アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百十六話 歪んだ欲望

「――――お嬢様」
「また、なの?」
 申しわなさそうな侍女に、理不尽だとは思いつつラクシュミーはため息を吐く。
「いかがいたしましょう?」
「さすがに本人が来ているのに追い返すわけにはいかないでしょう」
 ラクシュミーは連日続くマルグの求愛にうんざりしていたが、仮にも相手は公国の公子である。
 粗略に扱えば国際問題になりかねないだけに、いやでも対応しなければならないのだ。
 ラクシュミーは鏡で化粧の具合を確認する。
 肌の艶が増し、一段と輝きを増した自分がそこにいた。
 ハーレプストと結婚するその日に、もっとも美しい自分でいたいと思うのは乙女の本能であろう。
 その思いは確かに実ろうとしていた。問題はその美しく輝こうとしているラクシュミーを最初に見る男が、大嫌いなマルグであるということだった。
「お待たせをいたしました」
 相手が一国の公子であろうと、いささかも阿ることなく堂々としたラクシュミーの態度は見事である。
 しかし残念ながらこの場合は逆効果であった。
 マルグは幼いころから女性に媚びられることに慣れすぎている。
 そのため全く気後れするところのない、さらに母性の輝きを増したラクシュミーに、マルグは陶然となって見惚れた。
 やはり自分の新しいママはラクシュミーをおいてほかにないと決心させてしまったのである。
「今日こそは色よい返事をいただきたいものです」
「先日も申しましたように、私には婚約者があり、心はすでにその方の妻ですので」
「そうそう、その婚約者ですがね……」
 勝ち誇ったようにマルグは嗤う。
 ヘルマンに命じていたハーレプストに関する情報の詳細が、不確定ではあるがマルグのもとへ届いていた。
「スキャパフロー王国においてドワーフ評議会に逆らい盗賊に加担した男を、現在騎士団が総力を挙げて追跡中とか」
 たかがドワーフに大国がそこまでするか、と思わなくもない厳重さであった。
 動員された兵力は軽く数千を超え、五槌が優先的に秘宝まで貸与しているらしい。
 いかにハーレプストが雇った探索者が優秀であっても、到底敵う戦力ではない。そのはずだ。
 実は王国が追っているのはハーレプストではなく、松田なのだがマルグはまだそれを知らない。
 そしてこのときマルグは自らの騎士団が全く手も足も出ず敗北した事実を忘れていた。
「それがどうかいたしました?」
「なっ!」
 痛痒にも感じないとばかりにラクシュミーに微笑まれてマルグは鼻白んだ。
 さすがにこの返しは予想していなかった。
 マルグがそう考えたもの無理からぬことである。ハーレプストは国家を敵に回したのだ。いかにラクシュミーの父が率いるクラウゼヴィッツ商会をもってしても保護することは容易ではない。
 いや、それどころか商会ごと叩きつぶされるかもしれなかった。
 間違っても些細な問題ではありえぬはずだ。
「あの方は意外とあちこちで評価されておりますのよ? 現にリュッツォー王国もデアフリンガー王国も保護を約束してくれておりますわ」
「そんな馬鹿な!」
 今度はマルグが青くなる番であった。
 それはすなわち、リュッツォー王国とデアフリンガー王国がハーレプストのためにスキャパフロー王国と敵対することを覚悟していることを意味するからだ。
 もっともデファイアント山脈を挟んで隣国にあたるリュッツォー王国は、ドルロイに大きな借りがある上、ハーレプストを通じて松田を取り込みたいという思惑がある。
 デアフリンガー王国はクラゼヴィッツ商会の本拠地で、ハーレプストを迎えるために、宮廷内の裏工作はすでに完全に完了していた。
 ラクシュミーの父ローバルには、必要があるならばデアフリンガー王国をして戦争を決意させるだけの影響力がある。
 元貴族で、貴族の裏も表も知り尽くしたローバルは、莫大な資産を有効に活用して大半の貴族になんらかの形で貸しを作っているのだった。
 ハーレプストやラクシュミーの力を過小評価しているマルグは、そうした内情に気がつかずにいたのである。
「相手は犯罪者です。そんな男を庇えば貴女とて無事には済まない。私にはそれが心配なのです」
 あくまでもラクシュミーが心配なのだ、と主張するマルグに、ラクシュミーは鼻で嗤った。
 正確には、くすりと口の端を釣り上げて首を左右に振った。
「夫に危険があれば、その身を挺してかばうのが妻というものですわ」
 それはすでにラクシュミーはハーレプストの妻なのだという彼女なりの強い決意表明であった。
 滅びるならば夫婦もろとも。もちろん大人しく滅びるつもりなど欠片もないが。
 立ちふさがるものあらばそれを蹴散らし、邪魔するものあらばそれを駆逐する。
 もう誰にも自分とハーレプストが結ばれるのを止めさせない。
 彼と結ばれるのは私自身の運命なのだから。
 マルグは思い通りにならぬラクシュミーの態度にいら立ちを募らせた。
 せっかく邪魔者が自爆してくれたと思ったら、頑なにラクシュミーがそれを庇うとは。
 まるで自分に注がれるべき母親の愛情が、他所の子に注がれているような理不尽な怒りをマルグは覚えた。
「――――おやめなさい。貴女の人生が犯罪者に食いつぶされるなど耐えられない」
 こうなれば実力行使とばかりにマルグはラクシュミーの腕を取る。
 そのまま強引に屋敷へ連れ去ってしまおう。幸いこの別荘にはラクシュミーの侍女たちばかりで男手は少ないようだ。
 そう思ったマルグの期待はすぐに裏切られた。
「…………うん?」
 さっきからラクシュミーの腕を引いているはずなのに、ピクリとも反応がない。
 というよりマルグ自身が一歩も進めずに、その場で立ち止まってしまっていた。
 まるで大木の枝を引っ張っているような感覚であった。
「いけませんわ! 婚約者ある女の手をそのように無作法に握っては」
 そういうラクシュミーの目はいささかも笑っていない。
(私に触れていいのはハーレプスト様だけなのに! ハーレプスト様だけなのに! ハーレプスト様だけなのに!)
 もし下手にキスなどしていようものなら、マルグは今頃生きていられなかったかもしれなかった。
 手首を掴むにとどめたマルグは運がよかったといってよいだろう。
 もっとも、マルグがそう考えるかどうかは全く別の話である。
「なぜわかってくれない? 私はこんなにも君を愛しているのに!」
「私は愛してないからじゃないかしら?」
 単純でしょ? とラクシュミーはその美貌に嘲りの笑みを張りつける。
 その意味を悟れないほどマルグも察しは悪くはなかった。
「ふざけるな! お前は俺のものだ!」
「私はハーレプスト様だけのものです!」


 ――――ドゴォォ!


 ラクシュミーの腰のひねりと上半身の体重が十分に乗った蹴りが、凝った曲線を描くチェストを見るも無残に破壊した。
 ちなみに先日ラクシュミーがヘッドバットで破壊したために買い替えたばかりのチェストである。
 愚かにもラクシュミーの手首を握ったままだったマルグは、蹴りの回転をまともに受けて、ハンマー投げのハンマーのように放り出された。
 腰から落下してしまい、受け身も取れなかったマルグは激痛に頬を引き攣らせた。
「あら、大丈夫ですか?」
「お、俺にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
「ただで済むもなにも…………」
 これまで一応立場を考えて、我慢に我慢を重ねてきたラクシュミーだが、「お前は俺のものだ」という暴言には我慢がならなかった。
 ハーレプストにプロポーズされた今、ラクシュミーには貞操を守るべき義務がある。もともとハーレプスト以外の男に体を許すつもりはなかったが、今はそれが強烈な義務感となってラクシュミーを支配していた。
「人を拉致しようとしておいて、そちらこそただで済むとお思いで? まあ、あまりにも力が弱いから心配する必要もありませんでしたけれど」
「俺はヴィッテルスバッハ公国の公子だぞ!」
「デアフリンガー王国の国民である私にはあまり関係のないことですわ」
 マルグは身もふたもないラクシュミーの拒絶に愕然とした。
 公国の跡継ぎであるマルグは、これまでラクシュミーのように毅然とした拒絶を経験していなかった。
 さすがに教師はそれなりに苦言を呈することはしたが、所詮は雇われただけの他人である。
 父大公があまり息子に興味を示さなかったこともあって、マルグは甘く優しい閉ざされた世界で生活し続けてきた。
 その優しい世界を、突如ラクシュミーが土足でぶち破ったのである。
「あまり鍛冶師の力を甘くみないことをお勧めします。重いハンマーを何時間も打ち続ける程度のことは、弟子の鍛冶師でも簡単にできますのよ?」
 ハーレプストやドルロイは、秘宝を製作する場合下手をすると三日三晩は平気で、特殊な槌を叩き続けることができる。
 ハーレプストの弟子でもあるラクシュミーの腕力もまた、常人のそれではない。
 ――とはいえ、あまりにあっさり力負けしたマルグがいささか貧弱すぎるというのも嘘偽らぬ事実であろう。
 たかが女と思っていたら、自分では歯が立たないような強者だった。
 マルグは認めがたいその事実に、苦虫を噛み潰したような顔で叫んだ。
「後悔するぞ! お前も! 薄汚い犯罪者ドワーフも!」


 ――――バチ――ン!


 マルグがハーレプストを侮辱したとみるや、ラクシュミーの細腕が、どうしてこれほどの速さで、と霞むような速度で一閃した。
 目の前に星の瞬きが見えた、と思ったときには、マルグの身体は頬に赤い紅葉を刻印して吹き飛ばされていた。
(わがままもいい加減にしなさい! マルグ!)
 腸が煮えくり返るような怒りと、意中の女性に張り倒される屈辱を覚えながら、それでもマルグの思考を満たしていたのは、ただ一人マルグに暴力をふるうことのできた母の面影だった。
「ぶったな! ママにしかぶたれたことはないのに!」
「それはそれは、よい経験になったでしょう。自分が誰にとっても特別な存在だと思うことは傲慢です」
「だからこれからは君が責任をもって俺をぶってくれ!」
「はぁ?」
「ママにならぶたれてもいい!」
「私は貴方のママじゃありません!」
 膂力でも戦闘力でもマルグを遥かにしのぐはずのラクシュミーが、これには鳥肌を立てて後ずさった。
 まさかこの反応を予想することは、神ならぬラクシュミーには不可能であった。
「この俺をぶっていいのはママだけだ! だからもう一度ぶってください!」
「いやああああああああああああああ!」
 攻守所を変えてマルグがラクシュミーを追い回す。
 生理的嫌悪感は理性では逆らい難い。
「いくらぶってもいい! だからぶったあとは俺を甘えさせてくれ!」
「私は貴方を甘やかす気は一切ありません!」
 暴力を振るわれるのがむしろご褒美という相手は、さすがのラクシュミーも初めての経験であった。
 ようやくラクシュミーが、マルグの意識を断つことを思いついたのは、それから小一時間が過ぎてからのことであった。
 バックハンドブローで延髄に拳を叩きつけると、ピクリとも動かなくなったマルグを見下ろして、ラクシュミーは心から嫌そうに呟いた。
「怖いもの知らずの我がまま坊やで、しかもマザコンとか……救われませんわ」
 しかしいろいろと困ったことになった。
 マザコンをこじらせた男が、このまま諦めるはずがないことをラクシュミーは本能的に察していた。
 一刻も早くハーレプストを保護する必要がある。
 できれば既成事実もを作り、立場をはっきりさせておくべきだった。
「で、でき婚とか……はしたないですけど、仕方ないですよね! 緊急事態ですし!」


「…………マツダ君、なんだか寒くないかね?」
「そうですか? 確かに風は出てきましたが……」
「なんだか悪寒がする。さっきから震えが止まらない。もしかして風邪を引いたかな……?」

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