黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

a sequel(3)〜口吻〜













 白祈の間に二つの人影がある。


 共に銀髪の男達はリンディアに住う者なら誰もが知っている。父子は祈りを捧げ、神々へ感謝の言の葉を呟いた。


「ふう……どうだ?」


「やはり気が引き締まります。まるで神々が此処に座すと感じられる程に」


「ああ、そうだな。遥か昔、リンディア勃興の神代より祈りを捧げてきた。先般の聖女降臨も、積み重なった祈りが届いたのかもしれん。アスは何時も言っていたよ、祈りに終わりは無いと」


「母上が……」


「カズキが現れる前、一度だけ挫けそうになった事がある。その時ふと思い出したんだ……アスの言葉を。だから私は今も変わらず此処に来るし、お前もそうしなければならない。分かるな?」


「はい……父上、この祈りは黒神にも届いているのでしょうか?黒神ヤトは我等を知っていました。白神だけでなく、黒神にも祈りを捧げなければならないのでは?」


 カーディルは真っ直ぐに育ってくれた王子を優しく眺め、同時に誇りに思った。何より愛する妻、アスに深く感謝する。


「白祈の白は、白神だけを表しているのではない。白き……つまり濁りの無い祈りこそが重要だと教えているのだ。私もその意味を履き違えていたが、今なら先代から受け継いだ祈りが分かる。私利私欲にまみれた祈りなら、神々には届かない……白祈にはそんな意味が込められているのだろう」


「濁りの無い……」


「カズキの瞳の様に、澄んだ色を湛え続けたいものだ」


「まだまだ修行が足りませんね……救済を果たしたカズキに堂々と並び立つには全てが不足していると感じます」


 此処でいきなり悪戯好きの子供……つまりカーディルのもう一つの本性が露わになる。天に向かうアストの瞳はそれに気づかない。


「アストよ……もう済ませたのか?」


「何ですか?」


「お前も一人の男……私は許すぞ?」


「父上……」


 アストはカーディルの悪戯好きな瞳に此処で気付き、溜息すら隠さなくなった。


「何を躊躇うのだ?あれ程の器量を持つ娘なぞ、この世界に二つとない輝く光だぞ?それにカズキはお前を嫌ってなどいない。まだ色恋には疎そうだが、そのうちに理解する。だがその時、隣がお前である保証などないのだ」


「カズキは救済を成したばかりの聖女です。ましてやヤトから聞いた過去はご存知でしょう。今は優しく見守るとき、そう考えているのです。先ずは彼女自身が癒されて欲しい……間違っていない筈です」


「ふん、怖気付いた言い訳だな。愛する人を癒すのに、自らが動かずしてどうする?せめて抱き締め、口吻くちづけくらいしてみせろ」


 言葉は大層立派だが、ニヤつく表情が台無しにしている。勿論カーディルは分かってやっているが。


「口吻は……いや、何でもありません」


「ほうほうほう!いや謝ろう!余計なお世話だったな……で?何処で何時のだ?」


「言うわけないでしょう!失礼します!」


「なんだ!逃げるのか!?ははは!」


 足早に白祈の間を立ち去るアストの背中にカーディルの笑い声が突き刺さった。アストの肩は震えていたとか無いとか。






























「全く……父上は相変わらずだな……」


 湧き上がった羞恥心を抑え込み、呼吸を落ち着かせる。同時に今や幻だったのではと想う、あの救済の日を頭に浮かべた。息を吹き返したカズキがいるからこそ大切な思い出となっているが、あの状況を忘れる事など出来ない。




 失われた右腕


 流れていく赤い血


 溢れた魔獣


 そして絶望


 そんな中、初めて聞いたカズキの声




 カズキは自分の名前を紡いでくれた。そして「ごめんなさい」「助ける」と……瞳と同じ澄んだ声で語り掛けたのだ。


口吻くちづけ、か……」


 そういえば、あの謝罪の意味を聞いていない。そしてあの口吻くちづけも。言語不覚の刻印がカズキを縛るが……以前の様に意思疎通が不可能な訳では無いのだから、もう一度聞いてみて良いのかもしれない。アストは何故か明るい気持ちになって、その足は聖女の間に向かった。


 そして、何時もの、もはや風物詩と言って良い声が響く。




「カズキ!待ちなさい!」


「アスティア様!早く!」




「おっと……」


 アストの胸に柔らかい物体が収まり、ふんわりと香油の香りが鼻をくすぐった。曲がり角から飛び出して来たソレは、吃驚顔でアストを見上げる。


「あっ……兄様!逃がさないで!」


「運が悪かったですね、カズキ」


 やはり何時もの二人が現れ、心から幸せな気持ちが溢れるのだ。


「放して」


 逃げようと力を入れる聖女だが、アストには心地良く感じる程度の抵抗で微笑ましい。


「カズキが悪く無いなら味方をするよ。何があったんだい?」


 続いてクインが現れ、アスティア達に従う素振りを見せれば、もはやカズキに勝機は無い。アストは苦笑し、もう一度下を見る。案の定バツの悪い表情で、更に目線すら外せば事実は明らかになった。


「兄様、カズキったらまた勉強から逃げたのよ!別に難しい事じゃ無いのに、何が嫌なの?」


「カズキ?」


「……は」


「ん?」


「恥ずかし、嫌」


「恥ずかしい?」


 コクリと頷き、ハァと溜息すらつく。


「恥ずかしいって……ドレスの捌き方とか、仕草、歩き方なんて、女の子なら誰でも習う事よ?お化粧も覚えないし……折角の綺麗なカズキなのに」


 化粧すらせず、所作は乱雑そのもの。それでも聖女の美しさは群を抜く。もし着飾ってを身に付けたなら、どれ程の花が咲くだろう。


「そうか……カズキ自身が嫌なら強制はしたく無いが、先ずは話をしようか。私もカズキと話したくて此処に来たんだ」


「話?」


「ああ、質問があるんだ。いいかい?」


「うん」


 その表情は勉強しなくてよいと安堵の色があったが、果たしてそう上手くいくだろうか。クインが反論しないという事が、何を意味するか聖女は考えて無い様だ。


「では、用意します。エリ、行きましょう」


「はーい」


 二人の侍女はアスト達に礼をすると、立ち去った。


「兄様、私も居ていいの?」


「勿論だよ。アスティア達にも聞いて欲しい」


 口吻以外だが……内心アストは付け足した。






























「カズキって……兄様の言う事は聞くのよね……」


 聖女の間に地を這う様な声が響いた。アストはそう思わないが、接する時間が違いすぎて参考にならない。目の前に座りカズキを睨むアスティアにとっては気になるのだろう……まるで仲の悪い姉妹だと言わんばかりだが、色違いでお揃いのドレスを着こなす二人には見当違いとしか思えない。


 以前の星空をあしらった物とは違うが、シンプルな蒼と若草色はアストには可愛らしく、微笑ましく見えるのだ。膝上まで披露して、健康的な脚が眩しい。


「まるで本当の姉妹の様に見えるが、違うのかい?」


「そ、それは……そうなら嬉しいけど」


 少し頬を赤らめるアスティアはやはり愛らしい。チラチラと隣に居るカズキの反応を伺う妹に、アストは笑みが溢れるのを止められないのだ。


「赤」


 赤らむアスティアを見てカズキは曰うのたまう。悪気は無いのだろうが、少しだけ笑みまで浮かべるのでタチが悪い。


「貴女ね……」


 愛する妹である聖女だが、腹立たしいのは仕方がない筈だ……アスティアはエリにする様に頬を抓りたくなった。


「お待たせしました」


 測った訳ではないだろうが、クインがエリを伴い入室して来る。扉を叩かなかったのは、アストが気を利かして開放していたからだろう。


「こっちだ。クイン、君達にも聞いて欲しいから座ってくれ」


 クインは眉間にシワを寄せたが、最近は諦め気味だ。アストの身分を問わない優しさは美徳だろうが、時には負を呼ぶ事もある。ましてや他国の存在が明らかになった今、それは尚更なのだ。カズキの事も含め、しっかりと話し合う必要があるだろう。


 そんな事を考えながらも手は止まらず、真円のテーブルには紅茶が用意された。クインの優しさか、香り付けの酒を僅かに垂らす。カズキの視線は紅茶では無く、クインの手元に釘付けなのは笑って良いのだろうか?


「失礼します」


 クインとエリも席に付き、五人はテーブルに集った。


「いい香り……クイン、これは?」


「果実酒を更に蒸留した物です。大変貴重ですが、先日カズキへ献上されました。あの戦いの中、僅かに残っていた正に奇跡のお酒ですね」


「確かに素敵な香りですよね……凄く甘い香りなのに上品で、幸せな気持ちになります」


 手を軽く振り、その香りを楽しむエリも笑顔一杯だ。


「お酒を献上ね……本人は大喜びだろうけど」


 その本人は未だにクインが片付けたソレを目で追っている。もう怒る気も失せたアスティアだった。


「強いお酒ですから、ほんの少しだけ垂らせば十分です。焼き菓子にも入れる事がありますし、使い途は多い……カズキ、勉強を終えなければ上げませんよ?」


 いつ迄も後ろ側に集中するカズキに、クインはトドメを刺す。そんな……と哀しい顔をするカズキに、これは使えるとクインは利用を決めた。


「献上品か……随分増えたが、未だに減る事も無いな。復興の大変な時期でもあるし、無理はして欲しくないが……」


「寧ろ熱狂は高まるばかりです。カズキは街に姿を現す事も殆ど無いですし、直接感謝も祈りも捧げられないならと、せめてもの贈り物なのでしょう」


「なるほど……ロザリーに会いに行く時に、何か考えてみるか……聖女を私達が独占するのは申し訳がないからな」


「ロザリー……」


 興味が酒から此方に移ったカズキは、アストを見詰める。


「ロザリーの墓まで整備を進めているんだ。丘の上だからもう少し待ってくれ。もう一度必ず連れて行くよ」


「?」


「カズキ……お墓よ。ロザリー様が眠る場所。今度行きましょう」


「眠る」


「ああ、私達もお礼を改めて伝えたい。君を守ってくれた事を」


「私を?守った……」


 思い出したのか少し俯くカズキに、アストは話題を振る。


「カズキ、君に聞きたい事があるんだ。教えてくれたら嬉しい」


「うん、良い、どうぞ」


 紅茶で唇を潤わしたアストは、ゆっくりと言葉を重ねた。












「あの日、カズキが世界を癒してくれた日。君は言っただろう?私の名、ごめんなさい、そしてありがとうと……何故謝ったのか気になっていた」


「ごめんなさい」


「その言葉だ」


 アスティア達も以前少しだけ聞いていた。ヤトが去った夜、眠るカズキを見詰めながらアストが涙を見せた時だ。


 救済が降り注いだあの時、カズキがその身を削りながらも成した奇跡、その中心にアストはいたのだから。


 言葉を探しているのか、中空を見詰めながらカズキは暫し沈黙する。皆は急かす事もなく、緩やかな時間を感じていた。


「……知る、ない、気付きない」


「ああ、続けてくれ」


「アスト、アスティア、クイン、エリ、全部」


 名を呼ばれただけなのに、何故だか幸福を覚える。


「好き、ありがとう」


「見てない、駄目」


「沢山、助けて、出来た」


「見て、ない、ダメ、知らない」


「私、弱い、凄く」


「ごめんなさい」


 切れ切れの単語なのに、アストには全てが理解出来た。ヤトから聞いたカズキの過去に、全てが符合する。もし自分がその立場なら、憎しみの鎖を断ち切れただろうか?それは不可能だと感じる、いや確信を持てる。人を信じられないカズキは、言葉を交わすことすら出来なかったのだ。ヤトが奇跡と言う言葉を選んだのは当然だろう。


「カズキ……」


 女性達は感情が昂ぶったのか、ジッと聖女を見詰める。


「ありがとう……教えてくれて。だから、もう謝らないで……私達も哀しくなってしまう」


 カズキもアストを見詰め返し、更に言葉を紡いだ。


「好き」


「な、なにを……」


「伝える、足る、ない」


「ああ……みんなへの気持ちか」


「だから、キス」


「「「キス?」」」


 聞いた事の無い単語にカズキ以外は首を傾げる。皆は分からないが、何故か元の世界の言葉そのものだった。


「どういう意味?」


「さあ?クインさん分かります?」


「分からないわ……何か感謝を表す言葉かしら」


 皆に伝わらない事が嫌なのか、カズキは徐ろに立ち上がりアストの元へ行く。身長差から座るアストの顔は僅かにカズキより下だ。不思議な事にカズキの頬が赤い。


「まさか……」


 クインは何かを察して、でも止めない。


「クイン、何か分かっ……」


 アストの言葉は途中で途絶えて、アスティア達3人も絶句した。重なり一つになった二人に言葉なぞ必要無いだろう。


 そしてアストとカズキは再び二つに分かれる。


「キス」


 聖女の言葉は三人の耳に届き、その意味を理解させた。














「「ええぇーーー!!!」」


 アスティアとエリの悲鳴は部屋中に広がり、クインすら赤ら顔を隠せなかった。

















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