アラフォー社畜のゴーレムマスター

高見 梁川

第百十二話 ラクシュミーの事情

「……よく覚悟を決めましたね」
 率直にいって松田は、ハーレプストの変貌に驚いていた。
 ハーレプストがラクシュミーを愛していることは、彼女そっくりの人形を見たときから誰の目にも明らかだった。
 しかしそれと結婚が結びつくか、というと、彼がどうして人形に執着しているかを知っている松田には疑問であった。
 愛しているからこそ手を触れることができないものがある。
 おそらくハーレプストはラクシュミーを愛しているからこそ、それを失うことに耐えられないだろうと松田は考えていた。
 病んだ理由は別であっても、大切に思うものを心から信じられないのは松田も一緒だ。
 まさかこんなにも早くハーレプストが決断したのは、予想外というほかはない。
「まあ、怖い気持ちは変わらないよ? 今でも僕は永遠に焦がれている。でも、当たり前だけど僕が永遠に辿りつこうがつくまいが、彼女が失われることに変わりはないんだよね」
 人は不老不死ではいられない。ラクシュミーは現在進行形で年老いて死へ向かって進んでいる。
 その事実に耐えられたのは、彼女を愛している自分に気づかないフリをしていられたからだ。
 ――でも、あのラクシュミーの人形を奪われ、脅迫されたときに、ハーレプストは気がついた。気がついてしまった。
 愛していると気づいてしまえば、もう気づかないフリをしていたころには戻れない。
「それがわかってしまったら、逃げていることに意味はない。むしろ有害だと思う」
 ありえないとわかってはいても、ラクシュミーがほかの男に心を移したら? 何かの偶然で命を失ってしまったら?
 気持ちを伝えずに傍観していた自分をハーレプストは絶対に許せないだろう。
「おめでとうございます、と申し上げるべきなのですかね」
 松田は苦笑しながら、ハーレプストに祝福の言葉を発した。
 自分はまだ前世のトラウマに捕らわれたままだというのに、ハーレプストは一足早く己の呪縛から抜け出したのである。
 その事実が松田には悔しい。 
 悔しいと思える自分がまた驚きであった。
 こんなことを考えてしまうのも、リアゴッドが前世であるライドッグの怨念に飲みこまれ我を失ってしまったのを見てしまったからだ。
 あれ以来ずっと松田は悩んでいた。
 ライドッグの記憶を持って転生したリアゴッドは、もう別人なのだとクスコは言った。ディアナもまたかつての主人ではなく、松田を新たな主人として選んでくれた。
 記憶を持つからといって、前世に囚われたまま新たな人生を歩んでよいのか?
 前世で背負った怨念をまき散らす人生になんの意味があるというのか? リアゴッドに対する問いはそのまま松田に対する問いであった。
「こんどこそ我がままに生きる!」
 そう決意したつもりだった。
 はたして自分は本当に我がままに生きているだろうか?
 この世界でエルフに生まれ変わったタケシ・マツダは、本当に新たな人生を生きているのだろうか、現代人松田毅が社畜であったころの呪いに引きずられているだけではないのか。
 はたしてライドッグがどんな悲惨な死に方をしたのかはわからない。
 しかしせっかく転生したのに、復讐に囚われたリアゴッドを松田は醜い、と思ってしまった。
 どうしてせっかく転生したのに、新しい楽しみを捨てて復讐に身をゆだねてしまったのか。
 ――――では自分は? 社畜であった歪みを捨てて生きているのか?
 まだ社畜であった呪縛から逃れられず、どうしたらよいかわからずに足掻いているのではないか?
 そんな疑問をリアゴッドとの対決は松田に思い出させてしまったのである。
「ご主人様、どうしたですか? わふ」
「うん? ラクシュミーさんはすごいなあ、と思ってね」
「すごいです! ステラもラクシュミーさんを見習うです! わふ」
「いや、見習うのはちょっと……」
 思わずラクシュミーのように腹黒系謀略少女になったステラを想像して松田は背筋が寒くなるのを感じた。
 同時に、ステラやディアナに囲まれた今の自分が、なぜかとても恵まれている気がしてくすぐったい思いを感じる。
 この世界は決して優しい世界ではないが、かつて社畜であった頃よりずっと居心地の良い世界である気がした。
 それにラクシュミーの人形を人質にされたハーレプストが、脅迫に屈せずに自分を選んでくれたことが、松田の歪んだ心に与えた衝撃は大きかった。
 また人を信じてみたい。そんな欲求を松田は久しぶりに実感していた。
「――そんなわけで、マツダ君には結婚の立ち合い人を頼みたいのだが、どうだろう?」
「ドルロイ師とリンダさんはよいのですか?」
「あの二人より、君のほうが僕の気持ちをわかってもらえていると思うからね」
 松田は視線でノーラに尋ねると、ノーラは素直に頷いてくれた。
「一刻一秒を争うわけじゃないし、少し寄り道をするくらい私は構わないよ?」
 ハーレプストとラクシュミーの結婚、それ自体は喜ばしいことであるが、松田にとっても過去に踏ん切りをつけるいい機会になるような気がする。
 松田はハーレプストに向き直ると快諾した。
「俺でよければ喜んで」
「おおっ! ありがとう! マツダ君!」
 がっちりとハーレプストと握手を交わし、二人はしばし感慨に浸った。
 長い間止まっていた時間が動き出そうとしていた。
 もちろん、彼らの新たな出発が平穏無事に済むはずもなかったのだが。






 マクンバの東南にロマネという湖がある。
 その湖畔に佇む瀟洒な別荘で、ラクシュミーはハーレプストから届けられた一通の手紙を開けた。 
 もともとラクシュミーの母国はリュッツォー王国の南東にあるデアフリンガー王国である。
 その王国で最大手の商会を経営するのが、ラクシュミーの父ローバルだ。稀代の芸術品コレクターとしても知られ、ハーレプストと巡り合ったのもそれが縁であった。
 ハーレプストの工房に隙あらば押しかけるラクシュミーであるが、そうでない場合にはこのロマネの別荘に滞在するのが習慣になっている。
 家は兄が継ぐことになっているし、ラクシュミー自身もそれなりの錬金術師なので、生活の糧には全く困っていなかった。
 それにしてもハーレプストがこうして手紙を送ってくることは珍しい。
 つい習慣で手紙に鼻をよせて息を大きく吸い込むと、ラクシュミーは照れたように視線を泳がせた。
 さすがに他人に見られるのは抵抗があるのか、侍女たちが傍にいないのを確認したラクシュミーは、もう一度深呼吸をして手紙に目を落とした。
「………………」
 愛しいハーレプストの手紙を一読したラクシュミーは、唐突に無言のままその綺麗な額をホワイトオーク製のチェストに叩きつける。


 ドバキッ!


「…………痛い」
 なぜかチェストのほうが見るも無残に破壊されているが、それはさておき、ラクシュミーはじんじんと痛む額に手をやり、その痛みが現実であることを確認した。
 一瞬の間をおいて、それが現実であると悟ったラクシュミーは歓喜のあまりすでに半壊していたチェストをさらに渾身の前蹴りで全壊させた。
 なかなか豪快な感情表現である。
「きゃああああああああああああああ!」
 ハーレプストの手紙に書かれていた紛れもないプロポーズの言葉に、長年待たされてきたラクシュミーの乙女心はたちまち限界を振り切って暴走したのである。
「ああっ! この日を待ってましたわ! いっそ危険日に押し倒して既成事実をとか、錬金術師最高の媚薬と呼ばれるベラドンナを使って快楽でとろとろに落としてしまおうとか考えましたけど!」
 楚々とした美貌の裏で、とんでもないことを考えていたラクシュミーであった。
 それでもそれを実行しなかったのは、ハーレプストが抱えた闇を自分で晴らさなければならないことを理解していたからであろう。
「これもきっとあのマツダ様のおかげですね……」
 マクンバで初めて出会ったエルフの青年。彼がハーレプストと同様に捨て去ることのできない闇を抱えていることはすぐにわかった。
 温厚で知性を感じる瞳の奥に、どこか冷ややかに人を値踏みしているような違和感があった。
 それはハーレプストが人と人との間に感じさせる距離感の遠さにどこかよく似ていた。
 その彼に巻き込まれる形でスキャパフロー王国へ呼び出されたハーレプストに、良い意味での変化があったことをラクシュミーは確信していた。
 今はそんなことより!
 パアアアアア! とわかりやすい至福の笑みを浮かべてラクシュミーは満願成就の喜びに浸る。
 思えば長い戦いだった。一目見た瞬間から、子供心にハーレプストと結婚すると決めていた。
 いったいどこがラクシュミーの心の琴線に触れたのかは疑問だが、なぜかハーレプストは、ラクシュミーにとって守るべき可愛い男性であった。
 あるいは少々歪んだ母性を刺激された、と言えるのかもしれない。
 基本的に逃げの姿勢のハーレプストを確保するためには、ひたすら押しの一手あるのみだ。
 既成事実を作り、精神的な負い目を刷り込み、彼の心の重要な部分をゆっくり時間をかけて占めていくのは楽しかった。
 言葉では諦めろ、とか、君にはもっといい男性が、とはいうが、ハーレプストの本心がそうでないことぐらい、ラクシュミーにはとうの昔にわかっていた。
 それでもこうしてふんぎりをつかせてくれたのは、松田とのなんらかの心的交流の結果なのだろう。
 時間の問題だったとはいえ、すでに三十路をまじかに控えたラクシュミーがプロポーズを喜ばぬはずがない。
「ふふふふふ……もう遠慮の必要はないわ。一発必中、老婆でも孕ませる奇跡の秘薬を手段を選ばず入手しなくては……」
 健康な出産のためには、早めに妊娠する必要がある。特に最低でも三人以上の子が欲しいと妄想を膨らませてきたラクシュミーにとってそれは切実な問題であった。
 幸い、父の伝手を使えば手に入らぬものなど、特殊な秘宝などを除けばないに等しい。
 バラ色の夫婦の未来を瞼に思い浮かべて、ラクシュミーは鼻血を噴かんばかりに萌えた。
 男の子が二人に女の子が一人。父親似の兄弟と母親似の妹、末の妹を甲斐甲斐しく世話を焼く兄弟、それを温かい目で見守るハーレプストと自分…………。
「きゃああああああ! きゃああああああああ! きゃああああああ!」
 もうこれだけでご飯三杯はいける。
 さらなる妄想に思いを馳せようとしたラクシュミーの耳に、控えめなノックの音が届いた。
「入りなさい」
「失礼いたします」
 先ほどの絶叫など何もなかったかのように振舞うラクシュミーと侍女、さすがはプロの対応である。
 ラクシュミーの妄想癖程度では、表情筋ひとつ動かさない。
「マルグ公子からのご使者が……」
 侍女の言葉にラクシュミーはあからさまに眉を顰めた。
「…………しつこい男ね」
 マルグ公子はリュッツォー王国とデアフリンガー王国に挟まれた小さな公国の公子で、このところラクシュミーに積極的なアプローチを繰り返していた。
 もとはラクシュミーの父が経営する商会の利権が目当てで接近したのだが、ラクシュミーの美貌に惚れこんでしまったらしい。
 マルグいわく「彼女は私の母になれるかもしれない女性」だそうだ。
 マザコンをこじらせた男との政略結婚など、ラクシュミーにとっては検討する価値すらなかった。
 何度も断っているのだが、存外マルグのアプローチはしつこい。そのしつこい理由の第一が、彼女が恋人のいない(名目上の婚約者はいるが)独身女性であるということだった。
「――――もう独り身とは言わせません。私も妻となる身なのですから、これ以上の求愛は馬に蹴られて死ぬだけだと知っていただきましょう」

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