればそれは雇い主である公爵の破滅を意味するのだ。
この数分で二十ほども年をとってしまったようにしわがれた声でかろうじてシェフは決定的な言葉を紡ぎ出した。






「この厨房で使われた大量の水とごみはパリの地下水路………悪名高きカリエールへと投棄されております」


そう、パリという巨大な人口が抱える汚物を一手に引き受ける地下に存在するというもうひとつのパリ――――――。
ナポレオン三世が大改修を施す以前であっても十分すぎるほどに巨大で複雑怪奇な構造と空間を有した迷宮が、厨房の底には広がっていたのである。









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