黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜

きつね雨

21.聖女の変化

 


















 聖女はベッドの上で真っ赤な顔をして眠っている。




「ねえ、クイン。   どう思う?」


「……そうですね。  困ったものとしか言えないです」


「エリは?」


「んー……アレってもう手に入らない貴重なヤツでは?」










 アスティア達は最近わかってきたのだ。   聖女であるベッドに眠る少女は、思いの外にお転婆な娘だと。


 見た目は守ってあげたくなる儚い少女なのだが、まず女の子らしくない。   むしろ少年の様な振る舞いが多い。


 先日などは何処から見つけて来たのか、男性用浴着を着て部屋をウロついていた。  男性用浴着とは、ダボっとしたシャツと、膝まである薄手のズボンの組み合わせだ。  麻で出来ており、色合いも濃い目のベージュの地味な着衣だ。   入浴上がりなどに着る下着の延長の様なもので、人前で着るものでもない。


 そもそも体の小さな聖女様では、シャツは肩からずれ落ちているし、ズボンは脛まで届いている。  刻印に至っては少し角度を変えて見れば丸見えになる。


 端的に言ってだらし無い上、全く似合ってもいない。  初めて見たときアスティアは、悲鳴に近い大声を上げたものだ。


 ドレスなどの女性らしい衣服を着る事を好んでいないのは察していたが、その内にらしさに目覚めるだろうと思っていたのだ。  一体今までにどんな生活をして来たのか疑問に思ってしまう……アスティア達は頭を抱える日々が続いている。


 つい先日の夜の散策時も、少し紅を引くのすら嫌がる始末だった。  下着姿のまま平気で扉を開けるのも、したくもない納得をしてしまっている。








「それで今度はこれ……?」


 呆れてベッドに眠るカズキをアスティアは見ていた。








 クインが扉を開けてアスティアを中に促すと、最近良く聞くようになったアスティアの悲鳴が上がった。  カズキが床の絨毯に倒れて、すぐ側には赤い液体が溢れた跡があったのだ。 


「 まさか癒しの力を誰かに……!?」


 そう思って慌てて近づくと、強いアルコールの匂いが皆の鼻をくすぐった。  側には倒れたビンとクリスタルのカップ……全員が冷ややかな目を聖女に向けたのも当然だろう。


「何処からお酒を……そもそも何で飲んだの!?」


 クインがカズキの様子を見ている横で、アスティアの声が響いている。


「完全に酔い潰れてますね……。  エリ、お酒を片付けてくれる?」


 クインはカズキを横抱きにして、ベッドに運ぶ。  真っ赤な顔をして、声なき呻き声でも上げているのだろう。  目尻に皺を寄せて苦しそうにしている。  だが同情心は湧いてはこない。


「あー……これって凄い高級なお酒で、もう作れなくなったヤツでは……?」


 原料も手に入らない上に蒸溜所は森に消えてしまった、正に幻の酒である。


「お説教しようにも話しは通じないし、困ったものね」


「この様子では起きたときに壮絶な二日酔いになるでしょう。  嫌でも懲りるのでは?」


「クイン、そういう問題じゃないわ!   今までは優しくしてきたけど、これは教育をしなくては駄目よ!」


 アスティアの中では、カズキは手間の掛かる妹なのだ。 姉として妹を立派な淑女にしなくてはならないと決意を新たにする。


「クイン、カズキの専属の侍女になるのでしょう?  厳しく教えて上げてね?  私も協力するわ」


「はい。  承りました」




 カズキが前後不覚になっている間に、戦いの火蓋は切って落とされた。






 この日より黒の間には悲鳴にも似たアスティアの声がいつも響く事になる。  カズキは部屋中を逃げ回り、意外と器用に体を使える事も判明した。  まるで街中を駆け回る悪餓鬼の如く、飛んでは跳ねて見事に逃げ回るのだ。  クインが静かに怒りを露わにするまでは、聖女が大人しくなる事はなかった。  流石の聖女もクインには勝てないらしい。




 そして同時に……聖女の誰も寄せ付けない雰囲気は、少しずつ薄くなっていた。  アスティア達はカズキが心を開いてくれていると思い始めている。












「お父様、兄様、聞いてるの?」


「ん?  ああ、聞いてるよ。 なあアスト?」


「はい。  アスティア、ちゃんと聞いてるさ」


「あのお転婆聖女を何とかしないといけないわ! 見た目に騙されてはダメ!」


 カーディルは14歳の若さで立派な王女であるために努力しているアスティアを愛しく思うと同時に、居た堪れない気持ちを持っていた。  だが目の前の愛しい娘はどうだろう。  年齢に相応しい輝きを放っているではないか。    それだけでカーディルは嬉しくなってしまう。


「アスティア。  カズキが元気になってくれて良かったじゃないか。  塞ぎ込むことも少なくなっただろう?」


「兄様!  カズキは隠れてお酒を飲んでたのよ!  酔い潰れて、心臓が止まるとおもったんだから!」


「まるで、悪戯坊主がやるみたいだ。  アストも昔隠れて酒を飲んでいたからな」


「父上……それは昔の話です」


「……二人とも!  真面目に聞いてください!」


 アスティアの怒りの声に二人は真剣な顔になった。 内心はわからないが。


「そうだな……やはり外出も出来ないし、気分転換しないといけないかな?」


「少し前に庭園に連れ出したのだろう?」


「僅かな時間です、父上。  リンスフィアを案内出来たらいいが……」


「無理なの?」


「カズキは目立つからな……刻印の事もある、何処から漏れるとも知れない」


「兄様、カズキの事を知られるのがそんなに悪いことなのかしら?」


 アスティアは純粋に聞いたのだろう。  アストはカーディルと目を合わして、カーディルの頷きを確認した。


「アスティア。  少しだけ嫌なことかもしれないが、君の大事な妹のことだ。 しっかりと聞くんだよ?」


 アストはアスティアの目を真っ直ぐに見た。


「……はい」


「カズキの癒しの力は人知を超えたものだ。  致命傷すら短時間で治癒出来る、いや出来てしまう。 自らの血肉を捧げるという問題もあるが、それだけではないんだ……アスティアも知っての通り魔獣を撃退する方法は数あるが、奴等を駆逐出来る程ではない。  それはわかるね?」


 アスティアは神妙に頷く。


「森に奪われた街を取り戻す戦略をいくつか提示されている。父上は吟味した上で、今は実行に移していない。   それは一定の犠牲を強いることが条件だからだ。  だが……」


「……カズキがいれば実行出来る……?」


「そうだ。   しかも一人や二人ではない、大勢の犠牲者を出す可能性すらある。そしてその時カズキに何が起こるか、誰もわからない。  もしかしたら、何人かを癒して命を落とすかもしれない」


「……アスティア。  私は王として合理的に考えれば、一定の効果が望めると判断している」


「お父様!」


「まあ聞きなさい。  一つの街を取り返し、魔獣を多く葬る事が出来たとしよう。  カズキの癒しの力で犠牲も最小限に抑える。だがカズホートの例を挙げるまでもなく、最後にはリンディアは負ける……カズキが何人もいれば可能性もあるが、考えても仕方のない事だ。  それに……」


「それに……?」


「アストの想定には一定の説得力がある。  癒しの力が封印されている事だ。  慈愛すら狂わされているのだろう?  他の刻印もカズキ一人に負担が掛かる様になっている。  まるでそう仕向けるかのように」


 クインが解読内容を知らせてくれた時、アストが力強く答えた事だ。


「アスティア。  カズキと触れ合ってどう思う?  黒神ヤトの操り人形のように、意識も個性もない道具なんだろうか?」


 アスティアはアストに負けないくらい強く告げる。


「そんな事ありません!  あの子は……ひどくお転婆だけど、優しい素敵な子です……。  黒の間で追いかけてる時、私が躓いて倒れたら慌てて駆け寄って心配そうにする、エリの悪戯にも本気で怒ったりしない。  刻印がなくたって人を思う事の出来る子です」


 カーディルはアスティアの白銀の髪を優しく撫でた。


「そうだな……ヤトの力ならカズキの意識すら改変出来ただろう。  でもそうしていない。  きっと何か意味があるんだ」


「お父様……」


 アスティアはカーディルの手の感触に目を細めた。


「今はカズキの事は伏せておきたい。 広く知られれば、あらぬ混乱を招く恐れもあるからな。 わかったかい?」
















「まあ、だからと言ってお転婆聖女をそのままには出来ないな」


 アストはおどけて見せる。


「クインが教育してるけど、手を焼いてるって」


「リンスフィアに連れ出すか……準備して慎重にすれば、そこまで大事にはならないだろう。  多少の変装は必要だろうがな」


 カーディルの許可が降りた事で、カズキは初めて異世界の街を散策する事になった。


「わかりました。  では私が連れて行きましょう」


「ん?  お前が行くのか?  クインなり、騎士の若い者に護衛させれば十分だろう?」


 カーディルの顔に意地悪な笑みが浮かんでいるのも気付かずにアストは真面目な顔をして答えた。


「いえ、私が責任をもって保護すると最初に言いました。  自身の言葉に嘘はつけません」


「そうか…… なら任せるぞ?」


「はい」


 カーディルにはアストの明らかな独占欲が見えてやはり嬉しくなった。同時に後で冷やかすのも忘れないだろう。


「私も行きたいなあ」


 置いてきぼりのアスティアも上品に口元を隠して、ニヤつきを見えない様にしている。


「ああ、私達二人ではより目立つからな。  別々の日にしようか」


 真剣に答えるアストに、父娘は歯を食いしばり笑いを我慢するほかなかった。
















 リンディア王家の面々は知る事になる。この時の決断が鎖の様に繋がり変化して、王国に波乱の時代を招く事を。


 少しだけ柔らかくなった筈の和希の心さえ、再び混乱へと落ちていく。










 美しきリンディア王国と黒神の聖女に暗い影が忍び寄っていたが、この時はまだ誰も気付いていなかった。



















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