黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

59.絶望への足音②











「……このリンスフィアを陣に見立てて、だと?」


「はい。 三重の城壁、整備された道、多くの騎士と民衆……何より、中央にはカズキがいます。 ユーニードが提唱していたマリギ奪還の策をそのまま当て嵌め、リンスフィアを戦場にするつもりです。 今、殿下が確認に行っておられますが、全ての状況が真実だと……」


「撤退などでは無く、魔獣をリンスフィアに誘導する為に……マリギすら囮の一つか……」


「間違いならそれでも良いでしょう。 周囲の村などに避難命令を出してください。 主戦派は全てを巻き込む可能性もあります」


「時間が有れば良いが……直ぐに……」


 カーディルが避難の準備を指示しようと腰を上げたとき、王の間にアストが入ってきた。 アストには珍しく挨拶も無く、足早にカーディルの元へ歩み寄った。 それだけでカーディルもクインも最悪を想定する。


「アスト……どうだ……?」


「間違いありません、魔獣を呼び寄せる気です」


 覚悟していたとは言え、カーディルに絶望感が湧き上がる。 ユーニードの最後の良心すら失われた事を知り、戦場が幻視された。 しかしカーディルは強い意志で押さえ付け、対策を練ろうと問い掛けた。


「実行はいつだ? 避難を優先する地域を……出来るなら、指揮する者を捕らえなければ」


「陛下、間に合いません……カズキがリンスフィアに帰還した時が決行の時。 既に始まっていると……」


「なんだと!?」


 一度腰を下ろしていたカーディルは、再び立ち上がり悲鳴染みた声を上げた。


「先ずは情報を集めます。 北、西、南へ伝令を出しましょう。 東は……」


 間に合わない……アストは拳を握り締め、自らの無力を嘆くしかなかった。


「アスト、諦めるな。 東にも勇敢な騎士は大勢いるのだ。 彼らなら民を逃しつつ、撤退戦を完遂するだろう。 受け入れの準備を急げ」


「……はっ」


「軍務官、情報官を此処へ! 居るだけでいい!」


 カーディルは侍従へ指示を出す。 同時にクインへと問い掛ける。


「避難と合わせ、防衛網を構築しなくてはならない。 クインはそのマファルダストの副隊長から情報を集めろ。 魔獣が誘導されて来る方角を見極めたい。 それと、お前の考えも加えてくれていい」


「はい」


「それから……」


 カーディルが更なる指示を出そうとした時、絶望の足音は既に鳴っている事を知った。


「伝令! 至急の報せです!!」


 衛兵が開けた扉の先で、息を荒げた騎士が倒れ込むように膝をつく。


「申せ!」


「はっ! マリギ方面より魔獣の群が南進中! 数は不明ですが、増える一方と! テルチブラーノは既に陥落寸前、撤退戦に移行すると……死傷者多数!」


「くっ……」


「伝令!」


 報せは止まらない。 次の伝令も届き、同時発生した事を物語っていた。


「センより報告! 南の森全域より魔獣が溢れたと! 動きは緩やかながら、その数は千に迫る勢いで更に増加との事です! 撤退の許可を求めてきています!」


「許可する! とにかくリンスフィアまで避難させろ! 受け入れは此方でやる!」


「はっ!」


「陛下、私はこれで。 ケーヒルと防衛網を組みます」


「ああ……」


 立ち去るアストを見た時、カーディルに言葉に出来ない気持ちが溢れてくる。 今は戦時となったが、カーディルは我慢が出来なかった。


「アスト!」


「はい」


「……無事で……生きて帰ってくれ、皆と共に……」


 父として、心からの願いだった。 愛する妻に続き子供まで魔獣に殺されるなど耐えられる訳が無かった。 それでも王として、国と民を守らなければならない。


「私は……私はリンディアの王、父上と偉大な母の血を受け継ぐ者です。 魔獣などに負けはしません! では、行って参ります!」


 扉の向こうへ姿を消したアストを最後まで見て、次の伝令から話を聞く。 もしかしたら、アストの姿を見るのは此れが最後かもしれないと、そう思う自分が嫌だった。


「……負傷者の受け入れを求めています。 治癒院からは応援を……」


「東にも兆候あり、騎士隊から指示をと……」


「村々から続々と避難民が……」


 カーディルはリンディアの王、その顔となり指示を返す。


 必ず、この危機を乗り越えて見せると。




















「殿下」


 ケーヒルはアストの姿を認め、歩み寄って来た。 悲壮なケーヒルの表情は全てを理解していると物語る。


「ケーヒル、すぐに防衛の準備だ。 魔獣の数は不明だが、凄まじい数になるのは間違いない。 今のところ、北、西、そして南から魔獣が侵攻中だ。 それと避難民が辿り着く時間が必要になる。 リンスフィアからも部隊を派遣しなければ……」


 足早に歩きながらも二人は言葉を淀みなく続けた。 直ぐに軍務室に着き、扉を開く。


「部隊編成はある程度終えています。 それと南はある程度保つでしょう。 センから退避して来る騎士も加わります。 問題は北と西ですな……南と比べると城壁も薄く、戦い辛いのは間違いないですからな」


 戦略を練る為リンスフィア周辺の地図を広げる。 丁度軍務官や情報官も集まりつつあり、何人かはカーディルの元へ向かった。 全員の知恵を集め、なんとしてもリンスフィアを守らなくてはならない。


「燃える水の備蓄は?」


「魔獣到達の時間によりますが、充分にあります。 聖女様が発見された魔獣の穴、あれは警戒感を高めましたから」


 情報官は答え、カズキの偉業を讃える。


「なら北と西に運ぶ、惜しむ必要は無い。 南は北と西の波を止めた後、全員でかかる。 移動の確保だけは確実にしよう。 それとクインが森人の知恵を借りに行っている。 主戦派は森人の知恵を使い、最短距離を抜けて来るはずだ。 リンスフィア手前で陣を組めるなら、それに越した事はないからな」


「避難民はどうしますか?」


「内門の中まで避難させる。 外門の周辺は場合によっては火を着けるぞ」


「殿下、森人に協力を仰ぎましょう。 急造ですが、隊に組み込むのが良い。 彼等は時に騎士を上回る力を発揮してくれますぞ」


 ケーヒルは南で見たロザリーの戦い振りに感銘を受けていた。 素早い判断、見事な剣技と弓の腕、決して臆さない精神、そしてカズキを救った慈愛。 どれも熟練の騎士にも負けない見事な戦いだったのだ。


 フェイは勿論ドルトスやジャービエル、あの若い森人すら充分な戦力になる。


「ああ、それもクインに頼んでいる。 私は昔ロザリーと模擬戦をした事があるんだ。 正直驚いたよ、あれは」


 勿論負けはしなかったが、それは訓練所と言う限定した空間だからだ。 森人の庭である森では苦戦するか、戦いにすらならないかもしれない。


「そうでしたか……彼女が居てくれたらどれだけ心強いか……無念です」


「言っても仕方がない。 ロザリーの為にもリンスフィアを守らなくては」


「アスト様、これをご覧下さい」


 軍務官は新たな地図を持ち出し、アスト達に示す。


「これは?」


「リンスフィアが出来る前の地形を表しています。 此処は利用されない場所なので整備されていませんが……」


「砂地か……」.


「整備されないのは地盤が緩く、重量物を運べません。 畑程度しか利用出来ないのは其れが理由です。 馬の足はともかく、馬車は進めないでしょう。 つまり魔獣の体重なら間違いなく足が止まります」


「城壁から充分矢が届く距離だな……素晴らしいじゃないか、君が?」


 軍務官は言いづらそうに顔を顰めたが、素直に返す。


「軍務長です、アスト様。 随分昔の事ですが、リンスフィア防衛に関して苦心されていましたから」


 ユーニードが復讐心に狂う前、まだ厳しくも愛国心に溢れていた頃だろう。


「……そうか。 それでも良く教えてくれた。 他の皆も考えを遠慮なく言って欲しい。 今はどんな些細な事も助かるんだ」


 皆が集まる軍議室にアストの声が響き、更に活発な意見交換が始まった。


 それは魔獣襲来まで、あと二日の事だった。


























 幾つかの魔獣対策も出て、軍務官や情報官が部屋を出て行く。 アストからの指示を忠実に履行し、皆へ伝達する為だ。


「殿下……一つ確認したい事が」


 ケーヒルはアストと二人になった軍務室で静かに言葉を紡いだ。


「言ってくれ」


 アストは察したがケーヒルの質問を待った。


「カズキ……聖女の事です」


 予想通りの言葉に、ケーヒルの言いたい事すら理解する。


「カズキには絶対に関わらせない。 間違いなく大勢の負傷者が出る戦いだ。 カズキ一人で支える事など出来ないよ」


「しかし、彼女の力は間違いなく必要になるでしょう。 せめて殿下のお側に控えさせて……」


「駄目だ!!」


 アストの叫びは室内に響き、ケーヒルの身体すら震わせた。


「殿下、カズキを思う気持ちは理解しているつもりです。 ですが、リンディアにとって殿下は希望……失われる事などあってはなりません。 陛下もアスティア様も悲しまれるでしょう」


 ケーヒルは初めてカズキと出会った東の丘を思い出す。 白い光、癒えるアストのキズ、崩れ落ちるカズキ。 全てを昨日の事の様に覚えているのだ。


「カズキを戦場に連れ歩くなど許さない。 それでは主戦派と変わらないじゃないか……。 ケーヒルの言う通り、私情も入っているのは否定しない。 でもそれは違うと、駄目だと感じるんだ」


 アストはカズキを想っている。 それは否定出来ない事実だ。 何時からなのか分からない。 もしかしたら初めて会った日、あの翡翠色した瞳を間近で見たあの時かもしれない。


 魔獣にやられた肩口の傷に手を添える姿を……薄れる意識で見たカズキを見たときに……。


「しかし……」


「殿下、ケーヒル様」


 凛とした美しい声は間違いなくクインだった。 フェイと話を終えたのか、アストを探していたのだろう。 これ程の非常時にもクインは変わらない。


「クイン、フェイは?」


「森人の協力を取り付ける為、戻られました。 全面的に騎士団と連携して頂けると」


「そうか……ご苦労だった。 魔獣の進路については?」


「はい、これをご覧下さい」


 クインがクルクルと広げた地図には、沢山の矢印と文字が溢れていた。 筆跡に違いがあるのはフェイとクインが二人で書き込んだからだろう。


「思ったより限定的な進路だな。 これなら戦略を立て易い。 勿論確実ではないだろうが」


「フェイ様曰く、ここと、この進路は間違い無いそうです。 此処から逸れるのは森人でも難しいと。 ですから、まずは網を掛けるならココが良いとの事」


 クインは注意書きや矢印を指し示しつつ、説明をする。


「分かった。 ケーヒル、フェイを信じて動く。 どちらにせよ近い場所で網を張るしかないからな」


「了解致しました」


「お二方にお伝えしたい事があります。 カズキの事ですが……」


 アストはクインまで連れて行けと言い出したら、どう反論すれば良いかと悩んだ。 カズキに関しては予感めいたもので、理論的説明など出来ないからだ。


「クインまで連れて行けと言うのか? 私はそんな事をするつもりは……」


「殿下、落ち着いて下さい。 私はカズキを連れて行くべきか分からないのです。 殿下や皆様の御命は勿論大切ですが、カズキの刻印について新しい発見が……」


 話そびれていた刻印の変化を、クインは伝えなければならないと思った。


「新しい発見?」


「はい、信じられない事ですが……刻印が変化しました。 憎しみの連鎖は薄れ、言語不覚は3階位から2階位へと」


「待ってくれ。 確か刻印は一度刻まれたら変化する事はないと……」


「その通りです。 其れが一般的な解釈ですし、文献等でもそれは証明されていますから。 しかしカズキは例外で、……やはり5階位の刻印を持つ使徒は常識で考えては駄目なのでしょう」


「もうカズキの事では驚いても仕方がないかもな。 それで? まだ続きがあるんだろう?」


「はい……5階位の刻印、癒しの力[聖女]の封印が弱まりました。 棘状の鎖は細く弱々しくなって、数すらも減りましたから……間違いないと判断しています」


「……つまり、聖女本来の刻印に近づいていると?」


 ケーヒルは尚更アストの側へ控えて欲しいと思う。 封印時すらあの力なのだ。 もし本来の力ならどれ程の結果をもたらすか、想像するのも難しい。


「恐らく。 しかし変化した理由が重要なのです。 お祖父様の考察ですがお話しします」


 クインはコヒンと話したヤトの加護、其れが齎す結果について説明をする。 そしてカズキが聖女として本当に目覚める可能性を。


「真の慈愛、か……」


「以前と今、違いはマファルダストとの旅路。 何よりロザリー様の存在でしょう。 お二人もご覧になった通り、カズキの哀しみの大きさは如何ほどだったか……」


 リンスフィアに帰還し、ロザリーの眠る棺を運び出そうとした時だった。 それまで動かなかったカズキはロザリーに縋り付きポロポロと涙を流したのだ。 声を出せないカズキだが、震える肩を見れば誰でも察する事が出来た。


「そうだな……あれ程の感情の発露など、今迄のカズキでは考えられなかった」


「封印を解かれていないカズキはそれでも、確かに人を癒す事が出来ます。 しかし、それは本当に聖女本来の役目なのか……此処からは私の想像ですが、聞いて頂けますか?」


「勿論だ、是非聞かせて欲しい」


 ケーヒルも無言ながらも深く頷いた。


「カズキは最初の頃、人を信じていませんでした。 誰にも頼らず、いつも何か隙を伺う。 癒しすら自らの意思とは思えない……何時も無表情で、冷たい目をしていたのです」


 アストも頷き、続きを促す。 カズキへと伝わらない想いはアストに限らず、アスティアも焦れたものだ。


「変化を感じたのは……アスティア様がカズキを妹として心から愛し始めた時です。 そして今は……」


「母親……ロザリーが母としてカズキに寄り添った」


「はい……あくまでも仮定ですが、カズキの封印を解くのは……」


 家族との……誰もが当たり前に持つ筈の、家族との愛ではないかと……。


 クインの言葉は恐らく真実であり、そして悲しい事だった。 これまでに封印が解かれていなかったと言うことは、大人になりきれていないカズキに家族など存在しないと証明しているのだから……。


 そして、家族愛と戦場は対極に位置するものだろう。 血と肉が溢れる、男達の世界。 相手は愛など存在すら許さないであろう魔獣だ。


「ケーヒル、私もクインの話は正しいと思う。 悲しい事だがカズキは……家族と呼べる人が居なかったのかもしれない。 やっと出会えた母を失った少女を、戦場に連れ歩くなど考えられないだろう? ましてや世界を救済するかもしれない聖女だ」


「……分かりました。 ですが、殿下。 貴方様はカズキ同様リンディアの希望です。 決して軽んじられないよう、宜しいですな?」


「ああ、分かっているよ。 私もカズキに家族として認めて貰いたいからな」


 絶望的な戦いに赴く戦士達にひとときの笑顔が浮かぶ、そんな一瞬だった。















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