守銭奴にも武士の魂 ~札束風呂の元祖、岡定俊の貫いた武士の一分~

高見 梁川

第十八話 蹂躙

 ――後を尾行つけられている。
 与兵衛がそれに気づいたのは、矢吹の宿を間近に控えた鬱蒼たる竹林の中であった。
 これまで幾度か見かけたことのある老人と青年の二人連れである。
 そもそも幾度も見かけていたのに、今頃怪しいと気づくこと自体がおかしい。よほど気配を注意を引くことのないよう、うまく空気に溶かしているからこそであろう。必死に記憶を手繰れば、あの白河の関で松の日陰に涼んでいた二人ではないか。
 すなわち――――(かなりの手練れだ)と与兵衛は心を氷柱で貫かれたような衝撃を覚えた。風魔党との戦い以来、技量において与兵衛が完敗したのはこれが初めてであるからだ。
(これはいかぬかもしれん……)
 よくよく思い出すとあの二人は、最初は喜連川のあたりで既に見かけていたように思われる。ならばいくらでも襲撃の機会はあった。与兵衛たちは彼らの存在に気づいてさえいなかったのだから、その気になればいつでも殺せた。
 にもかかわらず、こうして気配を察することができたということは――――
(ここで殺る気か)
 おそらくはいよいよ戦闘となることへのかすかな高揚と殺気が、これまで隠せていた二人の存在を浮かび上がらせたのだと与兵衛は信じた。
(――――伊賀組を甘く見るなよ)
 その内心では不覚をとったことと、敵に甘く見られたことに対する屈辱と憤怒が沸々と煮えたぎっていた。
 これまで全く気配をつかませなかったことには素直に感心しよう。しかし老人と若造二人で、この闇の世界でもっとも実戦経験の豊富な伊賀組を相手にできると思ったからとんだ思い上がりだ。
 少なくとも与兵衛は伊賀組が、柳生や甲賀に実戦経験で劣るとは考えていなかった。
 確かに柳生は剣の達人を数多く擁してはいるが、影働きを任されたのは秀忠の寵愛を受けてからのごく短い期間に過ぎない。まともに戦えば分が悪いとはいえ、本気の不正規戦となれば伊賀組の前に手も足もでないのではと思う。
 とまれ、不正規戦の要は入念な下準備を施した待ち戦である。天正伊賀の乱でも伊賀組が織田を相手に優位に戦えたのは地の利と下準備があったからこそだ。
 この岩代の地は地の利があるとはお世辞にもいえぬ遠い異郷である。
 それもなお、与兵衛の自信が揺らぐことはなかった。
(加賀で、近江で、安芸で、俺がどれほどの修羅場を潜り抜けたと思っている)
 関ケ原以降も油断のならぬ外様大名たちの内偵や暗殺に駆り出され、各地で忍び集団としのぎを削ってきた。敵地においても勝利しなければならないという重圧と使命のなかで、ここまで生き延びてきた伊賀忍びは決して多くはないのだ。
「――――無様」
 そんな与兵衛の意地も誇りも、角兵衛は一顧だにしなかった。己の実力を過信し、敵との実力差を測ることのできぬ未熟さにただただ失望していた。もし角兵衛は与兵衛の立場であれば、直ちに仲間を見捨てて逃走を選んだであろう。たとえ実力があっても死の気配に敏感でない忍びは生き残れない。その敏感さを持たない与兵衛がこうして健在であること自体が、忍びの凋落を物語っていた。角兵衛が全盛期であったころであれば、与兵衛のような男は三年も生きられれば運の良いほうであったろう。
「俺が相手してもよいか? 御爺」
「遊ぶなよ八郎?」
「俺に怒らないでくれよ」
 どうやら伊賀者の体たらくに本気で腹を立てているらしい角兵衛に、八郎は肩をすくめて閉口した。要するに時間をかけて腕を試そうなどとはするな。そんな価値すら奴らにはない、と言っているのだった。
「やれやれ、災難なこった」
 とはいえ八郎自身怒りとまではいかなくとも、軽い拍子抜けのような失望のような気分があるのも事実である。
 彼にとって初めてとなる地元の縄張りを離れた実戦で、角兵衛の力を借りずに戦うことに八郎は少なからず緊張していた。その初めての相手として与兵衛らは物足りなかったのである。
 今までは日野の縄張りのなかで稀に結界を侵す忍びだけを相手にしてきた。しかも師匠である角兵衛の監督のもとで。
 はたして自分の腕はどこまで天下に通用するものか。たとえ物足りない相手だとしても、自らの技を試すのを躊躇う理由にはなりえなかった。
 ごく自然な足取りで八郎は与兵衛たちとの距離を詰める。傍からはただ歩いているだけにしか見えないが、その滑るような速さは異常だ。これを天足通という。上半身を全く揺らさずにほとんど親指の力だけで加速するため、相手は間合いを正確に測ることができない。
 さすがに与兵衛は同じ天足通の使い手と戦ったことがあるが、残る二人は全く経験がなかった。
「ひゅっ」
 鋭く息を吐くと同時に八郎の右手が閃き、矢じりのように尖った礫が放たれた。
 礫の大きさはさほどでないが、甲冑に身を包んでいるわけではない忍びにとっては十分に脅威である。
 与兵衛はいざ知らず、残る二人はその礫を躱すことはできなかった。身を躱すには正確な間合いの把握が必要だ。身体が躱す態勢を取る呼吸を外されてしまっては切払うしかない。しかしこれが罠であった。
「目を閉じろ!」
 細工に気づいた与兵衛は思わず叫ぶ。だがそれを実行するだけの断固たる判断力が二人にはなかった。
「ぐわっ!」
 首尾よく礫を忍び刀で弾き返したはずが、急に襲ってきた激痛に二人の伊賀者は目を押さえて反射的に身をかがめた。
 八郎が放ったのは礫だけではない。礫を放つと同時に米粒ほどの小さな石を、恐ろしく強い指の力で伊賀者の目へと弾いている。指弾と呼ばれる技である。この小さな石は先に放たれた礫の影に隠れ、死角から二段構えで襲ってくるのだから焦点が先の礫に集中していた二人に避けられるはずがなかった。
 するすると近づき忍び刀を抜いた八郎を、横っ飛びして礫を避けていた与兵衛は止める術がない。かろうじて懐から手裏剣を取り出すが、それよりも早く八郎の右手が煌めく。
 紫電よりも早いその一閃は、激痛から立ち直れない二人の伊賀者の首をいともたやすく切り裂いていた。おそらくは斬られたという自覚すらないままであったろう
 八郎が歩きだしてからわずか一秒ほどの出来事である。
 抵抗らしい抵抗もできず、ほぼ八郎が想定したままにあっさりと与兵衛の配下である二人はその命を失った。その事実が与兵衛には耐え難い屈辱であった。
「――――おのれ!」
 配下を守れなかったことにも怒りはあるが、それ以上に八郎のような若造にいいようにされている自分が何より許せなかった。こんなはずはない。伊賀組の精鋭である我々が、こんな無様な醜態をさらしてよいはずがない。
「ほう、無様であるのを恥じる気持ちは残っておったか。ならば死ね」
 憎悪に近い暗い声に、与兵衛がもう一人の老人の存在を思い出したときにはすでに遅かった。生命の危機を察した本能が、与兵衛の背筋にぞくぞくという怖気を走らせる。
 理性はこんなはずではないと叫んでいた。実戦経験も怪しい若者に七十代も超えようかという老人。そんな二人に伊賀者の手練れが翻弄されるなどあってたまるものか。しかし本能は正しく天から雷に打たれるがごとき絶望感に震えていた。
 角兵衛の腰はまっすぐに伸び鍛えこまれてはいるが、老人となった身はやせ衰え瞼や頬には垂れ下がった皺が幾重にも刻まれている。
 身体能力の低下は戦力の低下と同義であり、それが忍びの実働年齢が四十代でほぼ終わってしまう所以であるはずだった。
 しかしそこには例外が存在する。ごくごく稀ではあるが、身体能力の低下を補えるほどの規格外の技量を誇る老忍びは確かにおり、その一人は与兵衛もよく知る組頭の方丈斎であった。おそらく方丈斎の腕は伊賀組の精鋭のなかでも十指には入る。
(まさかこの老人が――)
 あるいはさぞ名のある忍びなのではないか――そんな与兵衛の思考は垂直に真上から降ってきた大きな礫によって遮断された。
 声もなくゆらりと倒れた与兵衛の頭蓋から、鮮血と灰色の膿のような脳漿がどろりと流れ出していく。
「油断するにもほどがある」
 驚きに目を見開いたままの与兵衛を見下ろし、吐き捨てるように角兵衛は呟く。
 いかに配下の忍びが危うかったとはいえ、八郎と配下に完全に気を取られて角兵衛を見過ごすなど言語道断。まして狙われていることにすら気づかないとは。
 とはいえ与兵衛が八郎の礫を躱すと同時に、その着地点を読み切って礫を天空に投げ上げていた角兵衛もやはり並みの者ではなかった。
 人にとってもっとも注意を払いにくいのは真上の頭上と、真下の足元である。忍びは常に死角の気配を探ってはいるが、どうしても真上と真下に近い部分は空白となりがちであることを、老忍びである角兵衛は知っていた。
 否、角兵衛の知る戦国の忍びは誰もがそんなことは当たり前のように知っていた。
 土遁、水遁、火遁を駆使し、不正規戦を繰り広げる忍びにとって、意識の死角から攻撃するということは基礎ともいえる。あの天正伊賀の乱では数多の伊賀者がこうした術で織田方の兵を奇襲したものだ。腕利きの伊賀者は冷たい土中で、小さな筒を口にくわえたまま数日は潜んだままでいられたという。
 こうした戦いの技術はやはり戦いのなかで磨かれる。戦国が終わり、他国の諜報や暗殺を旨とする今の伊賀者には、不特定多数を殺戮するための忍術など必要ないのかもしれない。
 そもそも守るべき故郷の土地がないのに、過酷な不正規戦の技など教えることなどできるはずがなかった。
 理性ではそれを納得していても、角兵衛の胸は虚しくやりどころのない怒りが渦巻いていた。
(これでは、八郎が成長し大人になるころには――――もう忍びなどどこにもおらぬかもしれぬ)
 角兵衛の知る忍びとは、たとえ日の当たらぬ影にいても、断固として武の者であった。戦いのなかで輝く存在だった。
 歴史家三田村鳶魚によれば、江戸前期以後、公儀隠密といえばそれは徒目付、あるいはその下部組織である御小人目付を指すという。
 戦いから離れ、純粋な情報取集を求められる太平の世には、もはや影の戦人である忍びの居場所はなかったのである。角兵衛が危惧するまでもなく、時代が忍びを必要としていないのだ。
 故郷から切り離された伊賀も甲賀も、ただの役人として生きるしかない未来がすぐそこまで迫っていた。
「かようなことが――――」
 この世から戦人が姿を消しつつあるように、忍びもまた姿を消す。そして後に残るのはかつて忍びであったものの残骸のみ。覚悟していたとはいえ、それをまざまざと眼前に突きつけられて角兵衛は絶句した。
 角兵衛の忍びの技は全て八郎に伝えた。しかし八郎の次の世代はどうか? いや、そもそも使う機会もない技などに意味はあるのか?
「俺が相手をすると言ったじゃないか」
 不満そうな八郎の声に、角兵衛ははっとなって我に返った。
「すまんすまん、あまりにひどい体たらくゆえ気がついたら倒しておったわい」
 ごまかすように苦笑して八郎に詫びると、角兵衛は一転して緩んだ顔を引き締めた。
「伊賀者全てがこの程度と思うでないぞ? 今日はたまたま出来の悪い相手と出会ったにすぎぬ。それに本来伊賀者は、相手を襲うときがもっとも恐ろしいのだ」
 甲賀がしばしば突出した個性を尊重するのに対し、伊賀は集団による奇襲を得意とする。その強さは、受けではなく攻めるときにこそ最大の力を発揮するのだ。
「――――猪苗代についたらこちらが守る側になる。ゆめゆめ奴らを侮るでない」
「わかってるよ御爺」
 角兵衛の戒めの言葉の半ばは、祈りのようなものであった。
 かつての好敵手であった伊賀者がこんなものであって欲しくはない。人生最後の相手として相応しい強敵であってくれ、という切ない思いがそこにはこめられていた。

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