黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

64.聖女の歩む道③

 






 アスティアとエリはアストを見送った後、忠実に指示を守ろうと頑張った。 アスティアもカズキに傷付いて欲しくは無いし、外に興味が行かない様に手を尽くしていた。 それが衣装合わせなのは見当違いだったが、仕方が無いだろう。


 カズキは直ぐに飽きて、アスティア達を振り切りベランダに出ようとしたのだ。 慌てたアスティアとエリは最終手段を使う事を決断した。


 それは、酒だ。


 背を向けたカズキにエリはニヤリと笑い、チャポチャポと鳴る瓶を持って来た。 案の定カズキは直ぐに振り返り、ふらふらと近づいて来る。 余りに単純なカズキの行動にアスティアは呆れたが、今は丁度良い。


「貴女、変な人に付いて行かないわよね? 私、不安なんだけど……」


 愛しい妹は言葉が分からない。 それどころか声を発する事すら出来ないのだ。 もし以前の様に誰かに拐かされたりしたら、アスティアは泣いてしまう。 助けを求める事も出来ないカズキに、アスティアは不安が募るばかりだ。


 でもその手口が酒だったら、余りに情け無いだろう。


 アスティアの心配を他所にカズキはエリからグラスを受け取り、ジッとワインの瓶を眺めている。 早く注いでくれと、翡翠色の瞳は訴えていた。


「アスティア様……?」


「はあ……仕方がないわ。 でも少しずつよ? 最後は眠ってくれたらいいけど……」


 許可を得たエリは、カズキの持つワイングラスにゆっくりと注ぎ込む。 真紅の液体は少しだけ波打ちながら三分目まで満たされた。


 これだけ?と珍しく分かり易い表情を見せるカズキに、アスティアはもう溜息すら出ない。


 不満顔で赤い液体も眺めながらも、その小さな口をグラスに付けたカズキ。 おっ!という顔はお気に入りの味だったのだろう、一度離した唇も直ぐに戻されて喉を鳴らした。 最後の一滴も惜しいと舐める様に流し込むと、もう一杯頂戴とグラスを差し出す。


「アスティア様、これじゃ直ぐに無くなりますよ? カズキもお酒に強くなってるみたいですし」


「何処で味を覚えたのかしら……この娘の過去が気になってしょうがないのだけれど……」


 アスティアからすればカズキは不思議の塊だ。


 信じられない美貌を持ちながら、所作は少年そのもので、お化粧も着飾るのも好きでは無い様だ。 表情も乏しく、余り感情を表に出さない。 紡がれない言葉も相まって、その想いを汲み取るのは一苦労だ。


 それでいながら、ふとした時に優しさを感じる。 それこそ男性の様に、手を差し伸べてくれたりもする。 何よりリンスフィアの街中で見た聖女の癒しは、アスティアの想像を軽く超えていった。 自らを簡単に傷付けて、命を失いかけた少年を救った。 そしてそれを誇る事も、恩に着せる事もない。


 寧ろ、それが当たり前の様に……。


 だからアスティアはカズキがどんな人生を歩んで来たのか、気になって仕方が無いのだ。


 ボンヤリと考えごとをしてる内に、カズキは二杯目を注がれて嬉しそうにしている。


 そう、嬉しそうだ。


「カズキの感情が分かり易くなったわね……お酒が理由というのは情け無いけれど、これも封印が弱まったからでしょう?……全てが解放されて、本当の笑顔を見せてくれたら幸せね」


「そうですね! 想像しただけでも幸せな気持ちになります。 あっ……もう飲み終えた!?」


 先程注いだばかりのワインは、奇術の様に消えて無くなった。 勿論、種明かしは簡単だが。


「本当に美味しそうに飲むのよね……食事も酒の肴も無いのに、私には無理だわ」


 アスティアも薄めたワインや、寒気が強い時にホットワインくらいを口にした事はある。 しかし特有の苦味や酸味は、アスティアには美味しいと感じさせなかった。


「もしかして、本当に美味しいのかしら……?」


 興味が出たアスティアは、エリにワイングラスをもう一つお願いした。 カズキと二人なら美味しいのかもしれない。


 エリはワイングラスと一緒にチーズと揚げ芋を持って来てくれた様だ。 カズキが空けたグラスと合わせ、ワインは二杯注がれた。


 そっと両手を添えて持ち上げ、ワインにすかしてカズキを見るともう半分減って見えた。 何故か負けたく無いと急いで口に含んだが、やっぱり駄目だった。


「うぇ……苦い……」


 予想していたエリは水をどうぞと渡す。


「ありがとう、エリ」


 行儀が悪いのも承知でアスティアは口を濯いだ。 やはり本格的な酒は合わないと、チーズを小さく齧る。 普段なら手で千切って口に運ぶところだが、今は乱暴にしたい気分なのだろう。


「もう半分もないですよ? どうします?」


「うーん……あっ、見て」


 促されたエリはカズキの様子を伺うと、漸くかと安堵する。 さっきまで蘭々と輝いていた瞳は、トロンと下がり頬も赤くなって来ている。 どうやら三杯目が効いたらしい。 酔いは急激に回り、カズキから意識を奪うのに時間は掛からなかった。


「益々不安だわ……悪い人に誘われてお酒でも飲まされたら、抵抗も何もないじゃない……」


 アスティアは姉として、妹の躾けに力を注がなくてはと誓いを新たにする。 前後不覚とはこの事かと、カズキはテーブルに突っ伏したのだ。


「結果的に目的を達成しましたね。 これなら当分起きないでしょう。 着替えさせますから、アスティア様も休んで下さい」


「私も手伝うわ」


 妹のお世話は姉の仕事だと、アスティアは袖をまくった。 ついでに弱まったらしい聖女の刻印、その封印を見てみよう。 そう決めたアスティアはエリと二人でカズキを抱え、直ぐ側のベッドへ連れて行く。


「全く起きませんね……?」


「クインに言って、教育を早めて貰わないと……困ったものだわ」


 しかもカズキはただの女性ではないのだ。 王女は世界に何人かいるし、過去にも大勢いただろう。 しかし、物語以外で聖女など存在した事も無い筈。 まさに世界に唯一人、代わりなどいない聖女だ。


 そんなことを考えながら、カズキの服を剥いていった。


















 夜の闇に浮かぶ銀月。


 ロザリーがカズキに贈った髪飾りは、黒髪を夜に見立てて選んだ物だ。 少年の様な聖女に少しでも女らしくと母が見つけたが、その効果が有ったかは分からない。 しかし不思議と女性らしさを嫌がるカズキが気に入った数少ない装飾だろう。


 そして今、聖女の間に美しい夜と銀月が浮かんでいる。


 二人の少女が隣り合って眠っていた。


 アスティアは長い髪を纏めることもせず、ベッドの上に広がって銀月を表して。 隣りに眠るカズキは黒髪をやはり気にせず、枕から零れ落ちていた。


 まるで姉妹の様に眠る二人は、僅かだけ肩を揺らしてシーツに包まれている。 もし絵師が居たら筆を走らせる欲望を止められないだろう。






 アスティアが先に眠るカズキの隣へ横たわった結果だが、カズキが簡単に起きないと確信していたアスティアは調子に乗った。


 まずカズキの細い腰に腕を回して自分の方に抱き寄せ、自分の顔を同じ枕に預けた。 目の前には眠るカズキがいる。 あどけなさと不思議な艶を持つ聖女は、同じ女性であるアスティアの胸をドキリとさせるのだ。


「眠っていたら、あのお転婆なんて嘘みたいね……本当に綺麗……黒髪も肌も、今は見えないけど瞳も……カズキが世界を救う聖女だなんて、こうしていると信じられない」


 アストが告げた魔獣の襲来は気に掛かるが、あの頼り甲斐のある兄ならきっと大丈夫だろう。 ケーヒルや沢山の騎士がいるのだ、リンスフィアを守ってくれるに決まっている。


 僅かな不安を押し殺し、アスティアは再びカズキを見た。


「刻印に縛られて……まだ封印は解かれていない……」


 カズキが眠る間際までいたクインに、聖女の現在を教えて貰ったのだ。 弱まったとは言え、封印は未だ厳然と存在し、カズキを聖女へと縛っている。 封印を解く鍵も教えて貰ったが、アスティアには自信が無かった。


 マファルダストのロザリーは僅か一月の間にカズキを変え、あの頑なだった心すら解きほぐした。 もっと長い間、一緒に居た自分は何が出来たのだろう。


 隠していない首には、鎖にしか見えない黒神ヤトの刻印がある。 言語不覚のソレはカズキから言葉を奪ったのだ。 なのにカズキは「ロザリー」の名を理解している。 自己欺瞞や自己犠牲も、憎しみの鎖も、狂わされた慈愛も……全てを振り切って聖女へと至るなら、幾らでも愛したい。


「本当の慈愛? 慈しむ心なら私だって……何が足りないの? 教えてよ、カズキ」


 アスティアの心からの言葉は眠るカズキには届かず、例え起きていても響きはしない。 それが堪らなく悲しくて、アスティアは肩を震わせた。


 そうしている内にアスティアも眠りに落ちて、ベッドの上に夜と銀月が浮かんだのだ。


 様子を見に来たクインとエリも少しだけ微笑み、そっと扉を閉めた。














「……!」


 カズキは思わず息を飲み、声を出しそうになった。 同時に音を発しない喉に現実を思い出す。


 目を開けた先には目蓋を閉じ、緩やかな吐息を漏らしながら眠るお姫様が居た。 長い睫毛も触り心地の良さそうな髪も艶のある銀髪だ。 どうやら二人並んで眠っていた様で、向かい合わせで顔を寄せ合っていたらしい。


 カズキは夢か現実か一瞬混乱したが、自分の腰に巻き付いたお姫様の腕の感触が幻では無いと教えてくれた。 見えないが、脚も絡ませている……ハッキリしてきた意識は状況を理解させた。


「んん……」


 身動ぎしたカズキに気付いたのか、腰に回した腕を更に強く巻き付けてくる。 これでは動きようがないと、カズキは起き出すのを諦めた。


 あの酒はなかなか美味かったが、やはりワインよりもっと強い酒が飲みたい。 舐める様にチビチビと味わい、喉が熱くなるのが良い。 そんな身勝手な事を考えながら、お姫様の様子を伺う。


 カズキからしたら歳下の女の子だが、あの王子様といい身分の高い人だろう。 そんなお姫様と同じベッドに横たわっているとは、人生とは不思議なものだ。


 カズキは昔の自分……チンピラ同様だったあの頃が、遠くに行ったと理解している。 この華奢で貧弱な子供の体になって僅かな時間しか経ってないが、もう自意識も変化したと自覚すらあった。 実際目の前に綺麗な女の子が眠っているが、特別な感情は湧いてこない。 いた事など無いが、妹ならこんな感じだろう。


 目の前で自分を庇って死んでしまったを、あの時「お母さん」と呼んでしまった事を覚えている。


 この子の名前は何と言うのだろう?


 カズキは知りたいと、そう思った。 自分が他人に興味を持つとは笑えるが、否定など出来ない……それが正直な気持ちなのだから。




 ズズン……




 遠くから空気が震える音と、僅かに遅れて振動を感じた。 考え事をしていたから、カズキは一瞬何があったのか分からなかった。 しかしベランダの方が赤く染まり、何が爆発でもしたのかと不安になる。 この部屋に来て初めての事だった。


 カズキは巻きついたお姫様の腕をそっと外し、やはり起こさない様に、そっとベッドから降りた。 この部屋の敷物は異常に柔らかく、足音など立ちはしない。


 ベランダから見る景色はカズキにとって好きな事の一つだから、迷う事なく扉へ近寄った。 ベランダに飾られた花々も元気よく咲いている。 花壇や椅子などを避けながら、景色の見える端まで歩み寄った。 ふと風を感じて足元を見れば、いつの間にか夜着へと変わっていて可笑しい。


 まず目が捉えたのは立ち上がる炎だ。 かなり高いソレは通常では起きえない事だろう。 何かの事故か、よく無い事なのは間違いない。 それと城壁が一箇所崩れている。 まだ土煙もあってよく見えないが、やはり爆発だろうか。


 カズキはじっと目を凝らし、何が起きているのか確認しようとする。


「カズキ!! 駄目よ!」


 背後から何かの声が聞こえたが、カズキには何処か遠くに聞こえて良く分からない。 直ぐに背中に誰かが抱き着いたが、やはりそれも遠くに感じられる。


「エリ!クイン! 早く来て!! お願い!」


 だがアスティアも燃え上がる炎と崩れた城壁に絶句して動きが止まってしまう。


「に、兄様……」


 カズキとアスティアの背後からクインとエリが駆け込んで来ていたが、二人はそれぞれの意味で動く事が出来ずに振り返りもしなかった。


 そして高い位置にあるベランダからは、崩れる城壁の先もはっきりと見える。


 それは赤い平原。


 風に吹かれる草花の様に、蠢くのは赤褐色の怪物。


 見渡す限りの平原は魔獣に覆い尽くされていた。



























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