アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百四十話  開戦前夜

「準備は進んでいるか?」
「ははっ! 現在王国騎士団を中心に五千ほどが出撃準備を完了し、残る三万が動員を終了しています!」
 宰相のクリムトは主君の質問に答えた。
「デアフリンガー王国に気づかれてはいないな?」
「間諜の報告では全く動きはない、と……ですがひとつ気になることが」
 ピクンと眉を跳ね上げてムラトは不機嫌そうに尋ねた。
「いったいなんだ?」
 ムラトとしては一刻も早く出撃させたいのだ。
 しかし万が一にも敗北するようなことがあると、ワーゲンブルグ王国は二度と立ち上がれない可能性がある。
 そのため万全を期したい、しかし急ぎたいというアンビバレンツに悩まされていた。
 ようやく見通しが立ってきた矢先というのにである。
 何が気になるのか、ムラトならずとも機嫌が悪くなるのは当然であった。
「デアフリンガー王国とスキャパフロー王国の国境が緊張しております」
「それは軍が何かを捜索しているという話ではなかったのか?」
 そこで宰相に代わり、軍務卿のバルマーが答えた。
「もともとデアフリンガー王国を牽制するためにスキャパフロー王国の軍を利用せぬ手はないと思っておりましたので、念入りに偵察をしておりましたところ……捜索どころか奴らは完全に戦闘態勢に入っております」
「なんだとっ?」
 ムラトは思ってもいない報告に喜色を露わにする。
 もしスキャパフロー王国がデアフリンガー王国に攻め入ってくれるというのなら、こんなありがたい話はない。
「お待ちください。スキャパフロー王国が宣戦を布告するというにはあまりに戦力が少なすぎます。実働戦力としては騎兵と魔法兵を中心に精々三千を超える程度です。下手をすれば国境警備隊にも負けます」
「たったそれだけか?」
 三千といえば、嫌がらせのために国境で奇襲攻撃をするのが関の山だ。いや、それでも十分にありがたいが。
「それにどうも斥候を放って周囲の警戒にあたっているのは現在も変わらぬらしく、これは間諜の私見ですが、警戒の矛先は国内のほうに向いているのではないか、と」
「あの国で政変が起きる可能性は低いはずだが……」
 警戒が国内に向いていると言われて真っ先に思い浮かべるのは逃亡しようとする国事犯の逮捕である。
 しかも軍隊まで投入するレベルとなると、よほどの重罪犯ということになる。
 ムラトの知るかぎりでは王位継承権争いもなく、国王ジョージはまずまずの忠誠を得ていた。
 軍部が王家に反旗を翻す可能性も少ない。
 あそこはドワーフが大半を占めるだけあって、血統に対する崇拝が強いのだ。
 その盲目的な忠誠ぶりはムラトが羨ましく思えるほどであった。
「ではいったい何が――――?」
「わかりませぬ。ゆえに気になる、と申し上げました。しかしスキャパフロー王国が国境で阻止できなければ、その気になる何かはデアフリンガー王国内へと入るでしょう」
「なるほど、どう転ぼうと我が国に損はなさそうだな」
 デアフリンガー王国が拒否するにせよ受け入れるにせよ、当面スキャパフロー王国との緊張は避けられまい。
 どこの誰かは知らぬが、ぜひうまく逃げ延びてデアフリンガー王国へ入国してほしいものだ、とムラトは思った。
 それがとんでもない勘違いであるとは夢にも思わずに。




「だから早く軍を下げて私たちに後を追わせてくださいと言っているでしょう!」
「その怪我でか?」
 気の毒な人をみるような目で、スキャパフロー王国国王ジョージは娘の嘆願を拒否した。
「見た目ほどは悪くありません! それに治療は移動しながらでもできます!」
「命を拾っただけでも奇蹟のようなものだ。それに伝来の国宝を失った責任はお前にもあることを忘れるな」
「うぐぅ」
 跡形もなく消し飛んだと思われていたマリアナとナージャだが、奇蹟的に生きていた。
 もちろんあのままならば助かる見込みは万に一つもなかったであろう。
 二人が助かった理由は、スキャパフロー王国の国宝である伝説級の秘宝、神盾アストラが最後のスキルを解放したからだ。
 すなわち、神盾が崩壊するとき、所有者たちを転移させるというスキルである。
 当たり前だが神盾が崩壊することなど、これまでは考えられもしなかったので誰もわからなかった。
 ナージャが助かったのは偶然で、せめて死ぬときはお傍に、とマリアナと接触していたため転移に巻き込まれたものらしい。
 しかしマリアナのような国宝級の防具を装備していない彼女の怪我は瀕死の重傷で、いまだベッドから起き上がれる状態ではなかった。
 それどころか、これから先騎士として活動することはほぼ不可能であろうと治癒師には宣告されていた。


 王の間を退出したマリアナは、騎士団の屯所にほど近い医療院へと足を運んだ。
 ベッドに横たわったナージャはマリアナの顔を見るなり
「姫様! まさか騎士でなくなる私との約束を破るつもりはありませんでしょうね?」
「わかっている! ちゃんと婿は世話してやるから、お前も少しは落ちこめ!」
 包帯に全身を包まれて力なく身を横たえたナージャが、まず真っ先に口にしたのは、最後にマリアナが言った結婚相手を世話してやるという約束だった。
 もちろんそれが空元気であることくらい、マリアナにもわかっている。
 ナージャの怪我は深刻であり、リハビリにどれほど時間がかかるか王宮の医師団にもわからないのだ。
 それに火傷の痕がどの程度回復するかも怪しい。
 というより、いくらかは一生消えない痕として残るはずだった。
 結婚前の乙女には厳しい現実であった。
 その彼女が、長年誇りとともに務めてきた騎士の地位も失おうとしているのである。
 非情と思われるかもしれないが、戦闘のできなくなった騎士は退団させるのが掟であった。
 それなのに、一言半句も愚痴を言わず、こうして元気に冗談を言って見せてくれる。
 彼女の心の強さは本物だ。
 シェリーや自分などよりナージャのほうがどれほど強い心を持っていることか、と思う。
「それで姫様、ご相談があるのですが…………」
 心もち顔を赤らめ、ナージャは上目遣いに口を開く。
「なにぃっ! 騎士長のクラウスを紹介しろだと? 貴様、本気で私より先に嫁にいくつもりか!」
 …………欲の強さも折り紙付きであったようだ。
 後のことになるが、彼女は騎士長クラウスと見事に結婚し、一男一女をもうけ夫婦仲は極めて円満だったという。
 それを歯ぎしりして見つめる嫉妬の目があったとかなかったとか。




 ともあれ、王女マリアナを害してスキャパフロー王国の恥部、マーテルの生贄を強奪して逐電したシェリーを見過ごすことは断じてできなかった。
 そればかりかシェリーは逃亡する際に、王都警備隊の一部を蹴散らしている。
 スキャパフロー王国の面目にかけても見過ごせない相手であった。
「――――あの女の逃亡先はどこだ!」
 近衛騎士団長直々に問い詰められた迷宮管理所長ハインツは、困ったように頭を掻いた。
「彼女は確かに迷宮管理所所属の探索者ではあるけど、実態は傭兵のようなものですからねえ」
「雇い主が卿であることに変わりはない」
 場合によっては責任を追及するぞ、という騎士団長の態度に、ハインツは少々お遊びが過ぎたことを認めた。
 人が自ら破滅していくのを見るのが大好きなハインツだが、自分が破滅するのは大嫌いである。
 今回はシェリーの執念を見誤った。
 てっきりすぐに松田を独占するために飛び出していくと思ったのに、まさか迷宮を攻略してマーテルの生贄まで手に入れるとは思ってもみなかった。
 ――だが、だからこそ面白い素材に巡り合えた、という気持ちもある。
 彼女の執念が、努力が、洗脳が何をこの世界にもたらすか、見届けたいと思ってしまうのだ。
 もちろん、自分は安全な場所で。
「彼女が執着しているとすれば、それはあのタケシ・マツダ以外には考えられない。おそらく王女殿下も私と同意見だと思うよ?」
「…………殿下から同様の話は伺っている」
 苦虫を噛み潰したように騎士団長は渋面をつくる。
 今や松田の名はスキャパフロー王国の重鎮で知らぬものはいないほどだ。
 あの白狐を倒して迷宮を正常化したばかりか、伝説の絢爛たる七つの秘宝を詐取した――これは松田がフォウが絢爛たる七つの秘宝であることを報告しなかったから――として騎士団の最優先捜索目標でもあった。
 デアフリンガー王国入りしたという情報は得ているが、戻ってこないとも限らないので、国境の捜索隊は張りつけたままにされている。
「ではあの女もデアフリンガー王国へ向かうと?」
「彼がデアフリンガー王国にいるならの話だけれどね」
「違うとでも?」
「彼がデアフリンガー王国へ行ったのはそもそも師匠のハーレプストの結婚のためだ。結婚式が終わった後までいるとは限らないよ」
「それをあの女は?」
「まあ、知らないだろうね」
 ということはシェリーはまずデアフリンガー王国を目指すはずである。
 そのあたりで網を張っていれば捕捉することはそれほど難しいことではない。
「……これは忠告だけど」
 軍に携わったことのないハインツに忠告などと言われて、騎士団長は気分を害したように眉を顰める。
「あの王女を正面から倒した女だよ? いっそ逃がしたほうがいいんじゃないかな?」
「デアフリンガー王国の軍に始末させるということか」
 ハインツは静かに頷いた。
 確かに損害を隣国に押しつけるという意味では良い手かもしれない。
 しかしリスクがありすぎる。
 シェリーがスキャパフロー王国から秘宝を奪って逃走した犯罪者であることがばれたら責任問題になる可能性があった。
 それに面子の問題もある。
 シェリー逃走の過程で、王都警備にあたっていた騎士がダース単位で倒されていた。
 もっともシェリーの武がマリアナを超えるというのなら、当たり前の結果ではある。
「それに多分、面子うんぬん言っている場合じゃなくなると思うんだ」
 他人の不幸が何より大好きなハインツはある気配を感じ取っていた。
 この手の勘をハインツは今までに外したことがない。
「…………どういうことだ?」
「犯罪者一人を追いかけるのが本来の軍の仕事じゃないってことさ」
「何を言っているのかわからんが、あの女が持つ秘宝は危険すぎる。放ってはおけん!」
 それから騎士団長はシェリーの特徴や得意なスキル、戦い方や癖を執拗にハインツに問いただした。
 まるで尋問を受けるようであったが、それすらもハインツは楽しむ。
 王宮へ戻った騎士団長は、すぐに軍務卿に呼び出され、シェリーの抹殺を諦めることになる。
 ワーゲンブルグ王国から対デアフリンガー王国参戦の要請の使者がやってきたのだ。


「――――軽々に乗るわけには参りませんぞ?」
「当り前だ!」
 デアフリンガー王国は歴史的に南のワーゲンブルグ王国、西のリュッツォー王国と関係が悪い。
 スキャパフロー王国とコパーゲン王国の仲の悪さと似たようなものだ。
 これにスキャパフロー王国が加わり、三ケ国包囲網を作ろうというのがワーゲンブルグ王国の提案であった。
 もちろん即答できることではなかった。
 本当にリュッツォー王国も参戦するのか、どの程度の兵力を想定しているのか。
 このところコパーゲン王国国境が緊張しているスキャパフロー王国としては、それほど多くの兵を動かしたくないのが本音だ。
「この情報、デアフリンガー王国に売る、という手もありますな」
「うむ」
 実のところコパーゲン王国はリアゴッドとの戦いで大きな損害を受けているため、脅威のレベルは低下していた。
 あとはワーゲンブルグ王国側とデアフリンガー王国側、どちらに恩を売ったほうがスキャパフロー王国のためになるか。
「ことは急を要する。で、件の女はその後どうなったか?」
 国王に尋ねられた騎士団長は、背中に滝のように汗をかきながら交戦すれば被害は甚大であることを断腸の思いで告げた。
「ま、あのマリアナを下したのだ。さもありなん」
 そこでジョージは何かを思いついたように悪戯っぽく笑った。
「その娘の対処次第でどちらにつくか見えてくるかもしれんな」
 もしデアフリンガー王国がシェリーを相手に大損害を被れば、迷わずワーゲンブルグ王国側につく。
 国家に真の友情は存在しない。古来からの鉄則であった。

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