黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(18)〜酒の聖女様〜

 










 その酒場は普段以上に盛り上がっている。


 そこら中で乾杯の掛け声があがり、赤ら顔には沢山の笑顔が溢れていた。美味しそうな料理の香りも相まって、幸せと平穏が此処に在ると感じさせてくれる。


 大して広くは無い店だが、掃除は行き届いていて居心地は良い。床も天井も飴色に染まった木材で組まれていて、少ないランプが色を加えている。その店内には10にも満たない丸テーブルがあり、大勢の男達がいて満員の様相だ。店の主人を囲う様に配置された長テーブルには何故か二人しか居ないのが不思議なところだろうか?


 だが誰一人として文句も言わず、距離を置いて邪魔をしていない。


 店の主人…ダグマルは手元で簡単な炒め物を完成させると二人とは反対側の長テーブルにドカリと置いた。


「おい!出来たぞ!」


「ダグマル、客に取りに来させるのかよ!」


「うるせえ!要らないなら下げるぞ!」


「誰も要らないとは言ってないだろう!?仕方ねえ、取りに行くよ!」


「ついでに此れも頼むわ。隣りの馬鹿にな」


「給仕までさせる気かよ!」


 馴染みの客と何時もの掛け合いを済ませて、ダグマルは次の注文へと取り掛かった。因みにエールや水は客自らが自己申告して注いでいる。ダグマル一人では捌き切れないし、皆も慣れたものだ。


 限られた酒、そして料理だけはダグマルが必ず用意している。そこは手抜きをしないし、何よりダグマル自身が好きだからだ。口は悪いが料理の腕と酒への拘りは深く、客足は途絶えない。何よりその裏にあるお人好しの気質は、常連なら誰もが知っているのだ。










「待たせたな」


 コトリとグラスを置き、味付けした豆類と炙った肉を満杯にした皿を用意する。


「しかし、聖女様は本当にいいのか?」


 ダグマルは果実を絞った水をカズキの前に差し出し、おまけだと言いながら追加の氷を落とした。


「聖女様?」


 不可思議な響きにヴァツラフは思わず繰り返した。


「聖女、ない。やめて」


「おっと、すまないな。もう慣れちまって」


「ダ、グマル、じじい、約束」


 以前に黙らせておくと約束したのは自分だろうと、カズキは責め立てる。


「どういう事だ?カーラが聖女なのか?」


 何気に正解を口にしたヴァツラフだが、ダグマルの次の説明に納得する。


「おっ、名前がやっと分かった。カーラ、か。良い名前じゃないか……にーちゃんに教えてやるよ。カーラが何故聖女なのかを、な」


 そして、以前にあった太っ腹な支払いを面白おかしく伝えた。少しだけムスッとしている酒の聖女様がおかしくて、ダグマルは笑ってしまった。


「ガハハハ!まあ、いーじゃねーか!誰も怒ったりしないさ。カズキ様だって笑って許して下さる……多分だが」


「そーだそーだ!」
「我等が酒の聖女様に乾杯だな!」
「おう!」
「では……」
「救済を果たして下さった聖女カズキ様と、我等が酒呑みへ救いを授けたカーラ様に……乾杯!!」
「「「乾杯!!!」」」


「や、やめて!」


 外にはノルデを含む騎士がいるのだ。これ以上の失態をアスティア達に知られれば、禁酒令が強化されてもおかしくない。周りに迷惑にならないよう距離を取っている筈だが、大声なら聞こえるかもしれないのだ……カズキは顔色を変えるしかなかった。


「成る程な。此処はカーラの馴染みの店か」


 ダグマルの店に態々来た訳ではなかった。偶然通り掛かり、更に偶然店先に出て来たダグマルに見つかり、強引に店の中に連れ込まれた。ヴァツラフもファウストナの王子としてではなく、カーラの友人として振る舞っていた。


「おうよ!まあ、来たのは一回だけだが、まだ金は余ってるからな……周りにいる馬鹿達と違って良客だ」


「くっ……言い返せねぇ」
「待てよ、俺達のツケは帳消しに……」
「馬鹿野郎、そんなのは前回で消えちまったよ!」
「な、なに!?」


 周囲の馬鹿野郎達に溜息を吐きながら、ダグマルは続けて話す。


「それに何か印象深い娘でな……口は悪いし、酒呑みだし。だがこの美貌だから忘れる事も出来やしねぇ」


 ちびちびと果実水を飲む少女に目を向けるが、男性からの称賛には全く興味が無いようだ。皿から豆を細い指で摘み、ポイッと口に放り込む。格好から侍女だろうかと思うが、誰一人として信じていないだろう。そんな少年か悪餓鬼のような少女だった。


「しかし……カーラよ、飲まないのか?」


 最初の注文には耳を疑ったものだ。隣りの男には酒を頼んだが、自分は適当な冷たい飲み物をとたどたどしく伝えてきた。逆だろ?と疑ったダグマルは悪くないだろう。もし、アスティアやクインがいても同じなのは間違いない。


「飲み、なし。仕事、頑張って」


 仕事中だから飲まないし、外には騎士が見張ってる……これ以上の失態を重ねるわけにはいかないカズキの台詞だが、ダグマルには理解不能だ。


「前は朝から飲んでたじゃねーか……今更なに言ってやがる……」


「知らない」


 再び豆を摘むと口に放り込む……筈だったが上唇に当て、両手を使い慌てて落ちるのを防ぐ。何気に動揺していたようだ。


「店主、聖女カズキ様を知っているのか?」


 疑問が解けたヴァツラフも提供された酒に口をつけた。美味いなと呟きを足す。


「にーちゃん、へんな事を聞くな?知らない奴なんている訳ないだろう。この店に居る誰もが知っているさ」


「ヴァッツだ。聞き方が悪かったな……会ったり見た事はあるか?」


「ヴァッツか、中々男らしい良い名前じゃないか。母親に感謝しろよ?」


 その母親なら今リンディア城にいるよ、そう返しても良かったがややこしいので止める。


「まあ……俺は遠目に見たくらいだな。何時かは間近でお会いしたいものだがな。この店に居る奴は殆どがそうだぜ?」


「そうか……」


「お前さんも会いたい一人か?最近は聖女の間のベランダにも姿を見せないと、知り合いがこぼしてたが」


 カーディルから聞いているヴァツラフには当然の事だった。リンディア滞在中にマリギから帰って来てくれればいいが……此処で態々は明かさないが、それがヴァツラフの本心だった。


「俺や知り合いも命を救われた。だから、礼の一つくらいしたくてな。会えなくとも、為人ひととなりに興味があるのは当然だろう?」


「ほお……アンタは騎士じゃないし、森人でもない。だが、戦う者だ。その腕やキズ、持つ雰囲気もそう感じる。もしかして、他国の戦士か?」


「ああ、ファウストナ戦士団の一員だ。今はこの国に招かれていて、カーラに街を案内して貰っていたんだ」


「おお……やっぱりか……そりゃすげ……」


「ファウストナ戦士団だって!?」
「なんだそりゃ?」
「知らないのか?女王がリンスフィアに来てるだろ?」
「ああ、あれか!」
「ファウストナと言えば、屈強な戦士団が有名だからな……革鎧と槍、そして陽に焼けた浅黒の肌。昔から有名だぞ」
「おお、確かに良く陽に焼けてるな!にーちゃんも槍を使うのか?」


 ドヤドヤと聞き耳を立てていた森人達が、会話を遮り近寄ってきた。カズキは完全に置き去りだが、気にせずに肉を頬張っている。会話が長いと理解出来ないのも大きい。ダグマルも限界を超えない限り、邪魔をする気はないようだった。


「槍なら得意だな。街中では短槍くらいしか無いが」


「本物かよ!」
「信じられん!生まれて初めて他国の人間に会ったぞ!」


「それは此方も、だな」


 酔いに任せた森人達は戦勝記念だと乾杯を重ね、次々と酒を注ぎ始めた。しかし無類の酒豪であるヴァツラフには関係無い。いくらでもかかって来いとグラスを空けて行った。


 その内に肩を組み、叩き、腕の筋肉を囃し立てたりする。彼らはその相手が貴人たる王子だと知らないから出来る事だろう。もし騎士がこの場に居たら慌てて止めに入った筈だ。因みにファウストナ戦士団なら気にせず飲み続けた可能性が高い。


 その騒ぎが最高潮に達した時、誰かが溢した一言が全員の耳に入った。そして、静けさが支配しはじめる。


「こ、刻印だ……」
「使徒か……」


 はだけた肩口の袖から刻まれた刻印が現れ、森人達は酔いが醒めるのを感じた。かなり有名なその刻印は、戦う者なら良く知っているからだろう。


「力の刻印……間違いない」


 力の刻印……殆どの男達が憧れ、そして恐れた。その加護が舞い降りれば、偉大なる戦士にも成り逆に残虐な殺人者にも変わる。その力は魔獣の腕すらもへし折ると言われるのだ。制御を誤れば人の骨などその辺りに落ちている枝と同じ……


 ヴァツラフは内心傷ついていたが、同時に仕方がない事だと諦めていた。此処は他国で、ファウストナの者ですらそうなのだから。自分から距離を取られたヴァツラフにとっては日常であり、現実だった。


 先程迄の騒ぎはおさまり、ダグマルですら動きが止まっていた。だが……


「刻印?」


 ヴァツラフの背後から響いた涼やかで綺麗な声に、全員が惹きつけられる。


 カズキは立ち上がり、ヴァツラフの前に回り込んだ。


「カーラ……黙っていて済まない……俺は……」


 もし知られてしまったら、この暖かい時間も終わりを告げる。ヴァツラフは心の何処かで否定していた気持ちを自覚するしかなかった。


 カーラとの時間を楽しんでいた、と。


 だがカズキの行動にヴァツラフだけでなく、距離を取った全員がギョッとした。


 徐に袖を捲ると、顔を近づけてマジマジと観察を始めたのだ。挙句にはペチペチと小さな手で叩き、ヴァツラフに問うた。


「力?」


「あ、ああ……そうだ。力の刻印だ……」


「力、強い?」


「まあ、そうだな」


 パァッと表情を明るくすると、カズキは興奮した様に声を荒げた。


「人、上がる?」


「何だって?」


「人!上げて……グルグル!」


 つまり、人を持ち上げてグルグルと回したり出来るかと聞いている様だ。……


「それくらい簡単だ。そこの親父でも出来るな」


 漸く意味を理解したヴァツラフは、ダグマルを指差して返答する。


「凄い!」


「それがなん……」


「やる!」


「なに?」


 カズキ……ヴァツラフから見てカーラは邪魔になるテーブルや椅子を避け始める。それを見れば何がしたいか判ったが……


「此処でやるのか?今?」


 カーラは言葉こそ不自由で幼く感じるが、女性らしい起伏もしっかりとあり、ふとした時に色気すら感じる程の年齢だ。その美貌も相まって情欲を抱く男も多いだろう。準備を終えたのか、再びヴァツラフの前に立った。


 そして両腕を上げ、まるで抱き締める様な格好になった。目を見れば冗談などでは無い事が分かる。


 突然の奇行に全員が先程とは違う意味で静かになった。


 求めているのは家族との愛である事を知らないヴァツラフには、不思議にしか思えないのだろう。逆にカズキの過去を知るアスト達がいれば、その笑顔に痛々しい気持ちを抱いた筈だ。


「まあ、構わないが……」


 両脇に手を入れ、ヴァツラフはヒョイと持ち上げる。まるで重さなどない様な仕草に、周囲は力の刻印の加護を見た。


 女性経験豊富なヴァツラフですらも、余り覚えの無い状態に苦笑いを隠せない。


「グルグル。速い」


 速めで頼みます……真剣に依頼してくるカズキを見たヴァツラフは、仕方が無いと覚悟を決めた。


「じゃあ……やるぞ?」


「はやく!」


 早くしろなのか、速くしろなのか不明だが、ヴァツラフは少しずつ速度を上げて回り始める。


「凄い!好き!」


 俺は一体何をしてるんだ……内心呟くヴァツラフにも気付かないうちに笑顔が浮かぶ。目の前に咲く美しい笑顔が見れただけでも良かったのだろうと幸せな気持ちになった。


「おい!見えてんぞ!」


 速度が上がった時、ダグマルからの声が届いた。最初は意味不明だったが、バタバタとはためく侍女服の裾を見てヴァツラフは理解する。慌てて回転を止めると、身体を抱き止めて床に下ろした。


「終わり?まだ?」


 周囲に居た全員に下着や素肌を見られた筈だが、当人は全く気にしていない。それどころか、もっと回せとせがむ始末だ。流石のヴァツラフも溜息をつくしかない。そして、その姿はお転婆娘に振り回される父親そのものだった。


「ぷっ……」
「クク……」


 我慢出来なくなったのか、森人達が肩を震わせ始める。ヴァツラフが悔しそうな表情を見せた時、ダグマルの店に再び笑い声が響き渡った。


 そして……さっきまであった蟠りは消え、幸せな時間が流れ始めたのだ。


 それを知ったヴァツラフは、何処か不機嫌になった酒の聖女に愛おしさを覚えて思わず頭を撫でる。ゴワゴワとした感触だったが、何故か優しい。


「酒の聖女か……」


 確かに聖女様だ。酒場に舞い降りた使徒だな……更に呟き、クシャクシャと小さな頭を撫で回す。


 ヴァツラフにも満面の笑みが浮かんでいた。

















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