守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第二十話  琵琶沢村の襲撃

 赤植山のふもと、櫛ケ峯とのちょうど中間にあたるところに琵琶沢という小さな村落がある。わずか五十戸ほどではあるがかつて蘆名氏に仕えた武士であった名主がおり、近隣のキリシタンのまとめ役的な存在となっていた。
 名を新川作左衛門という。摺上原の戦いで負ったという武功傷のせいで、以後ずっと左足を引きずっているのが自慢である。古き豪傑風の押出の強さと面倒見の良さで彼の影響力というのは、なかな馬鹿にできぬものがあった。実際のところ近在の村がキリシタンに改宗したのは作左衛門の影響が大きい。
 彼の要請にこたえ、アダミたちが説教に訪問するのもそうした事情があったのである。
 この琵琶沢村の入り口には塞の神である道祖神が祭られていたが、キリシタンへの改宗に伴い、近年誰も世話する者もおらず荒れ果てる一方となっていた。小さな祠は成長した藪に覆われ、その姿を見つけ出すことも難しいほどだ。
 こうして寂れゆく神社や仏閣はここだけではなかった。そのため実はキリシタンを苦々しく思っている伝統を重んじる人間も少なからず存在した。
 とまれ、そんな手入れもされず荒れ果てた塞の神の四つ辻にアダミたちが到着したのは、ようやく霧も晴れた朝四つになろうとした頃であった。
「少シ早カッタデショウカ?」
「いや、ええあんばいでっしゃろ?」
 朝の農作業はもう終わっている時間だ。農民の朝は早く、朝四つといえばすでに食事も終わって一息ついているはずである。
 藤右衛門がそう言ってアダミへと視線を向けた瞬間であった。にわかに土中から飛び出した忍び刀が、藤右衛門と重吉の脛を襲った。藤右衛門や重吉ほどの腕の持ち主でも一切気がつかない見事な土遁の術であった。
「うおっ!」
「くっ!」
 瞬きほどの時間すらないほんのごくわずかな差であろう。あるいはそんな差ではなく、運そのもの差であったかもしれぬ。とまれ、今なお戦人であるものとかつて戦人であった者の差は、非情な現実となって現れた。
 咄嗟に盾として鞘ごと刀を地面に突き刺した重吉は、脛を切断されるのを免れたが、後ろに飛びのいて刀を避けた藤右衛門は深々と踝から上のあたりを斬り裂かれたのである。
 皮膚感覚で戦いに身を置いている男と、信仰に寄り添って生きようとしている男、戦いの神は往々にして己の僕をひいきするものであった。
「重吉殿! アダミ様を!」
 藤右衛門の脛は出血量が多く、それと一目でわかる重傷である。むしろ斬り飛ばされていないのは、藤右衛門がかつて優秀な戦人であったことの証であった。
 もはや助からぬと観念したのか、藤右衛門は重吉にアダミを託した。そして自分は敵わぬまでも身体ごと相手の邪魔をして時間を稼ぐ覚悟を固めたのであった。
 もちろんそれを許すほど伊賀組は甘くない。無言のままに土中から土煙をあげて踊りあがる伊賀忍び六名は、重吉と藤右衛門の息の根を止めんと左右から殺到した。
「と、藤右衛門殿!」
 重吉の叫びは悲痛であった。中条流の免許を持つ重吉の刀はちょうど二尺ほどの短いもので、さらに一尺四寸の小太刀がある。彼の腕をもってすれば二人や三人の忍びを相手にしても不足はないが、藤右衛門を助けに行く余裕はどこにもなかった。
 せめて一人でも相討ちに、と藤右衛門は覚悟を決めて抜刀する。しかし伊賀組はどこまでも冷静で容赦がなかった。藤右衛門の右足がすでに使い物にならないことを見て取ると、接近戦を捨て懐から苦無を取り出したのである。立っていることが精いっぱいの藤右衛門に複数の苦無を防ぐ術はない。
(ここまでか)
 殉教、という言葉が藤右衛門の脳裏をよぎった。悔いはある。しかし国外追放の苦難を乗り越え最後の希望を求め猪苗代まで来た。夢は果たせずに終わりそうだが、それもまた神の思し召しであろう。
 伊賀組の手から雷光のように苦無が放たれる。その数六本。とても躱すことのできぬ数だ。藤右衛門が無傷であったとしても躱せたかどうか。目前に迫った死そのものを藤右衛門は諦念とともに受け入れようとして――――
(何を馬鹿な!)
 藤右衛門の身体が、本能が、今まで生きてきた人生の記憶がそのまま死を受容することを許さなかった。この程度の危機など幾度となく経験してきた。大山崎でも長浜でも危うく死にかけながら生き延びてきた。死地にあってこそ力を発揮するのが戦人ではなかったか。いったいいつから、自分はこんな腑抜けに成り下がってしまったのか。
 かっ、と刮目した藤右衛門はほとんど勘で殺到する苦無を叩き落した。頭で考えようとせず、身体に身を任せたからこそできた早業であった。それでも六本の苦無をすべて叩き落すことはできず、一本が藤右衛門の左肩口を捉える。激痛が背筋を走るが、藤右衛門は逆に嬉々として言い放った。
「まだまだっ!」
 自分は生きている。生きている限り戦人は戦える。死とは結果であって待ち望むものでも受け入れるものでもない。死ぬその最後の瞬間まで戦人は戦い続けるのだ。久しぶりにそんな気持ちを藤右衛門は思い出していた。
 藤右衛門がもはや哀れな獲物ではなく、油断ならぬ手負いの獣と化したことを伊賀組は見て取った。
 ならばこちらも危険を覚悟して倒すべきである、と逆手に忍び刀を持ち替え、するすると藤右衛門との距離を詰めていく。その決断に迷いの色はない。
 たちまち彼らが藤右衛門の間合いを踏みこえてくるのを、藤右衛門は端然と放置した。右足の踏ん張りがきかぬ今、ただ斬ってもおそらくは避けられる。敵を倒さんと欲すれば自ら傷つく覚悟をするしかなかった。
「ぬんっ!」
 忍び刀はその短さゆえに斬ることではなく突くことに特化している。逆にいえば、突きの軌道さえ逸らすことができれば対処は容易い。袖の下に手甲を結んでいた藤右衛門は一人の刀を逸らし、さらにもう一人の刀を束で受け止めた。最後の一人は最初から逃げるつもりなどない。己の身体で刃を受け止め相討ちに相手を倒す。今の藤右衛門が確実に相手を倒す手段はそれだけだった。
 この藤右衛門の捨て身にはさすがの伊賀組も面食らったらしい。逃げる相手を刺し貫く訓練は積んでいても、自分から刺されに来るような訓練はしていないからだ。
 致命傷になるかどうかは運任せ。脇腹に忍び刀が食いこむのと同時に、藤右衛門は愛刀の千住院村正を袈裟斬りに振り下ろした。刀を突き刺すほど肉薄していた伊賀組はその一撃を避けられず肩口から肺までざっくりと斬り裂かれて絶息した。正しく甲冑武者を相手にしてきた歴戦の武人の名に恥じぬ剛力である。
 しかし同じ手を二度も許す伊賀組ではない。意表を突くのはそれは初めてであるから有効なのであって、種が知れてしまえばもう引っかかるはずがなかった。
 すぐに伊賀組は真正面から戦うことを避け、藤右衛門の泣き所である足元へ攻撃を集中させる。ほとんど片足でそれを避けなくてはならない藤右衛門は、たまらず左足にも一撃食らい、どうと後ろへ倒れた。
 間髪入れず、のしかかるように伊賀組が凶刃を煌めかせた。もはやそれを避けるのは満身創痍の藤右衛門には不可能であった。
「がっ――――!」
 びくりと痙攣して伊賀組の男がのけぞった。胡乱な目で見つめる藤右衛門の視界に、百舌鳥の早贄よろしく一本の槍で串刺しに貫かれた伊賀組の姿が飛びこんできた。しかも槍は藤右衛門に馬乗りになった伊賀組の胸を貫通し、その斜め後方の伊賀組の腹部まで貫いていた。
 槍そのものも名槍であろうが、そもそもこの槍はどこからやってきたものか。薄れゆく意識の中で藤右衛門は視線をさまよわせた。
 すると――――――


「けしからんな。俺を抜きでこんな面白いことをしとるとは」


 手槍を投げ放ち、口の端を吊り上げひどく相好を崩した定俊の姿はそこにあった。






 重吉はアダミを背中に庇いながら三人の伊賀組を相手に、一歩も引けを取らずに奮戦していた。いや、それどころか押してさえいる。その証拠に傷を負っているのは伊賀組のほうばかりであり、うち一人は失血から足元が怪しくなっていた。
(まさかこれほどの使い手とは……)
 小六は思わぬ苦戦に内心で冷や汗をかいている。よほどの武士でもあの土遁からの攻撃を凌ぎ、かつ反撃してくることはごくごく稀であるからだ。
 重吉が修めた中条流は、中条長秀を開祖とし、京八流の流れを引く剣術の一派で、剣豪として名高い冨田勢源や鐘捲自斎を育てた名門である。小太刀による防御的な剣を得意とし、後に盲目の剣士冨田勢源がこれを昇華して越後冨田流を創始する。
 その鉄壁の防御力は、この小太刀術を極めた武人が防御に徹すれば、達人が数人がかりでも突破は困難であると謳われたほどであった。重吉はまだ達人の領域には達していないが、免許持ちの実力は伊達ではなかったということであろう。
 しかしいかに重吉といえど藤右衛門を助けにいくだけの余裕はなかった。アダミを庇うだけで精一杯である。アダミを託されたことに心を鬼にして重吉は藤右衛門の窮状を見捨てた。
 ところがもはやこれまで、というところで伊賀組二人は定俊の槍に貫かれ寸でのところで藤右衛門は絶命を免れたのである。
 一瞬、ほんの一瞬重吉の意識にゆるみが生じてしまったのは無理からぬ必然の結果であった。
「重吉殿!」
「なっ! アダミ様!」
 藪の一部と思われていたなかから、音松が一瞬の隙をついて飛び出しアダミを横抱きにさらった。木遁の術である。同時に音松はみぞおちに当身をいれてアダミの意識を断っている。電光石火の早業だった。土遁の術が失敗したのを確認した音松は、じっとこの隙が出るのを待っていた。仲間が傷つき、死のうとも構わずにである。こうした執念と非情さこそ忍びの最大の強みであり特質であった。
 自分の身長よりも大きなアダミを肩に抱え、音松は得意の神足通を使い一目散に赤植山へと逃走した。いや、しようとした。しかし音松の意に反して足が止まる。
 部下の二人が音松の逃走を助けるために背後を固めているはずであり、すでに手槍を放ってしまった定俊にも武器はない。もはや誰も音松を追撃できる者はいないのに、音松の足は一向に動き出そうとしなかった。
「――――忍びの考えは忍びにはお見通しですよ」
「貴様っ!」
 楽し気に謡うような女の声に、音松はようやく自分の身に何が起きたのかを察した。
 音松が睨みつけた視線の先の、村の田を潤す小川の草藪から長い竹の筒がのぞいている。おりくの吹き矢であった。よほどの急所に当たらなければ殺傷能力はないが、おりくの一撃は音松の右足の神経節を見事に貫いていた。先ほどから音松の足が動かぬ原因はこれであった。
 口惜しそうに音松はふくらはぎの神経節に突き刺さった吹き矢を取り去ると、ペロリと舐めた。毒が塗られているか確かめるためである。少なくとも音松が知る毒の類がないことを確かめ膝の裏側のツボを叩くとすぐに足の痺れは消え去った。
「殺れ」
 小川に潜んだおりくを殺すために配下に命じて、再び音松は駆け出そうとアダミを抱えなおした。
 いってみれば吹き矢は奇襲専用の武器である。非力なくのいちが得意とすることが多い。居場所が露見した以上、くのいちごときに伊賀組が後れを取るはずがない。そんな音松の目論見はしごくあっさりと潰えた。
「やれやれ、そんな腕ではお嬢の相手にはならぬぞい」
 距離にしておよそ七、八十メートルはあろうか。匂いと煙に気づかれぬために、火口ほぐちに特殊な加工を施した火縄銃を構え、達介はにんまりと笑った。久しぶりの戦いに、この老忍びも血が沸き立つ気分を隠せずにいた。
 轟音とともに一人の伊賀忍びが倒れる。ものの見事に額を撃ち抜かれており、狙撃手の腕が並大抵でないことを音松はすぐに悟った。
 どの時点からかはわからぬが、音松たちがアダミを待ち伏せ罠を張っていたように、敵もまた音松たちを待ち伏せていたのだ。
 藤右衛門が死にかけたことを考えれば、最初から待ち伏せしていたとは考えにくい。おそらくは準備はしていたのが遅ればせながら間に合ったというところだろう。
 それに火縄の持ち主が音松ではなく、配下の下人を狙ったということはこれ以上の戦力がないことを意味した。小川に潜むくのいちを守るために貴重な狙撃の機会を失ったのだ。仲間がいるなら最初から音松を狙うはずであった。
(ならば一目散に逃げるのみ!)
 音松は自身の神足通に絶対の自信があった。先ほどの吹き矢のような邪魔が入らない限り、必ず逃げおおせて見せる。火縄の射程はそれほど長くはない。音松の身体能力をもってすれば、すぐに射程の外へ出られるだろう。アダミの巨体は音松にとって速度を落とす障害にはなりえなかった。
 しかし地獄の底から罪人を追う悪鬼羅刹がごとき咆哮が、音松の思惑の全てをぶちこわした。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 久しく聞くことのなかった戦場の雄叫びである。耳が痛くなるほどの大きさ、そして身体が本能的に竦みあがるほどの恐怖。味方を鼓舞し、敵を震え上がらせる稀有の戦人の姿がそこにいた。
 槍や刀が上手いだけの戦人なら、かつては綺羅星が溢れかえるがごときほどにいた。しかし戦場の色を塗り替える大音声と、敵の怖気を叩く勘働きを兼ね備えた将となると数えるほどしかいない。
 戦場の雄叫びといえば薩摩武士の猿叫が有名だが、戦人の声には自らの潜在力を引き出し敵の意地を砕く不思議な力があるのである。
 音松の身体は金縛りにあったように動けなかった。定俊が刀を肩に背負うようにして突貫してくる様子が目に映る。明らかに介者剣術の構えであった。ここに至り音松の理性は本能に負けた。
「ひぃいぃいいいっ!」
 呪縛が解かれたように音松はアダミを投げ捨て、子供のような悲鳴をあげて逃げ出したのである。惑乱のあまり得意の神足通さえ使っていない。正しく本能に従い具現化した死そのものから逃れようとした。
「逃ぐるなや」
 無防備の背中を斬っても武功の誉れとは言えない。だからといって微塵の躊躇も見せず、憮然とした表情のまま定俊は自慢の名刀相州正宗を叩きつけるように振り下ろした。
 鈍い骨の砕ける音が響き左の肩口から侵入した刃は鎖骨と肋骨を粉砕して、なんと股関節まで達した。
 おびただしい血しぶきと臓腑をまき散らして、痛みを感じる暇すらなく音松は絶息する。ただ瞬きほどの短い間に、天正伊賀の乱の際に定俊の声を聴いたことがあるような気がした。

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