アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百十三話 追手 

 マルグはデアフリンガー王国から独立したヴィッテルスバッハ公国の第一公子である。
 先月二十六歳の誕生日を迎え、実はすでに正室との間に第一子を設けていた。
 その彼がラクシュミーに固執するようになったきっかけは、一年ほど前の公国での園遊会に遡る。
 もともとヴィッテルスバッハ公国は、デアフリンガー王国の第三王子であったアルベルドが建国した国だが、戦争のどさくさでかなり強引な建国であったために、デアフリンガー王国とは折り合いが悪かった。
 できれば関係を修復したい、というより小国が生き延びていくためには周辺諸国との協調が必要不可欠である。
 現実問題として、デアフリンガー王国が国境を封鎖するだけで、デアフリンガー王国とリュッツォー王国の中継貿易を大きな柱とするヴィッテルスバッハ公国の経済は破綻してしまうだろう。
 歴史的な敵国同士であるデアフリンガー王国とリュッツォー王国の緩衝国として、価値ある存在と認識されなければ、いつ攻め滅ぼされるかもわからなかった。
 そのためヴィッテルスバッハ公国は頻繁に各国の重鎮を招いた園遊会を開催していた。
 そこにデアフリンガー王国でもっとも巨大な商会の主にして、三代前までは貴族でもあったローバルとラクシュミーも参加することになったのである。
 後で聞いた話では、ヴィッテルスバッハ公国の思惑としては、第三公子のカスパーの側室にラクシュミーを迎えるつもりだったらしい。
 昨今、北のコパーゲン王国やスキャパフロー王国を含め、軍事的緊張が高まっている今、財政難のヴィッテルスバッハ公国としては、手っ取り早い婚姻政策によって資金と経済販路を得ようという公国の目論見は政治的に正しいといえる。
 側室とするにはラクシュミーはいささかとうが立っているが、クラウゼヴィッツ商会の魅力はそれを補って余りあった。
 何よりラクシュミー自身の美貌も年齢を感じさせないものであることも大きい。
 ――――ところが、である。
 ラクシュミーを一目見た瞬間から第一公子であるマルグはたちまち恋に落ちた。
 十一歳のときに亡くなった前公妃、アンネリーゼの面影を見たのである。
 艶のある黒髪にたわわに揺れる双丘といい、知性が勝った硬質の美貌といい、髪の色を除けばアンネリーゼとラクシュミーは瓜二つであった。
 まるで母が生まれ変わったかのようだ。
 ラクシュミーが自分よりも年上であるという事実には目をつぶり、マルグはこの出会いを運命と信じた。
 まだ多感であった少年期、また初めての子供として母の深い愛情を享受していたマルグがマザコンとなるのも無理かならぬ話である。
 とはいえ、その標的とされたラクシュミーとしてはたまったものではない。


「私には婚約者がおりますので……」
「一国の主に勝る婚約者などおるものか!」
「お言葉ですが私にとっては、誰にも代えがたい大切な婚約者ですわ」


 そんなやりとりが繰り返された。
 マルグとしては憤懣やる方ならぬ無礼な話であった。
 確かにヴィッテルスバッハ公国は小国である。精々その経済力規模は、クラウゼヴィッツ商会の倍に届けばよいほうであろう。
 軍事行政に予算を吸い取られることを考えれば、懐具合はクラウゼヴィッツ商会のほうが遥かに温かい。
 往々にしてそうした格差を、為政者は見栄から受け入れることができないものだ。
 意識的にせよ、無意識にせよ、マルグはラクシュミーが婚姻を喜んで受け入れるべきであると信じた。
 そもそも平民が公族の求婚を断るなど僭上も甚だしいはずであった。
 よくよく調べてみれば、婚約者もドワーフの鍛冶師で、もう十年以上もラクシュミーを放置しているという不実な男というではないか。
 ますます断られる理由などない、とマルグがアプローチを繰り返すのも無理からぬことではあった。
 これが平凡な商会が相手であれば、実力に物を言わせてラクシュミーを誘拐するという手もあるが、さすがに天下のクラウゼヴィッツ商会を正面から敵に回すことは避けたかった。
 元がデアフリンガー貴族の出身であるクラウゼヴィッツ商会は、王国に強力な伝手を有している。下手をすればデアフリンガー王国との戦争、ということにもなりかねない。
 ――――そうしたすれ違いの膠着状態が続いていたのも今日までである。
 いまやラクシュミーは形式的な婚約者ではなく、人妻になろうとしていた。
 神に愛を誓った人妻を奪うということは、いかに第一公子といえども外聞を憚る行為である。
 そんなマルグがラクシュミーの結婚を知ったらどうなるか。




「――――ふざけるな!」
 送り出した使者から、ラクシュミーとハーレプストの結婚を聴かされたマルグは激高してテーブルを蹴りつけた。
「十数年も放ったらかしにして! しかも公国の後継者たる私を袖にして、今さらのうのうと結婚するだと?」
 ハーレプストとの婚約は実の伴わない目くらましのようなものだと信じていた。
 そうでなくては結婚のけの字も感じさせなかった長い年月の説明がつかない。
 いったいハーレプストがどんな狂気にとりつかれていたか、マルグは知らないのだから。
「許さない。彼女は私のものだ!」
 なぜなら彼女はマルグの母になってくれるかもしれない女性なのだから!
 恋人に母の面影を求める男は意外と多い。
 というより男はほぼ全てが、なんらかの形でマザコンの要素を持っている。
 通常の男性は成長するにつれて世間知を覚え、そして自分のなかで優先順位を見つけることができる。
 だが稀に、そうした成長の機会を得られなかったり、優先順位を間違って成長してしまう男性がいるのも現実であった。
 松田の部下にも、仕事はできるし、温厚で優しい男だという評判だが、決定的にマザコンな男がいた。
「残業は母の許可が取れてからでお願いします」
「はあ?」
「母と買い物に行くので休ませてください」
「………………」
「母に向いてないといわれたので辞めます」
「…………お前はいいのかそれで」
「大丈夫です!」
「いや、大丈夫じゃねえよ」
 とにかく彼らの共通点は、母に対する全面的、いや盲目的な信頼と依存である。
 マルグのケースはそれとは違うが、依存という意味ではより悪い状態かもしれない。
 若くして亡くなってしまったために、逆に理想化されてしまった亡き母の面影は、マルグにとって何より神聖で美しいものであった。
 あの白磁のような肌や、冷たい水面を思わせる切れ長の瞳が、矮躯のドワーフごときに奪われる?
 ありえない。絶対にありえない。あってはならない。
 マルグにとってラクシュミーを奪われるということは、母を奪われることと同義であった。
「……そのハーレプストとかいうドワーフの居場所を突き止めよ」
 マルグはぞっとするほど低く冷たい声で、傍らに控えた侍従に告げた。
 たとえどんな手段を使っても、ラクシュミーをむさ苦しいドワーフに渡すつもりはない。
 クラウゼヴィッツ商会は敵に回すには手ごわい相手だが、たかがドワーフの鍛冶師一人であれば、闇から闇へ葬るのも容易いはずであった。
「形だけの名ばかり婚約者であれば、少しは長生きできたものを……」
 ラクシュミーを奪うなら、神の前で結婚を誓う前でなければならない。
 マルグは知らなかった。
 今のハーレプストの傍には、一国に匹敵する規格外のゴーレムマスターがついているということを。








「やれやれ、マルグ公子の趣味にも困ったものだ」
 ハーレプストの抹殺を命じられたヴィッテルスバッハ公国の下級騎士、ハイドは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
 ハイドはこんな裏仕事をするために騎士になったわけではない。
 正直なところクラウゼヴィッツ商会の令嬢くらい、己の器量で口説き落として欲しいものだと思う。
 そもそも三十路に足をかけた嫁き遅れなど公国の側妃としてふさわしいとは思えない。
 それでも主人の命令には逆らえないのが騎士のつらいところであった。
 割と早い段階で、ハーレプストがスキャパフロー王国から帰国の途上であることは判明した。
 それはハーレプストが自分の消息について、ラクシュミーやドルロイに手紙を出していたためだ。
 そのせいかドルロイが一時工房を休業することになり、現在必死の勢いで依頼を片付けている最中であった。
 ハーレプストの目的地はラクシュミーのいる場所以外にはありえないから、その期間ルートを想定することはそれほど難しいことではなかった。
「たかがドワーフの鍛冶師に騎士が出張らなくとも……」
 殺し屋の一人や二人雇うだけでよいのではないか?
 もっともそうした連中が、手のひらを返して弱みに付け込んでこないとも限らないので、信頼できる騎士を使うというのもわからぬではない。
 しかしそれが不本意であるというのも代えようのない事実であった。
 ハーレプスト暗殺に向けられた騎士の数は十二人。武人でもないドワーフ一人を暗殺するには過剰な戦力が集められていた。
 それだけ万全を期してハーレプストを亡きものにしたいというマルグの意思の表れであろう。
 なるほど確かに過剰戦力である。
 ドルロイと違いハーレプストは荒事にはそれほど習熟していない。
 とはいえ五槌に次ぐ鍛冶師と謳われたハーレプストだから、高価な秘宝を所持していてもおかしくない。そのための過剰戦力である。
 もしハーレプストが知れば、「さすがにそれは僕を甘く見すぎじゃないかな」と憤慨したかもしれなかった。
 ドルロイには及ばないものの、ハーレプストもドワーフの戦士の一人である。そもそもドワーフは尚武を尊び、たとえ鍛冶師であろうともそれなりの武の素養を持つのが普通だ。
 さらに特殊な鍛えの愛剣を使用すれば、ハーレプスト一人でもハイドたちを相手に渡り合うことも可能であった。
「とっとと終わらせて国へ戻るぞ。国外では万が一がないとも限らんからな」
 下手に他国でヴィッテルスバッハ公国の騎士が暗殺に及んだとなれば国際問題となる。
「正体もわからんほど焼いちまえばよかろう?」
 魔法を得意とする騎士の一人にハイドは頷く。可能な限り死体や犯人は特定されないことが望ましかった。




「やっぱり、本当に僕でいいのかなあ……」
「今さら怖じけづかないでくださいよ」
 誰が見てもハーレプストとラクシュミーが並べば美女と野獣にしか見えない。
 そんな絵面を思い浮かべて、ハーレプストはあからさまに腰が引けていた。
 まあ、この男に結婚式のタキシードが似合うとも思えないが。
 しかし絵面だけでいえば、ドルロイとリンダのほうがよほど犯罪である。
 そういう意味ではまだハーレプストとラクシュミーは結婚適齢期の男女の範疇だ。美女と野獣だけど。
「ラクシュミーさんの結婚衣装、楽しみです。わふ」
「そうですね。私も、次の身体の参考にさせていただきたいです」
『次の身体ってどういうことですか? ディアナお姉さま』
「私が好き好んでこんな子供のような身体でいると思わないで!」
 いまだ理想の身体、松田がもっとも美しいと思う身体を諦めていないディアナであった。
「――――でも、その前にちょっとお片付けが必要みたいです。わふ」
 ステラの言葉を松田は敏感に察した。
 どうやらディアナも承知していたようで、こくりと松田に向かって頷いてみせる。
「思ったより早かったな」
 この時点で松田は、狙われているのが自分であることを疑わずにいた。

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