アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百五十一話 悠久の癒しグローリア

「いったいどうやったら二万もの軍をたった二人で壊滅させられるのだ……」
 軍の中核戦力を失ったムラト一世は頭を抱えていた。
 負けるはずのない戦いだった。
 大兵力で一気にパズルの街を奪い、その実効支配を確保して交渉に臨むというのが戦略であったのに、その戦略が根こそぎ覆った。
 松田とシェリーという規格外の個人によって。
「どういたしますか? 積極的に攻勢に出るには戦力が不足しておりますが……」
「この期に及んでまだ戦うつもりか、この愚か者!」
 軍務卿の言葉にムラト一世は吐き捨てるようにして憤慨した。
 すでに立場は変わった。攻める側から守る側へ。狩るものから狩られるものへ。
「デアフリンガー王国へ講和の使者を送れ。また国境線が幾分か後退するかもしれんがな」
 ムラト一世は悄然とそう告げると、玉座にもたれかかって深く嘆息した。
「――――それと、件の探索者の情報を集めよ。利用できればよし。利用できぬならば消えてもらったほうがよい」
 感情に流されやすい一個人が、国家レベルの戦闘力を所有するということは国家間の戦力バランスが安定しないということでもある。
 伝説級探索者とはそうした化け物のような人間なのであった。
 宗教的自制心や騎士道によって、対外的な侵略者とならぬことを誓っている伝説級探索者はごくわずかだ。
 残りは全て迷宮に引きこもっており、世界に影響を及ぼす伝説級探索者はいない。
 しかしここに動きの予測できない伝説級探索者が誕生した。
 松田の望むと望まざるにかかわらず、この地上のいかなる国家も松田を無視することはできないのである。
 力とは己を貫く力でもあるが、同時に周囲に与える影響が大きいもろ刃の刃でもある。
 ゆえにこそ、古の大魔法士ライドッグもまた、影からその命を狙われ続けなくてはならなかった。
「おそらくデアフリンガー王国はあの化け物を庇おうとするであろうがな。黙ってみていられる国がどれほどあるかな?」
 強すぎる個人は世界の異物でしかない。
 その力は国家によって制御されている場合にかぎり有用なのだ。






「…………っ!」
 鎧袖一触にアーマーリザードの一隊を焼き尽くしたリアゴッドは、激痛に身を屈めた。
『大丈夫ですか? 造物主様!』
 ディアナやフォウと違い、身体を持たない宝冠コリンは悲痛な声をあげるのみである。
 この一点だけはコリンもディアナやフォウがうらやましいと思う。
 あの一戦で、リアゴッドがディアナに負わされた傷はいまだ癒えてはいなかった。
 ただの傷ではない。ディアナが使用した光の槍は、完全な魔力収束型の魔法であり、通常の怪我と違い魔力干渉によって治癒を遅らせる働きがある。
 もともとはサイクロプスのような自己再生スキルを持つ魔物を想定した魔法であった。
『もう少しの辛抱です。悠久の癒しグローリアがいれば、この程度の傷など……』
「わかっている!」


 秘宝でありながら治癒の魔法を使用することができる世界で唯一の存在。
 それが悠久の癒しグローリア。
 本来ベルファストの使徒にしか使えないはずの神聖魔法デヴァイントーラーをなぜグローリアに使えるのかは謎である。
 ゆえにこそベルファストを信仰する者にとってグローリアは禁忌であった。
 おそらくはライドッグの命を狙った組織のなかで、もっとも執念深く強力であったのはベルファスト信者であろう。
 彼らにとって、神の恩寵である治癒魔法を秘宝が使用できるということは神に対する冒涜にほかならず、生命の危険より遥かに優先すべきものであるからだった。
 実利面でも、各国の重鎮の傍に宮廷治癒士を送りこんでその利権を独占している現状、秘宝などにその地位を奪われることなどあってはならなかったのである。
 そうしてまで、あのライドッグを敵に回すだけの価値がグローリアにはあった。
 一説に絢爛たる七つの秘宝の首座は『終末の杖』ディアスヴィクティナと言われるが、もっとも古い七つの秘宝は『悠久の癒し』グローリアであると伝わる。
 実はこの絢爛たる七つの秘宝を破壊しようとした連中を返り討ちにした結果、一国を壊滅させたという張本人はグローリアだ。
 決してディアナではない。(損害がなかったとは言ってない)
 一時はそのせいで、ベルファスト使徒の半ば以上が壊滅し、諸国の治癒事情に深刻な打撃を与えた。
 そのためグローリアの封印には最大限の注意と当時最高の魔法技術が使用された。
 隠蔽のために全く同じ封印迷宮が三つ作成され、そのどれが本物であるかはベルファスト神殿の総大主教だけが知っていた。
 クスコですらもその事実は知らず、三つのうちの一つを発見したにとどまっている。
 リアゴッドの力をもってしても、どれが本物であるかはわからなかったため、結局しらみつぶしに三つの迷宮を当たるしかなかった。
 ――その結果、ひとつめ、外れ。ふたつめ、外れ。そしてようやくみっつめ。
 これではリアゴッドの機嫌も悪くなるというものであろう。
 ディアナから受けた傷がなかなか治らず、何かの拍子にひどく痛む現状ではなおのことである。
 だが、その労苦もようやく終わろうとしていた。
 残るはガーディアンを残すのみ。
 リアゴッドとコリンの力をもってすれば、よもや敗北するとも思われない。まして今回は怪我をしてもすぐにグローリアが回復させてくれるはずなのだ。
「すぐに揉みつぶしてくれる!」
 こんなところで足踏みをしているわけにはいかない。
 残る絢爛たる七つの秘宝を蘇らせ、今度こそ不死の謎を解いてみせる。
 そして一刻も早く運命の女性●●●と再会しなくてはならぬ。
 なぜか女性の名前が思い出せないのがいらだたしくてならなかった。
 転生先に選んだこの男――バッカスの記憶による障害なのか、それとも転生そのものに対する副作用なのかはわからない。
 しかしライドッグの記憶と自我を持つ人間として、力と記憶が完全でないという事実がリアゴッドをたまらなく苛立たせていた。
「この私を妨げることは許さぬ」
 この世界は理不尽に満ちている。
 その理不尽に抗うために、リアゴッドはより大きな理不尽になろうとしていた。


「神の怒り(ラスオブゴッド)」


 詠唱と同時に転移、そして攻撃。
 隙の大きい大魔法をコリンの転移と連携させることで、完全にロスのない攻撃にしてしまっている。
 それを耐えて反撃しようとしても、すでにリアゴッドの姿はそこにはない。
 転移で離脱してからの反復攻撃に対抗する術などあるはずもなく、魔法抵抗力の大きいエルダーリッチは啼泣するようなか細い悲鳴をあげて黒い粒子となって消えた。
「ふん、この程度の相手に三発も必要とは、な」
 全盛期のライドッグであれば確実に一発で仕留められたはずである。
 怪我の治療もさることながら、早急にレベルアップする必要があった。
 幸い、エルフの寿命は人間であったころからは格段に長い。
 老化も遅く、リアゴッドには力を取り戻すための十分な時間が与えられていた。
 否、与えられるはずであった。
 その前提を覆したのがあのマツダというエルフの存在である。
 しかもあろうことか彼は、ライドッグの力の源泉でもあった絢爛たる七つの秘宝を二つも所有しているのだ。
 まさかライドッグを主として登録していた秘宝が裏切るなど、常識では考えられることではなかった。
 リアゴッドにとっては全く予定外の蹉跌である。しかも使い魔であるクスコにまで裏切られ、リアゴッドの世界に対する不信は極限まで高まっていた。
(終わらせなければならぬ)
 この欺瞞に満ちた世界を、裏切りに満ちた世界を、無知と無理解に満ちた世界を。
 いつか完全な人間たちだけの穏やかで清浄な世界をこの地上に打ち立てるために。


「再び我が元に来たれ! 悠久の癒しグローリアよ!」


 死者蘇生こそできないが、生きてさえいれば瀕死の状態からでも回復させてしまうという伝説の秘宝。
 紫水晶アメジストが魔力付与によってさらに深く濃く、輝度を増している。
 そして緋緋色鉄を使用した鎖が編みこまれてたネックレスが、台座の上に姿を現した。
完全治癒パーフェクトヒール
 たった一言の詠唱とともに、忌まわしいリアゴッドの傷の痛みが嘘のように掻き消えた。
 この恐るべき回復力、それが規格外ともいえるライドッグの魔力と結びついたときには誰もが無敵だと信じた。
 しかしグローリアにも弱点がないわけではない。
 先天的な病――身体が異常と認識していない状態を回復できないことと、呪いの解呪はできない、ということだ。
『長らくお待たせをいたしました。今後は以前にもまして忠誠を』
「うむ、お前が壊れていなくて助かったぞ」
『――絢爛たる七つの秘宝はこの程度の封印で壊れたりはいたしませんが』
 不思議そうにグローリアは問い返す。
 決して壊れぬ不破壊特性を持つからこそ、彼女たちは破壊ではなく封印されるにとどまった。
 まさか封印されている間に世界はそこまで進歩したということなのだろうか?
「ディアスヴィクティナとフォウが裏切った。クスコもな」
『そのようなことが? 信じられません……』
『事実です。先ほど貴女が治したあの傷はディアスヴィクティナの攻撃でつけられたものなのですよ』
『造物主様に逆らえるように私たちは作られていない。まさかあのお方が?』
「――――その名は口に出すな!」
 リアゴッドは反射的に怒鳴った。
 なぜかそうしなければならない気がしたのである。
『も、申し訳ございません』
 グローリアは恐縮したように口を噤む。
 まだまだ聞きたいことはあったのだが、そのほとんどを封じられてしまったのは幸か不幸か。
 絢爛たる七つの秘宝の真なる母、その基盤となる人格提供者ステラがなぜここにいないのか。
 造物主はライドッグとされてはいるが、実は製作の八割以上は人狼のステラが担っていた。
 意志ある秘宝実現のため、自らの人格パターンを移植し絢爛たる七つの秘宝のなかでもっとも初期に製作されたのがグローリアである。
 だが、不思議なのはグロリーアをはじめとして人格を移植された七つの秘宝はどれひとつとして同じ性格にはならなかったということであろう。
 それが各々に与えられた秘宝としての権能スキルによるものなのか、学習による変容なのかはグローリアにはわからない。
 ただグローリアの推測では、もっとも原形オリジナルに近いのが自分である。
 それはグローリアに対するライドッグの態度が証明していた。
 グローリアに対してだけは、どこか柔らかさを感じさせるのである。
 ディアナやフォウたちは一方的な道具としてしか扱われなかった。
 そしてグローリアのほかにライドッグに特別に扱われた秘宝はもうひとつ。
 ――――名無しのゼロ
(考えても詮のないことではありますが)
 所詮秘宝である自分はリアゴッドには逆らえない。逆らうつもりもない。
 だが逆らうという気持ちがどんなものか興味はあった。
 なぜなら癒しという特性とは裏腹に、グローリアは自分の奥底に壊したいという願望があることを自覚していたからであった。
「秘宝の回収を急がなくてはならぬ。おそらくはあの男、秘宝に関する強力なスキルをもっているのだろう。そうでなくては説明がつかん」
 本来スキル程度で絢爛たる七つの秘宝が操作されるなどあってはならないことだが、それ以外に説明がつかないのだから仕方がない。
 グローリアをマツダに先んじて奪われずに済んだことは僥倖であった。
 コリンが全くマツダに関心を示さないところからすれば、解放してまだ秘宝が無主の状態であることが必要なのだろう。
「……あの男を先に排除してやりたいところだが……ディアスヴィクティナとフォウにクスコを同時に相手取るのは……敵に回すと厄介な連中だったな」
 明確にディアナとフォウを敵として認識したことで、リアゴッドの心が温度を下げたことにグローリアは気づいた。
 少なくともまだライドッグであったとき、絢爛たる七つの秘宝は道具でしかなかったが、道具なりの信頼を得ていた。
 しかし今はその信頼さえ得られない。
 いつまた裏切られるのではないか、もし敵に回ったらどうするべきか、とリアゴッドが考えているのは明白だった。
(秘宝にさえ信頼を置けなくなってしまったら、造物主様はいったい何を信じればよいのでしょうか……)
 はたしてリアゴッドに並ぶ理性と能力の持ち主が地上を支配することなどできるのだろうか? 
 かつてはそんな悩みなど抱かなかったグローリアが、密かにそんなことを考えてしまう。
 経験と時間には意志ある秘宝すら変えてしまう力があるのだ。
 封印されたときと今の自分が違うという自覚はグローリアにはない。
 それでもグローリアは思ってしまうのだ。
(こんなときにステラ様、貴女がいてくれたら……) 

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