黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

49.赤と黒の狂宴⑤

 








 赤い炎は魔獣の身体を更に濃くして、その悲鳴は次々と悪夢を呼び寄せるだろう。


 森の奥からは一匹、また一匹と集まりつつあった。




「よし、そいつはいい! 左手を牽制しながら聖女の方に近づくぞ!」


 ケーヒルは放たれた矢が魔獣の頭蓋に刺さるのを見て、素早く周囲を確認した。


 聖女のいる場所まで、魔獣の壁はまだ二匹いる。 時間を掛ければ直ぐに不利となる事を知るケーヒルにとって、今は少しでも早く森を出る必要があった。


 だが、どうする……このままでは……。


「副団長さんよ、アンタはあそこから回り込んで聖女の元へ行け。 ジャービエルとリンドも使っていい、こういう時は森人が役に立つ。 それに見えないが、あの先は崖で背後に逃げ場はないんだ。 なんとかこっちに連れて来るしかない」


 南の森をよく知るドルズスは、此処からは見えない地形も把握していた。 更に言うとあの焦げ茶色の騎士は只者じゃない。 さっきの動きといい、森に同化している森人をあそこ迄簡単に見切るなど信じられない。


「あの男は普通じゃない……ロザリーもフェイもその辺の騎士には引けを取らないのに、相手にもなってないとは。 それに時間を掛けられないのはご存知だろう? 直ぐにこの辺りは魔獣で埋まってしまう」


「それはそうだが……此処をどうする?」


「魔獣を倒すのでは無く、アンタが戻るまでの時間を稼ぐのなら何とかなるだろう! そうだろ!?騎士さんたちよ!」


「おう!! ……副団長、アイツは間違いなくディオゲネスです! 生半可な奴では歯が立たないし、此処は何とかしますから……うおっ!」


 危うく魔獣の餌食になりかけたが、見事に姿勢を低くして躱した騎士が叫んだ。 古株の騎士にとってディオゲネスは、憧れであり恐怖でもあった。


 あの狂気が無ければ、アストと並ぶ英雄となっただろう。 噂では近しい人が魔獣にやられ、気が狂ったと言われている。 家族を失くした者は多いが、ディオゲネスは突出して強く魔獣を憎んだ。


「それしか無いか……私が戻るまで何とか耐えてくれ!」


「牽制する! 構え……放て!」


 魔獣とその向こう側にいる主戦派の騎士達に、矢をばら撒いた。


















「下がれ! 聖女のところへ連れて行くんだ! そっちはもういい、死んでる!」


 ヴァディムは声を荒げて指示を出していた。


 魔獣共が本気で掛かって来ない事が一番の理由ではあるが、新人達にしては良くやる。 間違いなく聖女の加護のお陰だろう。 即死さえしなければ、彼女が癒すのだから当然だ。


 素晴らしい……たったこれだけの戦力で、しかも大半は素人同然のヒヨッコばかりだ。 もし、戦力と戦略を整えて魔獣と相対したら、どれだけの戦果になるのか想像もつかない。


 ヴァディムはディオゲネスの強さを信じているが、聖女に関しては半信半疑だった。 だが、明らかな過小評価だったと詫びなければならないだろう。


「治癒は勿論だが、魔獣への恐怖をここ迄軽減出来るとは……聖女が居るだけでこれ程違うのか」


 実際は聖女の力は封印されているし、カズキの意思が無いのなら十全に発揮すらしていない。 それでも聖女を初めて見た者には衝撃的な事だった。


 ドッ……!


 ヴァディムの横に誰かが吹き飛んで来た。 剣で受けようとしたのだろう、両手は歪に曲がって原型は留めていない。


「う、うぎゃーーー!! 腕が……俺の腕が!?」


「力は受け流せと教わっただろう? 足が動くなら自分で聖女の元へ走れ!」


 涎と涙を流し這うように戦線から離脱する騎士に目もくれず、ヴァディムは空いた穴に自らを滑り込ませた。


「ふっ」


 それと同時に魔獣の上腕を愛剣で薙いだ。 基本に忠実に一撃に賭けたりせず、浅くとも傷を負わせる事に注力する。


 ウギィィァァ……!


 僅かとは言え傷付けられた事に怒りを覚えたのか、魔獣はヴァディムを睨んで反対側の腕を叩き付けようと振り落とした。


 ドゴッ!


 柔らかい腐葉土は鈍い音を立てながら、抉れて弾ける。 だが、ヴァディムの姿は其処に無く、更なる追撃を与えながらも数歩分距離を取った。


 身体が軽い!


「弓兵! 次だ、放て!」


 間合いを取りながら、構えを解いていなかった兵達は即座に反応した。


 ビィン!


 まるで一つの音の様に同時に放たれた矢は、吸い込まれる様に魔獣に殺到する。


 ズドドッ!


 眼球や頭蓋、咽喉元にも突き刺さった矢に魔獣は悲鳴すら上げずに倒れ伏した。


 いける……魔獣め、苦しんで死ぬがいい!


 魔獣は尽きる事なく次々と姿を現し始めていたが、戦場に酔う騎士達に後退の意思は無かった。 ヴァディムすら例外では無い。 魔獣の真の恐怖はこれからなのに、魔獣打倒の歓喜は正常な判断を狂わせていく。


「いいぞ! 我等は聖女の加護に守られている! 左翼は更に展開、燃える水で壁を作れ! 魔獣の攻め口を限定させる!」


「「おう!!」」


 当初の予定通り、魔獣共が四方から殺到するのを防ぐ為に炎を使う。 魔獣が恐ろしいのは数だ、それさえ抑えれば後は聖女の治癒が支えるだろう……ディオゲネス、いやユーニード軍務長が以前から提唱していた作戦の通りになるのだ。


 あとはディオゲネスが合流すれば、全ては上手くいく……ヴァディムに恐怖は無く、歓喜だけが身体を支配していた。


「よし、火を放て!」


 ヴァディムから見て左手に炎の壁が出現する。 燃える水は長時間火を放ち続け、魔獣を遠去けるだろう。


 背後にあるのは聖女と崖だ。 偶然の地形だが、神々が味方して下さる……そう思うヴァディムには何も見えていなかった。 既に数人は死亡し、聖女は凄惨な姿に変わっている。 炎に遮られた先には騎士を上回る数の魔獣がひしめき合っているのに。


 そして……魔獣は決して本能のままに動く獣などでは無い。 此処から程遠くない場所で、練達の森人イオアンが命を替わりに知った事実だ。


 間も無く、騎士達は蹂躙されるだろう。 若い騎士も老練の戦士も、森人すらも。


 魔獣はその為にいるのだから……
















「副団長、もっと身を低く」


 ジャービエルは普段開かない口を頑張って動かしていた。 リンドは側にいるが、流石に新人の森人に求めるのは酷だと思ったのだろう。


 煩かったリンドも今は顔を青くして、ひたすら無言で足を動かしていた。 リンドを動かすのは、傷付けられていくカズキを救いたいと言う一心だ。 英雄が如く助け出し、カズキに抱き付きたいと言う下衆な思いもあるが。


「済まない、だがこれ以上どうやってアチラへ行くんだ?」


 此処からは聖女もロザリー達も見えない。 方向は間違いないだろうが、道など存在しないのだ。


「一度崖に降りる。 勿論下までじゃない。 これで」


 言葉を切る様に話すジャービエルは、黒く染められた腰にある縄の束を指差した。


「……そんな細い縄で大丈夫なのか? 直ぐにも切れそうだが……」


「これは森人が使う特殊なモノ。 副団長が3人いても大丈夫、多分」


 ケーヒルは最後の台詞は聞き流し、直ぐ足元の崖への入り口を眺めた。


「とにかく急ごう、聖女を奪還後は森を無理矢理にも突破する。 ディオゲネス……あの騎士は私が相手をするが、他は頼むぞ」


「姐さんもいる。 剣さえ有れば、その辺の騎士には負けない」


 先程チラリと見えた様子では、ロザリーもフェイも後ろ手に縛られて自由はない様だった。 ジャービエルも十分戦えるが、3人の騎士相手は流石に無理と思っている。


「ああ、そうだな。 聖女は怪我をしているから、君に任せるかもしれない。 頑張ってくれ」


「は、はい!」


 王都でも有名なケーヒルの迫力にリンドは緊張を隠せない。 騎士をあまり好きではないリンドも、副団長には頭が上がらないのだろう。


「行こう」


 森人特有の結びを終えたジャービエルから、ゆっくりと崖の中腹を目指して降りていった。


























 振り上げた手の先には剣と見紛うばかりの爪が並んでいる。 魔獣の筋肉が震えて、斜め上から猛烈な速度で振り下ろされた。 受ける事は勿論、受け流すのすら不可能と誰もが思った。


 ズバンッ!!


 だが、ディオゲネスには通じない。


 爪の根本、指先を一瞬で切り離された魔獣は耳に響く煩い悲鳴を上げた。 そして迫り出した口蓋を天に向けた魔獣の悲鳴は途中で途切れる。 切り飛ばしたディオゲネスの剣は止まらず、そのまま下から咽喉元に突き刺したからだ。 強靭な筈の魔獣の肉と骨は役割を果たさず、頭頂まで切っ先が抜けた。


 壮絶な笑みはそのまま、倒れ来る魔獣の首を切断する。 魔獣の体重が助けたとは言え、尋常な膂力では無い。 周辺に居た騎士も思わず見入ってしまう程だ。


「すげぇ……教導官ってこんなに強かったのか……」


 騎士一人が魔獣一匹を殺すなど、ケーヒルにもアストにも不可能だ。 それを知らない若き騎士は、ただ感嘆するだけだった。


 雨の如く降り注ぐ魔獣の血を浴びながら、ディオゲネスは次の獲物に向かっていく。


「うらぁ!!」


 背を向けていた魔獣の後ろ足を断ち切って、姿勢を崩した魔獣の上に立ったディオゲネスは、剣を逆手に持った。 やはり笑みはそのまま首の後ろに深く突き刺す。


「どうしたぁ!! 魔獣共! 獲物は此処だ、かかって来いよ!」


 ドスドスと二匹の魔獣が赤い眼をギラつかせ、ディオゲネスに走り寄って来る。


「お前等、遊んでんじゃねぇ! 矢を放て、右だけでいい!」


 ディオゲネスの号令に慌てて弓を構えた騎士達は、それでも訓練のまま正確な狙いで矢を放った。 これも訓練の成果か、見事な迄に同時に放たれた矢は右側の魔獣に殺到する。


 ディオゲネスは矢の行方を横目で見ながら、既に走り出していた。 足音を鳴らす魔獣は勢いはそのままに爪を叩き付けようとする。


「魔獣は皆同じだ……それしか能が無いのかよ!」


 簡単に其れを躱したディオゲネスは、一旦背後に回り込み、矢の放たれた片方を見た。 幾本か突き立った矢は魔獣の悲鳴を呼び込み、脚にも当たったのかつんのめって倒れ込んでいた。 その間抜けな姿に笑みを更に深めると、此方に向き直った魔獣に目を細める。


 今度は無言で間合いを詰めると、ヤツは拍手をする様に両手を挟み込んできた。


 グアアアァーーーーッ!!


 だが、やはりディオゲネスには通じない。 いつの間にか鞘に収めた剣を背後に前転して懐に入る。 その姿勢から両手で引き抜いたナイフ二本を魔獣の腹に突き刺すと、折れるのも構わずにグルリと抉った。


 魔獣は痛みか怒りなのか、自らの腹目掛けて無茶苦茶に腕を振り回す。 だがディオゲネスの姿は其処には無く、剣を上段に構えて壮絶な笑みを浮かべていた。


「馬鹿が……」


 さほど力が入っているとは思えない振りで、ディオゲネスは剣を振り下ろした。


 魔獣を切り裂いた剣は少しだけ曲がっていたのか、鞘は既に壊れて地面に落ちている。


 断末魔を少しの時間だけ聞いて、ディオゲネスは隣の獲物へ駆け出した。 見れば最早助かる事もないであろう騎士が数人倒れている。 負傷した魔獣に油断したのか、或いは間抜けか……ディオゲネスは僅かにも心を動かす事無く、真っ赤に染まった剣ごと体当たりを敢行する。


 あっさり絶命し倒れた魔獣に唾を吐き、周辺を見廻す。


 炎の壁は完成しつつあり、少し場所を移す方が良いだろう……ディオゲネスは聖女の位置を確認しようと、磔にした大木を見て動きが止まった。


 浮かべていた笑みは消え、焦げ茶色の両眼は座る。


 大木の背後、崖の方から近づく3人の姿が見えたからだ。 見張りに残した騎士達は、まだ気付いていない。 大木の反対側で見えないのだろうが、寧ろ聖女に屯って遊んでいるからだ。 聖女の顎を手で掴み、無理矢理に上を向かせ様としていた。 


 森人の女……ロザリーは叫び声を上げて、騎士を非難している。


「はぁ……所詮は只の騎士か……」


 聖女をその辺にいる街娘と勘違いでもしてるのか、それとも戦場にいる事すら忘れたか。 ディオゲネスは何故か聖女に触れる若い騎士に怒りを覚え、下らない感情だと直ぐに捨てた。


 助ける気など毛頭無いが、聖女を奪われるのは上手くない。 戦場は幾らでもあるのだ……此処に拘る必要も無いか……。


 ディオゲネスは何かを諦めたのか、戦線の背後に積まれた燃える水を両手で掴むと溜息をついた。


 表情すら変えずに、魔獣を押し留める騎士達の背後へばら撒く。 何本も何本も……独特の揮発臭が鼻をくすぐり、ディオゲネスは矢張り無表情で火を放った。


 ドバッ!!


 簡単に燃え上がると、聖女を背後に半円の赤い壁が出現する。 気付いた騎士達は叫び声を上げているが、既にそちらを見ていないディオゲネスには聞こえていない。 いや、聞く気すら無いのだろう。


 騎士達は魔獣の群の前に取り残され、逃げることさえ叶わない。 背後には炎の赤い壁、前には魔獣の赤い肉の壁があるのだ。 生き残るには炎が消える迄の長い時間を稼ぐしか無い。


 魔獣の数は既に百に届いているだろう。 そして取り残された騎士はもう20人程度しか残っていない。 負傷を癒す為に聖女の懐へ飛び込む事も不可能となった。


 やがて、騎士達の悲鳴が森に響き始めたが、救いの手は差し伸べられる事もない。 その悲鳴の中にはヴァディムの声もあったが、それすらもやがて消えていった。












「さて、ケーヒルの旦那と一戦交えるのは何年ぶりかな……。 あの頃は何度挑んでも勝てる気はしなかったが、今はどうだろう? 今の俺は強いぜ?旦那よ」


 ディオゲネスは消えていた笑みを再び浮かべ、低木や草に隠れて近づくケーヒルを見る。


 ケーヒルもディオゲネスに気付かれた事を知った。


 そして、ロザリーの悲鳴だけは何故かしっかりと聞こえる。 手を出すな、汚い手でカズキに触れるな、と。


 其れは深い愛と怨嗟の叫びとなり、間違い無く聖女へ届いていた。


 森は赤く染まり周囲を明るく照らしている。


 宴は佳境へと差し掛かっていた。



















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