ブルボン家に咲く薔薇~フランス王国戦記~

高見 梁川

第四話

 



 



「これは外務卿殿、わざわざのお運び痛み入ります」


 



「いやいや殿下のお望みとあらばいつなりと」


 



丁重に礼を交わすその優雅な所作は決してわずか11歳の少年のものとも思われない。


ショワルーズは王太子に対する認識を改めなければならないことを痛切に感じていた。


これは根拠があるわけではないが、目の前の少年は高度に政治的な腹の探りあいの修羅場を幾度もくぐり抜けている。


長年外交の一線に立って培われたショワルーズの勘がそう告げていた。


 



「外務卿殿をお招きしたのはほかでもございません。卿が来月訪問されるオーストリアのことでございます」


 



「……………ほう」


 



ショワルーズはさらに警戒感を強めた。


それはまさにショワルーズがこれから太子に尋ねようとしていたことだからである。


こちらの動きを見切られている以上迂闊な口は聞けない。


 



「我が父がオーストリアからの姫の輿入れに反対であったことは聞き及んでおります………しかし今はそのオーストリアとの同盟こそが肝要な時、外務卿におかれては何卒シャルロット(カロリーナ)殿下とのご縁をまとめていただきたい」


 



実のところオーストリアとの縁談は以前から水面下では進められていた。


そこで障害となっていたのが前王太子ルイ・フェルディナンドである。


彼は今は同盟国とはいえ、二百年来の敵国の血がフランス王家に入ることに我慢がならなかったのだ。


最大の障害が取り除かれた今、もはやオーストリア皇女を迎え入れることにためらう理由は何もなかった。


………そう、マリア・カロリーナ(フランス語読みでマリー・シャルロット)皇女を迎えることに。


 



 



――――1765年当時、ルイ・オーギュストの結婚相手として候補にあげられていたのはマリア・カロリーナ皇女であったのである。


 



 



 



「お志はお見事なれど婚姻を決められるのは陛下の判断にございますぞ」


 



ショワルーズとしては太子の意思は貴重でありがたいものだ。


王家の人間として政略結婚を強いられるのは運命のようなものだが、その政略を理解している人間としていない人間とでは対応に雲泥の差が出ることは当然のことであった。


この太子ならばオーストリアに対して失礼な態度は慎み、皇女を末永く大切に扱うだろう。


政略結婚は実は結婚後のアフターサービスこそが重要なものなのである。


だからこそ太子の思惑が読み取れない。


自分にとって都合のいいばかりの話を聞いて気味が悪くなるのは外交官として当然の反応だった。


 



「………外務卿殿、ハプスブルグの血に興味を持つのは我がフランスばかりではありません………聡明をもって知られるシャルロット殿下をこそフランスにお招きしたいという私の考えは間違いですか?」


 



太子の言うことは事実であった。


子宝に恵まれた女帝マリア・テレジアだが今や未婚の娘はわずかに三人。


しかもうち一人はナポリ王との婚約が決まっている。


残るはマリア・カロリーナ姫とマリア・アントーニア姫の二人のみ。


姉のカロリーナ姫は聡明さと怜悧な美貌で知られ、妹のアントーニア姫は愛らしく活発な姫として知られていた。


とはいえそれは宮廷外交官であるショワルーズだからこそ知ることが出来る類のもので、なぜ太子がそんな詳しい情報を知ることが出来たのかということについてはショワルーズも首をひねらざるをえない。


 



「まことに天晴れなお考え、このショワルーズ公エティエンヌ感服いたしました。さればこの老骨に鞭打って必ずや吉報をお届けいたしましょうぞ」


 



「………公のお力添えに感謝いたします。それとどうかこの手紙をシャルロット殿下にお届け願えますでしょうか?」


 



内心でどう思ったにせよ、ショワルーズは動揺することなく王太子の手紙を押し頂くようにして受け取った。


 



「必ずや殿下にお届けいたしましょう………」


 



なんという準備のよさであろうか。


ショワルーズは素直に太子の手腕に感服していた。


婚約者候補同士が手紙のやりとりをしているということが公に知れれば、もはや交渉を反故にすることは難しい。


諸外国の王がハプスブルグ家の血を望むにせよ、その相手は自然とマリア・アントーニア姫のほうにならざるをえまい。


個人的な趣向で言わせてもらえれるならば、末娘のアントーニア姫のほうがその美貌ではカロリーナ姫を上回るように思われるのだが。


 



「それにしても殿下がかくもオーストリアの姫君をお知りになっておられるとは………いったい誰からお聞きになられましたか?」


 



ショワルーズにとってはそれだけが謎だった。


生まれてこの方一度も外遊に出たことのないルイ・オーギュストが婚約者候補について知ろうとすれば伝聞以外の方法はない。


しかし宮廷で知ることのできる噂と太子の知る情報には雲泥の差があるように思われるのだ。


 



「外務卿殿は自分がオーストリアについて誰に聞いているか教えることができましょうか?」


 



 



…………できるはずがなかった。


この時代にまだニュースソース秘匿の概念はないが、外交官にとって情報が生命線であることは太古の昔から変わることがない。


たとえば金で雇った平民であるにせよ、あるいは口の軽いお調子者の貴族であるにせよ、異国における貴重な情報源をもらす外交官のいようはずがなかったのである。


それはつまり教えるつもりがないという太子なりの暗喩なのに違いなかった。


 



「今日は非常に有意義な時を過ごすことが出来ました。殿下におかれては何卒末永くおつきあいくださいますよう…………」


 



現在実質的にフランス政府の中心にいるショワルーズ公ではあるが、ここで王太子に恩を売ることの重要さを認識するのには十分すぎた。


ここまで優秀な人間が即位した暁には、古い重臣たちはお払い箱になるのは過去の例からいって間違いなかった。


引き続き政権の一端を担うにせよ、引退して老後の安全を確保するにせよ太子とのパイプを握っておくにこしたことはない。


 



「…………それにしても…………太子が愚鈍などと誰が言ったものかな」


 



ルイ・オーギュストといえば前王太子フェルディナンド家のあましものとして有名だった。


人見知りで口数は少なく、口を開けばどもりがとれぬうえ気の利いた言い回しのひとつもできないと言われていたはずなのだが。


あの風格は歴戦の外交官のそれではなかったか。


 



「不思議なこともあるものよ」


 



 



 



 



 



 



 



「うまくいくかなカルノー?」


 



「陛下もポンパドゥール夫人を失って気落ちしておられるところでございます。この機会に王太子妃を迎えることが出来ればお心も晴れましょう」


 



碌に教育も受けていないにもかかわらずカルノーの読みは鋭い。


私も婚約を決めるならば父フェルディナンドの死の動揺が収まらぬ今のうちだと考えていた。


気分家であるルイ15世は同時に自尊心の非常に高い男でもあったからだ。


心の動揺がおさまれば、オーストリア側から請われる形での結婚という形式にこだわるだろう。


それでは時期を失するのは歴史が証明していた。


 



 



すなわち1767年マリア・ヨーゼファが急死した結果、ルイ・オーギュストの婚約者候補と目されていたマリア・カロリーナは急遽マリア・ヨーゼファのかわりにナポリ王へと嫁ぐこととなるからである。


ほとんど決まりかけていたフランスとオーストリアの縁談はこれで振り出しに戻り、マリア・アントーニアとの婚約がようやくまとまるのは実に1769年のこととなった。


その時点でおいてもマリア・アントーニアのフランス語習得が間に合わなかったというから、オーストリア側も予想外のことであったのは明らかだろう。


 



 



 



後にマリー・アントワネットとして数々の悪名を流すマリア・アントーニアだが、私も言われるほど彼女が悪女であったとは思わない。


しかし少なくとも不実で愚かな女性であったことも確かであった。


フェルセン伯爵との浮気は言い逃れのしようのないところであったし、私情でテュルゴーやネッケルを罷免し、さらにはヴァレンヌ事件においては致命的な世間知らずぶりを発揮している。


それでも処刑に臨んだときの高貴な態度は賞賛されるべきもので、生まれる時代がもう少し早ければ誇り高い貴婦人として歴史に名を残したのかもしれなかった。


いずれにしろこの瀕死のフランスの王太子妃に相応しい女性ではない。


対するマリア・カロリーナは女傑として知られる女丈夫である。


暗愚な夫に代わり政権を掌握するや、政治ばかりでなく士官学校を創設するなど軍事にも造詣が深かった。


彼女がフランス王妃になっていればフランス革命はまた別な形になっていただろうと言われるほどであり、アントーニアとの器の差は明らかだ。


だからこそ1767年を迎える前に彼女との婚約を最低でも既成事実化しなくてはならなかった。


 



「まあ、浪費を抑えてもらう程度では財政が救われるには足りないんだが」


 



それでも経費を削減してくれるのには意味がある。


国民に対して王家もまた努力しているというポーズになるからだ。


また賢明なカロリーナであれば、後年首飾り事件に巻き込まれるような脇の甘さはあるまい。


 



 



だが最悪マリア・アントーニアを娶るようになることも考えておかなくてはならなかった。


なぜならオーストリアの皇女を娶るということはただ同盟の強化という理由ばかりではない。


7年戦争でフランスがオーストリアに対して援助した巨額の戦費の保証という意味もあるのである。


つまりオーストリアから王太子妃を迎えないという選択肢はありえないのだ。


 



 



 



しかし歴史的事実からすれば結果としてフランスが援助した巨額の借款がオーストリアから返還されることはなかった。


それはバイエルン継承戦争によってオーストリア経済が疲弊し借款を返す余裕がなくなったことに加え、フランス革命によって国王夫妻が処刑されたことでオーストリアは革命政府を正当なフランスの代表者とはみなさなかったからだ。


簡単に言えばオーストリアは嬉々としてフランスの借金を踏み倒した。


 



「ヨーゼフ二世には釘をさしておかんとな………いや、マリア・テレジアのほうがいいか?婚約が正式に決まったら持参金の話のしなくちゃならんし…………」


 



「ずいぶんと夢のない結婚に聞こえますが…………」


 



「覚えておきたまえカルノー。恋ならばともかく結婚などというものに夢の入り込む余地などないのだよ」


 



 



特に王族にとっては結婚が政略以外のものであってはならない。


しかし夫婦愛と政略はしばしば両立することが可能であった。


ルイ・オーギュストの若い肉体に精神も引きずられたものであろうか、43歳で死んだはずの私であっても年若い花嫁を迎えることは政略以上の何かに思われた。


出来うるならばともに愛し合い、ともに助け合ってフランスの次代を担いたいものだ。


一人で背負うにはこの試練はあまりに大きすぎるのだから。


 






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