黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(4)〜ラエティティ〜

 








「ラエティティ女王陛下、御尊顔を賜り光栄に存じます」


 一段下がった木床もくしょうに片膝を着いたケーヒルは、流れる様に言葉を紡いだ。視線を僅かに落とし、直接ラエティティの眼は見ない。直ぐ後ろにはフェイが同じ姿勢のまま微動だにせず、やはり顔を下げたままだ。


 ラエティティは場合に寄っては大国を笠に着て、尊大な態度を示すかもと考えていた。それならそれでやりようがあったし、寧ろ組し易いと内心笑っただろう。


 しかし予想は見事に外れ……明らかな強者で有りながらも、礼を尽くす理知的な瞳はラエティティを緊張させた。後ろに控える男も只者では無いだろう。当然だが武器などは装備していない。


「……ケーヒル副団長、顔を上げて下さい。我等は遥か昔より友誼を培った国同士。あの苦難を良く耐え抜かれました。先ずは互いを称えましょう」


「はっ……その言葉、必ずリンディア王へ伝えましょう。突然の訪問にも関わらず、謁見の許可を頂き感謝致します。女王陛下の寛大なお心に神々の御加護がありますこと、祈りを捧げさせて頂きましょう」


 ラエティティは更に緊張を覚える。先ずリンディアの王が指揮している事、そして予想通り目の前の男は王へ直接進言出来る立場の者である事だ。しかも明らかに謙った言動は何を意味するのか……


「リンディア王……リンディアを治めるお方、さぞ偉大なるお人なのでしょうね」


 言葉を震わせないよう、それを気付かれないよう短く済ました。そして、これも予想通り副団長は視線を全く逸らす事無く答えた。


「カーディル=リンディア陛下は王の中の王。我がリンディアは魔獣の戦いにも挫ける事無く、此処まで来ました。女王陛下と同じく、国を見事に統治されています」


 王の中の王……やはり大国の力は健在か……


 ラエティティは、初めてケーヒルから大国の誇りと傲りを感じた。


「それは素晴らしいですね。そうですね……先ずはこの者を改めて紹介しておきましょう。顔と名前は既に知っているでしょうが。ヴァツラフ」


「はい、ケーヒル副団長殿、改めて名乗らせて貰おう。俺はヴァツラフ、ヴァツラフ=ファウストナだ。陛下の第二子でファウストナ戦士団団長だ。兄上がいるが、今は生憎の不在。許せ」


「ファウストナ戦士団団長とは……その見事な刻印といい、さぞ魔獣との戦いではご活躍されたのでしょうな。それと急な来訪は我等の非、殿下には心遣い無用とお伝え下さい」


「伝えよう。ケーヒル殿、呼び方は構わんな?親愛の証だ。ああ、ありがとう。それで、隣の者は誰だ。副官か?」


「いえ……この者は森人。リンスフィア最高の隊商、マファルダストの隊長です。森を抜けるには、森人の助力が不可欠。更に言えばファウストナ海王国との情報交換には必要でしょうからな」


「名は?」


「はっ!フェイ、と申します。それと……一つ訂正を、私は隊長では無く、副隊長です。お見知り置きを」


「ふむ?まあいい。では、陛下。時間も限られております。早速、話を詰めましょう」


「そうですね。ケーヒル殿、彼方で詳しく話しましょう」


「はっ」


 後のファウストナはリンディアと硬い絆で結ばれるが、今は未だ互いを探り合っていた。これも聖女降臨により起きた時代の趨勢で、その影響力は大きな流れを生んでいく。




























 玉座から離れ、会談を行う為ケーヒル達は席についていた。目の前には香ばしい香りのお茶が置かれている。深い焙煎を行ったソレはリンディアではお目にかかれない。茶菓子もやはり変わっていて、改めて他国に来たと感じさせた。


 ケーヒルは感慨深く思い、同時に癒しを世界に与えたカズキに感謝する。相手が警戒しているのは理解出来るが、聖女は平和を望むだろう。そしてそれはリンディアの総意でもある。




「魔獣は完全に消えたと?」


「そうです。その証拠に我等は森を抜けて来ました。ご存知の通り、魔獣らは森への侵入を許しませんからな。そして……他にも、判断出来る要因があります」


「確かに……あの日、目の前から魔獣は消えた。それはファウストナの知るところだが、世界全てなど、理解の範疇を超えている」


「では、ファウストナ海王国の情勢は如何ですかな?」


 ラエティティは息を飲む。反対にそれこそが聞きたい事で、同時にこちらの窮状は明かしたくはない。勿論城に来るまでの街を見ればある程度は分かるだろうが、態々教えるのは間抜けな所行だろう。ケーヒルは理知的な男と思ったが、此処まで明け透けに聞かれると、判断を間違えたかと考えてしまう。


「それは……」


 何と誤魔化すか言葉を選んでいた時、ラエティティもヴァツラフすらも驚く発言がケーヒルから齎された。


「失礼しました。人に尋ねるなら先ずは我等が先。リンディアの現状をお知らせしましょう」


「そっ……」


 それは助かるが……何故……?


 ラエティティもヴァツラフも、言葉を失う。しかしケーヒルは意に返さずにつらつらと話し始めるのだ。


「先程お伝えした通り、現王はカーディル陛下。そしてアスト王子殿下、アスティア王女殿下が健やかに育ちあそばれました。アス王妃陛下は7年前、両殿下を守る為魔獣に立ちはだかり、その牙に……しかし王妃陛下の優しいお心は受け継がれております」


 この時代なら盤石と言っていいだろう。ファウストナにも二人の王子がいるのは、心強いばかりだ。


「先の魔獣襲来で、騎士団の半数が戦死、森人もその3分の一が犠牲になりました。襲った魔獣は総数が万を超えましたが……しかし王都リンスフィアは殆ど無傷、城壁が一部壊されましたが問題はありません」


「万、だと……」


 あのリンディア騎士団の半数が死すとは、それだけでも明かしたくない重要な軍事機密の筈だ。半数が死んだのなら負傷者は更にいる……つまり騎士団は壊滅したと同義だ。今も病床は溢れているだろう。


 しかし何より魔獣の数が想像を絶している。ファウストナを襲った魔獣は数百だが、それすら絶望的な数だったのだ。もし万を数える魔獣に襲われたなら僅か一晩で滅んでいただろう。


「はい。今は陛下の元、復興が始まっています。現在各地に我等の様な調査団を派遣して、生き残った人々や嘗ての友好国を調べていました。そして我等は此処にいます」


「失礼ですが、リンディアの騎士団は壊滅したのでしょう?その様な余裕などない筈ですが……」


「女王陛下、恐れながら壊滅などしておりません。半数とは言え、我が騎士団は健在。アスト騎士団長の元、再編成も完了しております。そしてなにより森人の助力は計り知れません」


「癒しの光……あの光はリンディアにも降り注いだのですね?なれば負傷者も……」


「御慧眼の通りです。1人も欠ける事なく癒しは届きました。ではこのファウストナにも?」


「その前に聞かせて下さい。リンディアは未だ……あの強きリンディアですか?」


 ケーヒルは笑みを浮かべはっきりと答えた。


「無論です。寧ろ更に強くなりました」


「そうですか……」


 ラエティティは全てを信じる事は出来ないが、ケーヒルが真実を話していると思えた。どの道、自国だけでは如何にもならない状況なのだ。


「我がファウストナは……魔獣数百に襲われ、戦士団の奮闘も虚しく壊滅寸前でした。今や戦士団は形を成していません。ここのヴァツラフこそ強き者ですが、所詮は1人。後はヴァルハラへと旅立つ時を待っていたのです。全てを諦めた時、世界に白き花が咲き始め……次に目を開いた時には赤い魔獣はただの一匹も」


「俺は丁度魔獣の一匹にトドメを刺す瞬間で、手応えを失って戸惑ったのを覚えている。しかしこの国は疲弊し、もしかしたら在るはずのリンディア王国へ決死の旅を始める時だったのだ。その時ケーヒル殿と出会った訳だ」


「なるほど……」


「先程の話だが、魔獣は間違い無く消えたのだな?森の深部を踏破した皆を疑いたくはないが」


「殿下、一つ誤解を解いておきましょう」


「誤解を?」


 ヴァツラフは消え去った事実に間違いがあるのかと、眉を潜める。


「はい。フェイ、説明を頼む」


「発言をお許しください。殿下、魔獣は森の深部に棲んでいるのではありません。いえ正確には深部だけで無く……ですが」


「森に棲んでいないだと?」


「奴等は地中に棲んでいたのです。地中深く穴を掘り、網を掛けるように森を包んでいました。其れ等は巧妙に偽装され、森人すら知らない事実。掘り進む先に森が無ければ、奴等は溢れて周囲を襲います。それこそが魔獣の生態なのです」


「地中だと……森には根も深く、そんな余裕など……」


「お二人もご存知でしょう。気配無く現れる魔獣、森に特化したとは思えない巨体と体色、次々と溢れる数、その全てが説明出来るのです。そして我等は幾つもの巣穴を発見しております」


「では一度も?」


「はい、ただの一度も魔獣とは遭遇していません。つまり……森は数百年の時を経て、人の手に還ってきたのです。殿下」


 森が人の手に……ラエティティもヴァツラフも、体と心が震えるのを感じた。それが事実なら復興に向けて木材をは初めとする資源を回収出来るのだ。何より、ククの葉があれば沢山の子供達を助けられる。


「ヴァツラフ……」


「直ぐに隊を編成しましょう。ククの葉を手に入れなければ」


「お待ち下さい」


「ケーヒル殿、済まないが俺達に余裕など無いんだ。急ぎ……」


「ククの葉を提供しましょう」


「な、何?」


「ククの葉はフェイ達が多く採取済みです。直ぐに用意します」


「馬鹿な……」


 ククの葉は森の奥深く命を賭けて探し出す貴重な品だ。同時に重要な軍事物資でもある。痛み止め、止血、解熱、他にも……使用には枚挙が無い。万能と呼ばれる所以だ。


「フェイ」


「はい」


 直ぐに立ち上がったフェイは戸惑う事なく部屋を後にする。


「何故そこまで……何が狙いだ!」


 ヴァツラフは堪らず叫ぶ。余りに都合が良すぎて疑問しか浮かばない。リンディアの状況が真実ならば、直ぐにでもファウストナを占領出来るのだ。この状況で恩を売る必要など存在しない。


 その恫喝にもケーヒルは全く動じない。それどころか同情心すら感じられて、ヴァツラフの頭の血は沸き立った。


「ヴァツラフ!落ち着きなさい!」


「しかし!」


「私の言葉を聞けないと?」


「い、いえ」


 同じく動いていなかったラエティティは、まさに王だった。最上の戦士であろうヴァツラフすら青白い顔に変わっている。


「ケーヒル殿、失礼しました。我が子の無礼お許し下さい」


「いえ……民を、国を想う余りの言動でしょう。寧ろ見事と感じ入ります。敬愛するアスト王子殿下も、国民の為なら全てを投げ打つ事が出来るお方。ヴァツラフ殿下とは話が合うでしょうな」


「まあ……それは素敵ですね……」


 ラエティティは既に気付いていた。ケーヒルに他意は無く、ただファウストナの民を想っての行動だと。


 だが、だからこそ聞かなくてはならない。この世界に……自己を顧みない、全てを犠牲にしてまで行う救いなど無いのだから。


「教えて下さい。何故ケーヒル殿はこのファウストナへ?」


 だが事実はラエティティの想像を超えて、そして同時に救いは齎されたと知るのだ。有り得ないと思う、全てを捧げ慈愛に溢れた救済が行われたと。
































 この会談の後、ラエティティはリンディアを訪れる事を決める。復興も未だ途中のファウストナだが、リンディア王との会談には大きな意味があるだろう。寧ろ復興の為には友誼を深める事こそが肝要だ。


 だが、何より……会わなくてはならない。


 このファウストナを救い、今はケーヒルの手によりククの葉すら届いた。


 見せられた絵姿はあまりに美しく、首の刻印が目につく。そして、見た事のない黒髪と翡翠色の瞳はその者を超常の世界へと誘う。


 慈愛と癒しを司り、黒神にすら愛された人。


 神々の使徒とは、この方を指すのだろう。


 ラエティティは疑う事すらなかった。


 何故か分かったのだ。


 この少女こそが救いを与えたのだと。


 その名は……





















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