アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百四十四話 迷宮の魔女

 五十メートル四方ほどはありそうな広い室内に、見るからに怪しい雰囲気の鉄柱が立ち並んでいる。
 さながら鉄柱は檻のようであり、ここが封印の牢獄であることを示しているようであった。
 そして中央には、人が一人入れそうな箱が置かれている、
「いつでも発動できるようにしておいてくれ」
「任せな」
 松田はノーラに魔法完全無効化をいつでも発動できるように促す。
 どういう術式かはわからないが、いつ魔女がこちらの時間を停止させにくるとも限らない。  
「――――召喚サモンゴーレム」
 円卓の騎士を召喚し、守りを固めるのに合わせ、箱を開けるための騎士ゴーレムを召喚する。
 緊張でごくりと松田の喉が鳴った。
 ノーラの魔法完全無効化の効果時間は短い。
 魔女が時間魔法を使おうとしたら、その短い時間の間で決着をつけなければまず勝ち目はなかった。
 これがリアゴッドのように、転移や魔法攻撃ならなんとか対応はできる。
 しかし時間を止めるような奴にどう戦えばいいのか。
 この世界に来たばかりの松田なら、あるいは戦うことを避けていたかもしれない。
「…………開けるぞ?」
「ああ」
 騎士ゴーレムが箱の縁に手をかけ、ゆっくりとその蓋を持ち上げていく。
 箱のなかへ光が射しこみ、銀髪の美しい人狼の女性の顔が窺えた。
「生きているのか?」
 本当に血が通っているのか疑問に思うほど、女性の肌は白く透き通っていた。
 同じ人狼だからだろうか。
「…………ステラに似てるな」 
 あと十数年経てば、ステラはこんな女性に成長するのではないか。
 そんな感想を抱かせる顔立ちであった。
 ――――と、そのとき。
「ライドッグ様はどこじゃ?」
 神経質そうな甲高い声で、人狼の女性は誰にいうともなくそう呟いた。
 意識がはっきりとしてないのだろう。
 どこか遠い目をしていて、松田たちを敵視する気配がない。
 剣を手に駆け出そうとするノーラを制して、松田は女性に語りかけた。
「ライドッグ様とは?」
「決まっておろう! わが伴侶にして古今無双の魔法士ライドッグ様なるぞ! どうしてライドッグ様はおられぬ?」
「さて、存じ上げませぬ。失礼ながらお名前をお聞きしてもよろしいか?」
「妾の名も知らぬとは下賤の者どもよ。妾はパズル王国第十三王女エレノラぞ」
「田舎者ゆえ無知で申し訳ございません。王女殿下にお伺いしますが、もう一人の王女はご存知ありませんか?」
「うむ? ああ、ステラのことか。とんだ愚か者よ。ライドッグ様の悲願を知りながら、まさか転生などという欠陥魔法に熱をあげおって」
「――――転生とは?」
「記憶を維持したまま生まれ変わるなど愚の骨頂。どうして妾の時間停止こそ唯一の道だとわからぬのか」
「転生は愚か者の選択ですか」
「考えてみればわかるはずじゃ。転生では生まれ変わる先を選べぬ。生まれたばかりの貧弱な脳では前世の記憶量には耐えられまい。では成長してから記憶を取り戻させるのか? 愚かな。身体能力も容姿も違う身体で、全く別人の人生を歩みながら、記憶が戻ったからといって同じ人間といえようか!」
 なるほど、と松田は思う。
 確かに経験の浅い人格は、前世の人格に簡単に飲み込まれてしまうだろう。
 しかしだからといって百パーセント果汁のジュースに少量の人工甘味料が混ざればもはやそれは別の飲み物だ。
 まして外見、特徴、能力がすべて前世と違うのに前世と同じ人格として新たな人生を生きるのは不可能にも思える。
 おそらくはリアゴッドの暴走ぶりにも、そうしたことが影響しているのではないだろうか。
「それを……ライドッグ様を転生させたいだと? 探索者と妾を生贄にして自分も転生するだと? 身の程知らずも甚だしい! 許さぬ! 妾は断じて許さぬぞ!」
 徐々にエレノラの気配がおかしくなってきた。
 松田との会話には応じているものの、その目は松田ではないどこかを見ている。
 自分の記憶や感情が制御できていない。
 まるで妄想と現実の区別がついていないかのようでもある。
 封印の後遺症なのか、それともその前からの精神的疾患なのか、松田には判断がつかなかった。
「ライドッグ様は妾のものじゃ! 同じ時間軸で生きられないからといってそれがどうした? この世界から切り離された時間を生きる喜びを理解できぬとは……」
「ふざけるな!」
 都合のいいエレノアの台詞にノーラは激高した。
「そんなに世界から離れたいのなら一人で行きな! そんなくだらない夢に人を犠牲にするんじゃないよ!」
「――時間を停止させるのではなく、時間軸から切り離すのか。確かにそれで時間は無限に増えるかもしれないけれど、それは生きていることになるのかな?」
 マリーカたち犠牲者は永遠に近い時間の牢獄に捕らわれ、家族たちにとっては死んだも同然の状態である。
 誰とも交われない、無機物のような生になんの意味があるのだろうか。
 おそらくはエレノラの試みは失敗したのだ。
 切り離された時間軸の研究の結果が、この迷宮の時間の流れの差異であろう。
 体感時間と時間の経過に差があればあるほど、理論的には限りなく永久の命に繋がっていく。
 しかし迷宮内の莫大な魔力をもってしても、精々半分に時間の経過を遅らせるのが精いっぱいだった。
 ――――無理に時間を遅らせればマリーカたちのように生きた化石になる。
 あるいは千年研究を続ければさらにブレイクスルーができたのかもしれないが、エレノアには不可能だったに違いない。
「黙れ黙れ黙れ黙れ!」
 エレノアは狂したように髪を振り乱して言った。
「妾はライドッグ様にかけられた呪いを解き、あの方の傍らで添い遂げるのだ。ステラ、お前のような性悪には渡さぬ。転生などでライドッグ様を変質させることなど許さぬぞ!」
「ステラはライドッグを転生させようとしていた?」
「とぼけるな! そのために妾の時間座標固定の秘宝を奪いにきたのだろうが! いつの時代に転生するかわからなければ再会することも叶わぬからな!」
 どうしてステラと呼ばれた女性が再びこの迷宮を訪れたのか、理由がわかった。
 おそらくは何らかの事情でライドッグが呪いを受け死に瀕した。
 そのためステラは転生させることでライドッグを救おうとしたが、助けるためにはエレノラの力が必要であったのだろう。
 さらには代償としての生贄も。
「愚かな妹よ。お前の力など到底妾には及ばぬ。忘れたのか? 王国で称えられた華はただ一輪であったことを!」
「それでも貴女は封印された――――なぜです?」
「妾が封印? なんのことだ? お前たちは誰だ? ライドッグ様はどこにおられる?」
 再び取り乱し始めるエレノラ。
 相変わらずその瞳は松田たちと正面から向き合っていない。
「妹さんはどうしてここにいないのですか?」
「あんな愚妹は妾があっさり殺してやったわ! 殺した? 妾は確かに殺したはず。どうしてそれなのに……」
「それはきっと貴女を封印したのが妹さんではなく、彼女が被っていた覆面マスク――の形をした秘宝であったからでしょう」
「それは――まさかあの趣味の悪い覆面マスクが――」
「その覆面マスクこそが、おそらくはステラさんの人格をコピーした意思ある秘宝……名無しのゼロじゃないかと思うんだがどうかな? ディアナ」 
 松田に問われたディアナは蒼白になって頷いた。
「……可能性はあります」
「それに殿下は正確には封印されたのではありません。貴女もまた、妹のように秘宝に転写されたのです。本体は残念ながら……もう生きてはいないでしょう」
「違う!」
 悲鳴のようにエレノラは叫んだ。
「違う! 違う!」
「強制的な転写で人格のコピーに障害が出た。もう、貴女は記憶と認識を制御できない」
「妾は生きている! ライドッグ様を手に入れる日まで死んでなるものか!」
「もう終わってるんです。ライドッグは千年以上前に死にました。貴女の生きた王国もすでにない」
「世迷言もいい加減にしろ! 誰か知らんがもう容赦せぬ!」
 今まで松田たちを敵とすら認識していなかったエレノラが、初めて敵意を露わにした。
「言ったでしょう? もう終わってるんです」
 ステラによく似たエレノラを哀しい目で見つめて松田は最後の言葉を発した。
秘宝支配アーティファクトコントロール
 所有権のない無主の秘宝ならば、いかなる秘宝であろうと使用できる。
 このスキルはとても感覚的なもので、見ただけでこの秘宝は使えるか使えないかがわかった。
 だから松田は、一目見た瞬間からエレノラが秘宝であることに気づいていた。
 そして彼女を操る所有者が誰も存在しないことも。
 まさか、という驚きの表情でエレノラは固まった。
 自分が秘宝であることなど夢にも思わなかったという表情だった。
「妾は――秘宝なのか。もう死んでいるのか?」
「お気の毒ですが…………」
愚妹ステラは……?」
「おそらくは貴女に殺されるのがすでに計算のうちで、今は転生しているものと思われます」
「そうか…………」
 エレノラはそれ以上言葉もなく項垂れた。
「我が秘宝として契約コントラクトを望みますか? それとも拒否リジェクトしますか?」
 松田のスキル秘宝支配は、秘宝としての機能には及ぶが、そこに転写された人格には及ばない。
 長い沈黙のあと、エレノラは答えた。
「妾は秘宝である自分を認められぬ。妾が妾であるためには、生きている実体があってこそ。オリジナルではなく粗悪なコピーであると了解してこの世界にとどまることは拷問じゃ」
「我思うゆえに我あり、という言葉もあります」
「良い言葉じゃ。だがその我、という存在に疑いをもって生きるのは妾には無理じゃ。眠らせてくれ」
「――――殿下の御意のままに」
 エレノラが瞳を閉じると、その体が儚い蛍のように発光した。
 生きているという幻想が身体を維持していたかのように、空気に溶けるようにしてエレノラの身体は消え、カランと乾いた音をたてて白い覆面だけがそこに残されていた。
「――――掌握」
 その覆面を拾い上げ、松田はその機能スキルを掌握する。
 誰も管理するどころか、仮想人格まで眠りについていたことによる暴走は、松田の制御を受けたことで停止した。
「……もう、大丈夫だよ」
 マリーカたちが解放されたことをノーラに告げると、ノーラは感極まって号泣した。
 彼女が人生を懸け、人並みの幸せを捨ててまでやってきたことは報われた。
「ありがとう! ありがとうマツダ!」
 美貌をくしゃくしゃにしてノーラは松田の胸にすがりついた。
 このときばかりは空気を読んだのかステラもディアナも止めようとはしない。
 それ以上に、ディアナは恐ろしい想像にとり憑かれてそれどころではなかった。
 名無しのゼロの正体が人狼の王女ステラの人格転写であるとするならば、自分も何者かの人格転写である可能性が高いからだ。
「私はいったい…………」
 ディアスヴィクティナとはいったい誰なのか? 
 はたして今の自分の意志は、コピーではなくオリジナルであると言い切れるのだろうか?
 この松田に対して抱いている言葉にならない気持ちは、ほかの誰かの転写なのだろうか?
 だがディアナ以上に松田には大きな懸念材料があった。
 こんなときばかりは自分の性格がうらめしい。
 一度疑問をもってしまうと、それを無視して忘れることができない。
 それはエレノラの妹、ステラはいったいどこに転生したのかということだった。
 同じくステラにも松田に言えない悩みがある。
 あのエレノラの姿は、父がよく眺めていたステラの母の肖像画にとてもよく似ていた。

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