アラフォー社畜のゴーレムマスター
第百十八話 引き裂かれた比翼の鳥
オナンはまさに得意の絶頂であった。
目の上の瘤であったヘルマンが自ら自滅し、念願の騎士団長の座が転がり込んできたのである。
武力、統率力、胆力、人望、全ての面でオナンはヘルマンに及ばない。
このまま副騎士団長の地位に甘んじるほかないのか、と諦めかけていたところであった。
もともと没落貴族の三男坊であるオナンは、その出自に対するコンプレックスがある。
名門に産まれながら武者修行の旅に出たヘルマンとは根本的に心の在り方が違う。
ヘルマンの力量に憧れを覚えながらも、いつか蹴落としてやると鬱々たる思いを募らせていたオナンに、降ってわいたような幸運が訪れた。
そうとしかオナンには思えなかった。
もっともその幸運は、死神が与えた片道チケットかもしれないのだが。
「たかが女一人にしり込みするとは、これだから名門の坊やは度し難いのだ」
オナンにラクシュミーを誘拐することに対する罪悪感など欠片もなかった。それが騎士道に外れるなど考えもしない。
上司の機嫌を窺い、命令を果たすことでオナンはここまで成り上がってきた。
だから命令を果たした結果何が起きるかまでは知らない、知る必要がない。
そもそもそれを判断できるだけの情報がない。しばしば失敗の責任を現場に押しつけられるのは、力関係以外にも、そうした情報の少なさによる視野の狭さが原因である。
自分がいかに危険なものに手を突っ込んだか、全く気にも留めずむしろ晴れがましい思いでオナンはラクシュミーの別荘へと向かった。
「ふん、平民の癖に大した別荘に住んでおるわ」
強行軍でラクシュミーの確保にオナンが動員した兵力はおよそ五十。
あまり兵を動員しすぎればリュッツォー王国の警戒を呼ぶため、その程度が限界だった。いや、むしろ気づかれずに別荘までこれたのが僥倖であろう。
見つかっていれば確実に国際問題になるだけに、オナンの悪運もなかなかどうして大したものであった。
「我が公子の御命令である! とっとと出てこい! これ以上我が君の手を煩わせるな!」
「ここをどこだと思っておられるのか! 貴方も公子もただでは済みませんよ!」
ラクシュミー付きの侍女たちが色めき立つが、いかに彼女たちでも完全武装の騎士五十を相手には対抗できない。
これが十名、いや、せめて二十名以下であればなんとか戦う選択肢もあったのだが。
それにしてもこうもあからさまにマルグ公子が黒幕だと宣言してしまうとは、頭が残念なのか、あるいはよほど公子を妄信しているのか。
「早くしないとこの侍女どもを皆殺しにするぞ!」
「いけませんお嬢様! このような無法者にお嬢様を渡すわけには……」
正しく信じられないような無法であった。
ここはリュッツォー王国内であり、ラクシュミーはデアフリンガー王国の国民で、国家経済にも影響力のある商会の娘である。
その娘を白昼堂々と拉致しようというのだから、これを無法と言わずしてなんと言おう。
しかし困ったことに、オナン自身は自らの正当性をいささかも疑っていないのだ。こうした話の通じぬ連中との交渉が無意味であることをラクシュミーは瞬時に悟った。
「――――わかりました。同行しましょう」
「お嬢様! それでは私たちも!」
「侍女どもの同行は許さん。余計な真似は寿命を縮めるだけだぞ?」
「大人しくしていなさい。私は大丈夫です。すぐにお父様がなんとかしてくれるわ」
武装した騎士を相手に少しも怯むことなく、凛然と微笑んでラクシュミーは侍女たちを振り返った。
もちろんその内心は表情とは真逆のものであった。
ここで下手に反抗すれば侍女たちは残らず殺害されてしまう。そもそも本気でラクシュミーを誘拐するつもりなら、彼女たちを生かしておく道理がない。
オナンが公子の命令だと隠しもせず叫ぶような愚か者だから、うまく関心を逸らすことができれば、侍女たちは見逃されるだろう。
その点だけは彼が愚かであることが救いだった。
(ハーレプスト様…………)
彼がどれほど永遠に焦がれているかを、ラクシュミーは知っている。
孤独を嫌い、別れを嫌い、時の流れに逆らう彼の苦悩を、ラクシュミーはずっと見続けてきた。
だからたとえこの身がどのように穢されようと、ハーレプストより先に死ぬわけにはいかない。
ただ毅然と、蚊に刺された程度のように何事もなくハーレプストを笑顔で迎えて見せる。
それがハーレプストの業を知りながら、共に生きることを決意した彼女なりの覚悟であった。
――――それでも、それでもなお……。
髪の毛一本からつま先までラクシュミーの全てはハーレプストのものである。
頭の悪いマザコンをこじらせた男をこの身に触れさせるなど、あまりに耐えがたい苦痛であった。
しかしそれを決して表には出さないことをラクシュミーは誓った。
「早く乗れ! これ以上我が君を待たせるな!」
「……後悔なさらないことね」
「分不相応の栄誉を賜るのだ。感謝されることはあっても恨まれるようなことはないわ」
鼻で嗤ってオナンは顎でラクシュミーに馬車に乗るように促した。
馬車といっても、貴婦人が乗るような馬車ではない。鉄の枠がはめられたそれは、馬車というよりは囚人の護送車である。
当然乗り心地などは考慮されておらず、このまま強行軍で公国まで移動することを思うと頭が痛くなる。
それでもラクシュミーは顔色一つ変えず、貴婦人の佇まいを保ったまま馬車へと乗り込んだ。
その気高さゆえに、侍女たちは泣き崩れた。
弱音を吐くことを許されないラクシュミーの心の強さは、決して彼女の願望と一致しないことを知っていたからだ。
本当はラクシュミーだって、泣き叫びたい、暴れてでも公国へ行きたくなのないのである。
だが、だからこそ侍女たちはラクシュミーの意思に背いて殺されるような真似はできない。ひたすら声がかれるまで泣くことしかできなかった。
「進め! 国境を越えてしまえば何も心配はない!」
オナンの指示のもと、騎士団が整然と動き出す。
どこまでも悪運の強い彼らは、結局リュッツォー王国に見とがめられることなく国境を超えるのだが、彼らの最大の悪運は、半日ほど後に到着した松田たち一向に遭遇せずに済んだ。その一語に尽きるであろう。
もっともそれは、決して避けることのできない大規模災厄の呼び水になってしまうのだが。
「…………何があった?」
踏み荒らされた美しい庭。けたたましい叫び声をあげて侍女たちが何かを論じ合っている気配。
どこまでも整いつくされたラクシュミーの包容力を感じさせる別荘の佇まいが、見るも無惨に破壊されている。
ハーレプストの表情から血の気が引いた。
それはほぼ確実に、主人であるラクシュミーに何かあったとしか考えられないからであった。
「ああっ! ハーレプスト様!」
「ダキリさん、これはいったい?」
ラクシュミーが信頼していた侍女の一人を見つけてハーレプストは掴みかからんばかりに尋ねた。
「実は――――」
しばらく前からヴィッテルスバッハ公国のマルグ公子からの求婚が絶えなかったこと。
そしていよいよハーレプストと結婚するということがマルグ公子に伝わってしまったこと。
我慢できなくなったマルグ公子が、騎士団を派遣して無理やりラクシュミーを攫って行ってしまったこと。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ハーレプストは狂ったように泣いた。泣くというより、滂沱と涙を流しながら獣同然に吠え続けた。
彼の内心は察するに余りある。長い長い別離への恐怖を克服し、ようやくラクシュミーとの結婚を決めた矢先である。
まさにこうした理不尽な別れがあるからこそ、ハーレプストは永遠の美である人形を求めてきた。
せっかく変わろうと思ったのに、ラクシュミーの大切さを自覚することができたのに。
もしかしたらハーレプストは再び現実を捨て、人形に逃避してしまうのではないか。
松田にとってそれは他人事ではなかった。
「だ、大丈夫です。ローバル会頭が手を回せば、いかに公国といえど無茶は通せません」
自分で自分を説得するかのようにダキリは言う。
しかしハーレプストは怒りに震える拳をチェストに叩きつけて――それは再度購入された三代目のチェストであったが――叫んだ。
「それはいつだ? いつまで待てばラクシュミーは解放される? 解放されるまで彼女が無事でいる保障があるものか!」
「………………はい」
恥じるようにダキリは俯く。
わかってはいたが、もはやそれは不可避であると諦めていた。口には出さないだけで、侍女たちもそれを既定のことと受け入れていた。
「ふざけるな! ラクシュミーを誰にも渡すものか! 神よ! 鍛冶の神よ! 我が生命と名にかけて、ラクシュミーを奪い返さん!」
ハーレプストは迷わなかった。
相手が誰であれ、状況がどうあれ、たとえいかなる理由があろうと戦う。
それで死ぬのならそれで本望。ここで諦めて本当にラクシュミーを失うよりよほどいい。
勝算があろうとかなろうと、誓ってラクシュミーを取り戻すと誓うハーレプストに、松田は羨望を覚えた。
この人は本当にトラウマを乗り越えたのだ、と素直にうれしいという気持ちがあった。
「――ラクシュミーさんが連れ去られたのはどのくらい前ですか?」
心を落ち着けるように松田が問うと、ダキリは少し考えて「八時間ほど前だと思います」と答えた。
そして騎士たちはラクシュミーを護送車に乗せ、猛スピードで立ち去った、とも。
「まだ、いけるかな?」
「マツダ君?」
松田の口調に明らかに希望を感じさせる明るい響きをみつけて、ハーレプストが期待をこめた視線を向けた。
「すぐに追いつくのは無理でしょうが、飛行型のゴーレムを偵察に出して居場所さえ特定できれば……」
「しかし八時間も前だぞ? しかも戦闘速度で移動しているようだが……」
「高度をあげれば多少の距離の差は問題になりません」
ゴーレムマスターである松田には、ゴーレムとの同調能力がある。
そしてゴーレムの認識機能は、その型に応じて、例えば鷹型のゴーレムであれば、生物としての鷹と同様二キロ先まで完全に把握する視力を付与することができる。
松田の制御する数百のゴーレムを全て索敵に用いた場合、いかに八時間の先行があろうと居場所の特定までは難しくない、と松田は考えていた。
「場所が特定できれば――――できればラクシュミーさんを直接視認するのが望ましいですが、そうなればもうひとつの手が使えます」
「――それは?」
居場所を突き止めるだけではなんの解決にもならない。
ハーレプストはラクシュミーの心も体も救いたいのだ。しかしそのためには、直接騎士団を補足する必要がある。
「まあ、我々が追いつくのには時間が必要でしょう。直接戦闘になればラクシュミーさんを人質にとられる可能性がある。でも、ラクシュミーさんに指一本触れさせないことは可能です」
「そ、そんなことができるのか……?」
もしそうであればハーレプストの苦悩の半ばは解決されたようなものだ。
しかしそんな都合のよい魔法があっただろうか? まして松田は土属性に特化されて他の属性魔法は使えなかったはず。
「忘れましたかハーレプスト師匠、私がスキャパフロー王国で手に入れた秘宝がなんであったのか」
「そうか! 不可視の盾!」
「そうです。私のゴーレムと同調して認識できる限り、距離が離れていようと秘宝の発動は可能なのです」
つまりは松田が制御するゴーレムによって、ラクシュミーの居場所を特定できているかぎり、彼女の安全は不可視の盾フォウによって保障されるのである。
「……よかった……ありがとう、ありがとうマツダ君」
「急ぎましょう。彼女が一人でいる時間は少ないほうがいい」
「恩に着る」
ハーレプストは変わった。
彼女に裏切られる恐れ、理不尽によって二人を引き裂かれる恐れ、それを知りつつ逃げない男になった。
そのことがなぜかうらやましい。
「…………そろそろ俺も、こういう理不尽にはぎゃふんと言わせたいと思っていたんですよ」
正しくそのためにこそ、あの迷宮で絢爛たる七つの秘宝を追い求めたのだから。
目の上の瘤であったヘルマンが自ら自滅し、念願の騎士団長の座が転がり込んできたのである。
武力、統率力、胆力、人望、全ての面でオナンはヘルマンに及ばない。
このまま副騎士団長の地位に甘んじるほかないのか、と諦めかけていたところであった。
もともと没落貴族の三男坊であるオナンは、その出自に対するコンプレックスがある。
名門に産まれながら武者修行の旅に出たヘルマンとは根本的に心の在り方が違う。
ヘルマンの力量に憧れを覚えながらも、いつか蹴落としてやると鬱々たる思いを募らせていたオナンに、降ってわいたような幸運が訪れた。
そうとしかオナンには思えなかった。
もっともその幸運は、死神が与えた片道チケットかもしれないのだが。
「たかが女一人にしり込みするとは、これだから名門の坊やは度し難いのだ」
オナンにラクシュミーを誘拐することに対する罪悪感など欠片もなかった。それが騎士道に外れるなど考えもしない。
上司の機嫌を窺い、命令を果たすことでオナンはここまで成り上がってきた。
だから命令を果たした結果何が起きるかまでは知らない、知る必要がない。
そもそもそれを判断できるだけの情報がない。しばしば失敗の責任を現場に押しつけられるのは、力関係以外にも、そうした情報の少なさによる視野の狭さが原因である。
自分がいかに危険なものに手を突っ込んだか、全く気にも留めずむしろ晴れがましい思いでオナンはラクシュミーの別荘へと向かった。
「ふん、平民の癖に大した別荘に住んでおるわ」
強行軍でラクシュミーの確保にオナンが動員した兵力はおよそ五十。
あまり兵を動員しすぎればリュッツォー王国の警戒を呼ぶため、その程度が限界だった。いや、むしろ気づかれずに別荘までこれたのが僥倖であろう。
見つかっていれば確実に国際問題になるだけに、オナンの悪運もなかなかどうして大したものであった。
「我が公子の御命令である! とっとと出てこい! これ以上我が君の手を煩わせるな!」
「ここをどこだと思っておられるのか! 貴方も公子もただでは済みませんよ!」
ラクシュミー付きの侍女たちが色めき立つが、いかに彼女たちでも完全武装の騎士五十を相手には対抗できない。
これが十名、いや、せめて二十名以下であればなんとか戦う選択肢もあったのだが。
それにしてもこうもあからさまにマルグ公子が黒幕だと宣言してしまうとは、頭が残念なのか、あるいはよほど公子を妄信しているのか。
「早くしないとこの侍女どもを皆殺しにするぞ!」
「いけませんお嬢様! このような無法者にお嬢様を渡すわけには……」
正しく信じられないような無法であった。
ここはリュッツォー王国内であり、ラクシュミーはデアフリンガー王国の国民で、国家経済にも影響力のある商会の娘である。
その娘を白昼堂々と拉致しようというのだから、これを無法と言わずしてなんと言おう。
しかし困ったことに、オナン自身は自らの正当性をいささかも疑っていないのだ。こうした話の通じぬ連中との交渉が無意味であることをラクシュミーは瞬時に悟った。
「――――わかりました。同行しましょう」
「お嬢様! それでは私たちも!」
「侍女どもの同行は許さん。余計な真似は寿命を縮めるだけだぞ?」
「大人しくしていなさい。私は大丈夫です。すぐにお父様がなんとかしてくれるわ」
武装した騎士を相手に少しも怯むことなく、凛然と微笑んでラクシュミーは侍女たちを振り返った。
もちろんその内心は表情とは真逆のものであった。
ここで下手に反抗すれば侍女たちは残らず殺害されてしまう。そもそも本気でラクシュミーを誘拐するつもりなら、彼女たちを生かしておく道理がない。
オナンが公子の命令だと隠しもせず叫ぶような愚か者だから、うまく関心を逸らすことができれば、侍女たちは見逃されるだろう。
その点だけは彼が愚かであることが救いだった。
(ハーレプスト様…………)
彼がどれほど永遠に焦がれているかを、ラクシュミーは知っている。
孤独を嫌い、別れを嫌い、時の流れに逆らう彼の苦悩を、ラクシュミーはずっと見続けてきた。
だからたとえこの身がどのように穢されようと、ハーレプストより先に死ぬわけにはいかない。
ただ毅然と、蚊に刺された程度のように何事もなくハーレプストを笑顔で迎えて見せる。
それがハーレプストの業を知りながら、共に生きることを決意した彼女なりの覚悟であった。
――――それでも、それでもなお……。
髪の毛一本からつま先までラクシュミーの全てはハーレプストのものである。
頭の悪いマザコンをこじらせた男をこの身に触れさせるなど、あまりに耐えがたい苦痛であった。
しかしそれを決して表には出さないことをラクシュミーは誓った。
「早く乗れ! これ以上我が君を待たせるな!」
「……後悔なさらないことね」
「分不相応の栄誉を賜るのだ。感謝されることはあっても恨まれるようなことはないわ」
鼻で嗤ってオナンは顎でラクシュミーに馬車に乗るように促した。
馬車といっても、貴婦人が乗るような馬車ではない。鉄の枠がはめられたそれは、馬車というよりは囚人の護送車である。
当然乗り心地などは考慮されておらず、このまま強行軍で公国まで移動することを思うと頭が痛くなる。
それでもラクシュミーは顔色一つ変えず、貴婦人の佇まいを保ったまま馬車へと乗り込んだ。
その気高さゆえに、侍女たちは泣き崩れた。
弱音を吐くことを許されないラクシュミーの心の強さは、決して彼女の願望と一致しないことを知っていたからだ。
本当はラクシュミーだって、泣き叫びたい、暴れてでも公国へ行きたくなのないのである。
だが、だからこそ侍女たちはラクシュミーの意思に背いて殺されるような真似はできない。ひたすら声がかれるまで泣くことしかできなかった。
「進め! 国境を越えてしまえば何も心配はない!」
オナンの指示のもと、騎士団が整然と動き出す。
どこまでも悪運の強い彼らは、結局リュッツォー王国に見とがめられることなく国境を超えるのだが、彼らの最大の悪運は、半日ほど後に到着した松田たち一向に遭遇せずに済んだ。その一語に尽きるであろう。
もっともそれは、決して避けることのできない大規模災厄の呼び水になってしまうのだが。
「…………何があった?」
踏み荒らされた美しい庭。けたたましい叫び声をあげて侍女たちが何かを論じ合っている気配。
どこまでも整いつくされたラクシュミーの包容力を感じさせる別荘の佇まいが、見るも無惨に破壊されている。
ハーレプストの表情から血の気が引いた。
それはほぼ確実に、主人であるラクシュミーに何かあったとしか考えられないからであった。
「ああっ! ハーレプスト様!」
「ダキリさん、これはいったい?」
ラクシュミーが信頼していた侍女の一人を見つけてハーレプストは掴みかからんばかりに尋ねた。
「実は――――」
しばらく前からヴィッテルスバッハ公国のマルグ公子からの求婚が絶えなかったこと。
そしていよいよハーレプストと結婚するということがマルグ公子に伝わってしまったこと。
我慢できなくなったマルグ公子が、騎士団を派遣して無理やりラクシュミーを攫って行ってしまったこと。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ハーレプストは狂ったように泣いた。泣くというより、滂沱と涙を流しながら獣同然に吠え続けた。
彼の内心は察するに余りある。長い長い別離への恐怖を克服し、ようやくラクシュミーとの結婚を決めた矢先である。
まさにこうした理不尽な別れがあるからこそ、ハーレプストは永遠の美である人形を求めてきた。
せっかく変わろうと思ったのに、ラクシュミーの大切さを自覚することができたのに。
もしかしたらハーレプストは再び現実を捨て、人形に逃避してしまうのではないか。
松田にとってそれは他人事ではなかった。
「だ、大丈夫です。ローバル会頭が手を回せば、いかに公国といえど無茶は通せません」
自分で自分を説得するかのようにダキリは言う。
しかしハーレプストは怒りに震える拳をチェストに叩きつけて――それは再度購入された三代目のチェストであったが――叫んだ。
「それはいつだ? いつまで待てばラクシュミーは解放される? 解放されるまで彼女が無事でいる保障があるものか!」
「………………はい」
恥じるようにダキリは俯く。
わかってはいたが、もはやそれは不可避であると諦めていた。口には出さないだけで、侍女たちもそれを既定のことと受け入れていた。
「ふざけるな! ラクシュミーを誰にも渡すものか! 神よ! 鍛冶の神よ! 我が生命と名にかけて、ラクシュミーを奪い返さん!」
ハーレプストは迷わなかった。
相手が誰であれ、状況がどうあれ、たとえいかなる理由があろうと戦う。
それで死ぬのならそれで本望。ここで諦めて本当にラクシュミーを失うよりよほどいい。
勝算があろうとかなろうと、誓ってラクシュミーを取り戻すと誓うハーレプストに、松田は羨望を覚えた。
この人は本当にトラウマを乗り越えたのだ、と素直にうれしいという気持ちがあった。
「――ラクシュミーさんが連れ去られたのはどのくらい前ですか?」
心を落ち着けるように松田が問うと、ダキリは少し考えて「八時間ほど前だと思います」と答えた。
そして騎士たちはラクシュミーを護送車に乗せ、猛スピードで立ち去った、とも。
「まだ、いけるかな?」
「マツダ君?」
松田の口調に明らかに希望を感じさせる明るい響きをみつけて、ハーレプストが期待をこめた視線を向けた。
「すぐに追いつくのは無理でしょうが、飛行型のゴーレムを偵察に出して居場所さえ特定できれば……」
「しかし八時間も前だぞ? しかも戦闘速度で移動しているようだが……」
「高度をあげれば多少の距離の差は問題になりません」
ゴーレムマスターである松田には、ゴーレムとの同調能力がある。
そしてゴーレムの認識機能は、その型に応じて、例えば鷹型のゴーレムであれば、生物としての鷹と同様二キロ先まで完全に把握する視力を付与することができる。
松田の制御する数百のゴーレムを全て索敵に用いた場合、いかに八時間の先行があろうと居場所の特定までは難しくない、と松田は考えていた。
「場所が特定できれば――――できればラクシュミーさんを直接視認するのが望ましいですが、そうなればもうひとつの手が使えます」
「――それは?」
居場所を突き止めるだけではなんの解決にもならない。
ハーレプストはラクシュミーの心も体も救いたいのだ。しかしそのためには、直接騎士団を補足する必要がある。
「まあ、我々が追いつくのには時間が必要でしょう。直接戦闘になればラクシュミーさんを人質にとられる可能性がある。でも、ラクシュミーさんに指一本触れさせないことは可能です」
「そ、そんなことができるのか……?」
もしそうであればハーレプストの苦悩の半ばは解決されたようなものだ。
しかしそんな都合のよい魔法があっただろうか? まして松田は土属性に特化されて他の属性魔法は使えなかったはず。
「忘れましたかハーレプスト師匠、私がスキャパフロー王国で手に入れた秘宝がなんであったのか」
「そうか! 不可視の盾!」
「そうです。私のゴーレムと同調して認識できる限り、距離が離れていようと秘宝の発動は可能なのです」
つまりは松田が制御するゴーレムによって、ラクシュミーの居場所を特定できているかぎり、彼女の安全は不可視の盾フォウによって保障されるのである。
「……よかった……ありがとう、ありがとうマツダ君」
「急ぎましょう。彼女が一人でいる時間は少ないほうがいい」
「恩に着る」
ハーレプストは変わった。
彼女に裏切られる恐れ、理不尽によって二人を引き裂かれる恐れ、それを知りつつ逃げない男になった。
そのことがなぜかうらやましい。
「…………そろそろ俺も、こういう理不尽にはぎゃふんと言わせたいと思っていたんですよ」
正しくそのためにこそ、あの迷宮で絢爛たる七つの秘宝を追い求めたのだから。
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