黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(20)〜盲信の功罪〜

 




 "主戦派"


 聖女カズキが救済を果たす前、そう呼称される者達がいた。それを知る者の殆どは、狂人の集団だと思っているだろう。彼等が起こした数々の事件や凄惨な行いを見れば、狂人の謗りから逃れられない。


 だが、その狂気を回す原動力は何だったのだろうか。


 残された当時のリンディア王国公文書には、身近な者……愛する配偶者や想い人、子供や親などの近親者、友や仲間の命を奪った魔獣への強い憎悪が生み出した「復讐心」だと記されている。


 ある一面で、それは正しい。


 例えば、リンディア王国の重鎮であったユーニード=シャルべは、騎士であった息子アランが死した後に狂った。元々は大変有能で、厳しくも民と国を想う軍務長だったのだ。


 後に主戦派の首魁となり、獄中で自死するその時も魔獣に怨嗟の言葉を吐いていたと言われる。


 しかし、もう一つの面に注目する者は少ない。


 批判の向きもあるだろうが、指摘しておきたいと思う。


 復讐心と同等の、いや時にはそれを上回る力の源。それは……神々への強い信仰心だ。


 前述のユーニードは、獄中でも神々への祈りを欠かさなかったと言われる。魔獣との戦いで最大の犠牲者を出したリンスフィア防衛戦で、避難民溢れる街に魔獣を誘導した騎士達は口々に「聖戦」を叫んでいた。余りに馬鹿らしいが、彼等は聖女カズキの望みを叶える為と心から信じていたのだ。


 偉大なる神々がいなければ、世界は無に包まれる。当たり前の事であるが、私達はそれを享受し日々を生きているのだ。


 だが、神は無償の加護を与えてくれるのだろうか?


 答えは、否だ。


 それを示す寓話は枚挙に暇がない。


 例えば……聖女カズキへ加護を授けた黒神ヤトが司るのは、憎悪、悲哀、痛み。彼の使徒には絶望の内に死んだ者、復讐心に飲まれて正気を失った者、殺戮に狂った者も多い。


 ならばヤトは邪神なのか?


 やはり、答えは否だ。


 理由は数あるが、最も分かり易いのは聖女カズキの救済だろう。救済を果たした聖女の元へ降臨し、傷ついた身体と魂魄を癒したのは余りに有名だ。


 つまり、神々は人に加護を授けるが、結果を導き出すのはあくまでも人。加護はきっかけでしかない。


 主戦派を代表する者達が、道を違えた理由……


 それは過ぎた信仰心……そう、それは"盲信"と呼ばれる。


 聖女カズキや主戦派は今を生きる私達に教えてくれている。


 どんなに優れた頭脳であっても、誰にも負けない強靭な身体を持とうとも、"盲信"は道を迷わせ正しき道を導くこと……其れを妨げるのだと。




 〜黎明の時代 聖女カズキの軌跡〜


 第五章 血と鉄の時代 より抜粋


















 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○








 3回目の会談も終了し、ラエティティは随分と慣れた部屋に帰っていた。


 会談自体は順調と言っていいだろう。


 カーディルに開戦や占領の意思はなく、友好的に進めるつもりなのがよく分かる程だ。潤沢となってきた医療品やククの葉が提供される替わりに、特産の塩を渡せばよい。また、南の森……ファウストナから見れば北の森を共同で開拓していくことでも大筋で合意。更にはリンディア騎士団とファウストナ戦士団の模擬戦闘を含む訓練も実施する予定だ。


 幾らかの物質は先行して王都リンスフィアを発っている。数日後にはファウストナに到着し、此方からの指示も伝わるだろう。


 つまり、順調なのだ。順調なのだが……


「おかしいわね……」


 その独り言はヴァツラフに届き、書類を整理していた手を止める。


「母上、何か言ったか?」


「先程のアスティア王女よ。貴方は不自然に思わなかったの?」


 此処に戻る途中、二人は侍女を伴ったアスティアに出会ったのだ。それは間違いなく偶然だったが、数日ぶりの出会いに会話が弾んだ。その会話の中には当然聖女カズキの話題が上ったのだが……


「そうか?前と同じ、如何にも大国の王女だと思ったくらいだが」


 治癒院で初めて会ったヴァツラフにとって、王女は歳下でありながらも尊敬に値する王族だと思える相手だ。凛とした立ち姿、所作、何事にも臆さない精神、勿論美貌だって飛び抜けている。リンディア王家独特なのであろう銀髪は、夕陽に照らされても輝きを変えたりしない。


「ヴァッツ……貴方は戦闘に於いては一流なのだろうけど、人を知る事を学びなさい。全く……恋の一つくらいしないと駄目なのかしら……」


「仕方が無いだろう。人と相対する以上に魔獣と戦ってきたんだ。大体、余計なお世話だ」


「あの娘とはどうなの?」


「……別に何でもない。そもそもカーラは他国の侍女だぞ?ましてやアスティア王女のお気に入りだ。下らない諍いの種をまくのも馬鹿らしい」


「カーラとは一言も言ってないけど?」


 明後日の方を向き、反論すら止めるヴァツラフは賢いのだろう。慌てて言葉を重ねればラエティティに揚げ足を取られるのは明らかなのだ。言葉の応酬でラエティティに勝った事など一度もない。


「ふふ……話を戻しましょう。さっきの王女はやはり不自然に思うわ。貴方が集めた情報から見て、カズキ様への想いを教えてくれるかしら?


「そうだな……自他共に聖女の姉、というところか。溺愛振りはかなりのもので、その想いも深いのだろう。お揃いの服を揃え、何時も一緒にいるらしい。それに、あの日も王女に諭されたくらいだ……聖女の前では我等は等しく同胞なのだと」


 其処には間違いなく怒りが篭っていたな……ヴァツラフは数日前を思い出していた。


「概ね合ってるわね。じゃあ、もう一度思い出してみなさい」


「そうだな。聖女の話をする時は……言葉を選び、慎重だったか。それと」


「それと?」


「確証は無いが、哀しげだった……と思う」


「あら? ヴァッツも中々やるわね、其処に気づくなら上出来よ」


「茶化さないでくれ。今は遠くの街にいるんだ、寂しくもなるだろう。別に不自然とは思わないな」


 ファウストナから同行してきた女官がお茶を用意し、二人の前に並べる。クインなどと違い、会話には一切入らず、壁の花へと戻った。王族の会話は耳に入っても記憶に残さない。それが女官に課せられた義務の一つだ。


「ヴァッツ、矛盾してるわよ?貴方はさっき如何にも大国の王女だと言ったじゃない。なのに、他国の私達を前に子供染みた感情を見せる?私から見てもアスティア王女は立派な王族だわ。それなのに肝心要の聖女について隙を見せるなんて……何かあるのよ」


「何か、とは?」


 お茶に口をつけ、ラエティティは僅かに沈黙した。


「カーラ……あの子も……」


「やめてくれ……冷やかしなんて必要は」


「カーラの名前を聞いた事はある?」


 偶にあるラエティティの会話の暴走にヴァツラフは辟易したが、仕方なく答える。


「いや、そういえば聞かないな……普通の名前の筈だが……実際には」


「当然よ。アレは偽名、多分間違いない」


「はあ?」


「パウシバルの指輪……リンディアの古い物語よ。そこに描かれる聖女の名が、カーラ。そして、古来より聖女の名を騙る事は嫌悪されるの。それはどの国も例外はない。ましてや、パウシバルの指輪は此処が舞台よ」


 彼女の知識は、コヒンすら及ばない頂きにまで到達していた。簡単に言えばリンディアが幼い時より好きで、数え切れない数の文献等を見てきたからだが……物事を愛した時、それはとてつもない力を齎すものだ。アスティアはなんとなく名付けたし、クインすら深く考えたりしなかった。まさか他国の女王がリンディアを誰よりも詳しいなど想像出来ないのだから。


「……それで?」


 ラエティティが何を言わんとしているのか、ヴァツラフにはさっぱり分からなかった。


「カーラの瞳の色、分かるでしょ?」


「色?」


 酒の聖女の瞳なら間近に見た。子供をあやす様に空中を舞い躍らせたのだから。その笑顔と共に強く記憶に焼き付いている。


「そうだな……深い緑、光によっては若草の様な」


「或いは……翡翠色、ね」


 翡翠色の瞳……それは最近何度も聞いた。そう、聖女カズキの瞳は美しい翡翠色だと聞いている。


「何を言って……それは聖女カズキの……」


「アスティア王女は哀しげだった。そうよね?」


「おい……話をどんどんすり替えないでくれ。頭がついていけないだろう……」


「すり替えてないわ。カズキ様とカーラは深い関係がある……アスティア王女はカーラを大事に想ってるのは間違いない。態々街まで迎えに来たし、何時も気に掛けてる」


 話しながらだったが結果的に頭が整理され、ラエティティはある結論に達しようとしていた。そして、確信へと変わっていく。


「もういい、早く答えを言ってくれ……頭が痛くなる」


 溜息をついたヴァツラフを見て、ラエティティも肩から力が抜けた。


「もう……少しは付き合いなさいよ」


 そして、ラエティティは答えを口にする。何処か哀しい色を纏って。


「あくまで予想だけど……聖女カズキ様は……」


「なんだ?」


「お隠れになった」


「お隠れ……?」


「……亡くなった、そういう意味よ」


 ヴァツラフは口をポカンと開け、自らの母を眺める。


「死んだ?聖女が!?」


「馬鹿!大きい声を出さないで!」










 もう一つの可能性は勿論頭に浮かんだが、ラエティティは即座に否定した。


 聖女とは尊く、美しく、一目見れば幸福に包まれる。王女アスティアよりも洗練された所作、儚い微笑、万人に届く慈愛。幼くとも母、いやそれ以上の愛を抱く。5階位の刻印を刻まれた使徒は、もはや人を超え神々と同一だ。


 それがラエティティにとっての聖女であり、全ての真実だった。決して違う事たがうことは無い。


 恥ずかしくて言えないが、もし出会えたなら……その胸に抱き止めて、苦難を乗り越えた自分達を包んで欲しいと夢見ていた。ずっと昔、母が抱き締めてくれたあの日の様に。


 カーラは確かに美しい娘だ。瞳はそっくりかもしれない。


 しかし、まるで少年の様な彼女は聖女とは対極だろう。ヴァツラフの証言からもそれは明らかだ。酒好きで、女から男を誘うなど語るまでも無い。


 だから、もう一つの可能性に至ったのだ。


 それなら全てに説明が付く、付いてしまう。


 聖女の死という世界の悲劇は既に起きてしまったのだろう。そして、リンディアはそれを隠蔽している。


 ラエティティは結論に達した。












 余りの衝撃に動けない。ヴァツラフは何かを言わなくてはと思っても、縫い付けた様に唇は開いてくれないのだ。


「そう考えると辻褄が合うのよ……予定通りに到着してみれば聖女様は御不在。聞けば、北部の街に旅立ったと。おかしいでしょう?専属の侍女は残っているし、最高戦力のアスト王子もケーヒル副団長も護衛についてない。私達よりも余程大切な聖女様を差し置くなんて考えられない」


「……他にも騎士はいるだろう。森人も」


「そうね。でも理由は他にもあるわ」


 ヴァツラフだってそれは分かっている。


「一つ目」


 細い指を立て、ラエティティは蕩々と言葉を紡ぐ。


「さっきも言ったけど、アスティア王女の態度。北の街に行っているだけなら、言葉を選ぶ必要も無いし哀しげな感情を感じさせたりしない。もしカズキ様が帰って来ないなら、それに納得出来るでしょう」


「二つ目」


 二本目の指には、亡き夫から贈られた指輪が光る。


「今は隠す理由もある。復興の最中に旗印、いえ希望そのものの聖女様がお隠れになったなど公表出来ない。立ち上がる力は再び衰え、下手をすれば内紛や王家への反発を招くでしょう。そして、ファウストナとの会談には本来欠かせない方だった」


「三つ目」


「幾つかの証言を集めれば分かる。救済を果たすため、カズキ様は大量の血肉と片腕すら捧げたの。そして何より……尊い聖女様の魂魄も。ヴァッツ、街の声は?」


「ああ……アストに抱き抱えられた聖女は、千切れた肩からは血も流れず、身動ぎもしなかったらしい。顔も白くひび割れ、力なく体を預けていたと」


「奇跡が起きて一時的に回復したとしましょう。でも身体は私達と同じか弱き肉体でしかない。ましてや少女、貴方みたいに鍛えられた戦士でもないのよ?その後悪化したとしても何もおかしくないわ」


 確かに……ヴァツラフは少しずつ理解していく。


「四つ目」


「カーラの存在。アスティア王女は悲しみに暮れたでしょう。何よりも大切だった妹が死んでしまったら、拠り所を探すのは当然よ。あの子は髪こそ違うけど瞳はそっくりな筈。もしかしたら……カズキ様の身内なのかもしれないわ。親戚か、或いはもっと近い近親か」


「それになんの意味がある?」


「……言いたくないけど、一種の身代わりね。瞳は同じ色をして、名前はカーラ。だから物語に描かれた聖女の名を付けたのよ。普通は考えられない、聖女の名を付けるなんて。流石にカズキ様の名前そのままでは許されないでしょう?だから誰よりも大切にするし、同時に街へは行かせたくない。何処から真実が漏れるか分からないから」


「そういえば……アストも随分焦っていたな。違和感を覚えたが、それが理由か……」


 だが、あの嫉妬はなんだ?間違いなくアストはカーラを連れ出した自分に嫉妬していた。まさか聖女の死から僅かの間に想う相手を変えたと?ヴァツラフは何処か釈然のしなかったが、ラエティティの五本目の指が立って気を取られる。


「最後、五つ目ね」


「まだあるのか?」


「ええ……カーラの肌、そして首回りの包帯ね。聖女カズキ様は首回りに刻印が刻まれているそうよ。カーラの肌は赤く爛れ、もしかしたらあった刻印が消えたと言い訳でもするつもりで……つまり、本当に身代わりにするのかもしれない」


「カーラに聖女を演じさせたいと?」


「そうよ。いつ迄もカズキ様が不在では不自然でしょう?私達が帰ったあと、あの子をベランダに立たせればいい。救済を果たした聖女様は身体に不調をきたしていると噂を予め流して、ね。万が一近くで見られても、瞳は同じ色だし刻印のあった肌は爛れている。何より……」


「カーラは言葉が不自由だ……どうにでも出来る」


 言語不覚の刻印が生み出す結果は殆どの者が知らない。カズキのそばに居た者達を除き、国民の大半が知らない事なのだ。アスト達も態々知らせたりしないし、ヴァツラフの耳に入る情報に含まれていなかった。


「そうよ。そして恐らく……本心ではソレをしたくない、嘘なんてつきたくない、カーラはそう思っているのよ。だからあの日、たった一人で街に逃げ出したの。私達が到着する当日によ?それを偶然と片付けられない。私を既に亡くなった母親と間違って走り寄って来た。きっと精神に疲労があって……あの年齢で死の概念を理解出来ない筈はないし。彼女は治癒院に隠れ、泣いていたのでしょう?」


「ああ、涙の跡があった」


「カーラと街を散策したとき、貴方はどう感じたのだっけ?」


「……おかしいと思った。カーラだけが聖女に否定的で、まるで関係ないとばかりに……寧ろ、聖女を嫌ってさえ……」


 証明終了とばかりに、ラエティティは冷めたお茶を飲み干した。


 ラエティティの想定は一定の説得力をもってヴァツラフを納得させる。確かに辻褄が合う……そう思えるのだ。何より、カーラの聖女に対する考えは余りに不自然だ。今まで集めた証言の中には、只の一人でさえ聖女に否定的な者はいなかった。そう、彼女だけを除き……


「ならば……カーラはリンディアに捕らえられているのか?彼女の意思を蔑ろにして、無理矢理に……」


 もしかしたら、あの爛れた肌さえ無理矢理……そんな恐ろしい考えが頭に浮かんでしまう。その恐怖ゆえに逆らえないのだとしたら……力の刻印は怒りの感情に当てられ、ヴァツラフに常人を軽く上回る筋力を与えた。


 バキッ……!!


 気付けば握り締めていたテーブルの端は見事に割れ、割れた欠片すらバラバラになった。


 そして、ラエティティも怒りを覚えている。


 神々の使徒、そして強い慈愛によって救済を果たした聖女カズキ様を利用するのか、と。為政者として聖女不在を隠す考えは分からなくはない。国と国民を愛しているのは、この数日で十分に理解出来た。だが、カズキ様は誰よりも尊いお方……人々が軽々しく触れて良い方などでは無い!


 確証を得られた訳では無いが、二人は怒りに震えて本来の真実には辿り着けなかった。


 ……まさか尊い筈のお方は酒好き酔いどれ聖女で、酒欲しさの子供染みた蛮行だったなど想像の片隅にすら浮かばなかったのだ。真実は遠くにあるようで、意外にもすぐ側に寄り添うもの。


 カーラは別名、酒の聖女なのに。




「今後の会談は、色々と考えて臨む必要があるわね。我等の一線を譲る訳にいかない……神々を愚弄すれば、必ず神罰が降るでしょう」


「ああ……」


 出来るなら、カーラを助け出したい……あの笑顔は自分だけに向けてくれたのではないか?


 ヴァツラフの眼には、強い決意が宿っていた。

























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