黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜
a sequel(1)〜新たな時代〜
「待ちなさい!」
「アスティア様!あっちです!」
「エリ!回り込んで!」
「はい!」
聖女の間はリンディア城最奥と言って良い場所にあるが、元は来賓を招いた際に通した貴賓室だ。室内だけで無く、そこに至る道や廊下にも気配りがあり、絵画などの美術品も飾られている。当然に気品溢れる静謐と、何処か凛とした空気が漂う空間だ。いや、だった。
今日、いや毎日、その静謐は破られる。
「もう!何て素早いの!」
「見失った……」
地団駄を踏むアスティアは大国リンディアの王女として相応しくない態度と理解していたが、我慢出来ないのだから仕方がない。エリは溜息をついて呆然と廊下を眺めている。警護の騎士が数人目に入るが、誰一人驚いて無い。寧ろまたかと呆れているし、明らかに笑いを我慢して口を押さえる者さえいた。
「何で逃げるのよ……暑くなって来たし、珍しい新しい衣装が届いたのに……復興の大変な時に献上してくれた方に申し訳ないわ……」
「はぁ……おかしいですよね、随分と女の子らしくなったと思ってたのに、また元通りなんて……」
救済の日……聖女が自らの魂魄を削り救いを齎らした時から既に半年は経過していた。リンスフィアを基とするリンディア全域では戦後の復興が始まっている。当初に心配された魔獣の生き残りも見つからず、森からの資源回収は大きく進んでいた。それにより復興への速度は日々増しているのだ。
今や聖女の行い、その慈悲と癒しはリンディア国民の知るところとなり、多くの品々が届く。大半が衣類や反物、装飾品だ。実のところ愛らしい聖女は沢山の絵姿になっていて、当然の如く大流行となっている。そして特徴的な髪や瞳はその代表例で、それに似合うのではと献上されてくるのだ。
「献上する人達に言いたい……聖女は信じられないくらいお転婆だって……想像する様な女の子じゃないって……」
「お酒を献上したら喜ぶのになぁ……」
酒好き酔いどれ聖女を知る者は少ないが、街に出回る噂の一つに「聖女は酒に目が無くて、いつも酔っ払って寝ている」というものがあるのだ。大半の人々はタチの悪い噂と一蹴しているソレが、実は正確に真実を捉えているとは信じてもらえないのだろう。
「知ってる人は知ってるのよ……カズキが酒好きだって。あの子に隠すつもりなんて無いから、その内に……そもそも恥じらいがあるのかしら……クインの教育からも逃げ回ってるらしいし、どうしたらいいの……」
「困りましたねぇ……今後他国から報せが届いたら、御目通りさせてくれって大勢が押し掛けますよ?聖女様は神々にも等しい方ですから、それなりを求められてしまいます」
「どうしよう……」
「アスティア様ってば、陛下に任せてください!って言っちゃいましたもんねー」
「うぅ、ロザリー様に教えて貰いたい……カズキに髪飾りを贈った時どうしたのか」
カズキが唯一片時も離さないのが銀月と星の髪飾りだ。走り去ったカズキの黒髪には星々が輝いていた。
「ヤトがもう少し教えてくれたら良かったですよね。カズキが誰なのか……なんて言いながら、大事な事を忘れてますよ!」
救済のきっかけを創った黒神に対して酷い言い草だったが、アスティアは否定しなかった。だって同じ気持ちだから。哀しい過去を知り得たのは重要だが、これから幸せになる為には今が大事なのだ。
「とにかくあの格好だと暑いでしょうし、探しましょう」
「前みたいに下着姿で歩き回って無ければいいですけど……」
「……急ぐわよ」
王女と侍女の二人は足早に其処を後にした。
「カズキ、どうしたんだ?」
棚に数多くの文献、壁一面に貼られた地図や紙、今も執務机には書類の山。一見乱雑な一室で有りながらも、実用的に且つ見事に配置された品々は部屋の主人の有能さを示している。
窓からは明るい陽射しが届き、落ち着いた色合い……濃い空色をした壁紙を照らしていた。僅かな花の香りは、窓際の花瓶から漂っているのだろう。
「退屈」
「退屈か……アスティアは?」
「し、知らない」
「そうかい?確か新しい服が届いたからと、ついさっき君に会いに行った筈だけどな」
指摘すると、ギクシャクと鈍い動きで椅子に座る。その可愛らしい仕草がアストには堪らなく愛おしい。何よりカズキの声を聞ける事が幸せを運んでくれる。そんな聖女は厚手のドレスには未だに慣れないのか、何度もお尻を動かしていた。
「知らない」
「アスティアはカズキと共に過ごせるのが本当に嬉しいのだから、余り邪険にするなよ?」
「なに?」
「難しかったかな……アスティアを好きでいて欲しい」
1階位とは言え言語不覚の刻印はカズキに影響を与えている。長文や単語によっては理解出来ない様だった。時には誤解を招く事も有り、アスト達は苦心していた。それでも、カズキとの会話は宝物ではあったが。
「アスティア、好き」
「ははは……それをアスティアに言ってあげてくれ。きっと喜ぶよ」
愛しい人との時間を過ごす為、ペンを置く。しなくてはならない事は多いが、カズキが自室を訪れてくれるなど多くはない。席を立ち、扉を開けると近くの者に声を掛けた。
「カズキはお腹空いてるかい?」
「お腹……?」
「何か食べるかな?」
「うん、食べる」
アストはカズキの側に腰掛けてニコリと笑う。
「そのドレスも綺麗だけど、暑いだろう?」
「暑い……」
パタパタと首元の襟を持ち上げて扇ぐ仕草をして見せて、言葉の意味を伝える。
「うん、暑い」
カズキも真似をしてドレスの裾をパタパタ、いやバタバタした。それが余りに大きな動きだった為、アストには綺麗な太ももまで目に入り思わず視線を逸らす。
「カズキ……男性の前でそんな仕草は駄目だ……君は美しい女性なんだから、気を付けないと」
「うん?」
「参ったな……クインが言ってたのはコレか……」
因みにクイン達だけでは無く、母であるロザリーも同じ悩みを抱えていたらしい。
「好き」
「ん?何だって?」
「アスティア、クイン、エリ、好き」
「ああ……さっきの」
「好き、アスト」
「……カズキ、それはどういう……」
思わずその意味を詳しく聞きたくなったアストの耳にノックの音が響いた。
「入れ」
カチャリと扉が開くと、ティーワゴンを押すクインがゆっくりと入ってきた。扉の側に立ち止まると綺麗な姿勢と声で挨拶をする。
「殿下、カズキ様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。そちらに用意してくれ」
「はい。殿下、それと……」
「礼は不要か?分かってるさ」
二人は毎度の様にやり取りするが、やはりどちらも変化はない。クインは応接のテーブルに並べて、部屋の隅に下がる。
「クイン」
クインはカズキが呼び掛けてくれた事に喜び、思わず笑顔になった。
「はい、カズキ様」
「やめて」
「えっ?」
「やめて、嫌」
「な、何が……」
カズキの明確な否定にクインは思わず吃り、笑顔は消えてしまう。失礼に当たると知りながらも、アストを差し置き近寄るクインは泣きそうだった。ジッとクインを見るカズキは不満を隠していない。
「クイン……前もカズキが言ってただろう?その呼び方だよ」
「えっ……しかし、以前に説明を」
クインの真面目な性格は呼び捨てにする事を許さなかった。エリですら未だにカズキと呼び、その差は明らかだったのだ。聖女、しかも救済を成したカズキは今や天上人だ。考え方によってはリンディア王家すら立場が違う。今後の事も考え、専属の侍女であるクインはカズキに説明を尽くしていた。だが、伝わっていなかった様である。
「さっき……クインが来る前、カズキが言ってたよ」
「……何をでしょう?」
「クインが好きだって、はっきりと」
「うっ……それはありがたいですが……」
チラリとカズキを見れば、目線を逸らさずクインを見詰めたまま。以前では考えられない事だ。その翡翠色に捕らえられると、思わず力が抜けそうになる。
「カズキ……」
「ん」
ニッコリと浮かべた笑顔にクインは本当に腰が抜けそうになり、思わず踏ん張って耐える。この眩い笑顔も、やはり以前には考えられなかった事だ。
「良かったな」
「うん」
「殿下……」
気持ちは嬉しい、いや凄く嬉しいが、今後に差し障るのではとクインは心配になる。城を訪れカズキに会う人は不思議に思うだろう。聖女であるカズキに侍女が呼び捨てで話し掛けるなど、衆目を集めるのは間違いない。
「分かってるよ、後で話そう。それより今はクインお手製の菓子だ。お茶も冷めてしまう」
目の前には香り豊かなお茶、そして色とりどりの焼き菓子がある。カズキも嬉しそうに眺めていた。それだけなら正に可愛らしい少女、いや女性だろう。
短かった黒髪は肩まで届き、艶やかな光を放っている。首回りの刻印は目立つが、その意味を知る皆はそれすら綺麗に見えるのだ。ヤトや白神の愛を一身に受ける聖女は何処までも美しかった。
「食べる、いい?」
「ああ、勿論だ」
乾燥させた果物を散らした焼き菓子を手に取ると、パクリと半分まで口に入れる。その大きく開いた口は決してお行儀が良いわけでは無い。しかもポロポロと食べかすがテーブルに落ちていく。
「カズキさ……カズキ、お行儀が悪いですよ。もう少し小さく食べないと。それと片手で無く、もう片方を添えて……また練習ですね」
「え……」
練習……その言葉に絶望感を隠さないカズキを見て、アストは我慢出来ない。
「くくく……ははは! カズキ、頑張れ」
「嫌」
「ふっ……ふふっ、こればかりは味方は出来ないな。クインが正しいよ」
もう諦めたのか次々に菓子を手に取るカズキは、パクパクと食べ進める。その小動物の様な動きにアストは思わず黒髪を撫でた。アスティア曰く、信じられない手触りと指通り……その感触に感動すら覚えてしまう。
そして、更なる来客でアストの周りは随分騒がしくなるのだ。
「兄様、カズキがいるでしょ!」
ノックも適当に済ませたアスティアが執務室に入って来た。
「げっ……」
「カズキ……何よその反応は!」
咥えていた焼き菓子を皿に落とすと、カズキは思わず椅子を引く。
そう、臨戦態勢だ。
「はあ……」
クインの溜息も、アストやエリが楽しそうに見詰めるのも何時もの事。
「あっ!待ちなさい!!」
そうして黒と銀の少女達が走り去ると、再び執務室には静けさが戻った。残る空気には幸せが混ざる。それはアストにもクインにも感じられて、目を合わせて笑う。そうして二人はひとしきり笑みを浮かべると、次第に王子と侍女へと戻った。
「クイン、他に用事があるんだろう?」
ティーワゴンの下、下段の棚に紙の束を見付けていたアストはクインに話しかける。幸せな空気は残るが、そこにはリンディアの王子アストが居る。
「はい。此方を……陛下より直ぐに伝える様にと」
クインより手渡された書類には、幾つかの発見と重要な報せが記されている。丁寧に、しかし素早く読み込むと、アストは顔を上げた。
「素晴らしい発見だ。やはり生き残っていたんだな……」
「はい……カズキの、聖女の癒しは世界に遍く届いた事が証明されました。これから更に忙しくなります」
「嬉しい事だよ。私や父上より……もしかしたらアスティアやクインの方が大変かもしれないぞ?」
「それは……重々承知していますが……少し自信が無くなって来ました」
クインの視線は王女と聖女が走り去った扉の先に向く。アストは其処まで心配していないし、カズキの個性を寧ろ好んでもいる。何処か少年の様な聖女は本当に可愛らしい。
「まだ時間はあるが、準備を進めないといけない。我がリンディアにとっても非常に重要な事だが、今やこんな事は過去の文献を調べて対応するしかないからな」
アストが机に置いた書類は南の森を調査していた部隊からの物だ。フェイやドルズスも参加した調査は半年で大きく進み、そして遂に発見した。その名称や位置、幾つかの情報はリンディアに有ったが、実際には過去の事実でしか無かったのだ。
そこにはこう記されている。
調査対象だった一つ、生存者や国の発見に進展あり。
南の突端、半島の先。
その名は「ファウストナ海王国」、その海に面した小国は未だ存在していると。
そして、ファウストナを治める女王ラエティティより、カーディルへの会談の申し込みと……何より、聖女カズキへ拝謁したいと言う要望が。
救済の日、その時から新たなる時代が訪れようとしていた。
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