いつまでも,いると思うな家に嫁

文戸玲

その男性の名は中村さん

 中村です,と名乗った男性は私と同じ飲み物をバーテンダーに注文した。

「ジントニックですか。お酒はお好きですか?」
「人並みに好きです。特にここのお酒と料理は特においしいですから」
「それはお目が高いですね。私もここがお気に入りで,近くに来たときには必ず立ち寄ります。こちらにはよく来られるんですか?」
「お店を知ったのは最近です。でも,常連になってしまいそう」

 ちらっとバーテンダーの様子を盗み見ると,彼は作ったジントニックを中村さんに出すところだった。その顔の表情からは何を思っているのかがつかめない。まるで,蒸気のような人だ。確かにそこにはあるのに,つかんだ感触が全くない。それなのにぬくもりは感じられる。

「もしかして,トオルさんのことを気に入ってます? 彼女持ちだからややこしいことにならないようにしないとね。でも,確かに彼は魅力的だ。男を見る目もあるんだね」

 中村さんの一言に胸が針で刺されたように反応した。グラスを手に取り,煽るようにしてジントニックを飲み干す。
 そうだ,私は完全に思い込んでいた。考えてみれば,こんなに素敵な人に恋人がいないはずがない。少し離しただけで女の匂いがしないと勝手に思い込み,都合のいいように解釈していた。目の前のバーテンダーには恋人がいる。愛し合っている人がいる。その事実を突きつけられたとき,初めて私は彼に恋をしていたのだとはっきりと認識した。そして,失恋をした。こんな気持ちは久しぶりだった。


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