黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜
a sequel(26)〜ヤト〜
お裾分けも忘れ、一人酒に洒落込もうとする聖女。
扉の外でいつでも飛び込み聖女を支えると待機するチェチリアとノルデ。
再び聖女として歩み出したカズキを追う、両王家の者達。
銀月が丸く輝き、その全てが集う夜が来た。
部屋の様相は変わっていなかった。
ただ以前より暗く、幾つかある蝋燭の光は心細い。月明かりも無く、人によっては恐怖を抱くかもしれない。
しかし、カズキには関係ない。軽く見渡すと目的の場所へ歩き出した。バレたらマズかったが、チェチリアの態度で安心したカズキは落ち着いている。扉から右側に並ぶ棚の奥に突っ込んだはず……記憶を頼りに腰を屈めるカズキの瞳は嬉しそうに左右に動く。
「……何処、だ?」
もう一本はすぐに見つかった。美味かったが身体には合わなくて、眠ってしまったのだ。今回は先に手をつける訳にはいかないだろう。
「あれ?」
間違いなくこの辺りに隠した筈だと、カズキは何度も確認する。高級そうな布らしきモノに包まれた銀月の姿が見当たらない。
「……ある、筈」
だってチェチリアも許してくれてるのだし……もう一度最初の棚から探してみようと扉の近くまで戻る。そして眼を皿にしながら、観察を始める。もし側でカズキを見る者がいれば、その凛々しい美と真剣な瞳に息を飲むだろう。その心を知らなければ、だが。
間も無く酒盛りが始まる、そんな時間……だが、その全てが変わる事になる。
それはカズキの後ろに在った。
ギシ……
カズキの耳に何かが軋む音が届く。
背後に並ぶベッドだろう。そういえば入院患者がいるなら静かにしないと怒られてしまうと暫くジッとしてみる。そして恐る恐る様子を伺うと、合計八つのベッドがあるのが分かった。しかし眠っているのは五人で、残り三つは誰もいない。
どうやら眠ったままの様だ……ホッとするカズキだったが、ふと不自然な事に気付いた。以前に訪れた時は昼から夕方にかけてだが、あの時も全員が寝たままだった気がする。今は確かに夜だが、深夜という訳ではない。雨音も激しいし、先程は扉をガチャリと開けて入って来たのだ。
一人くらい起きていてもおかしくないし、誰一人自分に気付かないのは不思議だなと思う。
暫しお宝探しを中断し、様子を見に行く事にした。気になって酒も楽しめないし……そんな事を考えながら足音を抑えて近づいて行く。
そう……聖女は歩み出した、前へ。
カズキは知る。
そして動けなくなって、立ち竦んだ。
声が聞こえた……それは、か細くて小さい。
少しだけ高く、力を感じない。
でも、間違いなく聞こえたのだ。
さっきまで物音すらしなかったのに、彼等の顔を見た瞬間に耳に響いてきた。
痛い……
助け……聖女、さ、ま……
苦しいよ……
そして……涙が流れ出るのが見えた。暗い部屋なのに、何故か光って落ちていく。
目を閉じ眠るのは、小さな子供達。
カズキから見れば小学生くらいの男の子と女の子が苦しそうに横たわっていた。すぐに酒のことなんて頭から消え去って、ギュッと爪が喰い込む程に指を握り込む。
そして一歩、二歩と子供達の元へ……
黒神の聖女……カズキは皆に寄り添うように、包む様に、其処に立った。
「陛下、西街区の治癒院です。到着しました」
開いてある伝声管から護衛の騎士の声がした。
「分かった」
かなり大型の馬車に合計5名の姿があった。雨音はするが声を遮る程ではない。王家専用である以上、防音や矢除けは当たり前に備えている。
「さて、此処が目的地だ。ラエティティよ、謝罪は後でさせて貰う、今は許して欲しい。そして、詳しい説明も言葉を幾つ重ねようとも、今は信じられないだろう。だから、君達の目で全てを知る事こそが答えとなる」
「カーディル王、此方に聖女様が?」
ガラス窓から見える建物は決して立派とは言えない。治癒院と聞いている以上当然とは思うが、聖女の座す場所として相応しくないのではと考えてしまうのだ。ましてや北の街でなく、このリンスフィアにいたなど、王城から大した時間も経過していない。
「ああ、間違いないな?」
「はい、共にいる者の言付けがありました。それに……あれはノルデの愛馬です」
アストも逸る気持ちを抑えつつカーディルの問い掛けに答えた。
「兄様、チェチリア様が……」
雨の中、チェチリアが玄関まで迎えに出ていた。屋根はあるが、風雨は激しく老治癒師を守ってはいない。しかし変わらぬ矍鑠とした姿勢は揺るぎなかった。
「待たせては悪いな……女王陛下、ヴァツラフ王子、参りましょう。聖女の元へ」
見れば追随していたもう一台の馬車からクインとエリも降りて、チェチリアの元へ駆け出すのが分かった。何かあればカズキの世話が要ると、クイン達にも来て貰っていた。まあ断ってもついてきた可能性は高いだろうとアストは思っている。
「はい……」
両開きの扉を開けば、遠かった雨音が耳に届く。僅かな距離でも雨に塗られるのは間違いないが、無論リンディア騎士団がそれを許しはしない。
両脇に整列し、まるで隧道を作る様に治癒院まで道を作る。真新しいマントで屋根を構成し、作られた道から雨は止んだ。地面には大量の大鋸屑が撒かれ、水分を吸収させている。石畳にはもう僅かな水分しかないだろう。
それを見たラエティティは少しだけ息を飲んだが、今は気にしている場合ではないと歩みを進める。カーディル、アスティア、ヴァツラフ、そしてアストが続き、両王家の全員が治癒院に到着した。
「チェチリア様!夜分にごめんなさい。あの……カズキは、来ていますか?」
ラエティティは居てもアスティアは我慢出来なかった。玄関から入り思わず聞いてしまう。
「アスティア様、カズキ様は来られていますよ」
「そう……やっぱり……カズキは知っていたのね……」
「きっと、祈りが届いたのでしょう。あの子達の命の炎は消え掛かっています……この雨の中でさえ、カズキ様は聞き届けて頂いた。もうそれだけで、あの子達は……カーディル陛下、お久しぶりです。この様な場所まで……狭いところですが……」
「チェチリア、此処は今や聖殿だよ。君が作り上げた治癒院は聖女によって祝福された。なるべくしてなった……そういう事だろう」
「カーディル王?」
「ん?ああ……済まない。この者はこの治癒院で長年人々を癒してきた治癒師、チェチリアだ。そして、1階位の癒しの刻印を持つ使徒でもある」
「癒しの刻印!それは聖女様に連なる……なんて素晴らしい……握手して貰えますか……あっ、い、いえ……わたくしはファウストナから参りましたラエティティと言います。使徒様に出会えるとは光栄です」
「あらあらまあまあ……この様な婆に恐れ多いですわ、ラエティティ女王陛下。気軽にチェチリアとお呼び下さいね。ヴァツラフ殿下、数日振りですか。汚いところですが、どうぞ」
「ああ、失礼する」
誰が見ても老婆には見えない真っ直ぐの背筋で、美しい姿勢のまま全員を案内する。顔を見れば確かに老婆なのに、何故が若返って見える微笑だった。
「アスティア……」
「私も知らなかった……」
実は二人とも知らなかったのだ。チェチリアが癒しの刻印を持つ使徒だと。本人も言わないし、まさかこんな身近にいるなんて……しかし言われてみれば当たり前かもしれない。無償で孤児を預かり、治癒を行うような人なのだから。
カズキもそうだが、癒しの刻印を持つ者は謙虚に過ぎるから困ったものだ。
「聖殿、か……確かにそうかもな……」
「お父様は知っていたみたいだけど……」
「また後で聞いてみよう。今は、カズキだ」
「……そうね」
兄妹は目を合わせ、皆の後に続いた。
駄目だ……
カズキは何度も挑み、そして挫折していた。
あれ程簡単だった癒しの力を感じる事が出来ない。かと言って血肉を捧げたところで意味が無いと理解している。もう"贄の宴"は失われたから、この身体を捧げる事も出来やしない。
どうしたら……
もう一度周囲を見渡した。
変わらず子供達は眠り、苦しんでいる。
なのに、親の姿が一人も見えないのだ。ならばこの子達は……カズキは諦めたくなかった。
泣き顔なんて見たくない、苦しむなんてあっては駄目だ、子供は何時も笑顔を浮かべて……思わず泣きそうになり、細い両肩を自身で抱き締めた。自分にはこの子達を助ける力がある筈なのに、それを感じることも出来ないなんて……
「神いる、なら、助け……」
思わず呟いたカズキはハッとなった。
そう、一人だけ知っている。彼は私を助けたいと言っていた……
「ヤト!」
返事を待つ……そして何処かに現れないかとグルリとその場を回った。
「……ヤト!聞こえ、私!」
「ヤト!!」
「……お願い、ヤト、声」
思わず蹲り、涙がポロポロと溢れていった。
「お願い……」
……仕方がない子だ
「ヤト!?」
ガバリと顔を上げ、カズキはヤトの姿を探す。しかし、何処にも彼は見えない。幻聴だったのか……再び涙が溢れてきた時、今度は間違いなく響く。
……カズキ、君の声に応えるのは此れが最後だよ?僕は君を見守るけれど、困ったら神に頼るなんて堕落への一歩だからね。でも……まだ恩返しは終えてないから……
「うん、うん!分かった!」
……それで用は……まあ、聞かなくても分かるけど
「封印、消して!」
……それは出来ない
「……何で」
……忘れたのかい?封印は君の魂魄を守る為に刻んだんだ。もし呪鎖を解けば、君の魂魄は削れていき、あの時のようにゆっくりと死んでいってしまう。アスティアがまた泣いてしまうよ?
「アスティア……」
……そしてアストは絶望するだろう
「アスト……うぅ……」
……辛いだろうけど、人はいつか死ぬんだ。エントーが眠りを授けてくれて、苦しみから解放される。僕が君の悲哀を包むから、辛い事も直ぐに忘れて……
「駄目!」
……カズキ、我儘は
「ある、でしょ」
……困った子だ、本当に
「分かる、やり方、ある、ヤト、早く」
……何故そう思う?
「ヤト、だから」
……私だから、か
カズキは立ち上がり、誰もいないはずの空間を睨み付ける。もう涙も乾き、シャツも肌を隠してくれた。
……いいだろう、但し此れが最後だ。二度と僕は君の前には現れない。遠くから見守る、それだけだ。
「うん」
……強く願うんだ。癒しと慈愛の刻印は決して君を裏切らない。そう教えたはずだよ?君の刻印はちゃんと寄り添っている。神の加護を信じて
「願う……でも」
……もっと強固に、もっと深く、もっと高く、世界に届くように
「分かった」
瞳を閉じて、カズキは祈りを始める。
……君は此の黒神ヤトに勝たなくてはいけない。それが僅かな時間だとしても、封印を破るんだ。僕は君を守りたいから封印を解きたくはない。でも……封印を消すのではなく抗うなら、一時的に魂魄は守られるだろう。でも……
「……でも?」
……私は憎悪と悲哀、そしてもう一つ司る加護がある。だから、コレを
変わらず閉じていた瞳を開き、目の前にある物を掴んだ。今迄気付かなかったのに、こんなところにあった。
それは白い布に包まれている。中は液体で満たされているのだろう、チャポンと音がする。感触はガラスの瓶だ。知っている、名を銀月。
「……お酒」
……それを飲み、首と胸の刻印に振りかけるんだ。せめてもの手助けだよ
「いいの?」
……ああ、僕の最後の加護はなんだ?
「……痛み」
……抗うなら覚悟しないと、分かるね?
「そんな、の。関係、なし」
……だろうね、君はそういう子だ。では、始めなさい
コクリと頷き、包んでいる布を取り除く。白く濁った瓶には、サラサラとした酒が満たされている。色は分からない。
コルクに近い蓋を取り除き、強い香りがカズキの周囲を満たした。強い酒精とやはり強い清涼感。少し薬を思わせる匂いだった。見れば僅かに濁っただけの透明に近い酒だ。
そして、カズキは、瓶を傾けて喉へ流し込んだ。
うぅ……あ、ぐ……
もう少しで孤児達が眠る病室、つまりカズキがいるはずの扉が見えた。
ほんの少し、気のせいだと言われたらそうかもしれない。でも、アスティアはハッとする。隣りのアストも気付いて頷いた。
間違いなく聞こえたのだ。
あの扉の向こう。
「どうした?」
足早に全員を追い越し、兄妹は我先にと扉に飛び付く。
「カズキの声が聞こえたんです。苦しんでる……早く……」
「この奥に聖女様が……」
ラエティティの緊張は頂点に届いたが、其処に喜びは混ざらない。聖女が苦しんでいるなら、何としても助けないと……ラエティティもヴァツラフを見て、そして強く想う。
「行こう」
アストは目の前の障害、カズキへの道を遮る扉を押し開く。もう二度と泣き顔なんて見たくはない。寄り添うくらいしか出来なくても……
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