アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百五十五話 狂騎士バリストン
二日後、松田たちはデアフリンガー王国を出発する。
万物を見通す眼イリスが封印された迷宮は、パリシア王国の東、あの始まりの町リジョンの南にあるという。
『イリスはガルーダの迷宮に封印されていると思われます。主様』
「リジョンの町か……なんだかずっと昔のことに感じるな」
まだこの世界に来たばかりのころ。
新たな力、新たな仲間、そしてこの世界でも変わらぬ人の醜さ。
そんな思い出を松田は目を閉じてしばし振り返った。
ゴドハルトは元気でいるだろうか?
願わくば社畜のくびきを脱して、己の意思を貫けるようになっていて欲しい。
実はすでにゴドハルトは新リジョン領主のもとで、別人のようにのびのびと仕事をしているのだが、それは松田の知るべくもないことであった。
しかし松田たちの活躍と思惑を快く思わない人間もまた、少なからず存在したのである。
リュッツォー王国国王、グリンゴ二世は苦虫を噛みつぶしたような渋面であった。
「よりにもよってデアフリンガー王国か」
「御意」
部下からの報告は、松田が伝説級探索者に就任し、デアフリンガー王国と対等の協力関係を結んだというものであった。
要塞都市マクンバを救った英雄、タケシ・マツダがスキャパフロー王国へ逃亡したという報告を受けた際にはここまで大事になるとは予想もしなかった。
逃した獲物はあまりにも大きい。
「今少し早く手を打つべきであったな」
「陛下の御心をお騒がせいたしましたこと、申しわけのしようもございません」
顔から脂汗を流しながら平身低頭しているのは、マクンバ伯爵である。
彼は氾濫からマクンバを救った松田を、なんとか手の内に引きこもうとはしたものの、スキャパフロー王国が松田を庇ったことで止む無く手を引いていた。
スキャパフロー国王と一介の伯爵にすぎない自分では格が違いすぎる。
その時点で松田という存在は、まだ将来有望な探索者にすぎなかったのだ。
もちろん氾濫での活躍を考えれば宝石級の探索者に匹敵するとは思っていた。
しかし宝石級の探索者ならリュッツォー国内にも十人弱はいるはずであり、危険を犯してまでスキャパフロー王国と敵対する必要もないと思われたのである。
ところが松田の活躍は伯爵の予想を遥かに上回っていく。
フェイドルの迷宮の攻略を皮切りに、ヴィッテルスバッハ公国軍を一方的に打ち破り、ついにはパズルの迷宮を復活させ、その迷宮を奪おうとしたワーゲンブルグ王国軍を撃退した。
あれよあれよという間の出来事だった。
もはや大陸のいかなる国も松田という伝説級探索者の存在を無視できない。
それどころか、松田という存在を味方にすることができたなら、国際秩序が変わることもありえた。
ほとんどの伝説級探索者は迷宮にこもっているし、ごくごくわずかな国付きの伝説級はなんらかの制約を己に課しているものであった。
松田のようにフリーな状態の伝説級探索者はこの大陸に一人もいない。
「――――中立誓約だけでも交わせればよいのだが」
目下のグリンゴ二世の悩みは、松田がデアフリンガー王国と共闘してリュッツォー王国に牙を剥かないかということである。
松田にはその気はないのだが、そうとは受け取れない事情があった。
結果的にとはいえ、松田はデアフリンガー王国の領土を守るためにワーゲンブルグ王国と戦ったのである。
勝手にワーゲンブルグ王国がドル箱になるであろうパズルを奪いに来ただけだとはいえ、各国はそう素直には受け取れなかった。
国を敵に回すという決断は、何か理由がないかぎりありえない、というのが通常の人間の思考であった。
もっともその通常からほど遠いのが伝説級の探索者というものであったが。
最低限デアフリンガー王国と戦争になってもリュッツォー王国とは敵対しないという誓約が欲しい。
可能ならばこちらの味方として引き込みたいが、欲をかけば逆にデアフリンガー王国を利するだけだろう。
「それで、接触は図れんのか?」
リュッツォー王国の強みとしては、なんといっても松田の師匠にあたるドルロイがマクンバで工房を営んでいるということだ。
最悪ドルロイを人質にとるという選択もある。
「……それがスキャパフロー王国で五槌の大幅な改選があるらしく、しばらくは戻れないようでして」
「どこまでも間の悪い!」
ハーレプストの結婚後まもなく、ドルロイとリンダは故郷スキャパフロー王国へと帰還していた。
ドワーフ評議会が松田と敵対し、国王ジョージの不興を買ったマニッシュとゲノックを五槌から解任したのである。
そのため新たな五槌の選任と、ほぼ追放同然だったドルロイとの関係改善のためドルロイを招聘したというわけであった。
絢爛たる七つの秘宝は、ドワーフにとって垂涎ともいえる秘宝であり、松田の師匠であるドルロイの価値はこれまで以上に高まっていた。
それに鼻の利く者は、ドルロイが松田を弟子にする過程で、緋緋色鉄の秘密に迫ったという事実に感づいている。
逆にドルロイからすれば、煩わしい五槌から離れ一介の鍛冶師として専念したいという思いもあった。
お互いの思惑が異なっているため、新たな五槌の選任は最初から困難が予想されていた。
リンダがわざわざ同行したのもそのためだろう。
万年ラブラブな二人が、長期間離れ離れになることを承知するはずがなかったのだ。
もっともリンダは決して認めないだろうが。
そのため今、リュッツォー王国には交渉の材料となるドルロイがいない。
下手をすればこのまま戻らない可能性すらあったのである。
「放置しておくわけにはいかん……聞けば絢爛たる七つの秘宝を二つも所有しているというではないか。大人しく迷宮にこもるならまだしも、大陸を自由に動き回るなど冗談ではないぞ」
伝説級探索者はいわば核兵器だ。
しかも感情を持つ核兵器である。
下手をすれば宿場町で意気投合した個人的な友人――知り合い程度かもしれない。
そんな人間のために国家権力を容易く凌駕することのできる圧倒的な力。
彼らの行くところ既存の秩序が、いつ破綻するかしれない危機にさらされる。
そして愚かにも、民衆というのはそうした隔絶した個にこそ英雄たる憧れを寄せるのだ。
グリンゴ二世は決して非道な王ではない。
だからといって民衆に慕われる良王というわけでもなかった。
むしろスキャパフロー王国やデアフリンガー王国に比べれば、多少ながら税が重く民衆の負担は大きかった。
それもいずれは再び始まるであろう戦争において、リュッツォー王国を勝利に導かんと軍を整えてきたからだ。
少なくとも一対一であれば、リュッツォー王国は周辺諸国の間では頭一つ抜けた軍事大国であった。
その軍事バランスが崩れる。
国王に即位して以来、生涯を懸けて準備してきたグリンゴ二世にとって、それは耐えられることではなかった。
制御できないならば、躾けるか殺すか、隔離するかしかない。
その思考をグリンゴ二世はなんら疑問に思わなかった。
ワーゲンブルグ王国のムラト一世と同様、グリンゴ二世も松田は排除すべき異物であると判断したのである。
「ですが、あのワーゲンブルグの先鋒を一人で打ち破るような男ですぞ? 下手をすれば我が軍の損害も馬鹿にできぬものに……」
「わかっておる」
せっかく優位にたった軍事力を松田にぶつけて消耗させるなど愚の骨頂。
「化け物には化け物をぶつければよいではないか。うまく両方潰れてくれれば手間が省ける」
「そ、それでは……あのバッフェルの狂人を?」
「あの男はライドッグにかかわりがあったはずだ。唆すには十分な理由だろう?」
リュッツォー王国にはギルドが管理できない伝説級探索者所有の迷宮がある。
その名をバッフェルの迷宮といい、その主がバリストン・バッフェルである。
史上最強の魔法士といえば、一番にライドッグの名があがるであろう。
しかし現代最強の魔法士というと、おそらくはバリストンの名は上位3位には入る。
彼は亡国の騎士と呼ばれていた。
千年以上前、ライドッグと敵対し国力を疲弊して衰亡していったガンフェルト王国にバリストンは生まれた。
若くして頭角を現していったバリストンは、王国騎士団長として傾いていく故国を守ることに全力を尽くした。
そのおかげか一時的には王国は息を吹き返したように復興した。
ところが好事魔多しという。
バリストンの武力に目がくらんだ国王は隣国へ食指を伸ばし、その侵攻を命じた。
止む無く出撃したバリストンは見事敵国との戦闘に勝利を収める。
しかし戦争はバリストン一人で行えるものではない。
もともと疲弊していた王国で、バリストンの武力が突出していただけでそれ以外の戦力はお寒い限りであった。
つまりバリストンが国外に出撃した王国は無防備同然であり、肉食獣の前に投げ出された餌にすぎなかった。
たちまちもうひとつの隣国に強襲されて王都は陥落。
帰るべき故国を失ったバリストンの軍は蜘蛛の子を散らすように消え去った。
ここでバリストンにその気があれば、彼ほどの武を召し抱えようとする国はいくらでもあった。
欲に目がくらんだ亡国の王など見捨てて新たな主を戴いたとしても誰もバリストンを責める人間などいなかったろう。
ところがバリストンはそれを拒否した。
あろうことかライドッグが不老不死の研究の副産物として生み出していた不死の鎧を迷宮から解放するや、単身故国へ赴いたのである。
鎧そのものに強制的に肉体の維持修復を行わせる不死の鎧を得たバリストンは無敵だった。
失われた血液はたちまち補充され、斬り飛ばされた腕はたちまち再生する。
昼夜を問わず一週間戦い続けても一睡もする必要はない。
この規格外の化け物を相手に、しぶとく抗戦を続けた王国もついに命運が尽きた。
王都が陥落し、他国へ逃げ延びた王族もバリストンは決して許そうとはしなかった。
さらに二つほどの国が滅びかけ、始めは亡命を受け入れていた国も、自らの安全と引き換えに逃げてきた王族をバリストンに差し出すに及び、王国は完全に滅亡する。
――――ところがバリストンの苦難はまだ始まったばかりだった。
目的を果たし、復讐を遂げたバリストンはもう思い残すこともない、と自害しようとしたのだが、不死の鎧に守られたその体は不死身だった。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
火山のマグマに飛びこんでも、絶壁から飛び降りても、何をしてもバリストンは死ぬことができなかった。
探索者として数々の迷宮をめぐり、己が死ぬ方法を解き明かそうと試みるも全ては失敗に終わる。
いつしか彼は自ら製作した迷宮で、死ぬための実験を行いながら狂気に身を浸すようになっていった。
もはやバリストンが正気である時間は一日の半分もない。
しかしなんとか死にたいという渇望が、かろうじて残り半分の正気を維持させているのだった。
そんなリスクの高すぎる男すら利用しようとする。
心のどこかで全ての人間を自分より下に見るという君主の悪癖が出たと忠告できる者は一人もいなかった。
ただちに使者がバッフェルの迷宮へと送られた。
「――ただ人の国王が我に何の用だ?」
漆黒の鎧にマント、顔をフードで隠した狂騎士バリストンは使者にとって幸運なことに正気でいる時間であった。
「じ、実はある魔法士があのライドッグの絢爛たる七つの秘宝を支配下に置いたと聞き、お知らせに参った次第!」
「なんだと?」
絢爛たる七つの秘宝はライドッグ以外の誰にも制御できない。
そう結論は出ているはずだった。
大陸中全ての国家がそう結論したからこそ、当時の技術の粋を集めて絢爛たる七つの秘宝は封印されたのではなかったか。
同じくライドッグが作りあげた秘宝にその体を支配されているバリストンも、絢爛たる七つの秘宝に興味を抱かなかったわけではなかった。
しかしいくら探しても手掛かりひとつも得ることができなかったのである。
まさか封印を解いたばかりか、あの秘宝を支配したとなれば、それは恐るべき術者だ。
「いったい何者だ?」
「それがエルフのタケシ・マツダという名以外は出自も師匠も皆目見当がつかぬ謎の男でして」
「――エルフ?」
もしやライドッグの血に連なる者かと思ったが、それはバリスントンの勘違いであったらしい。
「まあよい。そのマツダという男、絢爛たる七つの秘宝を支配したというのは真であろうな?」
「我が国の掴んだところでは、終末の杖と不可視の盾を所有しているとか」
「…………面白い」
ここ百年以上はなかったほどにバリストンは興奮していた。
もはや狂気に身を浸す以外に逃れる術はないと思っていた呪わしい生から解き放たれる可能性がそこにあった。
あのライドッグの最高作品、絢爛たる七つの秘宝をも支配できる魔法士であれば、この呪われた不死の鎧の呪縛を解き放ってくれる。いや、自分を殺してくれるはずであった。
「その男、マツダはどこにいる?」
「我々が掴んだ情報によれば、デアフリンガー王国を出立し、パリシア王国の迷宮に向かうものと」
「よかろう。貴様らの思惑など知ったことではないが、貴重な情報には礼を言っておこう」
決してリュッツォー王国国王グリンゴ二世が善意で教えてくれたわけではないことなどバリストンは重々承知していた。
だがそんなことはどうでもいい。
いつ果てるともわからぬこの呪われた生から解放してくれるのであれば。
万物を見通す眼イリスが封印された迷宮は、パリシア王国の東、あの始まりの町リジョンの南にあるという。
『イリスはガルーダの迷宮に封印されていると思われます。主様』
「リジョンの町か……なんだかずっと昔のことに感じるな」
まだこの世界に来たばかりのころ。
新たな力、新たな仲間、そしてこの世界でも変わらぬ人の醜さ。
そんな思い出を松田は目を閉じてしばし振り返った。
ゴドハルトは元気でいるだろうか?
願わくば社畜のくびきを脱して、己の意思を貫けるようになっていて欲しい。
実はすでにゴドハルトは新リジョン領主のもとで、別人のようにのびのびと仕事をしているのだが、それは松田の知るべくもないことであった。
しかし松田たちの活躍と思惑を快く思わない人間もまた、少なからず存在したのである。
リュッツォー王国国王、グリンゴ二世は苦虫を噛みつぶしたような渋面であった。
「よりにもよってデアフリンガー王国か」
「御意」
部下からの報告は、松田が伝説級探索者に就任し、デアフリンガー王国と対等の協力関係を結んだというものであった。
要塞都市マクンバを救った英雄、タケシ・マツダがスキャパフロー王国へ逃亡したという報告を受けた際にはここまで大事になるとは予想もしなかった。
逃した獲物はあまりにも大きい。
「今少し早く手を打つべきであったな」
「陛下の御心をお騒がせいたしましたこと、申しわけのしようもございません」
顔から脂汗を流しながら平身低頭しているのは、マクンバ伯爵である。
彼は氾濫からマクンバを救った松田を、なんとか手の内に引きこもうとはしたものの、スキャパフロー王国が松田を庇ったことで止む無く手を引いていた。
スキャパフロー国王と一介の伯爵にすぎない自分では格が違いすぎる。
その時点で松田という存在は、まだ将来有望な探索者にすぎなかったのだ。
もちろん氾濫での活躍を考えれば宝石級の探索者に匹敵するとは思っていた。
しかし宝石級の探索者ならリュッツォー国内にも十人弱はいるはずであり、危険を犯してまでスキャパフロー王国と敵対する必要もないと思われたのである。
ところが松田の活躍は伯爵の予想を遥かに上回っていく。
フェイドルの迷宮の攻略を皮切りに、ヴィッテルスバッハ公国軍を一方的に打ち破り、ついにはパズルの迷宮を復活させ、その迷宮を奪おうとしたワーゲンブルグ王国軍を撃退した。
あれよあれよという間の出来事だった。
もはや大陸のいかなる国も松田という伝説級探索者の存在を無視できない。
それどころか、松田という存在を味方にすることができたなら、国際秩序が変わることもありえた。
ほとんどの伝説級探索者は迷宮にこもっているし、ごくごくわずかな国付きの伝説級はなんらかの制約を己に課しているものであった。
松田のようにフリーな状態の伝説級探索者はこの大陸に一人もいない。
「――――中立誓約だけでも交わせればよいのだが」
目下のグリンゴ二世の悩みは、松田がデアフリンガー王国と共闘してリュッツォー王国に牙を剥かないかということである。
松田にはその気はないのだが、そうとは受け取れない事情があった。
結果的にとはいえ、松田はデアフリンガー王国の領土を守るためにワーゲンブルグ王国と戦ったのである。
勝手にワーゲンブルグ王国がドル箱になるであろうパズルを奪いに来ただけだとはいえ、各国はそう素直には受け取れなかった。
国を敵に回すという決断は、何か理由がないかぎりありえない、というのが通常の人間の思考であった。
もっともその通常からほど遠いのが伝説級の探索者というものであったが。
最低限デアフリンガー王国と戦争になってもリュッツォー王国とは敵対しないという誓約が欲しい。
可能ならばこちらの味方として引き込みたいが、欲をかけば逆にデアフリンガー王国を利するだけだろう。
「それで、接触は図れんのか?」
リュッツォー王国の強みとしては、なんといっても松田の師匠にあたるドルロイがマクンバで工房を営んでいるということだ。
最悪ドルロイを人質にとるという選択もある。
「……それがスキャパフロー王国で五槌の大幅な改選があるらしく、しばらくは戻れないようでして」
「どこまでも間の悪い!」
ハーレプストの結婚後まもなく、ドルロイとリンダは故郷スキャパフロー王国へと帰還していた。
ドワーフ評議会が松田と敵対し、国王ジョージの不興を買ったマニッシュとゲノックを五槌から解任したのである。
そのため新たな五槌の選任と、ほぼ追放同然だったドルロイとの関係改善のためドルロイを招聘したというわけであった。
絢爛たる七つの秘宝は、ドワーフにとって垂涎ともいえる秘宝であり、松田の師匠であるドルロイの価値はこれまで以上に高まっていた。
それに鼻の利く者は、ドルロイが松田を弟子にする過程で、緋緋色鉄の秘密に迫ったという事実に感づいている。
逆にドルロイからすれば、煩わしい五槌から離れ一介の鍛冶師として専念したいという思いもあった。
お互いの思惑が異なっているため、新たな五槌の選任は最初から困難が予想されていた。
リンダがわざわざ同行したのもそのためだろう。
万年ラブラブな二人が、長期間離れ離れになることを承知するはずがなかったのだ。
もっともリンダは決して認めないだろうが。
そのため今、リュッツォー王国には交渉の材料となるドルロイがいない。
下手をすればこのまま戻らない可能性すらあったのである。
「放置しておくわけにはいかん……聞けば絢爛たる七つの秘宝を二つも所有しているというではないか。大人しく迷宮にこもるならまだしも、大陸を自由に動き回るなど冗談ではないぞ」
伝説級探索者はいわば核兵器だ。
しかも感情を持つ核兵器である。
下手をすれば宿場町で意気投合した個人的な友人――知り合い程度かもしれない。
そんな人間のために国家権力を容易く凌駕することのできる圧倒的な力。
彼らの行くところ既存の秩序が、いつ破綻するかしれない危機にさらされる。
そして愚かにも、民衆というのはそうした隔絶した個にこそ英雄たる憧れを寄せるのだ。
グリンゴ二世は決して非道な王ではない。
だからといって民衆に慕われる良王というわけでもなかった。
むしろスキャパフロー王国やデアフリンガー王国に比べれば、多少ながら税が重く民衆の負担は大きかった。
それもいずれは再び始まるであろう戦争において、リュッツォー王国を勝利に導かんと軍を整えてきたからだ。
少なくとも一対一であれば、リュッツォー王国は周辺諸国の間では頭一つ抜けた軍事大国であった。
その軍事バランスが崩れる。
国王に即位して以来、生涯を懸けて準備してきたグリンゴ二世にとって、それは耐えられることではなかった。
制御できないならば、躾けるか殺すか、隔離するかしかない。
その思考をグリンゴ二世はなんら疑問に思わなかった。
ワーゲンブルグ王国のムラト一世と同様、グリンゴ二世も松田は排除すべき異物であると判断したのである。
「ですが、あのワーゲンブルグの先鋒を一人で打ち破るような男ですぞ? 下手をすれば我が軍の損害も馬鹿にできぬものに……」
「わかっておる」
せっかく優位にたった軍事力を松田にぶつけて消耗させるなど愚の骨頂。
「化け物には化け物をぶつければよいではないか。うまく両方潰れてくれれば手間が省ける」
「そ、それでは……あのバッフェルの狂人を?」
「あの男はライドッグにかかわりがあったはずだ。唆すには十分な理由だろう?」
リュッツォー王国にはギルドが管理できない伝説級探索者所有の迷宮がある。
その名をバッフェルの迷宮といい、その主がバリストン・バッフェルである。
史上最強の魔法士といえば、一番にライドッグの名があがるであろう。
しかし現代最強の魔法士というと、おそらくはバリストンの名は上位3位には入る。
彼は亡国の騎士と呼ばれていた。
千年以上前、ライドッグと敵対し国力を疲弊して衰亡していったガンフェルト王国にバリストンは生まれた。
若くして頭角を現していったバリストンは、王国騎士団長として傾いていく故国を守ることに全力を尽くした。
そのおかげか一時的には王国は息を吹き返したように復興した。
ところが好事魔多しという。
バリストンの武力に目がくらんだ国王は隣国へ食指を伸ばし、その侵攻を命じた。
止む無く出撃したバリストンは見事敵国との戦闘に勝利を収める。
しかし戦争はバリストン一人で行えるものではない。
もともと疲弊していた王国で、バリストンの武力が突出していただけでそれ以外の戦力はお寒い限りであった。
つまりバリストンが国外に出撃した王国は無防備同然であり、肉食獣の前に投げ出された餌にすぎなかった。
たちまちもうひとつの隣国に強襲されて王都は陥落。
帰るべき故国を失ったバリストンの軍は蜘蛛の子を散らすように消え去った。
ここでバリストンにその気があれば、彼ほどの武を召し抱えようとする国はいくらでもあった。
欲に目がくらんだ亡国の王など見捨てて新たな主を戴いたとしても誰もバリストンを責める人間などいなかったろう。
ところがバリストンはそれを拒否した。
あろうことかライドッグが不老不死の研究の副産物として生み出していた不死の鎧を迷宮から解放するや、単身故国へ赴いたのである。
鎧そのものに強制的に肉体の維持修復を行わせる不死の鎧を得たバリストンは無敵だった。
失われた血液はたちまち補充され、斬り飛ばされた腕はたちまち再生する。
昼夜を問わず一週間戦い続けても一睡もする必要はない。
この規格外の化け物を相手に、しぶとく抗戦を続けた王国もついに命運が尽きた。
王都が陥落し、他国へ逃げ延びた王族もバリストンは決して許そうとはしなかった。
さらに二つほどの国が滅びかけ、始めは亡命を受け入れていた国も、自らの安全と引き換えに逃げてきた王族をバリストンに差し出すに及び、王国は完全に滅亡する。
――――ところがバリストンの苦難はまだ始まったばかりだった。
目的を果たし、復讐を遂げたバリストンはもう思い残すこともない、と自害しようとしたのだが、不死の鎧に守られたその体は不死身だった。
死ねない。
死ねない。
死ねない。
火山のマグマに飛びこんでも、絶壁から飛び降りても、何をしてもバリストンは死ぬことができなかった。
探索者として数々の迷宮をめぐり、己が死ぬ方法を解き明かそうと試みるも全ては失敗に終わる。
いつしか彼は自ら製作した迷宮で、死ぬための実験を行いながら狂気に身を浸すようになっていった。
もはやバリストンが正気である時間は一日の半分もない。
しかしなんとか死にたいという渇望が、かろうじて残り半分の正気を維持させているのだった。
そんなリスクの高すぎる男すら利用しようとする。
心のどこかで全ての人間を自分より下に見るという君主の悪癖が出たと忠告できる者は一人もいなかった。
ただちに使者がバッフェルの迷宮へと送られた。
「――ただ人の国王が我に何の用だ?」
漆黒の鎧にマント、顔をフードで隠した狂騎士バリストンは使者にとって幸運なことに正気でいる時間であった。
「じ、実はある魔法士があのライドッグの絢爛たる七つの秘宝を支配下に置いたと聞き、お知らせに参った次第!」
「なんだと?」
絢爛たる七つの秘宝はライドッグ以外の誰にも制御できない。
そう結論は出ているはずだった。
大陸中全ての国家がそう結論したからこそ、当時の技術の粋を集めて絢爛たる七つの秘宝は封印されたのではなかったか。
同じくライドッグが作りあげた秘宝にその体を支配されているバリストンも、絢爛たる七つの秘宝に興味を抱かなかったわけではなかった。
しかしいくら探しても手掛かりひとつも得ることができなかったのである。
まさか封印を解いたばかりか、あの秘宝を支配したとなれば、それは恐るべき術者だ。
「いったい何者だ?」
「それがエルフのタケシ・マツダという名以外は出自も師匠も皆目見当がつかぬ謎の男でして」
「――エルフ?」
もしやライドッグの血に連なる者かと思ったが、それはバリスントンの勘違いであったらしい。
「まあよい。そのマツダという男、絢爛たる七つの秘宝を支配したというのは真であろうな?」
「我が国の掴んだところでは、終末の杖と不可視の盾を所有しているとか」
「…………面白い」
ここ百年以上はなかったほどにバリストンは興奮していた。
もはや狂気に身を浸す以外に逃れる術はないと思っていた呪わしい生から解き放たれる可能性がそこにあった。
あのライドッグの最高作品、絢爛たる七つの秘宝をも支配できる魔法士であれば、この呪われた不死の鎧の呪縛を解き放ってくれる。いや、自分を殺してくれるはずであった。
「その男、マツダはどこにいる?」
「我々が掴んだ情報によれば、デアフリンガー王国を出立し、パリシア王国の迷宮に向かうものと」
「よかろう。貴様らの思惑など知ったことではないが、貴重な情報には礼を言っておこう」
決してリュッツォー王国国王グリンゴ二世が善意で教えてくれたわけではないことなどバリストンは重々承知していた。
だがそんなことはどうでもいい。
いつ果てるともわからぬこの呪われた生から解放してくれるのであれば。
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