神様、ごめんね

ロヒサマ

第二十四話【乗り越えるべき再会】

 神様は何て意地悪なんだろう。こんな時に世中先輩が同じゼミに入ってくるだなんて。信じられなかった。大学を受けてたことも、元気でいた事も、知らなかった。せっかく忘れられそうだったのに。
 あのゼミ集会から一週間。私はゼミ以外では世中先輩とは関わらないように勤めていた。何より細田先輩に『世中先輩の事は忘れます』と断言したばかりだった。自分の気持ちにケジメをつけようと思ったんだ。あれから二年以上も経ったし、そろそろ一歩踏み出さなきゃと決めたんだ。私はぼんやりしながら、講義の内容が目一杯書かれたホワイトボードをロボットのように眺めていた。
「ぼーっとしてると教授に目をつけられちゃうぞ」
「ひぃや!」
 耳元で急にボソッと呟かれ、私は思わず大きな声を出してしまった。
「す、すいません。失礼しました」
 全生徒の視線がこちらに向く。私は広い教室全体に謝った。
「細田先輩、何でここに?」
「私は友達の替玉で授業受けに来たの」
「だからって急に耳元で話さなくても」
「だって、隣座っても気付いてくれなかったからつい」
 ある程度の事なら、細田先輩の優しい笑顔で、ついつい許してしまう自分がいる。

 授業が終わり、私と細田先輩は一緒に帰った。帰り道で定番の今川焼を頬張りながら、細田先輩は聞いてきた。
「みとちゃん、最近何か悩んでない?」
「え、な、な悩んでなんてないですよ」
「もう、みとちゃん可愛い。恋の悩み?」
「ち、違います。からかわないで下さい」
 ニコニコしていた先輩はまるで後輩のような可愛いさがある。何かしてあげたくなるような愛嬌が母性本能をくすぐる。先輩はしばらく歩いていると、真面目な顔つきというか、真剣な表情に変わった。
「今日ね、学内で世中君に会ったよ」
 私はあからさまに顔に出していただろう。気不味いと。もちろんそれは言葉に出せない。
「彼ね。後悔してるみたいだったよ。何かを失った喪失感っていうのかな? 見ていて不憫だったよ。でもみとちゃんの気持ちには気付けていないみたいかな。あーもう。男の子って何でこうも鈍いのかなー」
「細田先輩。もう世中先輩の話はしないって約束したじゃないですか」
「まぁまぁ。こんな偶然なかなかないからさ。神様のお告げかもよ。何かね、久しぶりに世中君見てさ。結構大人な感じだった」
「はい。きっと社会に出て仕事して、色々勉強されたんだと思います。それに神様の仕業だとしたら意地悪過ぎです」
 私は突っぱねた態度を取ってしまう。だって仕方なかった。あのまま話していたら、きっと泣いてしまっていた。私の心は今はぐちゃぐちゃになっている。
「私ね、神様はいると思うの。でもただ願い事を叶えてくれるだけじゃないとも思ってる。知ってた? 神様って、乗り越えられない壁は与えないんだよ。だからさ。みとちゃんにも乗り越えられるギリギリの壁が今目の前にあるんだよ」

 細田先輩の言葉は、ただ可愛いだけじゃなく、綺麗だった。嘘を感じない、真っ直ぐな言葉。私の一番好きな事だ。それに比べて私は、あの時後悔しないって決めたのに、まだ未練たらたらだ。成長してないよね、私。
「そうしょげないの。どう? 一杯行っとく?」
「もぉ、私まだ未成年ですから」
「だってもうすぐ二十歳の誕生日だから良いじゃない」
「駄目です。ちゃんとケジメをつけてからご馳走になります」
「あ、奢ってもらうのは前提なのね」
「そういう意味じゃなくて」
 不思議だ。細田先輩はいつでも場を和ませてくれる。それでいて大事な事は誤魔化さず、時には道を教えてくれる。そんな所が世中先輩に似ている。いや、違う違う。そんな考え方じゃ駄目だ。もっと強くならなくちゃ。

 家に着き、スマホをチェックすると、新入生歓迎会のお誘いが来ていた。
「新入生、絶対世中先輩来るよね。どうしよう。二年のゼミ長だから参加しなきゃだよね」
 はぁ、気まずい。でもちゃんとケジメつけなきゃだ。この気持ちをスッキリさせるには、先輩と距離を取るしかない。改めて日付を確認すると、飲み会の日は私の誕生日の前日だった。
「ギリギリお酒、飲めないな」

 新入生歓迎会当日。講義も終わり現地集合の居酒屋に早めに到着した私は、段取りやコース内容やらを確認していた。あれから今日まで、ちょうど一週間。私は一言も世中先輩と話していない。この調子でいけば、忘れられる。きっと新しい自分になれる。これも神様の試練だよね?

「ねぇねぇ田中さん、飲まないの?」
「私まだ未成年ですよ。ジュースでも楽しいです」
「もー、ノリ悪いなぁ」
「じゃぁ新入生を代表して、浜田、踊ります!」
「良いぞー」
 大学の飲み会らしい飲み会のテンションだった。私はちょっと苦手なんだよな。こんな雰囲気。でも二十歳未満の子は呑んでないから、健全なゼミで良かった。辺りを見渡すと、世中先輩はまだ来てなかった。やっぱり顔合わせずらいよね。でも私も助かる。

 滞りなく歓迎会も終わり、みんなと解散した。周りでは二次会に行く人もいたみたいだけど、私は一人で歩きたい気分だった。どこともなくただ歩き、終電ギリギリまでほっつき歩いてた。ただひたすら赴くままに、ぼーっとしながら歩いてたら見たこともない場所にいた。
「迷った?」
 すぐにスマホの地図で駅を確認すると、だいぶ離れている。とりあえず駅に向かうが、何故か足取りは重かった。こんな気持ち、どうしたら良いのだろう。心の中はぐちゃぐちゃで、本当の気持ちが見つからない。早く忘れたいな。しばらくするとコンビニがあり、店内の時計の針が目に入る。
「あ、日付変わってる」
 寂しいかな、私は見知らぬ街の夜道で、独りぼっちで二十歳の誕生日を迎える。なんか急に悲しくなってきた。
「お酒、飲んでみよっかな」
 コンビニにある一番弱そうな甘いお酒を買ってみた。横の駐車場で一口飲む。う、美味しくない。苦いとか、不味いとも違う。それでも今は、酔ってみたいという気持ちが勝っていた。ちびちびと飲んでいたら、だんだんと眠くなってくる。
 なんかどうでも良くなってきた。昔の事とか、今の事とか。もう、寝て、しまおう。

 私はもう夢の中にいるのだろうか? 初めて手を繋いだあの夏の思い出が、脳裏に鮮やかに映し出された。

 三年前の夏。私と一美ちゃんと世中先輩の三人で海に行った。強い日差しは水面を照らし、青いシャンデリアのように煌めいていた。砂浜で腰掛ける私は、パラソルの下で暑さにやられていた。この日は最高気温三十四度の灼熱で、私はぼんやりと海を眺めていた。そこにひと泳ぎして戻ってくる先輩はこう言った。
「大丈夫か、田中。まさかこんなに暑くなるなんてな」
「はい。何とか元気ですよ。でもごめんなさい。泳げなくて。そもそも私運動全般が苦手で、特に海は一度溺れた事があるから、入いるの怖くて」
「そうだったのか。そりゃ無理には入れないよな。そういえば山下はどこ行ったんだ?」
「一美ちゃんは今ホットドック買いに行ってますよ」
「な、あいつこのクソ暑い日にホットと名の付くものを食べようとしてるのか。信じられん」
「誰が信じられないですって。あんた達の分もちゃんとあるから、ホットな時間を過ごすわよ。それよりさ、どう? この水着。今日のために新調したのよ。ほれほれ」
 一美ちゃんは胸を寄せて先輩に近づいていく。私にもこんな勇気あったら良いのにな。先輩は目のやり場に困りながら一美ちゃんの猛攻を寸前で避けるも、砂に足を取られて盛大に倒れてしまった。そしてその身体は私に覆い被さった。
「痛ててて。大丈夫か、田中、わっ、ご、ごめん!」
 私は大丈夫じゃなかった。先輩の両手が私の胸にピッタリフィットしていた。私は恥ずかしさと暑さのせいで頭に血が上り気絶してしまった。

「んん」
 私は目を覚ますと、何故か先輩に膝枕されていた。目の前には先輩の顔が近くにあってドキッとした。
「あぁ、目が覚めたか。悪いな、いつもハプニングばかりで。というか膝枕って普通逆だよな?」
「そうですね。でも何で膝枕してるんですか?」
「あぁ、なんか近くにいたおじさんが、頭に血が昇らないように寝かせてやったら良いんじゃないか、って言っててさ。それでこうなった」
 変な状況にクスクス笑いながら、この感じを楽しんだ。しばらく横になっていると、私はお腹にベトベトした感覚がある事に気付いた。
「血?」
「それはさっき転んだ時にホットドックのケチャップがついちゃったみたいでさ。ごめんな。そうだ。それを洗い流すついでに、ちょっと海に入ってみないか? 身体も少し冷えると思うし、きっと楽しいぞ」
 私はちょっと怖かったけど、先輩となら安心出来ると思ってその話に乗った。恐る恐る海に入れた足は、ひんやりと気持ち良く、不思議な感じだった。すると前で先輩が手を差し伸べてくれた。
「怖いんだろ。手握っててやるからさ、こっち来いよ」
 私は先輩の手を握り、肩まで浸かる位置まで来た。ちょっと怖かったけど、繋いだ手に絶大な安心感があった。海はヒンヤリしていたけど、手と手の中は外の気温と変わらなかった。

 しばらくすると海にも慣れて来て、プカプカ浮いて楽しんでいた。泳がなくても海が楽しめるのは大発見だ。一美ちゃんはパラソルの下でサングラスをして、優雅に眠っているみたいだ。
「田中、俺飲み物買ってくるわ」
 先輩は一足先に浜辺へと向かった。私は海に入れた事が嬉しくて、ついつい調子に乗って沖の方まで進んでいた。そして急に足がつり、そのまま溺れてしまった。
「助け、わぷ、助」
 声が出ない。息が出来ない。苦しい。小さい頃溺れた時の恐怖が蘇ってきた。誰も気付いてくれない怖さ。抗えない深い青。そのまま息が続かなくなり、私の記憶はそこで途切れた。

「田中! 田中!」
 私は誰かに呼ばれている。良い響の声だ。私はこの声が好きだった。薄っすらと目を開けると、水浸しの世中先輩が私の肩を揺らしていた。
「良かった。やっと見つけた」
 どうやら私は溺れた後、運良くどこかの海岸に上がってきたみたいだった。
「心配したんだぞ、急にいなくなって。目を離して悪かった。怖かっただろうけど、もう大丈夫だそ」
 先輩はいつも優しかった。いつも助けてくれる。いつも誰かを救ってくれる。私はきっと先輩に対して、好きという気待ちより先に憧れの気持ちがあるんだと思った。
「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「そんな事どうだって良い。命があって本当に良かった。ほら、立てるか」
 先輩の手を握って起き上がる。またあなたは私を見つけてくれた。この先どんな事があっても、どこで私が困ってても、見つけ出して欲しいな。そう心の中で呟いた。
 結構遠くに流されたみたいだ。一美ちゃんのいるパラソルが遠く小さく見える。その間先輩は、ずっと手を握ってくれていた。その事が嬉しくて、つい強く握ってしまった。
「あ、ごめん。ずっと握ってるの変だよな。もしかしたら怖いかと思って。その、大丈夫なら離すけど」
 私は大きく首を振った。しばらくその優しさに甘えたかったから。

 あの夏の日、初めて握った掌は、私をどれだけ掴んで離さなかっただろう。このまま離さないでいて欲しいと、心の中で強く思った。

 ほわほわした頭の中で、ぐるぐる色々思いが巡る。何でこんなことになったんだろう。壁を乗り越えるって何だろう。こんなに悩んじゃってさ。良いじゃん、もう。忘れようよ。このまま突き放そうよ。神様の与えた辛い壁だって、ちゃんと乗り越えてやるんだから。

 ん、何か聞こえる。朦朧とする意識の中に、声が入ってくる。誰かが呼んでる? この声、聞いたことある。暖かくて優しい声、私はこの声が好きだった。
「田中、田中大丈夫か!?」
 私が目を開けると、目の前に汗だくの男が立っていた。
「世中、先輩?」

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